――夢路の会合――
(ん? ここ、は……
ふと意識が浮かび上がり、視界がぼんやりとした像を結ぶが、どうもはっきりとしない。
記憶を喚起する、彼は思い出す、確か、そう――
(確か、昨日自分は今日? 明日、
それなのに、と。彼は心の底で呟く。彼の考えが正しいのなら、此処は
しかし、結果はそうではなく。薄暗く周囲の光景を確認出来ないが、どうやら自身は何か……椅子のような物に、腰掛けているのだと感覚的に
それなら、これは夢なのだろうか? と、彼は思考したところで、ふと。
自分の対面、まるで濃い闇の霧が立ち込めるかのようで酷く視界が曖昧だが、椅子の前、テーブルらしき物の奥、
いまだややぼんやりとする頭で、それでも可能な限り集中し、意識を研ぎ澄ませて前方に視線を合わせる。
が、どうも濃霧のような黒い霧がじゃまで今一判然としない。
それでもどうやら向かい側と言うべきか、そこに居るのは人であるらしいとそのシルエットから推察する。
立ち上がろうかという思考も彼の頭にはよぎったが、周りも濃霧で包まれており、たとえ近くだろうと危険は冒したくないと、視覚だけで情報を拾おうと再び集中しようとして――
向こうもどうやらこちらに気づいたようで、彼の瞳がそのシルエットが僅かに動いたのを捉えた。
同じく周囲でも観察していたのか、今までは感じなかった視線を向こうからも感じられる。
相変わらず周囲は薄暗く、視界は悪いが、それでも目の前の人物が何やら黒色系のドレスらしき物を着ていて、髪が非常に長いという事だけは彼のじょじょに慣れつつある瞳にも映った。
こちらが向こうの反応を窺っていると、先に向かい側の人物が口を開いた。
「ふむ、随分と面白い現象であるな。ところで、そなたは誰だ?」
「そういう君は、一体誰なんだ?」
自然と口が動いていた。まるでそれを言う事が予め決められていたかの如く、自然に、違和感もなく口を吐いた。
自分の行動に自分で驚く、というのも変な話しかもしれないが。
その言葉にテーブル一つ挟んだ向こう側の人物、声音から少女と思われる、は口角をにんまりと吊り上げると、ころころと笑い出した。
その笑い方、仕草、声色にどこか違和感を感じる。
――――
「そんなに可笑しいか?」
と、彼が訊ねれば。
「ああ、笑い出したくなるほど可笑しいぞ? 成る程、成る程、そう言う訳か」
心底楽しそうに笑みを湛えた声音で答えが返ってくる。が、やはり聞き覚えのある声だった。
何やら一人納得の言った風情で満足げに頷くと、胸元に掛かった髪の毛を弄り出す。
きっと、少女の思考する時の癖なのだろうと、彼はそう考えていた時。
「ああ、気づいていなかったのか? そなたもほれ、
そう言われて彼が己の胸元に目を向けると、成る程。
確かに彼は何時の間にか胸元に小さく巻かれたロール、その先端を指先で
今までも同じ事をしていたのか? と考えて、そう言えばと思い当たる節がある事に思い至る。
と、視界が慣れてきたのかそこで初めて、自身が向かい側の少女とは真逆、純白のドレスに包まれている事に気がつく。
そこで目の前の少女が愉快そうに口を開いた。
「初めまして、妾(わらわ)よ」
その言葉にハッとして、胸元に下げていた視線を正面に向けると、何時の間にか霧は晴れ、テーブルの向かい側どころか全体を見渡せるようになっていた。
視線の先を見やればなんと、そこには“自分”が座っているではないか。
なるほど、さもありなんである。声も仕草も、すべてに見え覚えがあったのが、相手が己なら道理も道理であろう。
それなら、その優美な動作も、どこか艶やかな微笑みも――
(まてまて、その思考はおかしいぞ俺。あくまでも本体は男であり、この肉体は仮初に過ぎない筈だ、毒されているとは言え自分の意思なんかじゃないんだって、勘違いしちゃいけないぞ俺)
