アルイッド遺跡 五

 グレンデルが召喚された瞬間、メリル一行以外の全員が臨戦態勢をとった。

 レティーシア及びグレンデルを包囲するように囲み、各々が自慢の得物を向けている。

 が、どちらが劣勢なのかは顔色を見れば当然のように判然とするだろう。

 囲んでいる筈の、数に勝る筈の。そんなフリードリヒ達の顔色は脂汗と冷や汗に塗れ、その手は僅かに震えている。

 彼らを臆病とののしることなかれ。彼我の戦力差を把握するだけの実力が、彼らは残念・・ながらに持ち合わせていたのだ。

 ただ、そうただ、数という有利も、所詮その数が芋虫VS象であったと言うだけの事実。



『矮小な小人風情が、愚かにも剣を向けるかッ! その汚らしい臓物、余程大地にぶちまけたいと見えるッ!!』



 グレンデルの体毛がまるで怒気に反応するかのようにぶわり、と逆立ち波打つ。

 彼、グレンデルがその気になれば一秒と掛からずに、フリードリヒ達は挽肉と化すだろう。

 純粋な肉体での速度でなら、グレンデルの脚力はレティーシアのそれを上回る。

 その速度、実に音速の数倍に勝る。魔術的補助を受ければまさに雷光の如き速度と言えよう。

 驚くべきはその衝撃に肉体が耐え得ると言う事実。驚嘆せしは、その速度に知覚と動体視力が追いつくというデタラメ。



『許可をくれ主人。貴様等が一体誰に矛先を向けたのか、その事実を死と共に刻んでくれる』



 そう呻く様に吐き出された言葉と共に、レティーシアと違い、元より隠す気のない威圧感が増大する。

 まるで大地が鳴動するかのように震え、赤い大地の小石が跳ねては踊る。辺りの水晶がまるで共鳴でもするかのようにカタカタと震えだす。

 その様子にフリードリヒ達の顔面が蒼白になる。その脳裏に刻まれた言葉は“死”の一文字。

 純然たる国の騎士とは違い、傭兵や冒険者は職業柄一流と呼ばれる者達は死の臭いに酷く敏感だ。

 誰かの生唾を飲み込む音が響く。メリル達も顔にこそ出さないが、一触即発かに見える様子に内心冷や汗を垂らしていた。

 が、それを良しとする筈もなく、レティーシアがそっとグレンデルの前足に手を置く。



「構わぬ。ここでの妾はあくまでレティーシア個人に過ぎぬ。直接害がなければ捨て置いて構わん。グレンデル、そなたを呼んだのはそこのメリルとミリア、それにボアの護衛。それに鼻はお主の方が利く、近づいてくる気配の察知を頼む」

『……命拾いしたな。主命とあれば従うまで――そこな少女二人と青年、主人の命だ、私が居る限りその命、保証されたと思うがいい』



 幾分、解せぬ! と言う表情で黙り込んだ後、グレンデルが脅すかのように低い声音で唸る。

 一瞬放たれた殺気は、フリードリヒ達の背筋を凍らせるには十分に過ぎた。

 が、一転軽い調子の言葉でメリルとミリア、それにボアに声を掛けていく。

 グレンデルも昔は父であり、族長だった。そして今は王だ。子供の面倒は嫌いではない。

 どうやら仲間同士の戦闘はなさそうですわね、と理解したメリル達がグレンデルに頭を下げたり、ボアに至っては近づいてジロジロと眺め回す始末。案外豪胆なメンバーであった――

