第7話 シミョウはメイド
オボロは夢を観ていた。
どこか知らない谷底で、天を仰いでうめいているのだ。周りは断崖絶壁である。
手足を動かそうと地面をみやると、あの
声をあげようにも、金縛りにあったかのように口が動かない。
そのうち、男の顔をした悪魔たちが顔にたかり始めた。
「オナカ、ヘッタヨウ、オナカ、ヘッタヨウ」
「ナニカ、クワセロ、ナニカ、クワセロ」
「コイツヲ、タベヨウ、コイツヲ、タベヨウ」
一斉に何十匹もの悪魔が笑う。
そして、そのうちの一匹が大きな口を開け、オボロの頬にガブッと噛みついた。
「ヒイイーッ!」
オボロは激痛に飛び上がった。がばっと起き上がり、噛まれた頬をさわる。
「痛っ!」
実際に噛まれたわけではないのに、なぜか両頬にヒリヒリと痛みが走る。
夢じゃなかったのかな、とオボロはボーッとする頭をふり、ふと横を見た。
「お気づきに、なりましたかしら」
オボロはヒエッと驚いて、上半身をひねった。
「突然お倒れになりましたので、びっくりして勝手に部屋へお邪魔致しました」
そこには黒いメイド服を着用した若い女性が、ニッコリと微笑みながら正座をしていたのである。
よく見ると、さきほどガラス越しにベランダで宙に浮かんでいた顔のようだ。
黒く長いロングヘアには白いフリルのリボン、少し目尻の下がった大きな目、小さな口元には赤い紅が引かれている。黒いメイド服はかなりのミニスカートであった。
夜景をバックにしていたので、白い顔だけが強調されて見えたようだ。
女性は笑みを浮かべたまま、ガラスサッシを指す。
サッシの鍵を掛けるあたりが、ちょうど人の手サイズに割られ、夜の大気が部屋に流れ込んできているではないか。
どうやら外側からガラスを割り、施錠をといて室内に入ったらしい。
この高級マンションでは、全窓に防犯用の強化ガラスをはめ込んであり、ハンマーで叩いても割れないという代物であったはずである。まさか、それを素手で割ったというのであろうか。
オボロの脳は、ショート寸前であった。
「お気を失っておいででしたから、失礼とは存じましたが、あなたさまの頬を」
女は容赦なく往復ビンタしてくれたのだと、オボロは痛みから推測するのであった。
ゆるキャラのような表情からは、想像できない力を発揮してくれたらしい。
「あ、ありがとう。って、なんで私が礼を言わなきゃならん!
いったいどうやって、このベランダに侵入したんだ?
アンタも、いったい何者なんだ?
みんな、私に恨みでもあるのか!」
オボロは高ぶる神経を抑えきれず、大声で怒鳴る。女性は上品に口元を隠しながら、微笑んだ。
「まあ、お元気でよろしゅうございましたわ。
はい、はい、ご質問でございますわね。うけたまわりとう存じますわ」
女性は十八歳前後くらいであろうか。
やけに落ち着いた、というか、のんびりした口調で続けた。
「ここへは下から一階ずつ、一生懸命昇ってまいりましたの。
途中、下着が見えやしないかとドキドキしておりましたのよ。
でも頑張って、昇り切りました!
私、自分を褒めてさしあげましたわ。
そうそう名前ですね。私は司命と書いて、シミョウといいますの。
そして、あなたさまには、なーんにも恨みつらみはございませんことよ」
オホホッと笑う。
オボロは気勢を削がれたように、肩を落とした。
「わかりました、そこまではわかりました。
では、なぜ私のマンションに出没したのか、私が納得できるように説明してもらおうか」
微笑んでいたシミョウの顔が、突然能面のように一変した。
「そうでしたわ! 忘れるところでございましたわ」
シミョウは片膝をたて、リビングを見渡す。
「どこへお隠れでございますの?
この部屋に入ったのは、確認しておりますわ。
さあ、お出になってくださいませー!」
「あのう、誰かをお捜しなのかな」
シミョウは、キッとオボロをにらんだ。
「あなたさま、お隠しになるとためになりませんわよ」
オボロはこの目つきを思い出していた。あの男だ。チャラチャラしたイケメン。
「まさか、エンマ、ダイオーとか」
バッと、いきなりメイド姿の女性に胸倉をつかまれる。
「やはり、ご存じでございましたか!」
上品な口調とは打ってかわって、細い女の腕とは思えない力で締め上げてくる。
「ちょ、ちょっと、苦しいっ」
「どこへお隠しあそばしたのかしら? 我が
シミョウの目つきが変わった。
「待って、待って、落ちつこ、ねっ、少し落ちつこ」
オボロは顔面を蒼白にさせ、手袋をはめた手でシミョウの腕を叩いて参ったを続けた。
~~♡♡~~
「重ね重ね、申し訳ございません!」
シミョウは土下座をしたまま、あえぐオボロに謝罪をする。
オボロは肩で息をしながら、床に投げ出した足を組んだ。
「も、もういいから。頭をあげなって」
土下座の姿勢から少し顔を上げ、シミョウは上目づかいでオボロを見る。
「なんかさ、このところやけに奇妙な体験をするんだけど、私の星まわりが悪いのかな。
やはり、あのときタロットカードで観たことは、当たっていたということか」
オボロはため息交じりにつぶやく。
「私は普通の、いや腕は超一流だと自負してるけど、占術師なんだよ。人さまの未来や運勢を占ってなんぼの、占い師。
それが、
絶対に私の運勢は、悪い周期に入ったに違いない」
シミョウはおずおずと顔を上げ、発言許可を求めるように片手をあげた。
オボロは顎でうながす。
「あのう、申し訳ございませんでした。シミョウは充分反省いたしますわ。
ただ、あなたが遭遇されたお方を、本当にご存じではありませんのでしょうか」
「あの茶髪の、食い意地のはったイケメンをかい?
