五話

「それじゃあ! これから学園内を幾つか案内したいとおもうんですけど、この学園とっても広いですから、生徒が特に使う場所をメインに回って行きますね。と言っても私もまだ入学したばかりですから、そんなに詳しいわけじゃないんですけども……」



 HR後、本来ならもう一時間LHRの時間が取られていたのだが、エリック教師の粋な計らいで学園を見て回る手筈となった。

 廊下に出たミリアとレティーシア以外は誰一人居らず、防音の設備も中々なのか、喧騒が漏れてくることもない。

 床は磨かれた大理石か何かだろうか。はめ込み式のようだが、中々見事な造りである。

 


「妾はそれで構わないぞ。地理に関しては地図上ながら把握しておるしな。そういえば、先程教師がそなたをミリア君と呼んでいたが妾は何と呼べばよい?」

「あ……自己紹介していなかったですね! えっと、私の名前はミリア・C・クレファースと言います。親しい人にはミリアって呼ばれているので、ヴェルクマイスターさんもそれで構いませんよ」

「そうか、ならば妾のこともレティーシアと呼ぶがいい」



 レティーシアにしてみれば教師のお達しとは言え、この馬鹿に広い学園を態々案内してくれるというミリアに対し、最低限の礼として名を許しただけであるのだが。

 ミリアはそうはとらなかったようで、何やら嬉しそうにレティーシアさんですね! と妙に親しげに名を復唱した後、意気揚々と目的地へと足を向けた。

 それから時間にして十分程、歩幅の小さいレティーシアにミリアが合わせる形で目標の場所にやってきた。


「到着です! ここが多くの学生がお世話になっている場所、食堂です」


 そう言って廊下の一角の横に立ち止まると、腰に手を当て片手を隣のスペースに向ける。

 石材のアーチ状の入り口が洒落た、やけに広いエンデリック学園の食堂が存在していた。

 入り口から見ただけでも相当な広さであり、人数もかなりの数収容できるだろう。

 アーチの上には木製の看板が立て付けてあり、そこには第一食堂と書かれている。

 各学部に対して一箇所の食堂があるのが理由であった。

 


「ふむ、地図に食堂と書かれていたから妾も気になっていたのだが、ここがそうなのか……随分と広いのだな……」

「そうなんですよね! 多いときは百人単位の学生が集まりますから、自然それなりの規模が要求されるらしいんです」


 

