アルイッド遺跡 七
水晶の森を進み始めて既に五時間以上が経過していた。
時刻にすればもう夕方前である。進んだ距離は休憩時の入り口からまだ十キロ程度だろうか。
普通の森と違い、水晶で出来たこの森は中々に移動が大変だ。
木の根のような部分は硬く、転んで頭部でも打ち付けてはそれこそ致命傷になりかねない。
また、色鮮やかなのはいいが、七色の光は見続ければ逆に精神を圧迫していく。
更に言えば――――
「はぁ…はぁ……森ならば敵から身を隠せると思ったが。甘かったか、擬態タイプの魔物だって居て可笑しくはないと言うのに……」
フリードリヒが荒い息を吐く。見れば他のレティーシア以外の前衛職も似たような感じだ。
地面には“木”に擬態した、いわゆるトレントに属する魔物が倒れている。
見た目は他の普通の水晶の木と同じでありながら、近づくと急に蠢きだして捕食活動に入るのだ。
この仮称“クリスタル・トレント”の嫌らしいところは、気配に敵意がなく、近づかない限りはその気配も殆ど感じられない点であった。
匂いも鉱物と変わらない為、グレンデルもこの存在には気づかなかったのである。
最初にこの魔物と遭遇したのは移動し始めてから三十分後。
急に動かないはずの水晶の木がざわめきだしたと思えば、その鋭い枝を撓らせて襲い掛かってきたのだ。
幸いその鋭い水晶の枝以外はそう怖い部分はなく、精々が魔法が水晶だからか効きにくく、高火力か強い衝撃や物理的一撃以外では倒し難いのが面倒と言えようか。
ランク付けをするならばB辺りが妥当だろう。
しかし。それでも後衛職には危険に違いなく、前衛職は円を組む形で移動する羽目になる。
しかも警戒しながらの行軍により進行速度は低下。
予定では今の二倍以上は進んでいる筈であった。
フリードリヒが手早く手で指示を下し、再び円形状に陣形を組みなおして出発する。
レティーシアが本気でサーチを掛ければ無論気配察知は可能だろう。
が、それをすることは無い。確かに面倒な敵ではあるが、このメンバーで十分対応出来るレベルだからだ。
これがSランク相当であった。何て言うのならば、グレンデルの上でもふもふとしているレティーシアも重い腰を上げただろう。
「暗くなってきたな……よしっ! 今日はこの地点で野営とする。
進みだして更に三十分。空より射し込む光は既に殆ど無く。
森は薄暗くなっている。この状態でトレントの鋭い、鞭のような一撃を避けるのは難しい。
そう判断したフリードリヒが片手で立ち止まるようサインし、野営の趣旨を告げる。
指示に従い、数名の優れた
残りの者は周囲の水晶を何とか破壊しつつ、野営の為のスペースを作っている。
一方メリル達も……と言いたいところだが、待って欲しい。
そもそもこの一団はメリル達以外は一流以上の、それこそ上位の中でも上に入るような連中である。
そんな人物達が水晶を容易く砕くのはいい。が、それが一般的だと思わないでもらいたい。
水晶の木の傷つき難さは鉄を容易に上回る。素手では無論、武器での破壊も普通には難しいだろう。
つまり――――メリル達は途方に暮れていた。凍結魔法と言う手もあるが、あれは結構魔力を食う。
はぁっ、とレティーシアの口元から溜息が零れ落ち、面倒そうに口を開く。
「グレンデル、適当にスペースを確保してやれ。流石にテントを張れぬのは辛かろう」
『獣の王たる我が雑用とは。いささか悲しくなってくるな……』
そう言いつつものっそり行動を開始する。
そんなやり取りを見てメリルが声を張り上げた。
「レティっ! やっぱりレティはとっても姉思いだわ!!」
目を輝かせグレンデルに乗るレティーシアに近づくが、グレンデルが邪魔そうな顔するものだから、渋々引き下がる。
そのままその前足に備えられたダイアモンドにすら比肩する硬度――勿論、衝撃にも強い――を持つ、下手な名剣より余程強力無比な爪が一度、二度、数度と振るわれる。
その度に腕を回すより太い水晶の木々が根元から切り裂かれ、最後にはどのような力か、踏み砕いてしまう。
砕けちり、何とかボアでも運べる大きさになった破片。それを見て「俺か?」っと、ボアが愚痴りながらも欠片を退けていく。
水晶は存外に重いのだ。
それを見かねたメリルが風の魔法でアシストしつつ、直接エネルギーに干渉するタイプの魔法で欠片を移動させる。
レティーシアの吸血鬼としての超能であるテレキネシスとは違い、サイコキネシスに近い原理だろう。
場にエネルギーを発生させ、それを用いて他に干渉するタイプだ。
ミリアはバッグからテント一式、そして料理器具を出していく。
そのまま数メートル規模で拓けた地面にテントを設置する。
ふぁっと、レティーシアの小さな唇から音が漏れた。
