アルイッド遺跡 十四

 プッテホトラを時果ての封印術により、永劫の封印空間に閉じ込めそのまま亜空間による長距離転移でレティーシアは遺跡前に戻ってきた。

 戦闘の為に移動した宇宙空間は軽く数十光年は離れていたが、万に及ぶギガジュール量のエネルギーを用いることで光速を遥かに凌駕。

 時間にして一日足らずでこの場に戻ってきたのだ。

 宇宙には存在しない大気と酸素がレティーシアを包み込み、何とも言えない充足感に包まれる。

 宇宙空間での活動は酸素などを必要としない肉体となるか、魔術などで供給するかしないといけないため、どうも閉塞的な感覚に見舞われるのだ。

 やはり星で生まれた為か、大気の存在する場所での活動の方がレティーシアは好みであった。

 少々遺跡周辺は砂が舞っている為有り難味も半減だが、今回は我慢しておこうと殊勝な心意気を勝手に決めながら周囲を見渡す。



「……ふむ、やはりおらぬか」



 誰も居なかった。プッテホトラの言を信じるのであれば、あの場に居た全員は遺跡の前に飛ばされた筈なのだ。

 しかし蓋を開けてみれば人一人どころか、生物の影すら存在しない。

 吹き荒ぶ赤き荒野だけがレティーシアを迎え入れてくれている。

 時刻は既に夜半なのか、周囲は帳に包まれ、空には満天の星が瞬いていた。

 ここ数ヶ月で学んだ星の位置、そこから来たときとの差異を測り、更にその位置の差から経た日数を算出する。

 一連の計算を並列演算を用いる事で一瞬で終えたレティーシアだが、その眉が逆八の字に曲がる。

 


「予測はしておったが……プッテホトラめ、確実に確信犯であろうに」



 忌々しげに吐き捨て、その小さな手をこめかみに押し当てる。

 実際に痛むわけではないのだが、まるで頭痛でもするかのような不快感を感じていた。

 レティーシアの計算に狂いがなければ、少なくとも一ヶ月近い時が流れている事となる。

 つまりこの場に誰も居ないのは当然であった。一日程度であれば待ったかもしれないが、この場は仮にも禁止領域だ、そんな場に長い時間居ればSランク級の魔物に目をつけられるだろう。

 疲弊していたパーティーに、Sランク級の魔物を退けられる余力があるかはかなり疑わしい。

 それ以前に無事にデルフィリーナまで……いや、最寄の街に戻れたかすら疑問であった。

 邪神と己を称したプッテホトラだが、邪神と言っても星規模から星系規模、銀河規模、宇宙規模などなど、かなり差は存在する。



 仮にもエーセルクラスであったのだから、最低でも銀河レベルではある筈なのだが。

 それにしては少々呆気なかったと今になってもレティーシアは思う。

 こと戦闘能力と言う点であれば、自身の実力は位階以上を発揮出来ると自負しているが、それでも腑に落ちない。

 時果ての封印術が内部から突破される事はないだろうが、それでも一抹の不安がレティーシアの心に影を落とす。

 早期決着を望んでいなければ、今頃下手すれば年単位の月日が経っていた事を考えれば、この上も無く腹ただしい輩であったと言える。

 亜空間転移により、乱れた髪を魔術で整え、衣服を変え、汚れを原子分解ディスインテグレイトを用いて消去。



 さて、取り敢えず時刻は遅いがエンデリックに戻るとしようとしたところ、レティーシアの常時警戒網に生体反応が引っかかる。

 一定以上の実力者ないし、エネルギー保有物にのみ反応するようになっている警戒網の為、最低でも相手がこの世界基準でAランク以上の存在であることは間違いない。

 視力を調整し、間違いなくこちらに向かってきている相手に視線を合わせる。

 距離にして二キロ程先、時速九十キロ近い速度で飛竜がこちらの方に飛んできていた。

 苛々としていた時に現れた丁度よい“玩具”の存在に、勝手に唇がにんまりとつり上がる。

 


