アルイッド遺跡 完

「つまり、レティの主観時間では数時間も未だにあれから経過していないってことかしら?」

「その考えで間違っておらぬ。その場より遠くの地に行けば行くほど、時間の歩みは異な事となる。妾が邪神、あやつはプッテホトラと名乗っておったが。そやつと戦った場所はこの星を幾万と繋げてもなお遠い地よ」



 レティーシアの言葉にボアを加えて集まった三人は信じられないと言う表情を見せる。

 そもそもこの世界の住民には宇宙と言う概念が未だ存在していない。

 異界の存在は認められているが、それが惑星であり、宇宙上に存在すると言う認識を持ちえていないのだ。

 レティーシアですらそれを明確に認識したのは彼の知識のお陰である。

 星の外にも空間が存在するのは幾千年前より認知していたことだが、それでも確固たる知識を持ちえていた訳ではない。

 そんなこの世界の常識を容易く突き崩すような知識を持つレティーシアとは一体何者なのか、一同の胸には僅かな疑問が浮かぶ。

 


 だがそんな思いも今更だろうと同時に三人は認識していた。

 レティーシアが普通の吸血鬼。真祖ともきっと何か違うのだと薄々感づいていながら、この中にそれに触れる者はいない。

 それは別段不思議なことではないだろう。友人を、仲間を前に触れられたくない部分に土足で踏み入るだろうか?

 時と場合にもよるだろうが、基本的にはしない筈だ。

 メリルは仲間と言う意識より妹としての意識だが、ミリアとボアにとってはそういった認識が一番近い。

 話したい時にはレティーシアが自ら話すだろう程度のことは、二人は十分に理解していた。



「その、なんだ。邪神? だがなんだか知らねぇが、そいつはしっかり封印したんだろ?」


 プッテホトラについて語るレティーシアの表情が妙に硬い。

 それに気がついたボアが質問を投げかけてくる。


「うむ。妾自身とて受ければ恐らく脱出不可能な術。それにてあやつは確かに永劫の牢獄へと封じた……いかな存在であろうと、内側より打ち破る術は存在せぬ筈だが……妾の認知せぬ術理が存在しない保証もない。それに――」

「それに?」



 珍しく妙に歯切れの悪い言葉に紅茶を啜っていたミリアが口を開く。

 レティーシアの表情は本人が気がついているのかどうかは不明だが、随分と苦虫を噛み潰したかのような渋面である。

 ミリアの不思議そうな顔に自身の形作っている表情に気づいたのか、軽く頭を振り、何時もの少し冷たい感情の薄い表情に戻る。



「いや、何でもない」



 それはまるで口にすれば現実になってしまうような、そんな事を恐れたような雰囲気であった。

 相手が復活するのであれば、無論レティーシアは幾度でも粉砕してみせるだろう。

 それでも絶対的な勝利が約束されているとは流石に自惚れてはいない。

 気づけばまた思考の海に飛び立とうとしていた事に気づき、三人に気づかれないよう思考を切り替える。

 するとタイミング良くメリルが話題を提供してきた。



「そうでしたわ。レティは不在でしたから勿論知らないでしょうけど、来週の頭から前期筆記テスト及び、前期実技テストが実地されるわ」

「ほぉ……テストとは、の」

「ええ。筆記は科によって微妙に代わるけれども、共通科目二教科、残り三教科が各部や科での独自の教科になるわね。実技も部や科によって異なりますの、私達の場合は魔法を用いることになってますわ」