『主が欠伸とは珍しいものを見た』
「なに、
『ああ、途中の水晶などに刻まれていた呪文か?』
「うむ。暇であったからな、何を示すものか調べておったのよ。解析具合はざっと半分と少しであるが、中々に面白い。完全に判明すれば皆にも伝えるとしよう。なんせ、封印されし者は下手すると妾より位階が高いやもしれぬのだから、の……」
その言葉にグレンデルが小さく驚いた顔をする――と言っても狼顔なのだから傍目には不明だが――
位階イコール実力。と言う単純な解答にはならないが、それでも起こせる物事の規模を表しているのは間違いない。
レティーシアクラスであれば世界の擬似的な創造クラスに迫る程なのだが、破壊の方が得意の為いささか面倒なプロセスが必要になる。
それを越えるとなれば、メリオル・テーシャ。あるいは――エーセル――クラス。
それは実質空席のレベル。過去レティーシアですら出会った事のない存在。
流石にエーセルクラスが封印なんて間抜け、あるとは思えない為除外するが、それでもとんでもない内容であろう。
「よしっ、これで準備は終わりだ。早速飯の準備にしようぜ? この数時間、警戒のしっ放しで腹が空いて仕方ねぇ……」
「賛成ですわ、流石に歩き通しで疲れましたもの。今なら粗雑な料理もきっと美味しく感じますわ」
「それじゃあ材料出しますね。あっ、レティーシアさんはどうしますか?」
鍋を準備し、材料えお取り出しながらミリアが訊ねる。
菓子の件もあることから、何か個別で食事を摂るかもしれないと思ったのだろう。
「そうよな……今回は妾も一緒するとしよう。が、流石に味と食材には手を加えさせてもらうとしよう、アレは妾の味覚が受け付けぬ」
すると、ボアがやりぃっ! と喜色満面を浮かべた。
この中で唯一、完全な平民の出であるボアにとっては、レティーシアの出す数々の食材や食べ物はまさに未知であり美味なのである。
尤もそれはミリアとメリルも似たようなものなのだが。
出しかけた食材をミリアに仕舞わせると、異空間から一冊の本を取り出す。
真紅色の分厚い書物。ペッカートゥム・オリジナル。
原罪の名を冠した、レティーシアが所有する最高の魔道書だ。
『なんだ、食事程度であやつを呼ぶのか』
「なに、メイドには違いあるまい。給仕をさせるまでよ、暫く出しておらなんだ、偶には召喚してやらねば可愛そうであろう」
そして一息に空気を吸い込み、周りに反響する不思議な声帯の震わせかたで朗々とワードを紡ぎだす。
「原罪の封印を全解除。その姿を汝が望む空蝉とし、仮初の肉体と思考を構築せよ。それは世界を侵し、法をも乱す解――」
指定のキーワードをレティーシアが呟いた後、変化は唐突に起こった。
真紅の魔道書は触れてもいないのに宙に浮かぶと、真っ赤な光の奔流を撒き散らす。
常人なら目も開けていられない光量、しかしレティーシアにはそんなもの障害となる筈もなく、その変化をしっかりと目にしていた。
光の奔流の中、原罪は勝手に開きだし中身の紙片がバラバラと宙に飛び出し、細かな紙吹雪のように端から崩れていく。
そして、崩れた所から光子となって一点に集まり再構成されていく。
その足元から構築されていく光のシルエット、それは紛れもなく“人”である。
やがて完全に光子が集まり、余った光子がメイド服となって“彼女”に纏わりついて行く。
光の奔流。それが治まった場所には一人の女性が背筋を伸ばし佇んでいた。
髪色は緋色であり腰下までのストレート、瞳も赤く、身長は百六十を越えているが――
その容姿はどこか大人っぽいながらも、レティーシアを彷彿とさせる。
エリンシエ・ペッカートゥム。原罪の管制人格とも呼べる存在であった。
「起動を確認しました。お早う御座いますご主人様(マイロード)」
「うむ。不調は見当たらぬか?」
誕生の経緯がそもそもからしてイレギュラーであった為、起動時にはこの確認が暗黙の了解と化している。
「はい、大丈夫です。全システム良好、問題ありません。それでレティーシア様、御用は?」
「現在妾達は野営中であるのだが、その夕食として鍋を囲むこととなっておってな。折角だ、エリンシエ。そなたが準備せよ、給仕も任せるゆえ」
「材料は異空間より使用しても?」
「構わぬ」
「畏まりました。それでは始めさせていただきます――」
一歩下がり腰を曲げ深々と礼をすると「失礼致します」と、メリル達に告げて次々と食材を取り出していく。
そのまま何やらレティーシアと同じく指パッチンだけで魔術を発動し、包丁の代わりと言わんばかりに食材を刻んだり、臭みを飛ばしていく。
同時にどこからともなく椅子やテーブルが現れ、あれよあれよ言う間に鍋ごとテーブルに設置。
