二話

「それにしても遠いな……移動など、空間移動の魔術なら必要なかろうに。ん? おお、ようやく着いたか。これで憂さが晴らせるというものよ」


 レティーシアが校門から目的の試験会場。一般的には魔法の鍛錬場として開放されている場所である。

 入り口の校門からおよそ三十分、本来ならもっと早く来れる距離ではあるのだが、如何せん……レティーシアの身長は百四十センチに届かない。

 一歩の歩幅もその分小さく、人よりも時間が掛かってしまうのは致し方のないことであった。

 それにしたって馬鹿に広いのは確かだが。

 

「ほぉ、これは中々どうして。賑わっているではないか。試験官とやらはどこに居るのだ?」


 魔法鍛錬場は広く、土で出来た床が正四角形の半径二百メートル程の広さであった。

 それに、とうに気づいていたが、遮音と物理的に強固な結界が二重で張られている。

 恐らくは魔法の音の警戒と、万が一鍛錬場外に被害が行かないようにする為というところか。

 中は様々な魔法の音で耳が馬鹿になりそうである。

 火炎魔法が唸りをあげ、風魔法がつむじ風を巻き起こし、氷魔法が氷塊を生み出す。

 早く試験を終わらせたいレティーシアは、試験官とやらを探すが、それが誰でどう言った者なのか聞いていない為、見つからずに少々イライラしていた。



 元来レティーシアは我侭だ、それは意図して振舞う仮面ペルソナであるが、実際に本質もそう大きく変わりはしない。

 そもそも彼女の起源は奪う者なのだからさもありなん。

 待たすのはともかく、待たされるという行為は非常に癪に障るといってもいいだろう。



 このままでは何時、自身に身に着けた魔力の封印具“グレイプニル”――最大魔量値の四割を封印する代わりに、周囲に任意の魔力量を誤認させることができる宝具――を解除し、暴れだす可能性も無くはなかった。

 結局周囲一帯を塵に変えるのも、生かすもその気紛れ一つで決定されるにすぎない。とばっちりを受ける側からすればたまったものじゃないだろうが。

 レティーシアは、その容姿故か、一万年の歳月を生きる癖に少しばかり気が短いのである。



 そろそろ苛立ちも限界に到達しようという時、一人の男がこちらに向かって歩いてくる姿が目に映った。

 細身の体を白基調としたローブに青の刺繍が入ったものを着込み、右腕に辞書並みの厚さの本を抱えたインテリ風の青年が、レティーシアに声をかける。


「えっと、君がレティーシアちゃんでいいのかな?」


 その瞳にはモノクルが掛けられ、学者といった印象を強く受けた。


 ちゃん、という言葉に一瞬青筋が浮かびそうになるが、素晴らしい忍耐力でそれを押さえ込む。

 場所が場所ならこの世から消し飛ばしていたかもしれない。

 一瞬、彼としての思考がこの男をからかってやろうか? 

 という考えが浮かんだが、レティーシアとしての思考が、こんな下郎にそんな価値はないと一蹴りにしてしまう。



「うむ、確かに妾がレティーシアに相違ないぞ。して、そなたが試験官か?」

「あ、ああ……僕が君の特別試験を受け持つことになった、ペーター――「そなたの名などどうでもよいわ。はよう試験の内容を教えよ」そ、そうだね……ごほん! 今回の試験は至って簡単です、君の得意な魔法を一つ見せて欲しい。その魔法の出来で入学の判断をする。見たところ魔力量はこの学園でも相当な物みたいだし、そう気構えなくても「誰が緊張などするものか阿呆。それでは早速終わらせるゆえ、下がっておれ」そ、そうか……」



 完全に八つ当たりであった。

 癇癪の捌け口にされたのは不幸と言えよう。

 哀れ、名すら名乗らせてくれなかった試験官は、その見た目に反した口調は兎も角、見た目十一~十三歳そこらの少女に圧倒されてしまっていた。

 報告書には純血の吸血鬼であり、年齢は十二歳と書かれているのだが、青年には少女がそんな年端もいかぬ生易しいものには見えなかったのだ。

 その思わず見惚れる容姿は別にして、その雰囲気はどうにも高々十二年生きた小娘が出せるようなものではない。

 青年は直感的に感じていたのだが、同時に本能がそれを指摘してはいけないと、ひっきりなしに警鐘を鳴らしていた。

 


