第10話 走る霊獣

 三人は広小路通ひろこうじどおりから、少し奥に入ったマンションの立ち並ぶ一角の、小さな簡易公園にいた。

 エンマとシミョウは、少し錆の浮いたブランコに座り、ギシギシとこいでいる。


「そうかい。

 オボロが土下座をして、私たちの手助けをしたいと申し出た、というわけか」


「ええ、さようでございますわ、大王さま。

 私は一般的小市民の助けなど、不要とお話しいたしましたのですが、是が非でも大王さまの従順なる家来として、いかようにもこき使ってくれと泣きつかれまして。

 私、人間の殿方には弱くてございますでしょ。オロオロとするばかりで」


「お、おい、私はそんなこと言っては――」


「わっはっはっ、そこまで言われてしまっては、私も仕方なかろうと言わざるをえんなあ」


 エンマは膝の屈伸を器用に使いながら、ブランコの速度を上げていく。


「さすが、慈悲深い大王さまのお言葉。シミョウは尊敬の眼差しを、送ってしまいますわ」


 言葉とは裏腹に、エンマに負けじとブランコを漕ぎながら、睨みを利かす。

 オボロは疲れ果て、言い返す虚しさだけを感じた。


「それで、シミョウ。例の脱走犯は、いま何処よな?」


「はい、それでございますが。

 今まででしたら、このタブレットで探索できましたのですが、奇妙なことにプツリと足跡が消滅いたしております。

 これは、面妖な事態でございます」


 二人の漕ぐブランコは、すでに地面に対して九十度の角度を超え始めている。

 互いに見合い、負けてなるものかとさらに勢いをつけているようなのだ。


「ちょっと、おい! 