 メリルの言葉にふむぅ、と顎に指を当てて考え込む。

 お世辞にもレティーシアの授業態度は決して良くない。

 興味の無い事は耳から素通りであるし、そもそもこの世界、デミウルゴスはレティーシアの世界にすら一歩技術で遅れているのだ。

 更に言えば彼の世界からは両世界とも科学的な面では赤子レベルである。

 彼のお陰で遥か先の技術、その一端の知識すら修めたレティーシアからすれば、理論も数式もどれも酷く詰まらないものであった。

 歴史に関しても、過去に拘る意味も無いと適当に聞いているだけであったとレティーシアは記憶している。

 算術関係は平気だろうが、理論やら歴史やらは壊滅していると言えよう。



 いくらレティーシアが積み上げた歴史によって、奇跡的な理論構築の頭脳を持ちえようとも。

 異なる系統の理論を足掛かり無しで挑めば苦戦は免れない。

 歴史に関しては知らないものは知らない。その一言に尽きる。

 覚えていない単語はどう捻ろうが出てこないのだから。

 だがレティーシアに焦った様子は見られない。

 その気になれば辞書ですら容易く暗記出来るのだ、歴史に関してはなんら問題はない。

 理論にしたって、最悪他者の記憶を盗み取り、そこから必要な知識を得ればいいのである。

 情報を知識に昇華するのはレティーシア自身だが、理解度と言う点では比肩を許さない自負がある。



 彼からして見れば、学生時代それなりに勉強を積み重ねた経験もあり、最早今のチート状態に言葉すら出ない。

 アルイッド遺跡にやって来る前、面白半分にメルセンヌ素数を暗算でどこまで叩き出せるか試したのだが、一時間もしないで膨大な数――当時に発見されたもの、未発見のもの含む――が容易に出てきてしまったのである。

 残念ながら正否を確定する術はその時無かったが、彼にはアレが間違っていたとは到底思えなかった。

 彼だって天才ではなかったが秀才ではあったのだ。レティーシアと言う存在が如何に化け物染みているのかは自身がその者となって嫌と言う程味わったが、ある意味で彼の世界でも通用する出来事を用いたコレは寒々しい思いを抱かせるに十分過ぎた。

 その後、あまりの恐ろしさに暫く言葉が出なかったが同時に今の己であれば当時証明されなかった、数々の理論を証明出来るのではないか?

 そう思い証明に明け暮れる事数日、一つの到達点へと至ってしまう。



 それは“あらゆる概念は数式に変換する事が出来る”と言うものであった。

 これにより魔術陣に数式を織り交ぜることでその効率は飛躍的に上昇し、更には知られざる概念すら発見するに至る。

 その時胸に去来した思いは、もし彼女が魔術世界ではなく、科学の世界でその生を受けていた場合、どのような未来に至っていたいたのだろうか?

 と言う、考えても仕方のないことであった。ふとそこで誰かに呼ばれている事に気づく。



「……ティ……レティっ!」

「む、んぅ? すまぬ、どうやら考え事をしておったようだ」

「レティーシアさん、急に下を俯いて、ジーッと身動きも返事もしなくなっていたんですよ?」

「そうですわよっ! わたくしが何度も呼びかけましたのに、まったく反応を示さないのですもの、何か起きたのかと思いましたわ」


 