「何をしておる。そなたが妾の合否を出すのであろう? ならば木偶のように突っ立ておるな」



 青年は最早、その傲岸不遜とすら形容することさえ生温い態度に苦笑しか浮かばなかった。

 これが一般生徒や、普通の貴族の娘なら青年は怒り心頭であっただろう。

 しかし、目の前の少女には不思議とその様が似合うのだ。どこか老成とも呼べるかのような雰囲気。

 それが違和感など感じさせないまでに似合うのである。それが当たり前であり、それ以外はあり得ないとさえ、出会ったばかりの青年にすら思わせる不可思議。



「魔法であればどのようなものでも構わぬのだな?」

「ええ、別に自信があるのなら得意な魔法じゃなくてもいいですよ」



 その言葉に言質はとったぞ、と内心で囁いたレティーシアは、さて、どのように魔法を使うか悩む。

 彼女の得意とする魔術の記号化、及び音を媒体としての発動は些か奇異に映ることだろうと考えている。

 どうやらこの世界の魔法とは、彼女の世界とは趣きが違うようなのである。

 この世界の魔法とは、万物の具象体である超越的存在“精霊”に代価、この場合魔力を払い、己の起こしたい事象を呪文として唱えることで、精霊がそれを叶える、といったものだ。

 つまり、呪文が願いを指す対話になっていると言えよう。



 対し、レティーシアの世界の魔法とは極論、詐欺師の術なのである。

 魔力という物質を、起こしたい事象を象った呪文という回路に流し発動させる。これによって指定された現象に沿って“改変”が行われるのだ。

 この改変は基本的には一時的であり、時間が立てば元に戻ってしまう、まさしく詐欺師と言えよう。

 より厳密にいえば、魔力とは別に使う力が存在するし、科学的にも説明がつくのだが割愛する。

 この方法は恐らく精霊とやらが行使する術(すべ)と近い。



 どちらの世界の方法にもメリットとデメリットは存在するが、こと規模で考えれば、レティーシアの世界の魔法の方が断然優れている。

 ただし、魔術は扱いに相応の知識を要する。当たり前だ、呪文とはつまり彼の世界で言うプログラミングだ。

 どのように組めばどんな効力を及ぼすのか、それは経験と知識の量で決定される。

 ゆえに人の寿命程度じゃ多くに手を出すのは難しい。

 それら術の制御を手放せば容易く術者を食い殺すだろう。

 深淵を覗く時、また我々も深淵から覗かれているのだ。

 ただし、魔力の消費量は術者次第で大きく抑えることが可能だ。



 逆に、この世界の魔法の消費量はレティーシアの世界よりも多い。

 本来の事象を起こす量に、精霊への対価が重なるのだから当然と言えた。

 さらに精霊という意思ある者が仲介するせいか、才能とは別に、精霊に気に入られるかの問題が発生する。

 また、精霊とて強弱があり、例え最高位の精霊だとしても叶えられる事象に限界が存在する。


 その代わり、レティーシアの世界の魔術みたいに失敗によるフィードバックもなく、安全面では大きく先を行くだろう。

 何より、魔術は先天的なセンスが必要であり、術式も個人で大きく違う場合が多いので、利用が難しいのだが、魔法は定型文が存在し、魔法の才能自体は殆ど必要がなく利用もしやすい。 

 両方に言える事で、この事象による改変はしばしば世界の“法”を逸脱することがままあるということだろうか。



 つまり何が言いたいのかというと、精霊への起したい事象を伝える“呪文”を必要としない起動法は、この世界では使えない。

 いや、使わない方がいいだろうと考えたのだ。

 そこで、なにやらうんうん唸っている姿に疑問を感じたのか、試験官が声を掛けてきた。


 

