――――コンコンコン……


 アリシアが略式でのノックを鳴らす。間違っても正式な形など取ることはない。

 彼女からすれば千年も生きていないような劣等種、しかも形だけとはいえ敬愛すべき主君を縛り付けている施設の長なのだ。

 たとえそれがレティーシアの意思であったとしても、不愉快な思いは晴れることは無かった。

 もしレティーシアの許可さえ下りれば、即刻その首は刈り取られていたことだろう。

 そういう危険な思考を瞬時に考えてしまうくらいには、アリシアは正常に歪んでいる。


 

「入って構わぬよ」



 好々爺としたややしわがれた声がレティーシア達の耳にとどく。

 同時、先に来ていたらしいエレノアが学園長室の扉を開き、レティーシア達一行を中に招き入れてくれる。

 入る際アリシアがエレノアに気づかれない程度にその全身を眺めていたが、レティーシアはあえて注意することもなく捨て置く。

 何時頃からか、アリシアはレティーシアに近づく人物を値踏みするようになっていた。それはやや主観交じりではあるが、中々に的を射た観察眼と言える。

 内心でどんな評価がエレノアに下されているか、やや興味深い。

 


「その子が前に言っておった随行させたいメンバー、アリシア殿だったかの?」

「くすくす、ええそうですわ。私がレティーシア様の身辺を護衛するために仕えさせていただいている、アリシアですの。これでもそこの半吸血鬼(ダンピール)よりずっと長く生きているのよぉ?」



 学長の誰何にアリシアが一歩前に進み出、自身の身分を明かす。

 着ているゴシック調のドレス、レティーシアと似たところの多いそれは恐らく意識してのことだろう。

 その両端を摘み、軽く腰を折り会釈するが、口元に浮かんでいるのは嘲笑だ。

 その喋り方、語尾はどこか間延びしており普段の。いや、レティーシアと居るときとは別人のようである。

 それは彼女が常は見た目相応の少女らしさと、無邪気さを装った仮面(ペルソナ)を装着しているからに他ならない。

 アリシアは常に自分を“演じている”。それはすべてレティーシアの為であった。

 無邪気に、馬鹿っぽくかつ高圧的に振る舞い相手の油断を誘う。それは円卓評議会(カルテット)でも変わらない。



 アリシアが信仰するのは同じ真祖達でもなければ、ましてや狭間に退去した神でもなく、レティーシアただ一人。

 信用するのも同じである。そして、その役に立つためならどんなことでもしてみせるし、事実してみせてきた。

 その過去手に染めた悪事。罪状を列挙していくだけでどれだけの時間を必要とするのか、少なくとも彼の住んでいた日本における地獄の観念であれば間違いなく最下層行きだろう。

 それだけの罪を重ねてきた。しかし、それをアリシアは微塵も後悔していないし、むしろ嬉々として取り組んでいたと言えよう。

 アリシアはこう見えて非常に賢い。仮面を身につけ、油断した相手の心を見透かし、そっと魔の手をさし伸ばす。一体今までそのしなやかな魔手によって何人が奈落に転がり込んだことか……

 魔術に優れる者は総じて知識人である。だからこそ彼女はヴェルクマイスターでも、流通など商業に関しての一切をレティーシアより一任されているのだ。



「ふむ、そうか。まぁ実力の程を疑うのは愚かしいことじゃろうてからに、言及はせぬが。とにかくこれで面子は揃うた訳じゃな。それでは、これより調査任務“歪みの状況確認”を決行する。期間は今より丁度一週間じゃ。移動方法は各自に任せるゆえ、いち早い情報提供を期待しているぞ!」

「ハッ! お任せ下さい」



 エレノアが学長の台詞にしっかりと返す。一方レティーシア達は声を聞くのと同時、足早に学長室を去ってしまう。

 レティーシアは確かに己の意思でこの学園に在籍しているし、それに即した態度もそれなりには取る用意もある。

 だからと言って学園長に対し敬意を表することはない。あくまでレティーシアにとって学園は暇つぶしの仮宿に過ぎないのだ。

 後に続くのはアリシア。彼女は最初から話しなど聞いてはいなかった。聞いてはいないが、情報だけは脳裏に刻んでいる。

 早朝、九時二五分。依頼の開始である――――





「ふむ、きたか」

「申し訳御座いません。学長は一応この学園の最高権力者でありますので」



 レティーシアとアリシアが校門に着いてから数分。学園から一人の長身の女性。いや、少女が重装備で駆け寄ってくる。

 金属製の鎧を着込み、二本の剣を持ち、小型の盾であるバックラーを装着している姿は少々暑苦しい。

 誰と言わずとも知れたエレノアだ。彼女はレティーシアとアリシアに一礼し、遅れた理由を律儀に申告する。

 自身が所属する学長より、目の前で優雅に佇むレティーシアを敬う。それは前にその存在に対し疑問を感じたとはいえ、吸血鬼に連なる者であるなら至極当然のことであった。


 