 そう言うメリルの表情には不安気な色が見え隠れしていた。

 明るい表情は影に潜み、そのせいでここ二週間で痩せた頬が強調されている。

 顔色こそ元通りにはなったが、落ちた体重を戻すには今しばらく掛かるだろう。

 体調管理は冒険者の基本だが、彼女はまだ卵である。

 学生でいる間くらい、感情に左右されるのも許されて構わないだろう。



「心配掛けたようであるな。ふむ、そうよな……そなたらさえよければ妾の部屋で勉強会でも開かぬか?」

「勉強会、ですか?」

「やる、やりますわ! レティと一緒なら何だって致しますわよ!!」

「ゲッ……俺は勉学は嫌いなんだがなぁ」

「何、妾もどちらにせよなんらかの方法で試験範囲の知識を修めねばなるまいからな。それならお主らに頼った方が早かろう?」



 頼る。そこを強調した物言いにミリアとメリル、それにボアも驚きの表情を見せる。

 およそ出来ないことなど無いのではないか。そう思える人物が、三人に対して仮にも頼るなどと言う言葉を言ったのだ驚くのも無理はない。

 メリルがレティーシアに抱き付き「もう一度、もう一度言ってレティ!」と食い下がるが、レティーシアは「ええいっ! 離さぬか暑苦しいっ!」とメリルを引き剥がす。

 ミリアまで悪乗りして抱きついてくる中、なんとなくこれが日常だと思ってしまうレティーシアであったが、それはどこか悪くない思いであった……




 ふと、レティーシアが柱時計に目をやれば時刻は既に二十一時を過ぎていた。

 夕食を食べてから既に二時間以上経過している計算だ。

 話しの流れからレティーシアの部屋で勉強することとなったのが昼前。

 そう考えるとかなりの時間を費やした計算である。

 ボアは昼過ぎに頭をパンクさせ、早々に退出し、今は女性三人だけだ。

 今日は週の第五日目、つまりは土曜にあたるため学園は休みだが、あまり遅くまで他人の寮室にお邪魔するのは暗黙の了解としてあまり言い顔をされない。

 二人のお陰で最低限の知識は既に詰め込み済みである。そろそろ潮時であろうとレティーシアが口を開く。



「ふむ、明日は妾も学園長室まで行かねばなるまいし。既にこのような時刻ゆえ、今日はこの辺りで解散するとしよう」

「もうこんな時間なんですか!?」



 ミリアが柱時計に記された時刻を見て驚きの表情を見せる。

 ボアと違い、集中力の高いミリアにはこの勉強会はとても性に合っていたのかもしれない。

 どうでもいいことは耳から流したり、何気に居眠りするミリアだが、頭の回転は決して悪くない。

 むしろ非常に高いと言えた。それは魔法の才がなかったとしても、十分に他の分野で活躍出来たであろうと、そうレティーシアが思える程である。

 それはメリルも同じで、流石は時期侯爵令嬢と言えばいいのか、その説明は実に纏められており勉強中の雰囲気は常のなんだかだらしない姿とは似ても似つかない程だ。



「あっ、そうだわ! レティ――――」

「駄目だ、許さぬ」

「ま、まだ何も言ってませんわよ!?」

「どうせ一緒に寝ましょう。とかであろう?」

「うっ……」

「今のは私でも簡単に予想がつきましたよメリルさん? ここは大人しく引き下がった方がいいと思いますよ」



 それでもむぅ! とか、うぅ! とか未練たらたらの表情を見せるが、それでもレティーシアが毅然とした態度をとる。

 そこまでしてようやく諦めたのか「分かりましたわ……」と、渋々ながらも口にした。

 過去何度かメリルとはベットを共にしたが、まるで抱き枕のように抱え込まれるのは流石にレティーシアとしても勘弁であった。

 妙な面で律儀であるためか、約束したのならば守ってしまうレティーシアは歓迎したくない抱き枕の刑を回避出来た事に気づかれないよう安堵の息を吐く。

 メリルを説得するのに十分以上も掛かった事に頭を痛めつつ、エリンシエを呼ぶ。

 


「エリンシエ」

「――ここに」

「三人を玄関まで送り届けよ」

「畏まりました。それでは皆様、こちらに」

「うぅ……や、やっぱりレティと寝たいですわッ!」



 なんてまるで駄々をこねる子供のような反応を見せるメリルだが、主人の命を全うすべくにこやかな。

 しかして有無を言わせず力強さでエリンシエが二人を玄関まで連れて行く。

 ミリアは逆らっても無駄だと思っているのか、特に反論することもなく進んでいくが、メリルだけがやたらとじたばたと暴れている。


 しかも口々に「い、いやよ!? 久しぶりにレティと会えたのよっ! 今日は一緒に寝るのですわっ!!」「貴女だって、レティーのもちもちした肌を味わいのではなくて!?」等と連呼しては、エリンシエの手を煩わせているようであった。

 しかも後半の台詞で一瞬、エリンシエが動揺したのだがメリルは気づかない。

 「れ、レティー!!」と悲哀交じりの声で最後まで抵抗していたメリルが連れて行かれた後、はぁっとレティーシアの唇から溜息が漏れ出す。



「レティーシア様、三人とも部屋に戻って行ったようです」

「うむ。さて、そろそろグレンデルへと言付けた伝言がカルテットに伝わっておるころか……」



 この場にグレンデルが居ないのはヴェルクマイスターに帰還しているからだ。

 通信系の魔術でも構わなかったのだが、現状暇を持て余していたグレンデルを丁度いいとメッセンジャーとしたのである。

 アンティーク調の、飴色が美しい木材で作られた椅子に深く腰掛けレティーシアは思考をめぐらせていく――――







後書き


これにてアルイッドは終わりです。

少しオマケ話を挟んで次の章にうつります。

PV1000をこえました。

ありがとうございます。

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