 それを横目に、未だに緊張に強張っているフリードリヒ達に向き直りレティーシアが告げる。



「許せ、妾の盟友が失礼をした。グレンデル! 気配は抑えよ、周りの魔物を呼んでは本末転倒ゆえな」



 レティーシアの指示に従い、圧倒的な気配が見る見るうちに潮が引くように消失していく。

 最終的に気配は自然と同化し、まるでグレンデルが自然の一部であるかのようだ。

 それを見て満足そうに首肯し、レティーシアが再び口を開いた。



「ふむ、このままここに居る訳にはいくまい。隊列を戻し、先を急ごうではないか、みなも見えよう、目的地は恐らくアレで相違ないだろうからな」



 そう言ってレティーシアが指差した先、遥か遠くに見える延々と地平線を横に続く山脈。その距離、ここからでは推し量ることすら難しい。

 現在地点を海抜零メートルと過程した場合、その標高は優に八千メートルを越えるだろうか。

 その猛々しい山脈が連なる一角、一際高い山の天辺。そこから更に天に立ち向かわんばかりの、ここからでも目視出来る程巨大な支柱が空に伸びていた。

 その高さ、優に万を越す程なのは明らかだ。目視できる程の太さなら、どれだけ巨大な支柱なのか。

 レティーシアとグレンデル以外には分からないだろうが、そこからは魔力の気配が漏れている。

 転移門と同じタイプ。つまり、この異界から次の場所へと繋ぐ門。間違いなく目指すべき地だ。



 山脈を眺める全員の顔は厳しい。

 当たり前だ、標高が八千ともなれば、その酸素は四分の一以下、七千を越えた辺りからはほぼ人が居られないレベル。

 しかも気温はマイナス数十度にもなるだろう。

 高山病と呼ばれる病気が誰だろうと襲い掛かる領域であり、下手をすれば肺に水が溜まり、溺れて死ぬことだろう。

 その標高は活動限界バーティカルリミットと呼ばれる、まさに人の活動が僅かにしか認められない死の世界。

 標高を完全に目視で測るのは厳しいが、それでも各人それが非常に険しく高いと言うのは理解出来た。

 しかも流石にレティーシアでも目視は出来ないが、標高三千付近からは雪が積もっている。

 嵐にでも遭遇すれば、魔物と相対するよりなお危険な状態になるだろうことは、この場の全員が理解できよう。



 無論、魔法の恩恵を利用すれば寒さから身を守り、酸素を確保することも出来るだろう。

 が、それも魔力がどこまで持つかによる。一流の冒険者揃いとは言え、そう長い間魔法を行使し続けるのは無理だ。

 が、最悪な事に帰りの転移門は報告によれば、ランダムにこの地を“徘徊”していると言う。

 先発隊が戻ってこれたのはただ単に、そう、運が良かった。それだけである。

 皮肉にも、どちらにせよ進むしか道は残されていない。立ち止まると言う選択肢はないのだから。

 余裕を見せるレティーシアと違い、暗い雰囲気に包まれた場を変えたのはフリードリヒの言葉であった。



「さて、皆が考えているだろうことは私も想像出来る。私も同じことを考えたからな。が、幸い……あー、レティーシア殿の実力も盟友と言うグレンデル殿の実力も、非常に幸いながら相当なものだろう。無論、任せきりにするなど有り得ないが、心強いことには違いない。それに、防寒具くらいは全員用意しているだろう? ギリギリまで魔力を温存し、限界まで登り魔法を断続的に行使すれば、十分可能な登山範囲だ」

「このままここに立ち往生など、プロとしてのプライドが許さない。諸君もそうだろう? 折角の未知の世界だ、十分警戒はするが、それ以上に冒険者として楽しもう・・・・ではないか!」



 その言葉にフレデリクやギュスターブ隊が湧き上がる。

 彼等は命を大事にするが、それと同時にどうしようもなく“冒険者”なのだ。

 未踏の地を何時も踏破してきたのは何時だって彼等、冒険者である。

 そして一流の冒険者集団であるメリル達以外の全員は、フリードリヒの言葉に瞳を爛々と輝かせた。

 未知へのワクワク感、見知らぬ景色へのドキドキ感、そう言った期待、先の名誉に心躍らせているのだ。

 新たな地の踏破者こそ冒険者の誉れ。冒険者こそ、この世界で最も夢多き職業と言っても過言ではないのだから……

 まだまだ駆け出しのメリル達も例外ではない、そんな全員の顔つきにフリードリヒが満足そうに頷く。



「よし、隊列を戻せ! 直ぐに出発する。グレンデル殿はどうか御自由に、我々の指図など必要ないでしょう」

『元より我が主人マイ・ロード以外の言葉など、何の価値もない』

「ハハッ、手厳しい。さて、それでは出発ッ!!」



 フリードリヒが腰の剣を抜き放ち、山脈目掛けて先を向け、鋭い一声を放つ。

 隊列はダイアモンド。しゅく々と一行は巨大な支柱へと、太陽が昇るその方角へと進んでいく――







『真っ直ぐに小型の生命体が東より向かってきているぞ、ふん、私と同じタイプであるな。数、六体、接触まで……二分内といったところか、回避は無理であろう』



 気配を出来るだけ抑えつつ進み始めて一時間と少し。

 行軍はややゆっくりながらも、それでも数キロは移動した辺りでグレンデルの重厚な声が響いた。

 その声は幾分の警戒が含まれている。それを聞き、フリードリヒ含め全員が気を引き締める。

 そして素早く状況判断を行い、幾分声を抑えたフリードリヒの指示が飛ぶ。

 


