アルイッド遺跡 六

 常人ですら目視出来る程巨大な水晶群。いや、水晶の森へと向けて一行は進んでいく。

 どうやら時間軸は同じなのか、朝日はゆっくりと昇り、今ではさん々と光を投げかけている。

 それらは水晶で屈折され、様々な色合いを赤い大地に投射していた。青、赤、黄、紫、緑、クリア……

 時に空に向けて収束された複数の色、七色に構成された光が飛び交い、ここが死地だと忘れそうなくらいに幻想的だ。

 どれだけ歩いても赤い大地、そして水晶。遥か遠くに見えるのはどこまでも続く地平の稜線。



 空にはどれだけ進んでも距離の変わらない、遠近感が狂いそうな程巨大なルナ

 太陽が昇っていると言うのに、その姿が明かりに霞むことはなく、空から降り注ぐオーロラも色褪せない。

 まるで緑のない世界だと言うのに、息づく生命体は力強く、不思議な生態系を築いている。

 もしここに芸術面で大成する者の多い精霊族エルフの芸術家が居れば、きっと住処をここに移してでも居住を決め込むことだろう。

 一行もここが危険域でなければ、拙い語彙でこの素晴らしき景色を褒め称えては酒の肴にしたのだろうから……

 誰もそんな事を心の底で思いながら進んでいく。



「っと、どうやらこいつは………前衛の者は通れる場所がないか辺りを散策、ペアで行けよ! 他の者ははぐれないよう集まり、周囲の警戒を! 三十分後にここに合流としよう」

「「了解」」



 フリードリヒが移動し始めて二キロちょいの地点で遭遇した、“クレバス”を前に停止の声を掛ける。

 どうやら幾分低地にあったうえ、周囲に巨大な水晶が聳えていた事もあり、戦闘地点からは見えなかったらしい。

 ボアを含めた運動能力に長けた、単独の行動能力が高い前衛職、フリードリヒ以外が周囲へと散開していく。

 レティーシアものんびりグレンデルの上から、赤い大地に奔った“亀裂”に目を向ける。

 対岸と呼んでいいのか、向こう側までは距離にしてざっと百五十メートルと少しだろうか。

 谷の底は深く、数百メートル以上も下に川らしきものが見える。これは渓谷と呼んだ方が正しいかもしれない。



「凄いですわね……ある意味、こんな風景が見れるなんて幸運なのかしら?」

「えっ、メリルさん何言っているんですか! ここはそれこそ死地なんですよ? でも、本当に綺麗ですね……」



 レティーシアの側まで近寄ってきたメリルが、深い亀裂の底を覗き、そこから垣間見える光景に心底といった心地の声を漏らす。

 それをミリアが咎めるが、目線は深い深い谷に向かっており、瞳はきらきらと輝いている。

 全く実感の篭っていない声であった。

 実際死地であると分かっていても、それすら霞んでしまいそうなほど、この異界はどこか“美しすぎる”。

 こんな世界が本当に自然に存在し得るのかと、そう疑問に思ってしまう程…… 



 そんな二人の中央でレティーシアが瞳を閉じ、周囲数キロの気配を探る。

 すると、敵意はないが、多くの生命の息吹がこの渓谷からは感じられた。

 深い谷底からはまるで突き出すかのように水晶が伸び、一部はまるで剣山。いや、針山のようである。

 色取り取りの水晶が伸び、よく見ればトンボのような生命体が飛翔しているのが見えた。

 それも大きさが一メートル強、中には二メートルを超える大きさの固体も居る。

 他にも尻尾の先端に水晶を生やしたネズミがチューッと、グレンデルの足元を駆けていく。

 視力を調整し、谷底を見れば水晶の反射した光が穏やかな流れの川に反射しているのが見えた。



 一部には虹も掛かり、転移付近で見た岩のような巨大な巨人。

 それの少し小型の生命体が数体闊歩している。手には水晶を握り、ガリガリと噛み砕くのが見えた。

 他にも羽の無い陸型のドラゴン。それも全身が鉱物のようであり、差し詰めロックドラゴンと言ったところか。

 川から一瞬垣間見えた魚は大きく、全長三メートルはあるだろう。

 その鱗は宝石のように煌びやかと光っており美しかった。

 レティーシアの世界でもこんな場所は恐らく探しても見つけるのは不可能だろう。

 それ程に美しく、不思議な場所であった。散策を忘れて珍しく暫しの間、レティーシアがぼぉっと谷底を観察していると―――




「報告します。谷沿い数百メートル先にて、突き出した水晶の一つが、対岸に突き刺さっています。大きさも十分あり、橋の代わりとして使用できるかと」



 と言う報告が耳に届く。フリードリヒがふむと、一度頷き顎を撫でる。

 水晶とは言え、万が一崩れれば命の保証はない。

 下は川ではあるが、それよりも生息している生命体の方が危険なのだ。

 小型の巨人でもニアSランクレベル、ドラゴンに至ってはSランク級である。

 さてどうしたものかと思考しようとした時、レティーシアがフリードリヒに話し掛けた。



「話しは聞いたぞ。どうせ崩れる心配でもしておるのであろう? 何なら妾がグレンデルと共に最初に渡ってやるぞ? グレンデルの重量で平気であるならば、残り全員も平気であろうからな」

