六話

 ――――時刻は二十時を過ぎたばかり、レティーシアはミリアと別れた後、昼食と夕食を学園の食堂で済ませていた。

 食堂は消灯までの二十二時まで開いてるらしく、レティーシアからすれば大助かりの事実である。

 そのメニューの内容はレティーシアからして見ても、はたまた彼が知るメニューともまったく持ってかけ離れており、非常に興味深いものであった。



 見たことも無い魚を使用したグリルやムニエル、爽やかな風味がする野菜と独特の臭みのある肉を、特性のタレで合わせた物、脂身は少ないが、味がしっかりとしボリュームのあるステーキ。

 魚介類を煮込んだスープや、野菜ベースのスープ、彼の世界とは製法が異なったパンがあると思えば米があり、知らない果実をミルクで割った飲み物などなど―― 



 レティーシアに関しては学食というもの自体初めてであったこともあり、マルチタスクで平行している“彼”と“レティーシア”の両思考は運ばれる料理、その味や未知の感触や食材に終始驚愕の連続であった。

 それから時々訪れては昼食や夕食、時には朝食と、見知らぬ料理を堪能する姿を学生が目撃することとなる。

 その際に厨房の料理人がえらく美味しそうに料理にパクつく姿を見て、その愛らしさに思わずデザートを渡してしまったということは余談であり、その味にまた驚きの表情を見せる姿を学生が目撃したのは蛇足だろうか。



 そして、現在。

 ヴェルクマイスター城から転移させた部屋、その一室に備え付けられた浴室で風呂に浸かっていた。

 広さは彼としての感覚からすれば十分に広く、大の大人だろうと数人は入れると予想できるのだが、レティーシアからすれば酷く小さいというものである。


 彼がレティーシアとなって、記憶の体験を抜きにすれば未だこの世界に来てから二週間足らず。

 自己の保身の為に思考を分割している為か、彼は未だにトイレだとか風呂だといった、自身が男性とは違うということを酷く認識させる場は苦手であった。

 股間の愚息が消失してから今日まで、その有り難味は失って初めて実感できたと言う皮肉。


 トイレに立ち寄れば、男としてのシンボルが失われているのを認識させられるし。

 こうして風呂に入ればどうしても肉体を意識してしまう。

 男とは違う滑らかで柔らかい白い肌に、力を込めれば折れてしまいそうな華奢な骨格。

 十二で成長をとめた肉体は、ささやかながら柔らかな胸を形成している。


 と、胸を張っても寒風が通り過ぎるだけだが、それでも僅かながらもしっかりと盛り上がっており、その頂には二つの桜色をした突起が自己主張している。

 彼としてはこの二つの突起が風呂場での難敵であった。

 どう言う訳か、彼の知識はもとより、レティーシアとしての知識にも身体の洗い方を記憶していなかったのだ。



 記憶を辿れば幼い頃や数百年以降は侍女が洗っていたし、貧民に身を窶(やつ)していた頃は風呂に入ることなど出来なかったため除外。

 身奇麗にするだけなら魔道で十分可能であった為、一人の際はもっぱらそれを行使。

 つまり、基本レティーシアは一万年もの生をこれまで過ごしていたくせに、自身の身体を洗った経験が殆どないのである。



 ゆえに、どうしても身体を洗う際の力加減が出来ず、肌の力加減を誤ってしまったり、時折その胸を強く擦ってしまうのだ。

 彼はその際全身に走る甘い痺れに何度となく苛まれてきた。

 下半身に至ってはそれ以上の未知である。

 因みにメリルと一緒に入っていた時は半ば彼女の玩具にされていた為、その洗い方も参考にはならなかった。

 これが正しい洗い方なのよ!

 と、素肌同士を合わせて擦り合うのが間違っているのは、彼にもレティーシアにも十分に理解出来た事である。



 精神的に疲れ果てながらも、何とか風呂場から脱出すると、指をパチンと鳴らし衣服と髪型を整える。

 服装に関しては黒のキャミソール状のものであり、彼としてはもっと露出が少ない方がよかったのだが、このタイプ以外はやたらとフリルやらレースが多く、それはそれで着るには抵抗があった為、あえなく今の結果に落ち着いた次第であった。



