七話

 次の日、レティーシアは先日より三十分程早く起床すると、ベッドの前に立ちおもむろに両手に魔力を込めだした。

 魔力が集まり光量が視認出来るほどに高まったのと同時、光子が発生し煌めき、一つの形をなす。

 やがて光の収束が終わった両手には細めの鎖を幾重にも巻かれ、魔術的に何重にも封印を施された分厚い本が顕現した。

 およそレティーシアと同等の魔力を纏った書物。吸った血の量による影響で真紅に染まった、罪の集大成、原罪。

 レティーシアはその封印を解くと、この本に何時の頃か備わった本来は設定していない筈の機能を起動させる。



「原罪の封印を全解除。その姿を汝が望む空蝉とし、仮初の肉体と思考を構築せよ。それは世界を侵し、法をも乱す解」



 指定のキーワードをレティーシアが呟いた後、変化は唐突に起こった。

 真紅の魔道書は触れてもいないのに宙に浮かぶと、真っ赤な光の奔流を撒き散らす。

 常人なら目も開けていられない光量、しかしレティーシアにはそんなもの障害となる筈もなく、その変化をしっかりと目にしていた。

 光の奔流の中、原罪は勝手に開きだし中身の紙片がバラバラと宙に飛び出し、細かな紙吹雪のように端から崩れていく。

 そして、崩れた所から光子となって一点に集まり再構成されていく。



 その足元から構築されていく光のシルエット、それは紛れもなく“人”である。

 やがて完全に光子が集まり、余った光子がメイド服となって“彼女”に纏わりついて行く。

 光の奔流。それが治まった場所には一人の女性が背筋を伸ばし佇んでいた。

 その身長はレティーシアより高く、明らかに百六十は越えているだろう。見た目も大人びており、年齢にすれば十八~二十歳といったところだろうか?



 緋色に染まった腰元を越えるストレートの髪に、白皙の美貌、瞳もレティーシアと同じ赤なのに、その色はどこかほの暗くそしてかぐろい。

 だがしかし、その姿はどこかレティーシアに通じるものがある。

 髪の色や形、身長、胸の大きさといった部分は大きく違うが、その容姿はまるで“レティーシアの成長した姿”そのものであった。

 それは全く持って正しい認識だ。その姿こそ本来なら迎えた筈のレティーシアの未来の姿、その一端なのだから。



「起動を確認しました。お早う御座いますご主人様マイロード

「うむ、随分と長いこと起動させていなかった機能だが………異常はないか?」

「はい、現状確認できる機能及び“原罪”としての知識能力は全て問題ありません、正常です」



 レティーシアの質問を何処か感情の感じさせない声で返す、が、無機物めいた冷たさとも違う。

 よく見ればその表情もどこか仮面のようで、レティーシアを元にしているのだから非常に美しい筈なのだが、その雰囲気と相俟ってどこかその目に付く赤と正反対、氷のような印象を与えてくる。