「各隊の前衛は前に! 後方はグレンデル殿に任せて、前衛は全力で押さえ込みに掛かるぞ。土魔法が得意な者は前方に堀と塀を、塀は二重にし、後衛の者はその影に!! 前衛の者は出来るだけ二組で掛かれ! 小型とは言え侮っては命がないぞ!!」



 フリードリヒの指示に従い、ギュスターブ隊の半数以上が素早く詠唱を開始。

 フリードリヒ隊からも女性の魔法使いウィザードが一人、こちらからもメリルが詠唱を唱える。

 深さ五メートル強、縦三メートル、横十メートル級の堀が五十メートル程先に円形状で展開されていく。

 同時に現在地点に厚さ一メートル級の土の壁が盛り上がり、即席の盾と化す。

 メリルが一を作る間に他の者は二も三も作っていく、その手並みは流石と言うべきだろう。



 一方前衛役は堀の手前に移動していく、堀では足止めにもならないだろうが、飛び越えてきた瞬間、叩き落したり、斬りつける隙が出来る。

 グレンデルの言葉から素早く指示を出したフリードリヒ、その手際は見事だ。流石は二つ名を持つほどの冒険者と言ったところか。

 前衛としてフリードリヒ隊から本人、更にもう二名、フレデリク隊から本人、更にもう一名、メリル隊からはボアにレティーシアだ。

 七名の前衛と数だけは有利だが、数の有利など非常に脆いと言うのは冒険者なら誰もが知る事である。

 ふと、レティーシアの瞳が細まり、鋭い一声を発した。



「妾が二体受け持ってやるゆえ、出来るだけペアで相手するがよい、一体くらい流して構わぬであろう――来おるぞッ!」



 レティーシアがそう言って背中からダーインスレイブを抜き放つのと同時、水晶群を縫うように先頭のリーダーらしき黒犬を先頭に。

 三列、一頭、二頭、三頭の順で時速六十キロ程の速度で疾駆してくるのが前衛全員の目に映った。

 その大きさ、精々が大型犬程度だろうか。真っ黒な体毛に、血走った瞳、出された舌から滴る唾液。

 一見知能が無さそうな見た目だが、その隊列とも呼べる、波状攻撃に適した接近がそれを否定して余りあった。

 距離四百メートル、僅かな時間で到達する距離。それを前に、魔法も扱えるフレデリクと更にもう一名、そしてレティーシアが偽装の詠唱を唱える。



「大いなる風よ、その偉大なる力を研ぎ澄まし、目視不可能な刃の嵐と成せ。風刃嵐ウィンド・テンペスッ!」



 無数のカマイタチがピンポイントで黒犬の集団の中心で発生。

 が、俊敏な動きに驚異的な機器察知により、数体に僅かな傷を当たるのみに留まる。

 その身体能力は人の非ではない。柔軟な筋肉は予想外の動きを可能としていた。

 が、そこで終わらない。追い討ちとばかりに、続けて詠唱していたもう一人の魔法が発動。



熱波の領域ヒート・スフィア!!」



 瞬間、黒犬達の動きが鈍る。相手の速度を計算し、ジャストで捉えた魔法。

 大気が百度を優に超える温度にまで変えられ、その空気は目を、喉を、そして肺を焼く。

 まるで前方が陽炎のように揺らめき、余波の熱が僅かに前衛にまで届く。

 が、ノーダメージと言わないまでも、致命傷には程遠かったらしく、即座に体制を建て直しこちらに猛進してくる。

 そこにレティーシアの短いながら、歴然とした技術の結晶たる詠唱が響き渡り、己の役目を果たさんと唸りをあげる。



「鳴動せよ、押し潰せ」



 レティーシアが唱えた瞬間、一番後ろから走ってきていた一体が、パクンッと飲み込まれた。

 突如足元の大地がパックリ口を開き、飛び越える暇もなくその身を奈落へと引き摺り込んだかと思うと、あっと言う間に閉じてしまう。

 全体への損傷ではなく、確実に葬り去る選択肢。そしてそれは、二体を受け持つと言うレティーシアの宣言どおり。

 一体を遠距離、もう一体を――



「来るぞっ、気を抜くな!」


 フリードリヒの声と同時にリーダーらしき一回り大きな黒犬を先頭に、正面から波状に突撃してくる。


『ギャインッ!?』



 リーダーらしき黒犬はしかし、レティーシアの何時の間に取り出したのか、手より放たれた鎖に絡め捕られ、そのままレティーシアの元まで吸血鬼の圧倒的膂力で引っ張られる。

 空中に飛び出した瞬間もあり、抵抗も出来ずあっと言う間に引き寄せられる黒犬のリーダー。

 が、流石はイヌ科。くるりと宙返りのように地面に着地すると、怒りの咆哮をあげてレティーシアに襲い掛かる!