「よい。さて、移動だがこのメンバーであるなら独力の方が早かろう」

「しかし、それでは御身まで歩くことに……」

「くすくす――」


 エレノアの言葉にアリシアが袖口を口元に当て、無邪気さを装ってころころと笑う。

 騙されてはいけない、そこに含まれるのは甘やかな嘲りなのだから。

 その含みにエレノアも気づいたらしい。


「アリシア殿と言ったか。私は何か貴殿に笑われるようなことをしたであろうか?」

「いいえぇー。ただ、無知って罪よねぇと思っただけよ」


 そう言ってアリシアが一歩下がる。それは言葉にこそしないが、これ以上の問答をするつもりはないという証である。

 その態度にエレノアは不快感を覚えるが、その程度で激昂するほど彼女は無能ではない。

 数々の依頼をこなして彼女は、激する感情を抑える術をもしっかりと会得していた。


「その程度にしておけアリシア。エレノアよ案ずる必要はないぞ。妾はほれ、このとおりなのでな」

「――え?」



 思わずエレノアは我が目を疑った。完全飛行魔法。それは未だ成し遂げられていない秘境であり、最も注目されている分野の一つだ。

 それを目の前の真祖、いや。レティーシア・ヴェルクマイスターは地面から僅か十センチ程度ではあるが、優に成し遂げている。

 飛行は滑空の要領など、様々な方法が一応確立されているが、完全な浮遊は未だ試行錯誤の段階だ。限定的には可能でも、それは一般的ではない。

 しかも三人は現在とりあえずと、進行方向に向かって歩いているのだが、レティーシアのその浮遊魔術は難なくその移動に着いて来ていた。

 


「何を驚いている? まぁ無理もあるまいか。飛行術は確かに魔法、魔術の特性上下手な魔術よりずっと高難度であるからな。だがこれで分かったであろう? 速度はお主が全力で疾走するより恐らく早いゆえ、問題はあるまい」

「だから言ったのよ。無知って怖いわねぇって、常識なんてとても脆いのだから……」

「その通りですね。世界に響いてないからイコール存在しないという訳ではありませんでした、お許し下さい」



 口調こそ嘲りであるが、アリシアのそれはちょっとしたからかいの意味が強い。

 それに対し、エレノアは素直に引き下がると軽く会釈までして謝罪を述べる。

 エレノアの素直な態度にアリシアが気づかれないように片眉を吊り上げた。

 彼女にとっては非常に癪であったのだが、どうやらこのエレノアという半吸血鬼(ダンピール)が、それなりに有能だと理解するに至る。内心でこれまた癪ながらその評価を上げてやることにする。

 レティーシアにしてはエレノアの反応は元から折込済みだ。飛行魔術は彼女の世界でも高等魔術に分類されるのだから、こちらの世界では尚更であろう。


 

「さて、それでは行くとしよう。最低でも馬車以上の速度は維持するゆえ、遅れるでないぞ?」

 


 そう言ってにやりと艶やかな笑みを浮かべると、レティーシアは両手をだらりと下げ、足もふわふわと地面より浮遊した状態から――――

 一瞬で加速した。その速度、時速に直せば優に八十キロは下らないだろう。

 風圧にドレスが揺れ……もせず、涼やかな風でも受けるように僅かに髪が揺れるのみ。

 一体どのような原理であるのか、レティーシアは風圧をものともせずに笑みを浮かべていた。

 しかし、恐ろしきは追走する二人も同じである。

 アリシアはレティーシアと同じ術を行使しているのか、レティーシアの左後ろから同速度で飛行しているし。

 エレノアに至っては軽量化の魔法が掛けられているとはいえ、十五キロはあるであろう装備でその速度に追走していた。

 その表情に浮かぶのは余裕とは言えないものの、無理をしている様子はなく学園から三十分以上経っても息切れ一つする様子はなかった――――






「遅い、ハッ!」


 斬ッ! エレノアが腰に佩いていたグラディウス、その刀身が行く道を塞いでいた一体の亜人。

 オークと呼ばれる緑色の肌に、豚のような顔、腰元には皮製の腰巻をし、手には棍棒を持ったその巨鬼を一閃の元、袈裟懸けに切り伏せる。

 実力を示すランクに示せばCにも満たないレベルではあるが、それでもその頭蓋すら砕く腕力は脅威だ。

 一般人はもとより、駆け出しの冒険者であれば命を落とす事は多い。

 それを一太刀で切り伏せ、ヒュッと風切音と共にグラディウスを一振りすれば、一瞬で血糊が吹き飛び元の銀色に輝く刀身を晒す。



「お目汚し致しました、先を急ぎましょう」



 学園から各自思い思いの方法で目的地、学園から更に南の禁止領域に向けて移動し始めて既に数時間。

 日はとっくに天を過ぎ、間も無く“誰そ彼”の時間が訪れるだろう。

 かれと、そう呼ぶこともある夕暮れ時。夕日で視認し難い相手を誰でしょうあれはと、そう問うたのが始まりの言葉。誰彼時、それは時に相手を魔物のように幻視させてしまう不思議な時間。

