アルイッド遺跡

 レティーシアの意識、いや、彼の意識が浮上していく。

 夢の時間は終わり、現実へと帰還していく。そも、現実とは何であろうか、と言う疑問が寝惚けた頭に過ぎる。

 そう、“寝惚けた頭”だ。常ならば体内時計により正確に、完璧に、分の差もなく起床するレティーシアの肉体が、であった。

 何故か非常に気だるい肉体に眉をしかめながらも、ふらふらと寝巻き――先日はフリルの多いパジャマ式だったようだ――のまま寝室から出て行く。



「レティーシア様、紅茶をご用意致しましょうか?」

「んっ……濃いのを頼む」


 

 寝室を出て、リビングに出るとエリンシエがキッチンから顔を出して訊ねてくる。

 その瞳は主の珍しい姿に一瞬驚きの顔を見せるも、すぐに何時もの感情を窺わせない、ある意味では普段のレティーシアに近しい素の状態に戻る。

 未だまるで霞でも掛かっているかのようにハッキリしない思考のまま、エリンシエの引いてくれた椅子にちょこんと座り込む。

 ぼぉーっとエリンシエが紅茶を用意するのを見つつ、どうしてこんなにだるいのかを考えていく。



 彼とは反対に、どうやらレティーシアの方はやや疲れ気味ながらも、どこか精気に溢れている気がするのだ。

 と言うのは彼の気のせいなのかどうか、思考だけの存在相手に何故そう思ったのかは不明であるが……

 レティーシアに思考内で訊ねても理由は分からないと言われる。

 が、幾分嬉しそうな、機嫌のよさそうな雰囲気は伝わってくるのはどういう訳か。



「レティーシア様お待たせ致しました。ブレンドの渋みは強めに。ただ混ぜた種類の為、T.G.F.O.P級の物となってしまいました」

「よい、この状態じゃ味を味わう事も儘ならないであろうて」



 申し訳なさそうな声音で話すエリンシエに、何とか手振りを足して伝え、そっと白磁のティーカップに口をつける。

 すると、濃い紅色の紅茶がするりと口腔に進入し、強い渋めの刺激を伝えてきた。

 モーニング用には最適なそれをじっくり飲み干していく。



「ミルクを足しても合いますが、如何なさいますか?」

「そうよな、次のは足して構わぬ」

「畏まりました」



 温かなミルクが足され、色味は幾分白色に近づいていく。

 そっと差し出されたカップを口に寄せ、ゆっくりと中身を含めばやや渋みが抑えられて、ミルクの優しい甘味が足されているのが良く分かる。

 ほぅっと溜息がレティーシアの口元から自然と零れ落ちていた。

 ようやく思考は回復し、常の回転数を取り戻す。



「何か夢見でも悪かったのでしょうか? レティーシア様がかような様子で御起床なさるなんて、私が知る範囲でも多くは御座いません」


 目に見えて様子が回復したレティーシアに、すかさずエリンシエが口を開く。

 無理もない。先程までの様子はまるで幼子が早起きして、辛いのを堪えるかの如くであったのだから。


「夢……いや、夢は見ておらぬ筈だ」

「さようで御座いますか」



 聞いたエリンシエだけではなく、答えたレティーシア自身もどことなく自信が幾分欠けた声音であった。

 確かに夢は見ていないと、そうレティーシアは思う。

 が、どことなく。そう、喉に魚の小骨でも刺さったかのような、痛痒とも言える違和感・・・を感じたのも事実。

 しかし、そう言えばと思い出した思考にその事を忘却してしまう。

 いや、忘却させられたと言うのが真実だろうか。



「ふむ、寝坊でもしてしまったと思うたが……まだ八時頃であったか」


 体内時計を探れば時間の把握は容易い。

 それにエリンシエが寝坊など見過ごす筈もないだろう。


「はい。確か依頼の為の集合が十時ですので、余裕はあるかと申し上げます」

「うむ。軽く風呂に入ってくるゆえ、食事の準備を整えておくがよい」

「畏まりました」



 エリンシエの言うとおり、今日は第一週の五日目。つまりは休日であり、遺跡調査に向かう初日だ。

 腰を折り曲げ、頭を下げるエリンシエを後に風呂場へと向かう。