 まるで鋭利な刃物のように鋭く尖った前足の爪、それを器用に突撃様に振るってはレティーシアの回りを駆け回る。

 明らかに鎖をレティーシアに巻き付けてやろうと言う、そんな魂胆が垣間見えていた。



「ふんっ、獣風情が無駄な知恵を働かせおってからに――ほれっ、黒い魚が釣れたわ!」



 鎖が絡まらないように足捌きで鎖を避け、そのままグイッと一気に鎖を手繰り寄せる。

 黒犬も抵抗しようと地面に爪を立てるが、ほんの少し力を強めただけであっと言う間に引き摺られてしまう。

 抵抗を止め、手繰り寄せられる力を利用して突進に切り替えてくる。

 が、直前でレティーシアが一度グッと左に鎖を引く。すると、その向きに体勢が反れ、鋭い爪の一撃がずれていく。

 地面をガリガリと削っていく一撃を横目に、そのまま右手のダーインスレイブを一閃。僅かな抵抗すら感じさせずにその首が宙を舞った。

 鮮血の一部が剣身に吸い込まれたのを確認し、そのまま背中の鞘に納める。

 と、周囲を見渡そうとしたレティーシアの耳に聞き覚えのある声が届いた。



「ウラァッ!!」



 見ればボアが丁度一体の黒犬と激戦を繰り広げていたところであった。

 鋭い爪撃そうげきはまともに受けず、ヒットアンドウェイの要領で的確に拳を叩き込んでいく。

 が、どれも致命傷には至らない。その毛皮は並の刀剣を弾く程の強度を有していた。

 一撃一撃は確実にダメージとなっているが、倒すには何十と言う打撃を浴びせても足りない。

 それでも後衛の補助を受けて、ボアは火力不足をものともせずに果敢に前衛としての役割をこなす。



「ふっせっヤッ!! くそっ、こいつら硬てぇな」



 爪の一撃をくるりと回転の要領で回避し、そのままどてっぱらに裏拳を叩き込み、数メートル程弾き飛ばす。

 その瞬間後衛職が待っていましたと強力な一撃を発動。

 黒犬の頭上に直径五メートル程の大火球が発生し、そのまま全身を包み込む。

 さらに追い討ちとばかりにミリアの凍結魔法が炸裂し、一瞬で全身を氷付けにされる。

 その隙を逃さず、ボアが一瞬で駆け寄り、そのまま渾身の蹴りを叩き込んだ。

 一瞬で凍りに罅が入り、氷の彫像がパリンッと砕け散る。



 レティーシアが全体を見渡せばボアと違い、他の前衛はしっかり一対一で黒犬を押さえ込み、武器の一撃でダメージを与えていた。

 得物はどれも名品と呼べるレベルで、特にフリードリヒの持つ剣は魔剣の類だろう。

 ダーインスレイブと比べるのはいささかおこがましいが、それでも黒犬の毛皮をさほど苦労せずに斬り払っている。

 黒犬自体の実力はリーダーでもニアA、雑魚はBと言ったところだろう。

 その爪の鋭さ、動きの俊敏さ、そして防御力は賞賛に値するが。特殊な攻撃も能力もない。

 群れという観念でAに届くかどうかだろう。このメンバーでなら無理せずとも殲滅出来る相手であった。



「はぁはぁ……気配からいって、こいつらここじゃ最下層の部類だろ。それでこれかよっ」

「はは、ボア君と言ったかね? 中々良い動きだったよ。それにあの火球の一撃と、凍結魔法も君の仲間だろう? 悪くない連携だったよ。が、確かにこれで底辺だとしたら、尚更出来るだけ慎重に進みたいところだ。今回は鼻が利く魔物だったから仕方がなかったが」

「へへっ、あんたにそう言ってもらえるとは嬉しいね」  

 

  