 レティーシア自身も基本的に無表情であるのだが、感情の波は大きく揺れている為そうは感じさせない。


 だが、この女性に関しては感情の波が小さいのか、表情どおりの印象を強く受けてしまうのだ。

 別に彼女に感情が無いわけではない。ただ、その役割が魔道具である弊害としてか、あるいはこの機能そのものが意図して用意された内容ではない為か。

 兎に角、そういった諸々の諸事情により、彼女の感情は極一部に対してのみしか発揮されないのである。



「ふむ。昨日ふとエリンシエ、そなたの事を思い出してな。現状を考えれば、少々のリスクは覚悟しても召喚した方が得策だと判断したのだ」



 リスクとは、エリンシエと呼ばれた女性が一万年の年月を経た魔道書だとばれることであり、そこから芋づる式にレティーシアの存在が疑われることである。

 そうなってしまえば非常に面倒だと言わざるをえない。記憶操作だとて防ぐ手立てが無い訳じゃないのだ。

 吸血鬼としての能力の方なら確実であろうが、そちらは残念ながら集団には向いていない。

 尤も、レティーシアからすればそれは些細なリスクと言えるものだ。面倒なだけで手立ては一ダースでも用意できるのだから。

 ではメリットとは何なのか? それは普通に考えればそちらこそ人は些細なことだと言うであろう内容。

 つまり、身の回りの世話であった――――



「ご主人様――」

「妾(わらわ)の事はレティーシア様、もしくはマスターと呼ぶがよい。流石にマイ・ロードでは少々目立つゆえな」

「畏まりました、それではエリンシエ=ペッカートゥムはこれよりご主人様をレティーシア様と呼称致します」



 そう言って丁寧に腰を折り、頭を下げるエリンシエの姿にレティーシアは満足そうに頷く。

 彼女は非常に優秀だ。ならば何故数百年も召喚されなかったのか? それは出す必要がなかったというその一、事実に他ならない

 エリンシエの魔道書としての力は、およそレティーシアの世界で現存する魔道具マジックアイテム及び、古代具アーティファクトとしては間違いなく最高点に位置する。



 向こうの世界ではその強力さゆえに数千年前より活用する必要が無くなり、また人型として召還しようにも、雑務等に関しても優秀な部下は他にも数多に存在していたのだ。

 それは政務などに関しても同様であり、身辺の警護に至っては論外と言えよう。

 しかし、現在は彼としても身の回りをサポートする者は欲しかったところである。

 そこで思い出したのが彼女、エリンシエだった。



「それでレティーシア様」

「ん、何だ?」

「許可が頂けるなら、状況を整理する為に一度記憶の譲渡を願いたいのですが」


 

 その言葉にレティーシアはふむ、と考える。

 原罪に宿る機械で言うところのAIとも管制人格とも言えるエリンシエは、基本待機状態でも周りを知覚することができる。

 しかし、普段は亜空間に仕舞われている為、ここ最近の詳しい事情をエリンシエは知らないのだ。特に断る理由もないと判断したレティーシアは、エリンシエに「構わんぞ」と返事を返す。

 無論馬鹿正直に譲渡はしない。事前にレティーシアの記憶領域には特殊な封印が施されている。これにより、彼に関する情報は一切漏れない。

 


「それでは失礼致します」



 そう言って何時の間にかベッドの端に座り込んでいたレティーシアの、その額に自身の額を合わせた。

 実はこの記憶の譲渡、あるいは共有というものは術にもよるのだが、エリンシエの場合は触れなくとも可能である。

 では何故わざわざ額同士を触れ合わせるのか? その理由は彼女の出生と、何千年もの記憶、その中に仕舞われた過去だけが知ることだろう。

 探るだけ野暮であるとも言える。

 時間にしておよそ数分、記憶の読み取り及び情報の整理を完了させたエリンシエが額を離す。

 その顔が心なしか物足りなさそうであったのは、レティーシアの幻覚であったのだろうか……それとも――



「有難う御座います、状況の把握が完了致しました。それでは今日より私がレティーシア様の留守の間、この私室を預からせて頂きます。及び身の回りのお世話に関してもさせていただきますが、そのような配慮で相違はないでしょうか?」

「うむ、妾に異存はない。元よりその為に召喚したのだからな」

「かしこまりました。それでは先ず、今日の学業における周囲へのアピールの為の衣服の選定の方から――」





 その後、エリンシエによってエンデリック学園の服装が自由なのをいい事に、明らかに気合の入った服をレティーシアは着せられてしまう。

 黒を基調としたドレスであることは変わらないのだが、首元はやや高襟となっておりその正面、胸元には真紅のリボンがあしらわれ、その中央には最高級のピジョンブラッドが美しいブローチで留められている。

 裾は腕の半ばよりじょじょに広くなり、袖口はフリルを何枚も重ね纏められている。



 スカートに至ってはティアード状になっており、下に向かうほど裾は広がって行き、フラウンスやギャザーを寄せてシャーリングまで施されている。

 前部は三角状に布一~二枚分が開かれ、色も黒と白の二色+微妙なグラデーションの差で纏められている。

 靴も合わせて黒で、先端には可愛らしく赤のリボンがアクセントとして飾られていた。

 少々遊び心が強い格好ではあるが、無理を隠せば十分査察や訪問にでも通じるであろう。



 正直に言ってレティーシア一人なら、着ることさえ出来なかったろうことは想像に難くない。

 その容姿も相俟って、椅子にちょこんと座って動かなければ誰もが稀代の名工による等身大人形だと勘違いするであろうことは、火を見るより明らかであった。

 髪型も何時も通り基本はウェーブのまま背に流し、横だけを胸元辺りで小さく二本のロールにし、前髪を少しだけ左右に分けてある。

 その姿を正面から眺め、エリンシエは満足そうに頷く。



「レティーシア様。お美しいですよ」


 時間にしておよそ十分と少し。

 その成果に慢心することなく事実を告げ、どこか誇らしげな表情を見せる。


「そうか……」



 レティーシアとしては兎も角、彼としては精神的に疲れる時間であったのは言うまでもない。

 労いの言葉を口にしようとしたのだが、吐いて出たのはどこか疲れたような溜息混じりの台詞。

 着替える時にはキャミソールと下着は脱がされ素っ裸にされ、その後の着替えも一枚一枚全て、それこそ手取り足取りと行われた。

 髪にしたって魔法を使えば一発の筈であるのに、エリンシエはこれを好(よ)しとせず、彼女自らどこからか取り出した櫛で、寝室に備え付けられた化粧台にレティーシアを座らせ思う存分に髪を梳く始末。