「いや、確かに助かる話しではあるが……」

「なに、万が一崩れても妾とグレンデルであれば何も問題はあるまいだろうて。いざとなれば妾は空を飛ぶことも、グレンデルであれば、下の生命体を蹴散らすことも出来るでな」



 幾分まだ渋るフリードリヒにレティーシアが追い討ちをかける。

 このまま立ち往生をするのは、レティーシアとしても望むところではないのだ。

 それなら多少の協力はやぶさかではない。

 現状、レティーシアが試金石として試すのが一番なのだから。

 尤も、やろうと思えば転移で全員を運ぶことも出来るのだが。



 流石にそこまでしてやろうとは、レティーシアも思わない。あまり突飛過ぎる実力を出すのも憚れる。

 何れ己の名が噂となるとしても、無駄にひけらかす事もない。必要と判断すれば迷う理由もないが。

 容姿から吸血鬼の真祖だろうとはバレているかもしれないが、一応の保険であった。

 今はまだ、もう少しゆったりしていたいとレティーシアは思っている。

 尤も、グレンデルの召喚で十分過ぎる程印象を与えているのだが……そう言った微妙に抜けた部分は、強大な力をもつゆえなのかもしれない。

 少しの逡巡の後、仕方ないかと小さく呟きフリードリヒが面をあげる。



「それではレティーシア殿、グレンデル殿、先に水晶を渡ってもらいたい。如何か?」



 一応形式的に訊ねる形で問うフリードリヒに対し、レティーシアも一度大仰に頷く。

 何事も様式美と言うのは案外大切なのだ。実力がレティーシアが上回ろうと、この依頼クエストのリーダーはフリードリヒである。

 形式上であろうと、リーダーが指示を出す必要があった。

 そう言った些細や事が迅速な指令系統を形成し、守っていく事に繋がるのだ。



「よかろう、確かに承ったぞ。そろそろ見回りの輩も戻ってこよう、そこの男、その水晶とやらに妾を案内するがよい。妾達は先に向かっておる、構わぬな」

「ああ、どうせ五分も掛からず時間だ。それにお二方なら心配の必要もないでしょうからな。案内してやれ」

「了解です、それではこっちです」



 そう言って谷に沿ってプレートアーマーに身を包んだ、幾分年若い男性が先を歩き出す。

 短く刈られた黒い髪に、浅黒い肌から南方の出身なのかもしれないと推測する。

 渓谷を川下に向かうように進むこと十分と少し、それはレティーシアの前に姿を現した。



 全長数百メートルの一本の巨大な水晶。色は透き通る程に透明であり、太さにして優に十メートル程はある、その六角柱の切子面からは渓谷を透かして見る事が出来るだろう。

 その六角柱の根元は地面より幾分、五メートル程下にあり、そのまま対岸まで伸び突き刺さっているのがレティーシアには視認できた。

 どうも、“出来すぎ”な気がしてならない。こんな如何にも形で橋が存在するなど。

 が、それを考えたところで状況が改善する訳でもないと思考を切り替えるが、ふと――



「ふむ、ここまで立派だと、宝石としても相当な価値と言えよう。もぎ取ってしまいたくならぬか?」

「え? いやいや、冗談――ですよ、ね?」

「なに、全員渡った後でなら構わぬだろう」

「ははっ……ははは……」



 至って真面目に返すレティーシア。その声音から嘘の臭いは皆無だ。

 つまり、こんな巨大な水晶。それこそどれだけの重さ――その前に持ち帰る方法すら見当もつかない――か不明な、そんな代物を持ち出す手段をレティーシアが持ちえているのだと察してしまう。

 気付けば男の口元からは渇いた笑いが零れ落ちていた――――

 