 どうやら他の黒犬も退治し終わったのか、フリードリヒがボアに声を掛ける。

 ボアが幾分荒い息を吐いているのに対し、流石は歴戦の冒険者と言うところか、フリードリヒ他前衛の殆どに息切れは見えない。

 どうやら後衛に一体も逃したのはいないらしい。フリードリヒが素早く隊列を再び指示し、被害の有無を聞く。

 が、どの隊も被害は無し。あえて言えば前衛の一部が掠り傷を負った程度だろう。

 毒の方も調べたが心配はなく、血の匂いに誘われて他の魔物が来る前に出発する事となる。

 僅か二分足らずで被害報告その他を済ませ、ダイアモンドの陣形で行軍すべくフリードリヒが声を掛けた。



「よしっ、この調子で行こう。ここより先、目視でざっと二~三キロ地点先に大規模な水晶群が見える。そこまで行軍後、一旦休憩とする。それでは出発!」



 フリードリヒの号令に従い、隊列を組んでで再び進みだす。

 各隊が粛々と歩み出す中、レティーシアだけがふと立ち止まりグレンデルを呼びつける。

 メリル達が歩きながらも何かしら? と言う視線を寄越す中、タンッと軽やかな音と共に跳躍。

 まるで重力を無視しているかのような軽い身のこなし、曲芸染みた動きに目が奪われる。

 ふわりと、重厚なドレスが揺れ、そのままストンッとグレンデルの首元に跨るように着地した。

 ややドレスとペチコートが邪魔であるが、そこは慣れたもので手早く調整してしまうと、歩くのがだるくなったのかそのままぐてっと身体を前に倒し、顎をグレンデルの頭に乗せて両手は首に回し脱力したかのような体勢になる。 



 グレンデルの毛は普段は非常に柔らかく、それこそ最高級の毛布にも劣らない。

 作り物と違い、ほんのり暖かな体温と主人を気遣う揺れの少ない移動は子守唄よりなお眠気を誘う。

 レティーシアは事の他このポーズがお気に入りであった。魔王とか、始祖とか、そんな威厳もこの時はその辺において置く決まりだ。

 モフモフとした感触に任せ寝るもよし、高めの位置から何時もと違った視線を楽しむもよし。

 心地よさに任せて眠るのもよい。例え戦闘になってもグレンデル相手に比肩する存在など、そう居る筈もないのだから。

 レティーシアが首筋をぽふっぽふっと撫でてやれば、気持ちよさそうにグレンデルの目が細まる。



 彼もこうやって一種頼られるのは誇らしくなるらしく、嫌がるどころか積極的に乗れと催促することすらあった。

 尤も、あくまでそれはレティーシア限定になる訳なのだが……

 通常の歩きより幾分、振動制御に長けた歩法でグレンデルがメリル達に追いつく。

 既に付き合いが数ヶ月にもなるメリルとミリアからすれば、そんな脱力したレティーシアなど初めて見るらしく、メリルにいたっては指を咥えて羨ましげな視線を送っている。

 どちらになのかは言うまでもないだろうが――



「レティーシアさんがそんなに気を許した状態を見せるなんて、よっぽどの仲なんですね。ちょっと妬けちゃいます」

『私と主人の付き合いの年月はともかく、出会いはそれこそ古いからな。小娘も信頼を勝ち得ようと思うならば、腕を磨くがいい。主人は実力者と気に入った者には敵味方あれど、懐が広い。そうすれば何時の日か主人の素顔を見れよう』

「勿論ですよ! 何時の日かレティーシアさんの横に並んでみせるんですから!」

『その意気だ。決意とは何事においても良い燃料となる。嘗ての私がそうであったように、な――』



 ミリアがぷくっと頬を膨らませちょっとした嫌味を混ぜるが、ハッハッハッとグレンデルに逆に諭されてしまう。

 グレンデルのレティーシアへの周りの態度に対する目は厳しいが、だからと言ってグレンデル自身も厳しいのかと言えば微妙だ。

 九千年も生きてきた彼は、一部例外を除き気が長い。ゆえに大抵の事には存外寛容である。

 また、その知識も深く、紳士に訊ねれば思い掛けない知恵すら分け与えてくれるだろう。

 それは例えるならば時に叱ってくれるが、何時もは一歩引いて慈愛の目で眺める祖父のような。

 そんな空気がグレンデルにはあった。レティーシアと違い、その肉体年齢は壮年と言える為、精神もそれ相応だと言う訳である。



 ミリアにメリル、そしてボアも交えて歓談は続く。 

 レティーシアはふぁっと欠伸をしつつ、そんな三人と一匹を眺めながらぼんやりとしていた。

 フリードリヒが流石に何か言いたげであったが、半径一キロ内に敵対生命体は居ない。

 と言うグレンデルの言に溜息混じりに見逃してくれている。

 彼は無論、他のメンバーの多くは三十代から四十代が多い。

 メリル達の年齢は娘や息子に相当し、そんな和気藹々とした空気はどこか殺伐とした空気が常である冒険者の身には貴重であり、どこか望ましいものであったのだ――――






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