「丁度よい憂さ晴らしの玩具が現れるとはの」



 ぺろりと唇を一舐めし、哀れな玩具を観察する。全長は尾っぽも含めれば二十メートルに及ぶだろうか。

 鱗は全体的に赤茶色で、この禁止領域に合わせて進化したのが窺える。

 尾っぽは長く全長の半分程を占めていた。その先端には鋭いトゲがぞろりと並び、並みの鎧や盾では一撃で粉砕されそうなほどに凶悪だ。

 体は細身で、翼はまるで蝙蝠のようにも見える。飛竜と言うよりは翼竜の一種かもしれない。

 推定ランクはニアSと言うところか、と品定めのようにあたりを付ける。

 名前は不明だが、差し詰め“砂竜デザートドラゴン”と言ったところであろうと、そう決めたところで右手を宙に掲げ、パチンッと音を鳴らす。



 レティーシアの強化された聴力には同時、デザートドラゴンの哀れな悲鳴が届く。

 部分的に重力場を発生させ、その足首、及び翼の付け根を圧砕したのだ。

 骨と肉が磨り潰される音が聞こえそうな程、無残にもひしゃげた足首と翼。

 高度百メートル付近から抗うこともできず地面に落ち、瞬間更なる追撃がデザートドラゴンに喰らいついた。

 大地が蠢き、地中の粒状の鉱物が集まり、そのまま数十本の細い槍となってその肉体を穿つ。

 翼を縫いとめ、胴体を貫き、両手を地面に縛りつけその身を剣山と化す。

 夥しい量の体液が大地に吸い込まれ、瞬く間に生命の灯火を奪い去っていく。



 大量の血を失い、既に虫の息となったその身に終わりは唐突に訪れた。

 一瞬で青白い炎が肉体を包み込み、数秒もせずに骨の髄まで焼き尽くす。

 悲鳴をあげることすら出来ず、ただの灰となり空に消えていく成れの果て。

 戦闘時間一分足らずの、最早戦闘と呼ぶに値しない虐殺を終え、僅かながらにおさまった苛立ちに満足気な息を吐く。

 再び静寂の訪れた荒野の中、レティーシアの細い手首がスナップと共に振るわれ、パチンッと小気味良い音が響く。

 転移陣が身を包みその場からレティーシアの姿は掻き消えた……






「どうしてですのっ!! 生徒が帰還していないのに、捜索部隊を結成しないなんてッ!」



 学園長室、そう書かれたプレートが提げられた一室。実質上のエンデリック最高責任者の部屋にてメリルの怒声が響いた。

 バシンッ! と、常の令嬢然とした雰囲気はどこかへ旅立ち、忌々しげに目の前の机に両手を叩き付けている。

 反して机の奥、柔らかそうな椅子に座り込む老齢の人物はたいして気にした素振りも見せず、やれやれといった風の溜息を零す。

 たっぷりと蓄えられた白く長い髭を擦り、困ったような顔を見せる。

 その表情にはありありと「またかね?」 と言う感情が浮かんでおり、メリルが同じような内容で幾たびも学長室を訪れている事が窺えた。



「これで通算十五度目かね? 生徒メリル嬢、お主の言い分は確かに正しい。生徒が行方不明となったのであれば、学園はそれを見つけ出すべきであろう」

「それでしたらっ――」

「ただし、それはあくまで通常の学園であった場合じゃ。さて、わし達のおるこの学園の目的はなんだね、メリル嬢?」


 学園長の言葉に我が意を得たりと言葉を挿もうとしたところで、逆に釘を打ち込まれるように遮られ、あまつさえ質問を投げ掛けられたことでその眉がつり上がる。

 それでも生来の気質ゆえか、煮え滾る怒りを押さえ込み、一度息を吐き出して答えを言い放つ。


「エンデリックは冒険者育成機関ですわ。実際は微妙に違いますけれども、概ねその見解で相違はないと存じ上げます」