「いいや、その思考は間違っておるぞ? この躯(からだ)の現所有権は妾にはない、そなたの物だからな」
「どう言う事だ?」
目の前に座る自分、いや……
どういう訳か肉体を異にして対面している、レティーシアとしての思考体がどこか呆れた顔をした。
端整な容姿でやられると殊更に馬鹿にされている気がするのは、彼の被害妄想なのかどうなのか。
やれやれと言った感じでレティーシアが口を開く。
「なんだ、理解しておらぬのか? 全く、手間をかけさせおって……説明してやるから、よく聞くのだぞ? よいか、そなたはどう考えているか知らぬが、本来のこの肉体の持ち主。レティーシア=ヴェルクマイスターは“死んだ”のだぞ」
その言葉に今まで出来るだけ考えないようにしていた思考。
脳の奥、封印していたパンドラの箱がギシリと、軋み声をあげたのが彼には分かった。
それはよくない。
きっと、
そこで、またもや彼が混乱する。先ほどから妙に思考が纏まらない。いや、どうも思考に
その何とも言えない気持ち悪さに、頭痛ともなんともつかない痛みに彼の表情が、レティーシアと全く瓜二つ、いや、そのものの顔が苦しげに歪む。
「ふむ……どうやら、この話題は避けた方がよいみたいだな。ほれ、飲むがよい。落ち着くゆえな」
そう言って空中に伸ばされた細く白い指がパチン、と。この広い空間に響き渡る。
すると、何処からとも無く一つのコップがテーブルに顕現した。中身は並々まで冷えた水が満たされている。
その冷却度合いゆえか、コップの外側に幾つもの微細な水滴が張り付き、時折つぅっ……と
それを見て、彼は迷わずコップに手を伸ばした。喉が異常な渇きを訴えていたのだ。
レティーシアと全く同じ姿の彼、その手を添えれば容易く縊り殺せそうな程に白く細い喉が、ごきゅり、ごきゅりとコップの水を瞬く間に飲み干していく。
「ふぅ……すまない。落ち着いたよ」
「何、気にするでない」
彼の礼に
口調こそ何処かトゲというか、近寄りがたい雰囲気があるが、案外面倒見が良いのかも知れないと、彼は密かに思った。
「ハッハッハッ! 妾が面倒見がよい、か。まぁ、これでも一万年近くを生きたのだからな。多少はお節介気質なのかもしれぬが」
そう言って愉快そうに笑うレティーシアを横目に、ようやく落ち着いた彼が周囲を見渡す。
そこは、奇妙な空間であった。天井は無く、まるで宇宙を凝縮したかのように、銀河の縮図や星が瞬いている。
床は碁盤の目状のように一辺が三十センチ程の、白と黒のタイルが規則正しくどこまでも敷き詰められていた。
それはまるで、チェス盤のような、白と黒の
他には何も無い。空間の終わりも見えず、何処まで続いているのかすら分からない。
そもそも――――
「ここが何処なのか? ふむ、妾にも少々難しい質問であるな。此処がどういった場所なのかと、そう問われれば夢の世界だと、そう妾は答えるな」
「夢の世界?」
彼の
僅かに首肯してから先を話す。
「うむ、これはそもそもお主の知識なのだがな……ようは、この世界は精神世界であり。また、明晰夢なのであろう。ゆえに、お主と妾が同時に同形でこうやって語り合う事が出来る。現実では精々が知識の共有、思考の読み合い程度が限界であるからな」
そう言って再び紅茶に手を伸ばすのを見、彼は得心が言ったと頷いた。
ここが明晰夢であるなら、なるほど。ああして、紅茶を飲むのも、取り出すのも可能であろう。
明晰夢とは、夢を夢だと自覚し、己が行動を反映出来る状態を指す。
見た事はないだろうか? 夢の中で自分が意思を持って、何か行動を起こした夢を。
夢の中でこれは夢だと、そう気づいたことは? あるいはその夢で己の意思によって、本来のストーリーを変えたことは?