知らんよ。出会ったことは、一度もないな」
「それはもちろんでございますわ。だって、あなたはまだ生きていらっしゃるわけだし。
主に直接お会いするには、
オボロは肘を床について上半身を支えていたが、がばっと飛び起きる。
「おいおい、シミョウさんとやら。アンタも本気でそんなことを言っているのか」
シミョウは大きな瞳で、真っ直ぐにオボロのサングラスを見た。
「ウソをつくと、わが主に舌を抜かれますから」
「ハアッ?」
「我が主は紛れもなく、地獄を統括する十王の一人にして最高裁判官、閻魔大王さまご本人でございます」
がくりとオボロは頭を垂れる。シミョウは続けた。
「あのう、多分あなたさまは『閻魔大王はあんなミテクレじゃねえ!』とおっしゃりたいのだと、シミョウは推測いたします。
確かに人間界に伝わる文献や像を拝見いたしますと、すごくデフォルメと申しますのでしょうか、ご本人とは似ても似つかぬお姿で定着おります。
それは生きている人間が閻魔大王さまをはじめ、
でも実際に三途の川をお渡りになればわかりますのですが、閻魔大王さまとは、あなたがお会いになったお方で間違いないのですのよ」
シミョウは、オホホッと口元を隠しながら笑った。
「マ、マジですか?」
「はあい、マジ、でございます」
オボロは伸ばしていた足をまげて、胡坐を組む。膝の上に肘を乗せ、その上に顎を置いた。
「じゃ、じゃあ、聞かせておくれ。なんで地獄の裁判官がこの世に現れたんだい?」
「まあ! では閻魔大王さまからは、何もお聞きではございませんのでしょうか」
「さっきまでここで、賞味期限の切れた握り飯を頬張っていたんだが。
突然怒りをあらわにして私に手伝えだとか、見つかったらどうすんだ、とか言いながら逃げるようにして玄関から出て行ったよ」
シミョウは横を向き、チッと舌を鳴らすのをオボロは見逃さなかった。
「もしかして、アンタから逃げてんのかな、シミョウさんとやら」
「オホホッ、なぜ閻魔大王さまともあろうお方が、私のような従者からお逃げになる必要がございますのでしょうかしら。とんと見当がつきかねますわ、オホホッ」
オボロはまだ鈍痛の残る頬をなでる。
「なんとなく、理解できなくもないけどね」
斜め下に視線をむけているシミョウに言った。
(この女子、キレたら見境なく暴力を行使すると観た。それがたとえ主であっても、同じなんだろうな)
逃げ去った男に、少なからず同情するオボロ。
「それはそれとして、アンタさ。アンタも地獄ってところから、追いでなすったのかな」
シミョウはうなずいた。
「さようでございますわ。私は地獄十王さま方にお仕えする、書記官でございますので。
書記官は私シミョウと、姉の司録、シロクの二人が務めさせていただいております。
あなたさまは、地獄の法廷には<
「ああ、それくらいの知識は持ってるよ。生前の善悪の行為を、全て映し出すんだろ。
だから、ウソをついても必ずばれるってね」
「そうなのでございますの。
地獄へお越しになる皆さまのうち、悪いお人こそ、それはまあお上手にウソをつかれるのですのよ。ウフフ、でも全部わかってしまいますの、ウソが」
思わず視線をそらすオボロ。
(べ、別にやましいことはしてないし。ではなぜ目をそらしたんだ、私は)
「わかった、わかりました。
では本題を聞きたい。
閻魔大王とシミョウは、なぜこの世に現れた?
それと大王さまは、なぜキンキラのホストのスーツ姿で、シミョウさんはミニのメイド服をきているのか、ついでに教えてほしい」
ずいっ、とシミョウが膝を乗り出す。
「お訊きになりたいと、こうおっしゃるのですね」
「いや、無理にとは言わない。私は禍に巻き込まれたくないし。じゃあ今の質問は無し、ってことで」
「承知いたしました。それでは仕方ございません、お話し申し上げます」
「いや、だから、特に聞きたいわけじゃ――」
シミョウの顔が、オボロの鼻先に迫る。
「実は、でございますね」
つづく
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