「そう、その通り。“ここは冒険者育成を目的とした学園”なのじゃよ。この意味、聡明なお主なら分かっておろう」 



 学園長の言葉に下唇を噛み締め、ぎゅっと爪が肉を食い破りそうな程拳を握り締めながら、それでも「はい」と、そうメリルは口にする。

 メリルには学園長の言わんとする事を正確に理解していた。

 通常の学園とは違い、エンデリックは冒険者を育成するための学び舎だ。

 何の為の身分の緩和が施工された土地なのか考えてほしい。

 この地は他国の法の及ばぬ場所であり、また、個人を贔屓としない平等でかつ実力がものを言う世界である。

 学園内で起きた問題はすべからず学園内の法によって解決される。

 例え相手が帝國の王族であろうが、古き精霊族の住まうエルフの国、その女王だろうが、誰一人例外は認められず、また口を出すことも出来ない。



 同時に個人は学生と言う範疇ではなく、個人として、一人の人間として扱われる。

 学生には違いないため、それ相応の待遇を処されるし、その為の手を学園は差し伸べてくれる。

 しかし、この学園では個人は学生でありながら、一人の成人と等しい扱いをされるのだ。

 それは老人であろうが、子供であろうが変わることはない。

 その行動には常に責任が発生し、その責は己で背負うのが当然である。

 冒険者とは厳しい世界だ。誰かが手を差し伸べてくれることなど稀である。

 ゆえに、学生の時からその厳しさの一端を学ばせる為にも、エンデリックは自由でありながら同時に責任は個人が追うべきものと定められていた。



 自己責任。それは自由と引き換えにかせられる楔に等しい。

 あらゆる行動によって生じた責は自己で追う。

 つまり、学園外で生徒が何を起こしても、学園はその責任を負わないのだ。

 同時に学園は基本的に生徒を抑制することをしない。

 なぜなら、冒険者こそ世界で最も自由な職業なのだから。

 だからこそ、学園長は告げる――――




「この学園に入学し、その後にクエストで命を失おうと、また、行方が知れなくなろうと……エンデリックはその事に対して何の関与も行わない。それがこの学園の法であるのじゃ。メリル嬢の気持ちは分からないでもない、報告によればたった一人生徒レティーシアは推定SSランク級オーバーの魔神と相対した事となる……安否が気になるのは当然といえよう」



 先程までの厳しい態度とは打って変わり、学園長の言葉にはメリルを気遣う思いが込められていた。

 それが例え学園の法であったとしても、前途有望な。まして一度模擬戦後に顔を合わせた者であり、気質はどうやらやや残酷な面もあるが非常に将来有望。

 そんな生徒が恐らくは死去したことは、学園長自身割り切る事の出来ない思いを抱えてしまうのだ。

 それがまして友人であれば、その胸に去来する思いはいかばかりなのか、推し量ることは最早適わない。



「わしの気持ちだけで言えば、生徒レティーシアの捜索に踏み切りたいとすら思っておるのじゃ。じゃが、わしは一人の冒険者でもあるのと同時にエンデリックの学園長であるのだ。報告が真実であるのならば、遺跡を突破出来たのは生徒レティーシアの力に依る所が大きい。Sランク級の魔物が跋扈するような危険地帯に、望んで捜索に向かう者はおるまいだろうて……酷な事を言うが、本人が自力で場を乗り切っておることを祈るしかない。わしからはこれ以上は何も言えぬ、何度も言うたが、捜索隊は組めない。これは学園長としての判断じゃ」

