四回目


「えー、テス、テス。只今マイクのテスト中」

 彼はスタンドマイクに向かって語りかける。

 しかし、スピーカーからは何の音も流れなかった。

「なんだよこれ。壊れてるんじゃないのか?」

 マイクの側面にある電源ランプは赤く点灯している。つまり、マイクの電源は問題ない。

「全く。初日だっていうのによぉ」

 彼はぶつぶつ文句を言いながら、机の脇に置いてあるスピーカーの前にしゃがみ込んだ。


 二十年前、彼は曽祖父の代から続いていた家業を引き継いだ。

 これは生まれた時から決まっていたことである。彼は家業の修行には精を出したが、学校の勉強からは徹底的に手を抜いた。

 元来、話好きではない。学校でも表に出ることは決してなく、学芸会では常に背景役だった。

 さらに音痴である。同業者の寄り合いでは周囲が引くほどカラオケを徹底して嫌がったので、誰も勧めようとしなくなった。

 それが、長引く不景気で廃業の憂き目にあう。

 他に何の取り柄もなかった彼は、「それほど資金が必要ない」という理由だけで、街頭販売に転身した。


 今日はその初日である。

 マイクを持って他の人に向かって話をした覚えは一度もない。

 何度もやっていればそのうち慣れるだろう、程度の意気込みだ。

 知り合いから借りたスピーカーをチェックすると、主電源ボタンが押されていなかった。

「ちぇっ」

 彼は単純なミスに舌打ちして、スピーカーの電源ボタンを押す。

 折悪しく、彼が街頭販売を行おうとしている広場に向かって、

「最後のお願いに参りました。田中正雄、田中正雄でございます」

 という、お願いと言っている割には世間迷惑でしかない車が近づいていた。

 そのため、彼はスピーカーの音量を最大にセットする。


 その時点で、彼はまだ知らなかった。


 関西で放送されている中古ピアノ買取会社のCMは、「聞いた途端に泣いていた子供が泣きやむ」ことで有名である。

 ある種の音はある種の反応を、聞いた人々の中に引き起こすことがあるのだ。

 今まで人前でマイクを一度も握ったことがない彼は知らなかったが、彼の声は極めて独特な固有振動数を持っていた。

 それはアンプによって機械的に増幅されると、人間の鼓膜を実に効果的に刺激する。

 更に、彼のスピーカーから流れた音を選挙カーのマイクが拾い、選挙カーのスピーカーによってそれが増幅されることになる。

 それはお互いに音を拾いあってその場で共鳴し、

 ハウリング寸前まで高まると、

 その場にいた者達の視床下部から大脳新皮質へと伝播し、

 脳内快楽物質を必要以上に分泌させて、

 あたかも麻薬常習者のような高揚感を引き起こし、

 全員の脳内に奇跡的な現象を巻き起こすのだ。


 彼はこの力を使って、宗教団体の教祖という道を急激に駆け上ってゆくことになる。


「テストやってる時間がなくなっちまったな」

 奇跡の瞬間が刻一刻と迫っていた。

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