――――パチパチパチ……


 深い樹海の一角。丁度星空を覗けるくらいには開けた場所。その中心地で焚き火を囲むようにレティーシア達は座っていた。

 座っていると言っても、レティーシアとアリシアの両名はどこから取り出したのか、古いアンティーク調の木造テーブル。

 その前後に同じく木製の、オーク調らしき椅子に腰掛けている。テーブルには保温性の高い磁器カップが二つ並び、どれもが一目で一級品のものだと分かる独特の存在感を保持していた。

 そんな中でアリシアがとっておきなんですよ、と。

 

 甘い言葉と共にこれまた何所から。いや、“空間の裂け目”から取り出したレティーシアの世界で取れた茶葉。

 ダージリンのS.T.G.F.O.P.(ファインスペシャル・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコ)の、それもセカンドフラッシュという、およそダージリンで考えられる中では最高品質の一品。

 それをレティーシアとアリシアは結界に守られた樹海の一角、焚き火のすぐ横で楽しんでいた。特有のマスカットフレーバーとも呼ばれる香り、それがエレノアの鼻腔を捉えて離さない。

 


 吸血鬼はおおよそ考えられるあらゆる面で人を凌駕する。それは嗅覚もまたしかりだ。

 半吸血鬼(ダンピール)であるエレノアだが、その吸血鬼としての能力はレティーシアの世界の一般的な吸血鬼のそれを越えているだろう。

 つまり。何が言いたいのかと言えば、本来なら移動中の嗜好品など貴族や一部商人が許されてしかるべきであり、今現在彼女の目の前で優雅に行われているお茶会ティータイム、しかも届く香りはその使われている茶葉が最高品質だと示唆する証拠。

 それもエレノアが生まれてより今日まで、一度たりとて味わったことない類のもの。


 一杯で金貨が飛んでいくような。いや、値段以上に入手が不可能な領域の紅茶を湯水の如く目の前の二人は味わっている。

 それだけではない、テーブルに用意された茶菓子のなんと豪華なことか。定番のスコーンにジャム、モンブランに苺のショートケーキ。エレノアに判別がついたのはそこまでだ。

 後の彼の知識で用意されたエクレアだとか、一部パイについては見当がつかないでいた。知る人が見ればまるで金を食べているようだと、そう言い表す光景。

 高ランクの冒険者の収入は、それこそそこらの貴族を上回ると言うが、それにしたって贅沢にすぎた。



 ほんの一、二メートル先では優雅な茶会ティータイムが催されているというのに。

 エレノアの方はどうであろうか? テーブルなんて無く、椅子だって丁度よく転がっていた朽ちて倒れた幹であり、焚き火のすぐ手前にあるのは保存食の類のみ。

 どんなに鋭い視線を干して調味料で味を付けたそれが甘い菓子に変わることはない。

 飲み物に至ってもスープと言えば聞こえはいいが、結局は味の薄いレトルトみたいなものである。

 これも恨みがましい視線を送ったところで、目の前で消費される最高級の紅茶に変化などしない。

 