「……はい。失礼しました、学園長」



 今までは正論のみしか言わなかった学園長が、あまりのしつこさに負けたのか。

 それとも何か別の理由があったのか。恐らくは真実であろうその胸の内を吐露した。

 それは正論以上にメリルを打ち負かす。メリルだって分かっていた、自分の言っていることは死地へと向かってくれと頼むのと等しいことなのだと。

 また、エンデリックの性質上捜索隊自体組むのが無理なことも。

 似た理由で個人での捜索隊を結成するのも無理であった。学生だけではまずあの遺跡は突破出来ない。

 もしかしたら学園でも五指に入ると言われる面々達、既にAランク級、あるいはそれ以上とも言われる生徒であれば可能かもしれないが、それでも可能性は決して大きくない。



 そんな場所へ望んで行く者はいない。クエストと言う形でも難しいだろう。

 英雄と呼ばれるような、ニアS級の者達に依頼すれば可能性も高い。

 しかしそれには途方もない資金を必要とする。侯爵令嬢たるメリルなら都合することも出来るかもしれない。

 いや、十分可能だろう。しかし、同時に侯爵令嬢であるが為に、メリルは私情で家の資金を動かせなかった。

 それは親に止められたからとかではなく、次期党首としてのメリルの決断である。

 結局メリルに出来る事はこうして無理だと分かっていても、学園長を説得することなのだ。

 自分で助けに行くなどとは思わない。自身の実力は痛いほど理解出来るからだ。

 部屋を退出するのと同時、重い溜息が零れ落ちる。今回ので完全に望みは零だと理解してしまった。



「……レティ」


 気付けば義妹の名を呟く自分に気付く。


「もうレティに会わなくなって、一ヶ月も経つのね……」 



 そう言って再び暗い表情を見せるメリルの顔は、ここ二週間程で痩せていた。

 最初の一週間こそ、まださほど心配などしていなかったのだ。

 あのレティーシアが、自慢の妹が、恐らくは真祖の吸血鬼たる彼女が。

 まさか死んでしまうなどと、全く持って思ってはいなかった。

 レティーシアの盟友たるグレンデルも同じらしく、今はどう言う原理か肉体を半分にまで小さくし、レティーシアの寮部屋を預かっている。

 けれどもメリルは普通の人なのだ。次期侯爵令嬢であり、将来有望な冒険者の卵ではあるが、それでもまだまだ年頃の少女に過ぎない。

 どんなに気丈に振舞ったとしても、それにだって限界はある。



 ついに二週間が経ち、メリル達の心に不安と言う影は忍び寄った。

 それからは日に日に不安は増し、食事は喉を通らず、勉学はさっぱり頭に入らない。

 一番酷かったのがメリルである。ボアもミリアも不安と心労で顔色は悪いが、それでもまだメリル程ではない。

 日が経てば経つほど希望は絶望に取って代わり、メリルの心身を蝕んでいった。

 二日前からは睡眠すらとれず、食事も丸一日食べていない。

 学園長室で見せた姿は空元気と気力でもたせたに過ぎなかったのだ。

 見るもの全員に憐憫を誘う程、暗く悲しげな雰囲気でとぼとぼと寮に向かい歩く。



「メリルさん!」


 ふと、声をした方に振り向くと、やや体調の悪そうな顔色をしたミリアがメリルの方に駆けてきていた。


「ミリア……」

「その反応だと、やっぱり?」

「ええ、駄目でしたわ。それに、今回でもう頼み込むことも難しくなってしまったわね……」



 どう声を掛けていいのかミリアが考えあぐねていると、別の棟に向かう渡り廊下から外に出、中庭風の広場の一角の休憩用のベンチにメリルは座る。

 それに戸惑いつつもミリアも座ると、まるで誰かに聞いてほしかったかのようにメリルが口を開いた。



「私は侯爵令嬢として、次期党首として高度な教育を受けたわ。冒険者としての才能も人より秀でていると自負もしているし、努力だって積み重ねてきた」

「今回のクエストで思い知ったわ。力が無いと言うことがこんなにも悔しいことなんだって……きっと私はレティに甘えていたのね。彼女が居ればなんだって出来る、そんな事を心の中で思っていたのだわ。でも、それじゃあ駄目だって思い知らされた。それでは何時かきっと後悔してしまうって。後悔って、後から悔いるから後悔なのよ。今の私に相応しい言葉だわ」