火に掛けられた鍋の中には次々と材料が放り込まれていくが、その様子を見たボア思わずと言った感じで口を出してしまう。
「まさか、野営中にすき焼きが食えるとは思ってなかったぜ……」
「ああ――良い匂いですわね。あまり
高火力と魔術の併用で、あっという間に食材は食べ頃と化していく。
メリルもボアも鼻を擽る食材の匂いにうっとりだ。
使われている野菜やキノコ、それに肉なんかも滅多にお目に掛かれない珍品や高級品。
野営で準備する料理とは到底思えない内容である。
くんくんと、常の侯爵令嬢としての振る舞いを忘れメリルが小皿を何に使うのかとエリンシエに問うが、答えたのはミリアであった。
「えっと。多分ですが、この二つの小皿の内、片方は卵用じゃないでしょうか? すき焼きって味がちょっと濃いんですけど、生卵を絡めると丁度よくなるんですよ」
「なるほど……それは尚更楽しみですわね!」
「へへっ、俺も完成が待ち遠しいぜ!」
珍しくボアとミリアの意見が一致し、まるで子供のようにわくわくとした表情を晒している。
それに苦笑しつつもレティーシアが席に加わると、まるでそれを合図のようにエリンシエが手を止めた。
そしてミリアの言うとおり特性の卵を異空間から取り出す。
卵に関しては“ヒクイドリ”と言う、その名の通り“火を食べる”特殊な怪鳥の卵であり、一つだけでも共通金貨数枚が飛ぶ代物である。
箸の準備も終わると、エリンシエがまぁまぁの速さですねと、食事の準備時間の自己採点を呟き一言。
「それでは、お好きな食べ方でどうぞ」
と口にし。それを切っ掛けに賑やかな食事が始まったのであった――――
「あら、レティはまだ眠らないのかしら?」
まるで何時ぞやのように、テントの外。
パチパチと火花を散らす焚き火の明かりの横、木製の小型のテーブルと椅子に腰掛けレティーシアが何やら作業をしている。
魔法による身体の清めを行いテントに戻り、そう言えばレティーシアの姿が見えないと外に出てきたのだ。
テーブルと椅子が随分低いと思えば、火に照らされて白銀の色が見える。
どうやらグレンデルが、レティーシアを腹で包むように寝転がっているらしい。
「なに、少し作業をしておってな。もう少ししたら妾も眠るゆえ、安心するがよい。何なら暫く見ていくか? 尤も暇には違いないであろうがな」
そう言って自身の横にスペースを作り、もう一つ椅子を用意する。
脚が小さい為、椅子と言うよりは地面に尻をつけないためと言えるだろうか。
「ふふ。私がレティに関した事で暇に思う訳ないわ、折角のお誘いだもの一緒させていただくわね」
レティーシアが軽くグレンデルの腹を撫でる。
すると、もう一人分入り込めるスペースが空く。
そこに割り込むようにメリルが椅子に座ると、途端にふんわりとした尻尾が前に回り背中と両方を暖めてくれる。
メリルの知っているどの毛質とも違うグレンデルのそれは、保温性が高いのか、非常に暖かくそして柔らかい。
息は白いと言うのに、寒さは殆ど感じられなかった。
レティーシアはそのまま無言で何やら作業に戻ってしまう。
むぅっ、と。机に視線をやれば、何やら複数の紙片が置いてある。
どれも縦三十センチ、横その半分程度の大きさだろうか。右と左で分けられており、びっしりと何かの記号。
文字なのかもしれないが。とにかく様々な記号や文字らしきものが書き込まれている。
それを一枚手に取り流し見ると、白紙の紙にすらすらと羽ペンで何かを書き込んでいく。
どうやらその書き込んだ紙が右側の用紙らしいのだが、記されている文字は残念ながら共通語でも、帝国で扱うデルフィリーナ語でもない。
お陰でメリルのは何をしているのかさっぱりであった。
パチパチと焚き火の火の粉が舞い、レティーシア達を照らし出す。
無言の静寂はしかし気まずくはない。
どちらかと言うとメリルは安心していた。心地のよい気分であった。
直ぐ横から感じられる温もりはメリルを幸せな気持ちにしてくれる。
パラリパラリと紙片を捲る音が響く。コトッと、気づけば頭がレティーシアの肩にもたれ掛かっていた。
(あぁ……どけませんと、レティの邪魔になってしまいますわ)
そう思ってはいるものの。元より行軍で肉体は疲れており、それに加えて気が緩むようなシチュエーション。
暖かな明かりに心地のよい温もり、極上の肌触りの毛布代わり。
メリルが思っているよりもずっと睡魔は強かった。
その意識が落ちる瞬間、「おやすみ」と、レティーシアに囁かれたような気がしたのは、メリルのまどろみが見せた幻聴であったのか――――
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