 それを尻目にレティーシアはグレンデルに指示を飛ばし、ストンッと、水晶の上にグレンデル毎降り立つ。

 横幅にしても三メートル程はあり、切子面も斜めではない為足を滑らせない限りは落ちる心配もなさそうだ。

 そのまま十メートル程進み、グレンデルが軽く水晶の床を前足で叩く。

 冷たく硬質な鉱石特有の感覚と共に、カツカツンッ! と言う、音が響く。

 数度程繰り返すと、満足そうにレティーシアが頷いた。



「ふむ、これなら折れるなどと言ったことはあるまい」

『この感触からすれば、全員一斉に渡ってもビクともしないだろう』



 そう言って念の為に水晶の天然橋の中央まで行き、同じようにグレンデルが前足で強度を確認していく。

 軽く叩いているように見えるが、その実数百キロもの力が加えられている。

 グレンデルの自重とも合わせれば、まさに一トンクラスの重さと言えよう。

 それで折れる気配どころか、軋む様子も見えないのだ。かなり頑丈だと言えた。

 微妙に魔力の気配と、隅に何か刻まれていることから、何か魔法ないし魔術的力が働いているのかもしれない。



 と、グレンデルが突如くるりと元来た道を戻りだす。見れば、フリードリヒやメリル達が集まっていた。

 そのままフリードリヒの元に行き、強度には問題ないことを告げ、先に行っていると水晶をグレンデルが歩き出す。

 メリルが「落ちないかしら……あぁ! 危ないわよレティっ!」などと、一人喧しいが全員がスルーである。

 レティーシアが中央まで行くのを見送ると、フリードリヒが素早く指示を下した。

 


「よし、ギュスターブ隊から先に行け! 万が一を考え、隊は一隊毎とする。ギュスターブ隊が中央を通過した後はメリル隊、次にフレデリク、そして私の隊が殿として渡る。落ちるなんて間抜け、やらかすなよ!!」

「「了解ッ!」」



 フリードリヒの言葉の後、各隊が次々と水晶を渡っていく。

 若干一名――ボア――がはしゃぎ過ぎてツルッとこけて、危うく谷の底に消えるところだったが、魔物に襲われることもなく全員無事に渡ることに成功する。

 その後、レティーシアを含めて隊列を組みなおし、もう間近に迫っている今渡った水晶クラスの大きさの水晶で構成された“森”へと向かう――




 

 水晶の天然橋から三十分と少し、一行は遂に休憩ポイントとして定めた地点に到着した。

 空を突くような色鮮やかな水晶が聳え、まるで木々のように枝分かれした水晶が空を隠すように覆う。

 まるで森そのものが水晶化したみたいだ。それも原生林レベルの、巨大な森。

 一本一本は太く巨大で、中には百メートルを優に超えるものすら数多く見受けられた。

 が、お陰で魔物の目をやり過ごす事可能だし、丁度一行が見つけた拓けた地点でこうして休憩を取ることだって出来る。



「よし、休憩は今より一時間半とする。その後、この森を限界まで突き進み、そのまま今日は野営に入る。しっかりと休んでおけ!」



 フリードリヒの言葉に従い、各隊がそれぞれ昼食の準備を進めていく。

 メリル達もレティーシアが異空間より預かっていたバッグを取り出し、禁止領域と同じ要領で準備を進めていく。

 大きなバッグから様々な器具が取り出され、前にも使用した鍋まで。

 次々と具材が切り刻まれ、魔法で満たされた熱湯に放り込まれていく。

 幾分臭み消しはしたようだが、それでも急ごしらえでは全てを消し去れない。

 その為、香辛料や香草の類を多めに入れ誤魔化すのだ。ボアは慣れたものだが、メリルとミリアが幾分複雑そうだ。



 それを眺めながらレティーシアは流石に二度も鍋は食べたくないと。

 独自に準備を開始することに決める。皆で囲む料理は確かに不思議と美味く感じられれたが、結局のところそれは脳の、感情が起こすまやかしだ。

 実際には肉の生臭さなどが残っており、美食家であるレティーシアには耐え難い。

 パチンッと何度か指を鳴らし、一人用の木製テーブル、椅子、テーブルクロスを用意する。

 流石に料理そのものは異空間に現在は入っていない。代わりに菓子類が白磁の食器には次々と積まれていく。

 最後にティーセットが並ぶ。中身はT.G.F.O.P――ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコ――と呼ばれる、最高級に属する等級の葉だ。



 銘柄は“ブリジット”と言う、ヴェルクマイスター産の茶葉であり、オレンジ色をした液体で。

 独特の香りが強く、何かと言うとストレートティー向きである。

 無論、レティーシアはそれを承知でこの銘柄を選んだのだ。

 ミルクを足すならそれに見合った茶葉がいくらでもある。

 と、それをいただこうとして強い視線――



「はぁ……ほれ、メリルにミリア。それにボアも、興味があるならば持って行くがよい」

 

 視線の正体。メリルとミリアがレティーシアの言葉を受け、その表情をパッと輝かせる。


「流石レティですわ! 義姉あねとして誇りに思うわね!!」

「えへへ、レティーシアさん有り難う御座います」



 なんて言いつつしっかりとケーキやスコーン、他にもちゃっかり紅茶まで持ち出す二人。

 更にはボアまで混じり、なんだか他のパーティーと変わって、明るい茶会のような風景と化すのであった………





 

  

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