「メリルさん……」



 顔を下に向け、己の不甲斐無さに涙を零し拳を握り締めるメリルに、ミリアはただ声を掛ける事しか出来なかった。

 同時にその言葉と気持ちは少なからずミリアも感じていた事だ。

 自分は魔族のハーフで、一年生ながら既に精霊と契約を交わしている。

 世間一般からみればきっと天才と称してなんら問題はないだろう。

 それでもどうにもならないことがこの世には星の数程も転がっている。

 レティーシアと言う、遠い背中を追うと決めたのに、結局未だなんの行動もしていないではないか。

 まだ出会って数ヶ月だとか、学生だとか、そんな言い訳は通用しない。



 メリルの言葉はそれをミリアに思い知らせるには十分に過ぎた。

 三人の中で一番精神的に強いのはきっとボアなのだろう。

 彼は学園に帰ってから一人、今までにも増して鍛錬に励むようになった。

 彼だって少なからず悲しみはある筈だと言うのにだ。

 ミリアは昨日ボアに訊ねて返ってきた言葉を思い出す。


 ――悲しむ暇なんてあるなら、少しでも実力をつけるのが先だろう? じゃないと後悔に意味なんてない。何かを後悔したなら、次はそれを乗り越えられるようにならなくちゃならねぇ。それなら悲しむ時間なんて必要ないだろ。必要なのは自分を鍛える事だ。俺には考えるなんてことよりもそっちの方が性に合ってるんだよ。



 彼は、ボアはそう言って笑ったのだ。比較的裕福な家庭で育ったミリアと違い、ボアの過去はお世辞にも一般的とは言えないらしい。

 遺跡に潜るのも今は亡き親の影響だと言う話しである。

 メリルと共に重い溜息を吐き、感染でもしたかのようにミリアも項垂れる。

 女性二人、それも容姿的には美少女と呼んで差し支えない二名が落ち込む姿は渡り廊下を歩いていく生徒達の注目の的となり、男子生徒数名が声を掛けようとするものの、あまりにも暗い雰囲気の為に断念。

 実際それは懸命な判断と言えよう。今の、特にメリル相手にちょっかいを掛けた場合、どんな報復が待っているか想像出来ない。

 それから日が沈み、夜の帳が空を覆いつくした後、ようやくミリアが周囲の魔法式電灯に明かりが灯っているのに気付く。



「め、メリルさん。メリルさん!」

「え、ミリア? どうしたのかし――あら、もうこんな時間なのね……」


 

 ミリアに肩を揺すられ、何事かと俯いていた顔をあげたメリルが言葉程に驚いた様子も見せず口にする。

 ミリアがこんな時間まで落ち込むことは初めてだが、ここ一週間メリルにとってはよくあることであった。

 気付けば物思いに耽り、これまた気付けば日暮れである黄昏時を迎えているなんてことは、半ば日常に組み込まれつつある。

 寮の夕食は自炊か食堂だが、食堂は二十時には閉まってしまう。

 かといって自炊する気力も今のメリルは持ち合わせていない。

 取り敢えずは寮に戻るべきだと判断し立ち上がるとミリアに声をかける。



「ここに居ても仕方ないわ、寮に戻りましょう」

「そうですね、ついでにレティーシアさんの寮部屋に寄っていきませんか?」


 

 レティーシアの部屋と聞き、一瞬メリルの表情が歪むが、既に万策尽きた状態に近いメリルには藁をも縋る思いもあり、こくりと頷く。

 本当は部屋を訪れるたび、グレンデルが迎えてくれるのだが、その度にレティーシア不在を思い知らされるのだ。

 それは今のメリルにとっては耐え難いほどに苦痛であった。

 それでも広大な砂漠の砂の中、一粒の砂金を探し出すかのような果てしなく絶望的でありながら、決して捨てられない希望を胸に宿してメリルは寮へと足を向けた……





 