 困った事に、その髪を梳くという行為。

 レティーシアとしての記憶と知識で理解していても、実際に行われれば改めてその心地よさを認識。

 エリンシエの手管が優れていたのかは不明だが、その梳かれる時間は中々に夢見心地であり、口から出掛かった無駄な事はよい、という台詞は終始どこか異次元に旅立ってしまう始末。

 


 (これは……エリンシエを召喚したのは失敗だったか? だが、しかし……身の回りの世話役はやはり欲しい。風呂のちゃんとした洗い方も聞かなくちゃいけないし……)



 半ば茫然自失と思考に耽っていたレティーシアは、何時の間にか朝食の用意を済ませていた――何故か寝室の一室に小さなキッチンが備え付けられている――エリンシエの、



「朝食のご用意が出来ました、レティーシア様」

 


 という言葉で意識を戻す。

 キッチンが備え付けられた部屋の前、四人程なら十分に食事が出来る広さのテーブルには、何時の間に調達したのやら、湯気をたてる熱々の紅茶にスコーン、そしていい匂いがする朝食が並んでいる。

 流石に急場凌ぎなのか、一般的なグリーンサラダにトースト、ハムエッグなのはご愛嬌だろうか。

 反面、使われている食器は一目でそれが最高級だと分かるものである。

 朝食から凝る必要性はさほど無いが、材料の調達さえ完了すれば次回からは大いに期待出来ることだろう。



 食事の人数は一人分、幾ら人の形をしているとは言え、所詮仮初の肉体であるエリンシエに食事の必要はない。

 レティーシアに関しては吸血の克服代償として、他でエネルギーを摂取する必要がある為、食事というのは欠かせない要因(ファクター)である。


 尤も必要なエネルギー栄養素だけで言えば、それこそ魔術で賄うことは容易なのだが、それをするほど現世を捨ててはいない。

 テーブルに近づけばすっと椅子が引かれ、そこに腰を下ろす。

 並べられたカトラリーもレティーシアとしては当たり前の風景。知識経験を継ぐ彼も同様、扱いに困ることもなく優雅に手に取ると、最初の一口を口に運ぶ。



 口内に広がるのは材料も一級ながら、その焼き加減によりややカリッとした歯応えと、ヴェルクマイスター城にある筈のとある高原でとれる特長的なスパイスの香り。

 目玉焼きにしてもレティーシアの好みを把握している。というか、彼との好みが一致しているのには両者驚きであったのだが。

 半熟で焼かれたそれは、苦手な者には独特の黄身の香りは広がらず、さっぱりと味わいだ。

 使われている魔物の卵に秘訣があるのだろうか。

 サラダにしても、異空間から取り出した筈だと言うのに瑞々しく歯応えが楽しみを増し、中華風のドレッシングが食欲を増してくれる。



「……うむ、美味だ。エリンシエ、褒めてつかわすぞ。ヴェルクマイスター城の料理人とて、ここまでの味を出せる者は多くあるまい」



 事実。簡単な料理である分、誤魔化しは聞き難い。

 食材が良いものであるとは言え、それを十全に扱い、材料毎の味を損なうことなくしっかりと活かしたのは、偏にエリンシエの技量によるところが大きい。



「勿体無きお言葉で御座います」



 レティーシアにしては珍しい賞賛。基本彼女は心より人を賞賛しない。

 しかし、それは出来ないとイコールではなく、その環境故に自然最高峰の技量に数多く触れてしまい、その基準がいささかに高すぎるのだ。

 あらゆる分野で最高峰を誇る国、その国主であるならば自然その最高峰の技量を眼にする機会が山ほどに訪れるのは至極当然だろう。

 その事を鑑みれば、先のレティーシアの言は最大級の賛辞と言えた。



 現にその言葉を耳にしたエリンシエの顔は、今までの無表情が嘘のように優しげな微笑が少しの間だが浮かんでいた。

 返答にも嬉しげな感情が密やかに乗っていたのが、その証拠であろう。

 その後、レティーシアが一通り食事を終え、冷めてしまった紅茶を淹れなおし、レティーシアがその味にまた二度目の賛辞を口にするのは余談である。




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