五回目

「えー、テス、テス。只今マイクのテスト中」

 彼は旧式の武骨なマイクに向かって語りかけた。

 時刻は深夜零時の少し前。

 登山シーズンが始まる前であったため、山小屋の中には彼以外に誰もいなかった。

 この山小屋は「世界で一番高いところにある山小屋」として有名である。

 登山期間中は客で賑わい、彼は無線装置の前に貼り付いて客の案内を努めなければならなかった。

 今、彼の目の前にある無線装置は沈黙している。

 彼はそれを愛おしそうに撫でると、

「それでは放送を開始します」

 と穏やかな声で言った。


 そして、彼は生まれてから今までの人生を、世界に向かって語り続ける。

 いかに自分が両親から愛されており、

 それに気がつかずに家を出るようにして街へ出て、

 そこで運命の出会いをして恋に堕ち、

 無茶なことを散々やった挙句に、刑務所行きとなり、

 妻と最愛の子供が、彼の前から姿を消して、

 彼自身も人々の冷たい視線に耐えられず、この辺境の地に逼塞することになったことを。

 従って、これは懺悔である。

「最愛なる妻、ローラ。最愛なる娘、ロッテ。こんな無様な父親を許してほしい」

 彼は今まで言えなかった言葉を、喉の奥から絞り出す。


 しかし、この時点で彼はすべてを承知していた。


 彼が行っているこの放送を聞く者は、地球上には既に一人も残っていない。

 北のお偉いさんが作ったウィルスの餌食となって、

 他の人間は七十二時間前に全員死んでおり、

 彼が勤務していた「世界一高いところにある山小屋」だけが、

 高山の低圧に弱い感染症ウィルスの侵入から守られていた。

 しかし、それももうすぐ破られる。

 初期症状の悪寒を感じながら、彼は語り続けた。


「本当に俺が悪かった」


 彼の哀しみが電波に変わる。

 人類史上最も静かな夜は更けていった。

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