八話
選択授業を見学出来る様になって今日で四日目。初日はミリアと見学に行ったが、二日目にはメリルに捕まってしまい、一日中一緒に各授業を見て回る羽目になってしまった。
その時判明したのがメリルの扱う魔法に関してと、精霊に関してである。
メリルは基本どの属性も、平均より上手く魔法を扱えるらしいのだ。
ただ、突出した部分がなく、器用貧乏がマシになったという感は否めないらしい。
これで何か突出した才能があればSクラスも夢ではなかった、とは本人の談である。
精霊に関しては、その存在は基本視認できないという点であった。
というよりは、現在の技術じゃ難しいというのいが正解だろうか。一部生まれつき見える者や、精霊と親和性の高い者は例外である。
そういった者以外は精々が、周囲に精霊の気配を感じられるようになるというのが限界という訳である。
ただ、専属契約を結んだ精霊は契約者の影響を受け、望んだときには実体化するという特性があり、その姿も強力な精霊であればあるほど、人に近い姿を取るようになる。
この精霊の姿が基本目に見えないのは、構成物質が異質なため、人の眼では捉えられないのだろうとレティーシアは考えていた。
これには彼も同じ意見であった。双方の知識と授業の話を足して見出した見解であるが、精霊とは言わば半光子(フォトン)体であり、その肉体を純粋なエネルギーで構成していると思われる。
そして、この物質が放つ光。例えば紫外線が目に映らないのと同じ理屈に加えて。
その肉体が半光子(フォトン)で構成、加えて本来なら相容れない筈の暗黒物質(ダークマター)的要素が含まれているのか、光子の放つ光を捻じ曲げ、通常じゃ視認できないのだ。
それは天然の迷彩光学(ステルス)とも呼ぶことが出来る代物である。
見える者は生まれつきそういったものを見る力、あるいは人とは違う視界を持っているのだろうとレティーシアは考えていた。
なお、これ等は授業中で教師が召喚した精霊を直接見たレティーシアの考えであり、現在はレティーシアにも精霊を直接視認することは出来ない。
一度しっかりと見てから、暫く触れ合えば話しは別であろうが――
――――三日目、レティーシアは一人で授業見学を見て回る。
選択授業の項目には魔法と関係ないものもあり、それに興味を引かれたのだ。
その日レティーシアが見て回ったのは戦闘系の科目、剣術や槍術、拳術に護身術といったものが中心だったろうか。
授業内容は見学の為か、基本的なことやちょっとしたデモンストレーションのようなものが大半であり、どの武器も達人以上には扱えるレティーシアからすれば、酷く退屈なものであったに違いない。
見学の際、あの珍妙な人物。以前廊下で片腕を抑え、腕が疼くと呻いていた少女に再び出会う。
レティーシアからすれば、中々に愉快な“ショー”として認識していたのだが、彼としては見れば見るほど自身の封印した黒歴史を眺めているようで居た堪れない気持ちにさせられる。
切っ掛けは以前と同じ、廊下ですれ違っただけなのだが、少女の方が過剰に反応するのと同時。
「おのれ! 私の後をつけてきたのか!? 私は決して貴様等に殲滅されはしないぞッ!! 貴様とてここで戦闘などしては、周囲に被害が出るのは分かっている筈だッ」
そう言いながらジリジリと少女の足は後ろに下がっていく。
ふと、それを見てレティーシアの口元に意地悪気な表情が浮かぶ。
彼としては別段止めるメリットもなく、仕方なしに暫くの間傍観することを決める。
「ほぉ、妾がそなたの言葉に耳を傾けるとでも?」
「なっ、なんだと!? 貴様ッ、それでも天使だと言うのか! 人を犠牲にしてもいいとッ!?」
少女が驚愕に眼を見開き、思わずと言った感じで罵声が飛び出る。
無論、レティーシアはただたんに面白そうだと話しに合わせただけで、少女が何を言っているのかはさっぱり理解していない。
「まぁ、そなたが無様に尻尾を巻いて逃げると言うのならば。この場は見逃してもよいが、な」
「そ、そんな挑発など……クソッ! 周囲に人さえ居なければ、私の封印を解放できるというのにッ」
少女の顔が名女優も真っ青な百面相を披露し、如何にも悔しいんだぞ!