 既に夜半の寮には人が居ない。殆どの学生は自室に居ることだろう。

 そんな中、二人分の足音が周囲に鳴り響く。常ならば気にならない音も、こと静寂に包まれた空間内では一際目立つ。

 幾つもの部屋を通り過ぎ、第一女性寮。または女子寮とも言われる棟の三階、更にその奥、三二〇〇番と記された扉の前に二人は立つ。

 一件変哲もない寮部屋の扉だが、この先が歪曲空間によって空間が操作され、広さと中が全くの別物となっているのを二人は知っている。

 レティーシアの許可なき人物は部屋を訪れる事が出来なくなっており、万が一にも誰かが部屋に入らないように仕組まれている。

 幸い二人は常時許可が下りるようになっている為問題はなかった。



 メリルが緊張に強張った手の震えを無理やり押さえ込み、意を決して扉を叩く。

 略式のノック、三度音が連続して鳴り、何時もなら即座にグレンデルが出るのだが今日はその様子が無い。

 扉より先、気配を読むことは扉を境界とした結界により適わない。

 不思議に思い、もう一度扉を叩こうとメリルが手を伸ばした瞬間―――



「これはメリル様にミリア様、このような時間に如何なさいましたか?」



 ―――扉が開き、中から一人のメイドが姿を現した。

 容姿は非常に整っている。絶世とつけて問題ないくらいだ。

 その無表情で無機質な顔がその美貌に影を落としているが、それでもとんでもない美人である。

 それにその顔をメリルとミリアはどことなく見覚えがあった。

 あまりの驚きにメリルは口をぱくぱくと淑女らしからぬ動きをし、ミリアもまるで彫像のように固まってしまっている。

 そんな二人に声を掛ける事も無く、二人を見詰めるメイド姿の女性。

 たっぷり数分、再起動を果たした二人はまるで双子のようにタイミングを合わせて口を開いた。



「「エリンシエさん!?」」

「はい、エリンシエ・ペッカートゥムで御座いますが何か?」



 見事にはもった二人をあっさり斬り伏せるエリンシエ。

 どうも少し機嫌がよろしくないらしい。常ならばこんな態度はとらない。

 彼女はメイドの中のメイド。そう呼んで差し支えないくらいにはメイドとしての行動に長けている。

 主人を立て、客を持て成すのはお手の物。それなのに声音にはどことなく険が含まれている。

 しかしそれに驚きのあまり気付けない二人がまたもや声を揃えて叫ぶ。



「レティーシアさんが居るんですか!」

「レティが居るのですわね!」

「む? なんだ、メリルにミリアではないか。エリンシエ、通してやるがよい」

「畏まりました」



 書斎から出てきたレティーシアが二人の姿を確認し告げる。

 先程までの原因不明であるやや苛立ち紛れの態度は既に一変し、レティーシアの言葉に従うようにドアの横に身を滑らせる。

 途端に二人が感極まったように走り出し、そのままの勢いでレティーシアに抱きつく。

 身長が百三十と少ししかない為、まるで抱き込まれるようになってしまう。

 いきなりの行動にさしものレティーシアも目を白黒とさせ、更にメリルの胸部が顔面を圧迫し酸素不足に陥る。

 メリルに至ってはうっすら嗚咽を零す様子で、レティーシアも致し方ないかとされるがままとなっていた。



 その後、レティーシアがメリルとミリアより解放されたのは、翌日の事である。

 特にメリルの強い要望により、ベッドで三人川の字となって眠ることとなったのだ。

 今までの不調が嘘のように、メリルはレティーシアを抱き枕にし、その夜は久々の安眠を感受する事となる。

 幸せそうな寝顔と、少し痩せた頬のアンバランス差に事情を察したレティーシア。

 いや、彼にはその腕を振り解くことなど到底出来はしなかった………




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