 着替えた後、寝室からもう一部屋越えてレティーシアは書斎に向かう。

 書斎には本棚が幾つも並び、様々な書物が並んでいる。見るものが見ればそれが、魔道に関するものが大半を占めていることに気づくことだろう。

 十割中四が魔道、三が武術に関する書物で、二が秘薬など関する物、残り一割がその他と言ったところだなのだが。



 それら書物の大部分が発禁された物や、失われた秘術や武術を記した物、あるいは写本類の原典などで占められているのだから、見る眼があれば宝の山に映るに違いない。

 それらに見向きもせずに、レティーシアは書斎の奥。そこに置かれた机の椅子に腰掛けると、深く深呼吸をし、一回指を鳴らした。

 すると、直径一メートルを越える魔術陣が空中に浮かび上がる。

 世界転移の術式だ。一度成功している魔術は式化されるので、発動手順さえしっかりすれば失敗はない。

 


 レティーシアが今していること。それは世界転移の術式の改良である。

 彼女のこの世界での目下の目的はヴェルクマイスター城の召喚であった。

 その為には広大な土地は無論、自治を認められる為の権力が必要であり、何よりこの間の老朽化の点を改善する必要がある。

 前二点に関してはさほど焦る必要もなければ、方法だってそれこそ一ダースでも用意できるだろう。

 が、最後の一点だけはそれなり以上に注力する必要性があった。



 理由は寝室の転移によって、ヴェルクマイスター城、あるいは国の者に自身の生存が伝わった可能性があるためだ。

 元より国の上層部どころか、レティーシアを知る者なら消えた程度で死んだなどと妄想はしないであろうが、とはレティーシアの自惚れではないだろう。

 よって、現状の詳しい事情を伝えるためにも人込みの転移が必要なのである。

 これが成功すればレティーシアは元の世界に戻れるのだが、“彼”としても“レティーシア”としても、今のところ元の世界に戻るという考えは全く持ってない。



 幸い国の政務や軍務に関しては円卓評議会(カルテット)。

 七人のヴァンパイアの氏族、その頂点に君臨する七名の真祖の吸血鬼に任せており、レティーシアは何か問題が起きた場合のみ対応する形であった為、問題はない筈であった。

 彼らはレティーシアと共に数千年の時を生きた、まさしく生ける神話であるのだ。

 それぞれが国の元首を務めるどころか、時代さえ違えば一人一人が世界に覇を唱えていたことだろう。



 七名の真祖。そう、国の再建時に初めて眷属とした七名のことである。

 吸血鬼はレティーシアを頂点としたピラミッド型のヒエラルキーで構成されており、完全な縦社会だ。

 吸血鬼にとって階級は絶対であり、その性質は存外穏やかである。

 吸血に関してもレティーシアや一部ヴァンパイアは克服しているし、同属同士の吸血でもなんら問題はない為恐れる理由にならない。

 完全縦社会。しかも全員がレティーシアに対して絶対的な服従を誓っているため、人の様に無駄な権力争いや叛乱といったことも起きない。

 だからこそ数千年も国が続いているのだが……



「ぬぅ――」



 部屋の四方に設置された蜀台、その上に安置された蝋燭の火が部屋を暖かな光で包んでいる。

 巨大な世界転移の魔術陣、その一部分だけを拡大し切り取っては効率化を図っていく。

 時には一からオリジナルの術を構築し、挿げ替えたりもする。

 術の種類が重複していれば効果の小さな方を消し、魔術陣の縮小化及び燃費を抑えていく。

 今のままではとてもではないが、レティーシア以外に扱えるような代物ではないからだ。

 それはくしくも彼の世界での、精密機械を弄る際の作業にも何所か似通っている。



 

「んっ、むぅーんっ! やはり世界転移ばかりはそう上手くはゆかぬか……まぁ、この調子であるなら一月もしないで完成するであろうがな」



 そう言って椅子から立ち上がると、レティーシアは小さな身体で精一杯伸びをし、凝り固まった肉体を解す。

 時刻は既に零時を過ぎており、学園の事を考えればそろそろ就寝しなければ危ない時間である。

 とは言いつつも、徹夜程度でどうにか成る程柔でもなければ、本来は夜こそが真骨頂の吸血鬼なのだ。

 しかし、学園に通うと決めたのなら生活のサイクルを変えるしかない。

 レティーシアは書斎を出、天蓋に覆われたキングサイズのやたらふかふかとしたベッドに潜り込むと、その瞼を閉じた。

 寝る直前、何とか自身の世話を任せられる者を調達する必要があるなと、そう考えながら……

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