という表情を形作る。思わずレティーシアが拍手したくなったほどだ。
一転、その表情が引き締まり、キッとレティーシアを睨み据える。
「こ、ここは退いておく。精々夜の帰り道は気をつけることだなッ!!」
と、レティーシアには相変わらず不明で、彼には痛いほど理解できる台詞を残して脱兎の如く走り去ってしまった。
折角のなかなか様になっていた態度と台詞が、またしても最後ので台無しである。
その日一日彼としての意識が悶々としたのは、言うまでも無いことだろう――――
――――コン、コンコン。
書斎のドアがノックされる音で、レティーシアの思考が記憶の反芻から現実に帰還した。
軽く米神をなで、レティーシアはドアをノックした人物、エリンシエの入室を許可する。
「失礼致します、レティーシア様。紅茶をお持ち致しました」
エリンシエが銀のトレイに、乳白色に精緻なデザインが刻まれたセットのティーポット、カップ、スプーン、それに砂糖とミルク、そしてジャムとスコーンを載せて書斎に入ってきた。
一切正中線にブレの無い動きで机の前に移動すると、流れるような動作で小さなポットから湯を注ぎ、それを一度空中に捨てる。
すると、お湯は溶けるように消え、エリンシエはそれに構わずに続けてもう片方のポットから紅茶を注ぐ。
温度は百度近く、準備で低下するのを考慮している為である。
ポット内で既に蒸らし終わっているのか、注いだカップから上質な葉特有の、香り高い匂いがレティーシアの鼻腔に届く。
砂糖やミルクの類は入れず、レティーシアの目の前にはストレートの紅茶入りカップが音も無く置かれる。
長い付き合いがレティーシアが最初の一杯は必ずストレートで楽しむ、と言う嗜好を理解させているのだ。
尤も、茶葉によってはミルクティーに変えることもある。
彼としては未だに思うところもあるのだが、エリンシエを召喚してからこの午後の紅茶の時間、あるいは夜中の紅茶は毎日繰り返されている。
おかげですっかり違和感もなく、慣れてしまったものだ。
餌付けされている、とも言えるかもしれないが……
「毎度ながらエリンシエ、そなたの淹れる紅茶には舌を唸らせられるぞ。特に今回のものは香りも強く、妾(わらわ)好みだ」
今回淹れてもらった紅茶は一段と香りが強く、味もやや渋みが強い。
ストレートで飲むのには慣れない者であれば厳しいだろうが、長年紅茶を嗜んできた者からすれば、これぞ紅茶と言える味だろうとレティーシアは思う。
すると、その言葉に嬉しそうな笑みを浮かべると。エリンシエが葉の説明を話し始めた。
「はい、今回の葉は今まで使っていたこの世界の物ではなく。キッチンに保存魔術が掛けら、保存されていたものを開封しました。匂いや味が強いのはオータムナルだからでしょう。等級もそれなりでございますし」
成る程、とレティーシアは呟く。
彼女の世界の紅茶なら、自身に合った味だというのにも頷けるからだ。それにオータムナルというのもまた良い。
ファーストやセンカンドより味に渋みがあり、香りも強いのだ。レティーシアの好みと合致するのは、当然の結果である。
その後、二杯目三杯目と熱々紅茶とスコーンで休憩をいれた後。
レティーシアは再び、先ほどまで行っていた作業に注力する。
エリンシエも主人の邪魔はせず、机に残されたカップと小皿をトレイに移すと、一礼して部屋から退室していく。
現在レティーシアがしていること。それは毎日の日課作業とも言える“世界転移”の改良。
そして、新たな術式の開発であった。午前の内に興味のある選択科目の見学を終わらせたレティーシアは、午後からこの作業に集中していた。
この数時間で新たに理解したことは、かなり大きな効果を発揮するとレティーシアは睨んでいる。
彼としての知識を参考に魔力とは一体なんのか? という考察を改めて考えた結果。
どうやら魔力とは、原子を変質させるものだという結果に行き着いたのだ。
彼の知識にある物質を構成する最小単位の存在。それが原子であると知ったレティーシアは、ならばと、幾つかの実験をおこなった結果。
魔力とはそれ単体が変質するのではなく、空中に散布している原子に干渉し、望む結果に必要な存在へと変質させるという結果が出たのだ。
これの凄いところは、現在彼の世界でも知られていない素粒子等への変化も、その内容に組み込まれている事である。
