第9話 エンマは不死身

 サクラとお供のジンタはいつの間にかセントラルパークを離れ、人通りの途絶えたビルの谷間を歩いていた。

 辺りはオフィス街なのか、常夜灯の灯りはあるもののビルのほとんどは照明を落としている。


「緑色の月を見上げながら歩いていたら、なんだか寂しい場所にきちゃったねえ」


 サクラの言葉に、ジンタは相槌を打つように鼻を鳴らす。

 一方通行の道路をさらに奥へ進む。

 すると暗がりの中に、ぼんやりと人影が見えた。


「あっ、誰かがお散歩しているよ。

 でも、わたしたちには気づいてくれないんだろうなあ」


 サクラはしょんぼり肩を落として、人影を避けるように歩いていく。


「お待ちなさいな」


 すれ違う寸前、人影が声をかけてきたのである。

 サクラは思わず振り返る。

 緑色に輝く月の光が、瞳に写る。


 そこには頭巾を目深にした、濃緑色の貫頭衣かんとういを羽織った人間が立っていた。

 背はサクラよりもはるかに高いのだが、男なのか女なのか、わからない。


「あら、あなたはわたしたちが見えるの?」


 嬉しそうにサクラは微笑んだ。


「もちろんですとも。かわいいお顔が、笑っていますね」


「えーっと、あなたのお名前はなんていうのかな」


「名前などは、よしとしましょう。

 それよりも、こんな場所に産土神うぶすながみがいらっしゃるとは、正直驚きましたよ」


「いっしょに遊んでくれたら、嬉しいんだけどなあ」


 サクラは、はにかむように頭巾を見上げる。


「ええ、遊びましょう。とても面白いお遊びを、一緒にしましょう」


 頭巾の奥から忍び笑いが聞こえる。

 サクラは気付かないが、ただならぬ気配にジンタは警戒するように姿勢を低くし、唸り始めた。


 その刹那、マントがひるがえりサクラだけを包み込んだのだ。

 サクラは握っていた紐を放してしまった。

 ジンタはアスファルトを蹴り、相手に飛びかかる。


 ギャンッ!


 ジンタは、数メートル先まで一瞬のうちに弾き飛ばされてしまったのであった。


~~♡♡~~


「おにぎりは結構腹持ちが悪いや。またまたお腹が減ってきたぞ。

 どうしたもんかなあ。誰かに蕎麦そばでも御馳走になろうかな」


 オボロのマンションから、すたこら逃げ去った男、地獄の十王じゅうおうエンマは、夜の街を物欲しげにぶらついていた。

 オボロのマンションは、セントラルパークに近い葵町あおいちょうにある。

 広小路ひろこうじ通りと呼ばれる国道六十号線をエンマは歩いていた。人通りは結構あり、背の高い超ハンサムな茶髪の男がポケットに手を突っ込み歩いていると、皆が振り返る。


「いやいや、待てよ。

 蕎麦が食べたいのはやまやまでけど、もういいかげんにシミョウと合流して事態の収拾をはからねえとな。

 留守番しているシロクが、烈火のごとく怒っているだろうからなあ。言葉よりも、手の出るほうが早いんだよな、シロクは。

 しかし、あの姉妹は大王たる私でも恐れおののいてしまうキレかたをするから、まいっちゃうよな。ドワッハッハッ!」


 ひとしきり笑うと、ガクリと肩を落とす。


「せっかくシミョウをいて、グルメ三昧ざんまいを楽しもうと思っていたのによう。この悔しさを倍増させて脱走犯にお返ししなきゃ、気がすまないぜ」


 ぶつぶつと、つぶやきながら歩く。


 目の前を若いOL風の若い女性が二人、コーンの上に二段重ねしたアイスクリームを食べながら歩いてくるのが視界に入った。

 エンマは立ち止まり、じっと物ほしそうな視線をアイスクリームに投げかけはじめた。


~~♡♡~~


「――で、その地獄を脱走した亡者が、テレビでやっていた連続猟奇殺人事件の犯人だってえの、ですか」


「ええ。間違いございませんわ。このタブレットがある限り、逃れることは不可能、必ず逮捕いたします」


 オボロとシミョウはマンションを出て、逃げ去ったエンマを探し求めていた。

 オボロはいつものトランクケースではなく、黒い革製のバッグを持っている。シミョウはタブレットを入れた、赤いショルダーバッグをタスキ掛けにしていた。

 オボロはハットをかむり、ミニのメイド服姿で歩くシミョウの後を小走りでついていく。

 シミョウはオボロよりも背は低いが、歩く速度はとんでもなく速かったのだ。

 二人は広小路通りを早歩きで進む。


「おい、あの外灯の下だ。キラキラ銀色に輝くスーツ男が立ってるよ!」


 オボロの声を聞く前に、シミョウの歩く速度がみるみる上がっていく。

 歩くというより、すでに全速力になっていた。

 オボロはヒーヒーとあえぎながら追いかける。

 突風のような勢いで、シミョウは飛んでいく。


「なんか、あのオネエサンたち優しかったなあ。

 二人とも私にアイスクリームをくれちゃった。

 いやあ、これって人徳? ああ、私は人じゃなかった。ドワッハハハッ」


 エンマは、コーンにたれるアイスクリームを舌先ですくいとる。実に美味しそうに舐めあげる。口の周りには、白やピンクのアイスクリームが光っているのはまったく気にしていない。


 エンマのこめかみが、ピクリと痙攣した。

 いやあな予感に、腕に鳥肌が立つ。

 振り返った瞬間、すさまじい勢いでウエスタンラリアットが遠慮なく襲ってきたのであった。


 百九十センチ近い長身が、ふわりと宙に浮かびあがる。

 ドゥーン、とアスファルトに叩きつけられた。


「お捜しいたしましたのですよう、閻魔大王えんまだいおうさまぁ」


 シミョウは甘えるような口調で、地面に転がったエンマの顔を覗き込んだ。


「あらあら、大丈夫でございますでしょうか? 

 なにやらお倒れになるときに、頭がい骨から妙な音が聞こえましたけど」


 アスファルトの上でエンマは白目をむきながら、それでもアイスクリームだけはまっすぐ持ったまま、身動きしない。

 はあはあ、と荒い息をつきながら、オボロがようやく追いついた。


「だ、大丈夫か? この大王さん。

 頭頂部から、思いっきり地面に激突したけど。すごい音が響いていたよ」


「心配ご無用でございまーす。

 閻魔大王さまは、もちろん不死身でいらっしゃいますから」


 シミョウは満面の笑みで、オボロを見上げる。


「あいたたっ。

 や、やあ、シミョウじゃないか。

 こんなところで会うなんて。元気そうで、なにより」


 エンマは頭を振りながら、上半身を起こした。


「その、アイスクリーム。

 まさか、誰かを恐喝して巻き上げたんじゃないだろうねえ」


 オボロは、座ったまま両手のアイスクリームを舐めるエンマに問うた。

「んんっ? オボロじゃねえか。

 どうしたい、こんなところで」


「いやいや。

 どうしたって聞きたいのはこっちですよ、閻魔大王さん」


「うむ。

 ようやくこの私が、地獄の十王にして絶対的権力者であると、認めたのか」


 ふたつのコーンを無理やり口に押し込みながら、エンマは言った。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る