 危なくないか、そんなに漕いだら」


 オボロの声など聴く気もないようで、二人は睨みあいながら無言になっていた。

 ひたすら全身を器用に動かし、漕ぎ続ける。


「ナントカ大サーカスの、空中ブランコですかっ、これは」


 ギーコッギーコッ、と錆びた金属をこすり合わせる音だけが、公園内にこだましていたところに、オボロはまたしてもイヤな予感に襲われ、辺りをうかがう。

 遠くの方で、クルマの排気音やパトカーのサイレンが聞こえる。


「まさか、この背中を蟲が這う感触はっ」


 当たり、であった。


 公園前の道路を、一匹の犬が全速力で走ってくる姿がオボロのサングラスに写ったのだ。

 オボロはあわてて隠れる場所、もしくは高い所をさがした。


 あった。

 小さな砂場にかかるように、滑り台が設置されていたのだ。

 オボロはバッグを抱え、出したこともない速力で滑り台のステンレスの板上を昇り始めた。


 よく考えれば、反対側の階段を駆け上ったほうが確実で早かったのだが、その時はすでに気が動転していたのである。

 オボロの片手が滑り台頂上のパイプをつかんだものの、革手袋がするりと滑る。


「ヒーィィッ!」


 バッグを抱いたままステンレスの上を、スーッと下がっていくのと、走ってきた犬が大きくジャンプするのが同時になった。

 犬は、見事にオボロの背中に着地したのである。


「まあ、かわいらしいお犬ですこと!」


「うん? あの犬は霊獣れいじゅうではないかな」


 ブランコはすでに角度百二十度を超え、前後に大きく振り子状態になっている。


「トウッ!」


「ターッ!」


 二人は同時にブランコを蹴り、宙に舞った。

 ザンッ、と土の地面に着地する。

 身長の差で、エンマの方がわずかに遠くへ飛んでいた。

 チッ、とシミョウの食いしばった歯の奥から、舌を鳴らす音が聞こえた。


「さあて、なぜ霊獣がオボロに抱きついているのか、聞いてみないと」


「さようでございますわね」


 シミョウは飛んだ距離で負けた腹いせなのか、キッとエンマに一瞥をくれるとすたすたと早歩きをする。

 オボロはうつぶせのまま下半身を砂場におろし、死んだように身動きしない。

 霊獣であるジンタは、背中の上で足踏みをするかのように四肢を動かしている。


「こんなところで寝るなんて、お里がしれるぞ、オボロよ」


 エンマは腰に手を当て、オボロを見降ろす。


「なにか、呟いていらっしゃいますわ」


 シミョウはしゃがみこんで、オボロの後頭部に耳を近づける。

 わずかな呼吸音が聴こえた。


「やはり寝てるかい? シミョウ」


「ためしに――」


 シミョウは口を小さくすぼめ、指先で丸を作る。


「ショッと!」


 はじかれた中指がオボロの後頭部に炸裂する瞬間に、ガバッとオボロは滑り台から地面に転がった。

 背中に乗っていたジンタは宙で一回転し、地面に着地する。


「おおっ、見事な」


 エンマは手を叩いて、ジンタを称賛する。


「だからぁ、犬をどけてって、たのんだんだよ!」


 オボロは砂だらけになりながら、立ち上がった。そして自分がうつぶせになっていた滑り台を、何気なくながめて身震いする。

 ステンレスの板に、指がちょうど入るくらいの穴が穿たれ、かすかに煙がゆらめいているではないか。

 もしあのまま寝そべっていたら。オボロは顔面蒼白で、シミョウを見る。

 本人は何食わぬ顔で、しゃがんだままジンタの頭をなでていた。


「オボロ、きみは霊獣をペットにしていたのかい?」


 エンマは手を叩きながらオボロに問う。


「私が大の犬嫌いだって、閻魔帳えんまちょうには載ってなかったっけ」


「もちろん載っておりましてよ。

 ご幼少のころ、犬に腐敗したお饅頭を無理やり食べさそうとして追いかけられ、それ以降トラウマになっていらしたんですわね。

 動物虐待は、罪が重とうございますのに」


「あ、あれは腐ってるって知らずにあげようとしたんだよ! 

 なんか、どんどん私の過去が罪深くなっていってる」


「その言い訳は、いずれ三途の川さんずのかわを渡って来たらじっくり聞いてあげるさ。

 それよりも、この霊獣、擦り傷が多いなあ」


 オボロはハッとして、お座りの姿勢のジンタを恐々観察する。

 たしかに背中や頭部に、小さな傷を負っている。しかも、首輪からは紐が垂れ下がったままの状態である。つまり、「飼い主のサクラちゃんは、どうしたんだ?」であった。

 ジンタは小さく唸りながら、しきりにオボロの周りを駆ける。


「どこかへ案内したいんじゃあ、ないのかい」


 エンマは顎を指先でこする。


「どこかって。

 なぜサクラちゃんが、愛犬を手放したのかな」


 オボロのつぶやきを理解したのか、ジンタはいきなりオボロの黒いズボンの裾を噛んだ。


「ヒーッ! か、噛まれたーっ」


 オボロは立ちすくみ、手で追い払おうとするが、ジンタは噛んだまま離れない。


「噛まれた! 噛まれた! カマレター!」


「エーイ、うるさいのですわ! それは甘噛あまがみですわよ。

 それよりも、この子はどこかへ案内しようとしているのでは、ございませんでしょうか」


 シミョウは主である、エンマを見る。


「どうやら、そのようだな。

 おい、オボロよ。きみはどうして霊獣とお知り合いなんだい? 霊獣は神の使い。まさかきみは、神をたらしこんだのではあるまいな」


「まあ! 神を冒涜ぼうとくする行いまで。

 いっそこのまま地獄へしょっ引いて、十王じゅうおうさまのお裁きを受けさせたほうが世のため人のため」


 二人の会話すら耳に入らぬオボロ。バッグを盾にジンタから懸命に身を守ろうとしている。


「ささ、霊獣よ。私たちを案内するのだ」


 エンマはジンタの紐を、ひょいとつかむ。

 ジンタはパッとオボロから離れ、三人を一瞥いちべつすると走り出した。


「さあ、ゆくぞ! みなの者、私につづけえぃ」


 グイっと引っ張られたエンマは、声高に叫んだ。


「ガッテン、承知いたしました!」


 シミョウは肩で息をしているオボロの腕をつかむと、全速力で走り出す。


「イテテテッ! お、おい、腕が、うでがーっ」


 オボロは万力のような力で腕をつかまれ、引っ張られながら駆け出した。

 悲壮感あふれるオボロの叫びが、公園に響き渡ったのであった。


つづく

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