 余裕とは言え、そう時間がある訳でもないため、エリンシエは珍しく着いてこないらしい。

 一瞬、それに寂しさを感じて何を馬鹿なと脱衣場で頭を振る――


 ――湯船には浸からず、髪と体だけ洗って出た後、朝食を済ませ、そのまま一人寝室へと向かう。



 今のレティーシアの格好ははしたなくも下着のみである。

 赤に黒のフリルがあしらわれたショーツ。上も同色にリボンを更に追加したキャミソールだ。

 寝室に入ったレティーシアは、タンスから赤基調のペティコートを取り出し身に着ける。

 簡素なタイプではなく、いっそスカートと言っていいレベルの物であり、フラール生地で段々状にフリルがあしらわれているのが特徴的だ。

 そこから更に白色の腿まで来るタイツを履く。肌に心地のよいシルク素材である。


 

 タイツを履く時は流石にアンティークチェアに腰掛ける為、ちらちらとペティコートの奥から魅惑のチラリズムが発生。

 が、本人は全く気にした様子。というより、気付いていない様子だ。

 そこまで準備を進めた後、レティーシアはおもむろに異空間。いや、ゲームの“アイテムボックス”から一着のドレスを取り出す。



 黒を中心に白のフリルやリボン、そして裾はギャザーなどをあしらい、袖は徐々に広がり、袖口にはフリルが盛り込まれている。

 一見高級素材で作成されたゴシック調のドレスとも見えるが、そんなのをわざわざ取り出す必要はない。

 見た目や素材だけならもっと素晴らしいものが幾着も、それこそ無数に異空間やタンスには仕舞われているのだから……

 理由は別にある。レティーシアはそれを手に取ると、そっと心の内で精神を研ぎ澄ませる。

 すると――――




 

 “ゴシックドレス〔魔王の決戦衣装〕☆=EX”

  物防(不明)魔防(不明)

 これは魔王専用の装備だ

 これは創造主からもたらされたものだ

 これは装着時に魔力を消費し続ける☆☆

 これは物理的介入を遮断する☆☆☆☆☆

 これは魔術的介入を遮断する☆☆☆☆☆

 これはあらゆる損傷を緩和する☆☆☆

 これは受けた攻撃を時折反射する☆☆

 これは状態異常を受け付けない

 これは決して破壊されない

 これは決して劣化しない



 と言う文字が脳裏に浮かぶ。

 “慣れ親しんだ”装備の、その能力表であった。

 彼がレティーシアと言う魔王をゲームで演じていた頃、魔王専用の装備として用意されたアイテムの一つであり、最高レベルの防具でもある。

 ふと、その中の創造主と言う文字に見覚えがなく一瞬首を傾げるが、他に変更点はなさそうだとそれを着込む。

 装備能力に付いている星は最高で五つ。多ければ多い程効果や発動率が高くなる仕様だ。



 この装備こそ、ゲーム内で彼が無敗を誇った要因の一つである。

 あらゆる魔術や物理を一定威力以下のものは全て遮断し、あらゆる状態異常を受け付けない。

 元よりレティーシア自身がその手の状態異常は殆ど効かなかったが、それに輪を掛けた凶悪さだ。

 更に受けるダメージを一定割合緩和し、十パーセント程の確率であらゆる攻撃を反射する。

 更に武装破壊などを受け付けない能力に、劣化防止と魔王に相応しい仕様となっている。

 防具でここまで高能力なのは、レティーシアの宝物でも恐らく数点と存在しないことだろう。


 

 魔力を常に消費し続けると言う記述だが。

 どう言う原理か、戦闘に入らないと発動しない効果であり、ゲームよりも魔力量が豊富な今なら、一日中だって装着しても全く問題ないレベルである。

 尤も、一般的な魔術師や魔法使いが扱えば十分と持たずに魔力は枯渇するであろうが。

 着心地は悪くない。ゲームであるからこそ、設定上の素材は最高級である。

 五感のあるゲーム内では、その手触り肌触りに当初は驚いたのも今では懐かしい。



「レティーシア様、間も無く九時半で御座います。そろそろご出立を」

「分かっておる」

 