「…………」



 思わずがっくりと肩が下がってしまうのを、誰が咎められようか。自分は侘しく、味っ気のない保存食を口にしているというのに、目の前の二人は夕食。

 いや、時間帯は既に深夜であるからして、夜食と称した方がいいだろうか。

 内容物こそ夜食の類と称してよいのかは疑問に残るものの、その豪華さと美味さに関しては地球と太陽の如き差が、エレノアの食している保存食とあるのは明白であった。

 エレノアだって女の子だ。吸血鬼は見た目で年齢を計れない種ではあるし、実際同じ容姿程の人族よりは齢を重ねている。

 しかも長身ではあるがその容姿は十分に端整であり、切れ長の瞳に白皙の肌とスラリとした体型に騎士特有の雰囲気。

 麗人と称してもなんら違和感の無い容姿。騎士であることを誇りに思うエレノアだが、ときにはお洒落だってしたいと思うし、美味しい物ものだって食べたいのだ。

 思わずエレノアが羨ましそうにレティーシアを見つめた瞬間――――



「そのように味も素っ気もないものを食しては、気も滅入るというもの。ほれ、席を用意してあるゆえこちらに来るがよかろう」


 まるで狙い済ましたかのように、レティーシアの毒薬のような。

 しかし、抗いがたい麻薬のように甘い声がエレノアの耳朶に響く。


「わ、私は……べつにレティーシア様のしょくじをうらやましくなど」

「よいよい、すべて妾(わらわ)の身勝手よ。そなたは妾につき合わされたに過ぎぬ、それでよいであろう?」

「ぅぁ……ぁぅ…ご相伴に預からせていただきます」



 騎士としてのプライドか、それとも崇拝すべき真祖が相手だからか。かなり呂律と内容が怪しかったものの、精一杯の理性を総動員して断ろうとするが。

 まるで先を予想していたかのように、あっさりと逃げ道を封鎖されてしまい、ほんの一瞬。

 時間にして数秒にも満たない逡巡の結果、エレノアは食の魅力の前にあえなく陥落した。

 哀れと思うなかれ、人などよりずっと嗅覚その他が優れるゆえに、テーブルに陳列した多くの品、それらの美味さを半端に想像できてしまうのだ。

 食の魅力は万国共通、吸血鬼であるゆえに。いや、例えそうでなくとも抗うことなど不可能であっただろう。

 それはいっそ清清しい程に期待に溢れた顔をし、用意された新たな椅子に腰掛けたエレノアが見事に証明してくれている。



 その後、アリシアが凄い形相でエレノアを睨んだり。

 同じダージリンでも等級がS.――スーチャンの略称で、同じフルリーフの中では最低の等級――の物を出そうとしてしかし、仕舞ってある物はすべてレティーシアに喜んでもらう為にと。

 各地から取り寄せた最高級の一品ものばかりだと思い出し愕然としたり。

 仕方なく言葉でネチネチ苛めてやろうと画策するものの。エレノアは見たことの無いケーキやお菓子、それに紅茶の味に普段の凛とした雰囲気からはかけ離れたはしゃぎ具合を見せ、アリシアの嫌味など何一つ耳に届いてはいなかったことに歯噛みしたりと……

 中々に騒がしいお茶会であった。



 二人は知らない。騒がしくする二人の中心でレティーシアが。

 いや、彼が心の中で、

 (計算どおりッ!)

 などと呟いていたことを。

 この茶会。いや、エレノアへの誘いはレティーシアの提案ではなく彼の案であったのだ。

 レティーシアにとってもその内容に反対する理由もなく、結果まんまと誘いに乗ってやってきた子猫ちゃん(エレノア)と友好を深めることに成功する。

 肉体こそ既に女性であり、精神もかなり危ういものであったが、それでも綺麗な女性とは仲良くしたいものである。

 レティーシアとしての思考体が「阿呆め」と、ちょっと珍しい含みを込めた言葉を囁いたのだが。

 それを彼は聞こえないふりをして、この一時の茶会を楽しむのであった――――






 

 翌日。一日目の世が明けた事を示す朝日が広場に差し込んでいた。

 鳥類の鳴き声が響き、森林特有の賛歌がレティーシア達一行の耳朶をくすぐっていく。



「エレノアよ、現在位置を特定できぬか?」

「大雑把なものでよければ可能かと」

「それで構わぬ、目的地までの大体の残りの距離。その逆算を頼む」

「わかりました。ちょっと時間が掛かると思うのでお待ちください」


 茶会はとうに終わり、僅かな仮眠を取った後、三名は既に起床をすませていた。先の茶会で崇拝という思いより、ほんの少しばかりフレンドリーな位置関係を築いた二人。

 エレノアが残されたテーブルの上に、ポーチから取り出した簡易の地図を広げる。そこから現在まで進んだ時間と、大体の速度から位置を割り出していく。

 エレノアが地図と睨めっこをしている間、レティーシアはというと――――


 

 ――――しゅるしゅる……

 衣擦れの音。それは逃げ回っていたレティーシア。いや、彼が遂にアリシアに捕まってしまい、強制的に衣服を脱がされている音。

 理由は単純明快。移動で少々汚れてしまった衣服を着替えようというもの。従者の原罪の化身たるエリンシエはともかく、明らかに下心が見え透いているアリシア相手は流石に遠慮したかった。 


「え、エリンシエ、この者を――――とそうか! アリシアよ! ま、魔術で清めればよいであろう!?」

「いいえッ! 百歩譲って身を清めるのは魔術で構いませぬ、でも……真祖ともあろうお方が連日同じ衣服など、ありえません! そのお身体が以下に尊いのはご理解下さいッ!」