 思考分割(マルチタスク)によって、彼とレティーシアの思考は分けられている。

 しかし、彼と違い知識だけを共有しているレティーシアにも、学園というものには学食と呼ばれる存在があることを知っていた。

 ただ、その知識から照らし合わせてみてもその規模は大きく、驚かせるには十分すぎる程であったのだが……

 百人以上もの人が食堂に殺到する場面を想像し、ややげんなりとした顔が浮かぶ。



「ほう、百人単位か、ヴェルクマイスター城の一般食堂より手狭であろうが中々ではないか。まぁ、妾は雑多な人ごみは嫌いなのだがな」

「お城って、やっぱりレティーシアさんは良いところの出なんですか?」


 そう言って魔術で毎日取り替えているドレスを見て、ミリアが興味津々と言った表情で訊ねてくる。

 その顔には純粋な好奇心のみが表れており、出自を探ろうという腹黒い意図は伝わって来なかった。

 だからといって、自分はこことは別世界で王様してるんですよ、なんて答える筈もない。



「なに、今はとある人物の家に厄介になっておるのだが、その前は古びた城に住んでいてな。歴史だけはある古い古い城よ」

「それでも凄いですよ! お城だなんて、私も一度は行ってみたいです」



 何を想像したのか、まるで綺羅星のように瞳を輝かせたミリアがうっとりと頬に手を当て独白する。

 その脳内ではシンデレラのような城でも浮かんでいるのかもしれない。

 あるいは帝國の首都にあるという城でも想像したのだろうか。

 もっとも、ヴェルクマイスターが古いのは事実だが、その優美さや規模においては、およそこの世界とレティーシアの世界を含めても屈指を誇るのは間違いないだろう。



「食堂にそれだけ人が集まるとは、自炊はせぬのか?」

「そんなことはないですよ。生徒の中には学舎から出て、外から食べ物を買う人や、自分で自炊する人も多いそうです」

「ふむ、材料さえどうにかすればよいということか……」



 この学園には生徒数だけでも優に千人を越える人数が在籍している。

 その中には人ごみが苦手な者や、学食が口に合わない者も数多く存在する。そういった者は自分で自炊したり、校舎外にある料理店で食事を済ませているのだ。

 エンデリック学園が街一つ分に匹敵する大きさというのは、伊達ではないと言えるだろう。



 ただ、彼もレティーシアも料理というものが出来ない。

 彼に関しては多少期待できるが、それでもこの世界の材料が相手では苦戦は必須。

 レティーシアについてはそれこそ壊滅的であり、一体何度その後始末に臣下達が奔走したことか。

 馬鹿も歳月を経れば賢者になると言うが、時でも解決できない問題も存在する証左と言えよう。

 例え料理がまともに出来たとしても、彼と同じくこの世界の材料で躓くことは想像に難くない。

 環境が近い為か、食材も近い物やほぼ同じ物も多いようだが、それでも未知と言わざる得ないものは大量に存在するのだ。



「むぅ……これは早急に何か手を打たねばならぬか?」



 そう返事と言うよりは確認のように呟くと、レティーシアは食堂をざっと見渡す。

 雰囲気としては洒落た喫茶店に近いだろうか? 

 木製の大小様々なテーブルが規則正しく並び、奥のほうには厨房らしき場所と注文を出す所、それに受け取る場所がある。

 壁には植物を模したレリーフが刻まれ、場に爽やかな空気を添えている。


 東側は壁の一部が取り払われ、テラスとして開放されており、天気の良い日はさぞかし絶好のスポットであろう。

 その広さ、少なく見積もっても数百人は一斉に収容できるのは間違いない。

 残念ながらこの時間はレティーシアの案内の為ここに居るが、本来なら授業時間である。

 食堂は昼ならばおおいに賑わっているのであろうが、今は寂しい沈黙が支配しているのみであった。

 


「それじゃあ次に行くね」



 入学したばかりのミリアにとっても、エンデリック学園の食堂はその規模、種類に豊富さで未だ物珍しいものであったが、案内する場所はまだまだあるので次に向かおうと声をかける。

 レティーシアはそれに対し首肯で返事を示し、先に歩き出したミリアの横に並ぶ。

 因みにこの選択肢に、後ろから追走するという項目は存在しない。

 これでも譲歩しているのだ。誰かの後ろを歩くというのは存外に癪に障るものである。



 食堂から更に数分。幾つかの実験室や、実技用の教室を案内したミリアは校舎を繋ぐ渡り廊下を越え、恐らく自身もこれからお世話になるであろう場所に案内する。

 たどり着いた場所は、ホール式の巨大な部屋であった。

 授業時間の筈なのに食堂と違い、この場所は人で賑わっている。

 どういうわけなのかミリアに訪ねようとしたが、ミリアがそれを感じたのか先に口を開く。



「えっと、ここはちょっと特殊な場所なんです。正式名称はエンデリック学園・ギルド仲介所支部。通称は仲介所って呼ばれてるみたいですね」

「名から察するに学園独自の機関ではなく、何やら外部からの派出所というところか?」


 ギルド、という言葉には馴染みがあった。

 レティーシアの世界でも昔からそういった、国軍に依らない民間による様々な雑事の解決として誕生した機関がある。

 時代の推移と共に国もその存在を認め、軍事依頼も絡まり、やがては冒険者すら後押しする機関として世界的成長を遂げたのだ。

 この世界でも似たような経歴を持つのはメリルの知識から既に得ている。

 


「ええ。世界各国あるいは街、それか組織や人、そういった様々な人達から出された依頼を紹介している場所という感じです。簡単に言うと、エンデリック学園は座学だけの単位じゃ進級できないんです」



 単位というまた知識のみの言葉に、困惑した顔をミリアに見せると。

 それを見て勘違いしたのか、単位の概念を丁寧に教えてくれる。

 レティーシアとしても、彼の世界との微細な違いに納得するのと同時、直接聞くことによる知識の定着によってより詳しく理解を深めていく。

 その大地が水を得るかのような知識の吸収速度に、ミリアは内心驚いていたのだが、元来の気質故か、さほど気にもせず説明の続きに入る。



「それで座学以外の単位。実技単位って言うらしいんですけど、それを取得するには幾つか方法があって。一つ目が実技の授業で出された課題をクリアすること。二つ目がこのエンデリック学園の地下にある、“エンデリック迷宮”に行き、深層を目指すこと。でも、迷宮は危険が多いから単独は無謀だし、腕に自身がないと命の保障はないですよ! そして、次の三つ目が学生の間で行事や実力を示すのに使われるエンデリック闘技場、そこでの試合で勝ったりランクを上げること。最後がここの依頼所で出されている依頼を達成することです」