 食器類の片付け後、部屋の掃除をし始めたエリンシエの声が突如に届き、時刻が間も無く九時半となるのを告げる。

 それに軽く返事を返し、レティーシアがもう一つアイテムをボックスから取り出す。

 防具と来れば無論、今度は武器の登場であろう。それはゲーム内でレティーシアとなる前のアバター、その時にかなりお世話になった武器だ。


 取り出したのは一本の剣。漆黒の艶消しの鞘に収められた、全長八十センチ程の直刃の剣。

 柄には拳大の真紅の宝玉が嵌め込められ、握りには黒い布が巻かれている。

 ここからは見えないが刃はやや広く、鞘の内側にはその“能力”を封じる為の呪文がびっしりと書き込まれている品だ。

 それを同じく手に取りそっと精神を集中する――





 “漆黒の魔剣〔ダーインスレイブ〕☆=十”

  物攻(不明)魔攻(不明)

 これは呪いと祝福を創造主より受けている

 これは一度鞘から抜いた場合、敵味方問わず血を吸わせねばならない

 これは時折使用者の鼓動を停止させる☆

 これは鼓動を停止させた分だけ力を高める☆

 これは持ち主を変えるたび停止回数を零にする

 これは対象者に癒えない傷を与える☆☆☆☆☆

 これはあらゆるものを断ち切る☆☆☆☆☆

 これは時折守りを貫通する☆☆☆☆

 これは時折太刀筋を増やす☆☆☆☆

 これは決して破壊されない

 これは決して劣化しない



 と、再びダーインスレイブの能力が脳内で表示される。

 またもや創造主と言う見知らぬ文字が表示されており、レティーシアの表情が怪訝に歪む。

 祝福と呪い、そんなものはゲームでは無かった筈である。

 そしてその呪いと祝福が鼓動の停止と、回数分の効力増加であることに気付く。

 まるでレティーシアに打って付けのような追加能力。心臓の停止など、ほぼ完全な不死者であるその身には関係ないのだから。


 

 一度抜き放てば血を見ずには居られないと言う魔剣。

 とあるドワーフに鍛えられたと言うそれは、ゲーム内では最高レベルの片手剣装備としてあまりに高名であった。

 間違いなく片手剣では十指に入っていた装備だからだ。その宝玉の中は圧縮空間となっており、吸った血は渦巻いていると言う。

 これで与えた傷は文字通り生半可な方法じゃ癒せない。最高レベルの秘宝でも使わない限りは、だ。

 特徴的なのは無形。形無き者、物理的範疇にないものすら切り伏せる能力だろう。



 また、確率はそこまで高くは無いものの、相手の物理的、魔術的防御を通り抜けて損傷を与える事もある。

 第二の特徴として、一度の斬撃が時折ランダムに増えることが挙げられるだろうか。

 その時の増加数もランダムであり、最大で五撃であると言われる。

 ゲーム内でのスキル、パラレルソードと同じ効果だ。

 このレベルまで来る武器なら常備とも言える能力。破壊と劣化防止も顕在である。



 ゲーム通りの表記に満足げに頷きつつも、創造主と言う言葉。

 何やら何時か暇をみて調べておくかと思考の端に留めておき、鞘に供えられた皮のベルトを肩に通し、背中で背負うようにダーインスレイブを装備する。

 何故剣なのかと言うと、調査が遺跡である為、高威力の魔術は自然禁じ手となるからだ。

 無論。殺傷方法など幾らでもあるのだが、レティーシアの気まぐれであると言えよう――





「エリンシエ、今回はそなたも連れてゆく。速やかに魔道書形態となるがよい」

「畏まりました。エリンシエはこれより魔道書形態へと移行します――」



 エリンシエの言葉と共にその身体が光に覆われ、足の先から細かく分解されるように光子となって消えていく。

 その姿が消えていくのと同時、宙に光子が集まり、再構成と同時に書物の形態となる。

 真紅の色がどこか禍々しい最高の魔道書、原罪だ。

 それを異空間に仕舞いこみ、一人レティーシアは寮の私室を後にした――――




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