 

 と何だか斜め上の発言を口にするアリシア。レティーシアが衣服を抑えるが、相手は同じ吸血鬼。

 両者共にこんなことで魔術を使う訳にもいかず、ならば腕力で……とも行かず純粋な技術(?)の応酬とかしていた。

 守りのレティーシアに攻めのアリシア。図だけを見れば、襲われる子羊に襲う狼にしか見えないのはきっと、アリシアの瞳が爛々と狂喜に染まっているからに違いない。

 その影響か、その一手一手の気合が凄まじく、レティーシアはやや劣勢である。

 思わず忠実(?)な侍従を呼ぼうとしてしかし、そういえば魔道書形態であったな。

 と、レティーシアが思いなおし慌ててアリシアに抗議をあげるものの、自身の主人たるレティーシアに対して恐れる風もなく、アリシアがレティーシアの意見を一蹴りにしてしまう。



「や、やめよ! ひぁ!? そ、そんな場所を触るでないっ!」

「えへへ……」

「こ、こらっ! 聞いておるのか! ひゃっ!?」


 カリスマ封印状態のせいか。あるいは彼のせいか、本来なら無礼千万のおこないを平然とやり遂げるアリシア。

 心なしか切り株に置かれた原罪が楽しげに。いいや「もっとやれ!」と、そう言わんばかりに明滅しているのはきっと気のせいに違いない。


「あぁ……久しぶりのレティーシア様のお肌ですぅ。え゛へえ゛へへ」

「ふ、太ももに頬を擦り付けるでない! ええいっ、この際は恥辱であるがエレノアでも構わぬ。エレノア! 報酬なら望むものをやろう、妾をこやつから助けるのだ!」

「えーとっ……一時間辺りの移動速度……移動時間が十七時間ちょっとで……」

「ば、馬鹿な……吸血鬼の神はおらぬというのか!?」



 エレノアの位置割り出しに集中した姿にがくりと、脱ぎ散らかされたドレスの上で膝をつくレティーシア。

 その吸血鬼の神というのが、他ならぬ自身であると忘れるくらいには混乱しているらしい。

 そんな打ちひしがれるレティーシアの肩にするりと、細くしなやかで真っ白な手が添えられる。言うまでも無く、アリシアだ。

 そっとレティーシアの耳元に唇をよせ、冷たい肌と対照的な熱い吐息を吐きかける。

 ビクンッと背筋が跳ねるのを見て満足したのか、にまぁとアリシアの口角が持ち上がるとそのまま――


「ふふふ、さぁ……レティーシア様? お着替えの時間でありますわ」


 そう言って怪しく笑うアリシアの手元には、何時の間に空間から取り出したのか一着のドレス。

 それを見たレティーシアの顔が一瞬で真っ青になる。まるでそれを視界に入れるのすら嫌だと言うかのように、必死で目線を逸らそうとするが、その暴虐的な色がそれを許してくれない。


「ま、待て! そ…それを妾に着せるというのか!?」

「大丈夫ですわ、間違いなくお似合いですから」

「そ、そのような問題ではないのだ! え、エレノア! エリンシエッ!」


 しかし、帰ってくるのはぶつぶつと囁く声と、レティーシアコールを送る一冊の本のみ。

 エレノアはともかく、エリンシエお前は本当に妾の作り出した物なのかと!? と、心で悲鳴を上げる。

 こと、ここに至ってようやく頼れるのは我が身だと悟り、戦略的撤退を試みようとして――

 がっしりと。レティーシアの細く滑らかな肌を誰かが力強く掴む。思わず腰を持ち上げかけた体勢のまま後ろを振り向けば。


「ひっ!? や、やめ……よ、寄るでない! そ、そのような服装など妾は着とうないのだ!」

「うふ、うふふ。ふふふふ、残りも脱ぎ脱ぎしましょうねぇー」

「や、やめ! そこは!? ひぃっ……ちゅめた……じゃなくて。あ、ああぁあぁ……アッーーーーッ!!」



 哀れ。その日、樹海から少女の悲痛な叫び声が聞こえるという伝説が誕生したとか、しないとか……

 ――――合掌。


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