 そこで一端区切ると一息尽く。

 ところどころ呼吸を繰り返していたとはいえ、噛まずに口に出すのだから、随分と舌の周りはよさそうだ。

 チラリとここまでは大丈夫ですか? と、視線を寄越し、返答の視線が返ってきたのを確認してから続きを話し出す。



「依頼に関しては難易度で貰える単位は変わります。因みに報酬に関してはそのまま貰えますから、アルバイト感覚で行う人も多いですね! 次に闘技場に関しては一勝で一単位なんですけど、自身よりランクが低い相手だと二勝しないと単位は貰えないです。ただ、ここの闘技はランクが上がると学園で色々優遇してもらえるみたいだから、腕に自身がある人はみんな参加しているみたいです。私も暫くしたら出てみようと思っているんですよ!」


 

 腰に手を当て、にこやかながら次々と説明される内容をレティーシアは片っ端から記憶していく。

 内心では座学などにはさほど興味がなかった為、依頼所やら迷宮やら更には闘技場やらとの言葉に大きく関心をよせていたのだが、ミリアには知る由のないことであった。

 その後、学園中央にある闘技場申請所の案内、地下にある迷宮の申請所の案内を済ませた二人は一旦教室に戻ることとなる。

 既に案内を開始してから優に一時間以上経っており、午前授業のせいもあって教室に人の姿はない。




「はい! これで一応主要な場所は回ったと思います」


 二人きりの教室でミリアが元気よく告げる。

 まるで遠足の帰りのようなテンションである。

 ふと、それにレティーシアの悪戯心が刺激され、邪気乱じゃけらな思考が脳裏をくすぐった。



「礼を言おうミリア。妾(わらわ)は受けた恩に関しては報いる性質でな、故にそなたには褒美をやろう」

「褒美……って――えっ? え!?」



 二人しかいない空きの教室。

 レティーシアが言い終わるのと同時、ミリアは驚きの声をあげる。

 まるで王侯貴族のような立ち居振る舞いに、普通なら馬鹿にされていると憤慨するところが、その備わった雰囲気と気品が、遍くすべての者に彼女が何か途轍もなく至高の存在なのだと無意識に理解させる。

 だからミリアも、態度自体には何の不思議も感じていないのだが、発した言葉の後、寄り顔が触れそうな程接近させて来たのには驚愕した。


 数歩あった距離が詰められ、吐息が聞こえそうな程顔が近い。

 と言っても身長差の関係で触れると言っても、顔同士が、という訳ではないのだが。

 行き成り接近されたミリアは端整な顔が目の前にある事に驚き、心臓がドキンと一度大きく鼓動し、そのままドクドクと高速で血液を送り続ける。

 心拍数が上がり、心なしか呼吸も浅くなっていると自覚し、そんなに驚いたのかと自問しようとして気づいた――

 そう、|彼女は期待(・・・・・)していたのだ。



 レティーシアのその幼いながらも可憐な貌(かんばせ)、それが身長の差でやや上目がちに触れそうな程近くで見つめてきている。

 その白皙の肌に、真紅に輝く瞳と目尻に施された薄い赤の化粧に、小ぶりながらも酷く蠱惑的な唇に、頬を撫でる艶やかな銀色の髪に、けぶるような睫毛の長さに、ちょんと可愛らしく主張した形の良い鼻に、それら全てに目が離せないでいた。

 ミリアの心臓は時間が経つ程その速度を増し、ともすれば目の前の彼女に聞こえてしまうのでは? 

 そう思わずにいられない程だ。



 そう、彼女は期待していた。

 同姓である筈のレティーシアに対して、おかしいと思いながらも、その柔らかそうな唇が自身のそれに重ねられるのではという思考。

 いや、そうでなくても先程からミリアの脳裏には、その甘く柔らかいであろう唇に己がソレを重ね合わせ、息も絶え絶えになる程に貪るシーンを幾度と想像していた。

 事実レティーシアの雰囲気は酷く婀娜めいていて、他者がこの場を目撃すれば赤面してその場を後にすることだろうことは必須である。

 そして、遂にその顔が爪先立ちながらもミリアの顔に、後ほんの数センチで触れるところまで近づき――





「――――が、妾の寮室の番号だ。ミリア、そなたなら来訪を歓迎しよう。では、案内感謝であった」



 そう言ってレティーシアが教室を出た瞬間、ミリアの腰は力が抜けたようにぺたりと床に座り込んでしまう。

 顔はかぁーっと茹でた蛸のような、あるいはリンゴのように赤面しており、自身がとんでもない勘違いをしていたことを今更ながらに理解する。

 少なくとも同性愛の気はないと思っていただけに、それなりにショックであり、どうしてあんな想像をしてしまったのかと自問を繰り返す。

 暫くの後、ミリアはよろよろと危なっかしくも立ち上がると、何かを思い出したかのように急いで寮へと駆けていった。

 如何なる理由か、湿ってしまった下着をいち早く変える為に――――



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