明晰夢の中では、既成概念さえ捨て去る事が出来れば、あらゆるファンタジー要素が叶うのだ。
そこでふと、精神世界――? と疑問に思ってしまう。
「妾も詳しくは理解しておらぬが、その明晰夢とやらであるのなら、この風景も変えれる筈なのだ。しかし、妾一人では駄目なのか、それとも別の理由なのか変更する事が出来ぬ。ゆえに、ここの風景は固定されているのではないかと考えてな。そしてそれは何か、精神に影響した結果ではないか? そう思った訳よ」
「それで明晰夢でありながらの精神世界、か」
そう言われて彼は再び周囲を見渡すも、相変わらず続くのは白と黒のタイルばかりである。
白か黒一色の風景もかなり嫌味だが、白と黒というのも何とも微妙であった。
しかし、例えこの風景が何か意味のあるものだとして、どんな意味があるのだろうか?
そう考えたところで、
「因みに衣服も変えることは出来ぬようであるぞ」
カチリ、と。レティーシアの言葉で何かがかみ合った音が聞こえた気がした。
パズルで探していたピースが嵌ったような、キューブで一面が揃ったような。
そんな感じの意味は分からないが、何か重要なものは理解できたのだ。
(この世界は基本白と黒で構築されている? そして――――)
「妾とお主も白と黒に分かれている。そこに気づければ及第点であろう。さて、ここまでの情報を纏めると、予測でよいのなら幾つか推測が立てられるのであるが……どうも、これは今は考えない方が良いかもしれぬでな」
「
その、何だかまたここに来るのを暗示するかのような言葉と、その奥に込められた意味に何故か背筋が粟立ち、思わず聞き返してしまう。
「うむ、先の反応と同じ理由であろう」
その言葉に彼は再び記憶の水底が揺らめいた気がした。
深呼吸を繰り返し、上がった心拍数を落ち着ける。
そうして落ち着いてきた頃、一つの疑問点が湧き上がってきたので彼は聞いてみる事にした。
「そういえば、どうして俺は口調が元に戻っているんだ? それに、何だか思考が読まれている気がするのだが……」
「口調に関しては、ここが夢、ないし精神世界であるからであろう。思考に関しては現実でも、大体読み合えるだろう? ここではその気になれば、それが顕著となるようであるぞ」
なるほど、と。取り敢えずあらかたの現状把握を終え、ほっと安堵の息を吐く。
その彼の姿にくすり、とレティーシアが笑みを浮かべると、残りの紅茶を一気に飲み干した。
同時、意識が引っ張られるような。不思議な感覚が体を襲う。身体を上から引っ張り上げられるような、そんな妙な感覚に吐き気を覚える。
どうやらレティーシアも同じらしく、その美しい顔を顰めている。
「ふん、どうやらお目覚めの時間らしい」
そう言われた瞬間、意識が強制的にシャットダウンした――――
「それでは行ってくるぞ」
「いってらっしゃいませ、レティーシア様」
目覚めた後、不思議な夢を見たのを彼は覚えていたし、レティーシアとして分けた思考体と話をしたのも覚えていた。
しかし、どんな話をしたのかがどうも曖昧で、霞がかかっているかのように判別としない。
どうやらそれはレティーシア側も同じらしいのは確認済みである。
まぁ、いいか。と気分を変え、エリンシエに声を掛けた。
エリンシエによって今日も今日とて、何処に出しても――一般的にはどうかと思われる――恥ずかしくない格好に仕立て上げられたレティーシアは、その表情をややゲッソリとさせながら、寮の部屋から出て行く。
それにエリンシエが深々とお辞儀で見送り、レティーシアの姿が見えなくなった後に寝室の掃除をすべく行動を開始し始めた。
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