 ゆえに黄昏、降魔が時とも呼ばれる時間。


 それ以降の時間は“魔”の時間だ。別に魔物の力が強まる訳ではないが、魔物の大半は夜行性であり、凶暴性を増す時間なのだ。

 本来ならこのような時間になる前に村に泊めてもらうなりするのだが、三人は一向に構った様子もなく一瞬でトップスピードに至ると街道を爆走していく――――




 その後も多くの魔物が現れては、エレノアにあえなく返り討ちにされていく。

 すべてグラディウスによる一撃で、背のツーハンデッドソードを使う様子は見られない。

 それも致し方あるまい。街道付近で出るのは精々がDランク以下の雑魚ばかり。

 オークが出たこと自体かなり稀である、ゴブリンやハウンドドック、巨大な昆虫類や変異動物、その他雑魚がいくら集まろうがエレノアの敵ではなかった。

 過去Aランク級の魔物すら単独で屠りさった経験を持つ。上記の結果はごく当たり前のことと言えた。



 それで面白くないのはアリシアである。

 その気になればワンアクションで魔術を行使できる彼女だが、この世界ではせめてそれらしい工程を踏むようにとレティーシアに言いつけられていた。

 絶対的な命令ではないが、アリシアにとってはそれは遵守すべき命令だ。

 ゆえに、どうしてもアリシアが魔術を発動させるより、エレノアが一太刀浴びせる方が早いのは自明。

 この程度で憤慨することはないが、それでも面白くないと思ってしまうのはアリシアの如何なる思いのためか?

 それを知るのは本人と、レティーシアのみである―――― 

 



 

 レティーシア一行が学園より出発してから既に十二時間以上が経過していた。

 流石に凶暴化した魔物や、時間帯により時折紛れ込むCランククラスの魔物達が複数など。

 一人では直ぐに処理しきれないと判断したエレノアは、躊躇を見せることなくアリシアに助太刀を願い出る。

 ここで手を貸さない、という選択肢は無論アリシアにはない。

 彼女は嬉々として低難度魔術を連発しては雑魚を蹴散らしていく。

 使用する技術は、以前レティーシアが見せた“圧縮詠唱”やマルチタスクで平行しての“多重詠唱”、あるいは呪文をピース毎に詠唱して長文を即完了させる“同時詠唱”。

 他にも特殊な発音の仕方で音を重ねる詠唱など、おおよそこの世界ではオーバーテクノロジーとも言える技術を惜しまず行使し、今までの鬱憤を晴らすように破壊の雨を降らせる。



 これに困ったのはエレノアだ。確かに助力を願い出た彼女であったが、彼女が予想したより遥かにアリシアの実力が優れていたため、あっと言う間に獲物を奪われ手持ち無沙汰になってしまったのだ。

 思わずエレノアが所在無さげにレティーシアに振り返る。


「なに、そなたは今まで十分に働いたゆえな。暫くはアリシアに任せるがよかろうて」

「は、はぁ……」



 レティーシアの右横を追走しているエレノアが困惑したような返事を返す。

 彼女が視線を前に向ければ、レティーシアより一歩前を飛行しているアリシア。

 今もその口から重なり合った様々な音の羅列が響き、両手からは多くの魔術陣が煌き、多種多様な魔術が疾走中に立ちはだかった“不幸な魔物”を蹴散らしていく。


 エレノアとて、魔法と併用すれば相当な威力を叩き出せるのだが、このように威力・速度ともに兼ね備え更には連続で扱える技を、少なくともエレノアは習得していなかった。

 しかも高速移動中でのその命中率。エレノアは密かに心の中で溜息を吐くのと同時、心なしかその肩がしょんぼりと力なく垂れ下がったのは、レティーシアの気のせいではないだろう。


(私はこれでも実力に自身はあったのだが……それは真祖付きの方に比肩しようなどとは思ってはいないが、それでもここまでとは。これは流石に私とて堪える……)


 思わずエレノアが実力ってなんだろうと、そう自問してしまったのは無理のないことであった――――



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