これには彼も仰天であった、彼の世界でも確認されていない存在だけ“あるかもしれない”と仮説されていたものにまで変化したのだから。
この変質には一定のプロセスが必要で、今まで使ってきた術式や呪文、詠唱などがそれに当たるということがここまでで分かったことだ。
これを理解した上で今までの術式を見直すと、一部の隙も無く構成されていた筈のそれが、まだまだ改善の余地があるのだと判明する。
これに歓喜したのがレティーシアだ。
既に改良の余地なしだと思っていた己が術式、それがまだ改善の余地あり。それは即ち、その身が更なる高みへと上れるということに他ならない。
それだけではない。これによって、世界転移の術式の改良の効率がぐっと上がったのだ。
当初残り三週間は掛かると睨んでいたこれが、一週間以内に完成する計算となったのだから――――
――――その後、数時間に渡り没頭していたレティーシアだが。
気づけば時刻は既に20時に差し掛かっていた。
エリンシエはどうやら気を利かせてくれたらしい、とレティーシアが思考したところで、ドアがノックされる。
「失礼致します、レティーシア様。お食事の前にお風呂のご用意が完了致しましたので、先にお入りになられては如何でしょうか?」
「分かった。では、妾は風呂に入るゆえ、食事の準備は任せたぞエリンシエ」
と、エリンシエが風呂場までついて来ないようにさり気なく釘をさすレティーシア。
この数日、メリル程あからさまではないとはいえ、どうも同じ危険な匂いがエリンシエからすると気づいた彼は、こう言って風呂場に入るときには同行させないようにしているのだ。
既に初日で女性の体や頭の洗い方はマスターしているから、本来ならエリンシエが着いてくる必要はないのである。
だがしかし、何故か何時も「従者ですから」や「メイドですから」とか「侍女ですから」等と、微妙に答えになっていないような回答を返してくるうえに、何気にどれも同じような意味。
しかも勢いで迫ってきては押し切ろうとしてくるのである。
今回は上手くいきそうだと、内心ほくそえむレティーシアだったが。
脱衣場に入ったところで、言わねばならない言葉を口にした。
「何故着いてくるのだ?」
「レティーシア様のお世話こそ、私の役目で御座いますから」
「それなら料理の方を頼んだであろう? エリンシエ、そなたの料理は美味ゆえ手抜きは許さぬぞ」
さり気なく飴と鞭を使い牽制するレティーシアだったが、次の瞬間その顔が苦渋に満たされる。
「ご心配には及び致しません、レティーシア様。食事に関しては既に準備を終えておりますので」
そう言ってにこやかな笑みを浮かべたエリンシエが、レティーシアのドレスを脱がしにかかる。
「ま、まて! 妾は一人ではいれる!! 着替えもだっ!」
片手を衣服に、もう一方を前に突き出して抵抗しようと試みるが。
如何せんもとから体格差が大きいうえに、吸血鬼としての怪力も、術式によって強化されたエリンシエの腕力には適わない。
彼としては何とか逃れることに頭が一杯で、魔術を使うという選択肢は頭から消えうせている。
例え使えても相手は同じ知識量を持つ魔道書だ、一筋縄ではいかないだろうことは明白であった。
必死に抵抗するレティーシアをものともせず、次々と衣服を脱がしていくエリンシエ。
とうとう全裸にまで追い込まれ、精神的にも大ダメージを負った彼は、思考分割(マルチタスク)で分けたレティーシアとしての思考に体の制御権を明け渡すと、意識の奥に引っ込んでしまう。
彼は思う。これは決して現実逃避等ではないのだと。
そう、あくまで戦略撤退なのだから大丈夫だと、既に何が大丈夫なのかすら見失っているのにも関わらず、彼は何度も繰り返す。
その後、結局見事に体の隅々まで洗われてしまい、幾分機嫌が低下していた彼だが。
エリンシエの用意する素晴らしい食事の数々に、あっさり胃袋が白旗を上げる。
食べている間に機嫌は回復し、風呂場でのことは既に記憶の彼方だ。
その事にレティーシアは思考内で嘆息するが、彼は気づかない。
誰が言ったのか。男は悲しきかな、胃袋を抑えられると弱いのである……
こうして、知らずに餌付けされていくレティーシアと彼の一日は今日も終わりを告げた。
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