「何を使うのか迷っているのかい? 君なら例えいい結果が出なくても、魔力量で十分――――」

「ええい! 喧(やかま)しいわ! 黙っておれ、気が散ってしょうがないわ……まったく…」

「はい――」



 にべもなく撃沈された青年を無視し、レティーシアは再度考える。

 詠唱は必要だ。だが、態々(わざわざ)しなくてもよい事をただ黙って行うというのは、彼女のプライドが許さない。

 そこでふと、彼が思いつく。ゲームの世界では確か“重ね詠唱”と呼ばれるスキルが存在した筈だと。

 レティーシアの記憶と照らし合わせても、問題なく行使できるものだと判断。後は何の魔法を使うか、である。

 あまり強力なものは控えた方がいいだろうと考え、ふと試験会場の外を見る。そこで、彼女は閃いた、これならインパクトも十分であると。



「決めたぞ、試験官。その目を零れんほどに見開いておれ、妾(わらわ)が今から一つ余興を示してやろう」



 困惑の表情を見せる試験官を無視し、試験官からは見えない方の手に取り出すべきアイテムを強く思う。

 瞬間、光子が彼女の左手に集まりじょじょにその姿を物質化していく。

 やがて、仄かに白く光る光子の結晶化が終わるのと同時、彼女の手には一振りのスタッフが握られていた。

 アイテム名“エーテルセプター”と呼ばれるその装備は、ゲームレア度において、十中で表すなら七に位置する十分高レベルのレアアイテムである。



 見た目は直径三十五cm程の杖で、白の塗装に、先端に空中に散布しているエーテルを結晶化し、変換させる青い宝石がついているだけの簡素なものだ。

 とある古城のMAP、そこでドロップ型のクエストアイテムを使うことで出現するレイドモンスターのドロップ品であり、他にも幾つか所持していた。

 効果は強大で、自身が消費した魔力の十パーセントから最大三十五パーセントを還元するというものである。

 理論はゲームでの事象が現実化したものだ、まったくもって不明である。

 現在の状況を引き起こした者はつまり、ソレを可能とするとも逆説的にいえるだろうか。

 


「おや? そのドレスにでもしまっていたのかね? 先程は持っていなかったと思ったのだが……まぁいいです。それが君の補助具かな? それでは何を見せてくれるのか、楽しみにしよう」

 

 

 目敏くエーテルセプターを見つけた試験管が不思議そうな顔をするが、答える義務などあるはずも無い。

 試験官がレティーシアの動き全てを見届けるため、先ほどと打って変わり真剣な眼差しを向ける。

 その瞳にやればできるではないかと、心の内で呟く。

 エーテルセプターを眼前に突き出し、重ね詠唱を用いて望む事象を引き出す!


「天蓋よ叶えて砕けちれッ!!」


 瞬間。第三魔法鍛錬場を覆っていた結界がパリン!! と不吉な音を奏でた。

 遮音も同時に消え、その場に居た全ての生徒が何事かと騒ぎ出す。

 中には魔物の襲撃か!? と騒ぐものまで出る始末。

 幾人かの教官が急いで校舎へと向かい、生徒に避難勧告が出され、散っていく。

 唖然とする試験官を後ろに、レティーシアは結果など聞く必要などないとばかりに、頭に叩き込んである地図を思い浮かべ、寮が何処にあるかを思い出していた。




 “言葉”とはそれだけで、壮絶な殺傷性を秘めているのを知っているだろうか?

 例えば、飲み物を何か飲みたいと思うとしよう。そこで君はリンゴジュースという決断を下す。

 そこには幾つもの葬り去られた“可能性”が存在する。もしかしたらオレンジジュースを選んだかもしれないし、グレープジュースを選んだかもしれない。

 もしかしたら最初から飲み物ではなく、お菓子という選択肢だったかもしれない。

 何かを選ぶと言う行為は、その時点で様々な代償を払っているのだ。

 言葉とは選択した時点で選ばれなかった、無数の“可能性”を殺しているという理論。



 ここでもう一つ別のお話をしよう。

 シュレーディンガーの猫という言葉がある。これは実験の名称であるのだが、その目的は量子論の思考実験であるとされている。

 このシュレーディンガーの猫とは、一つの箱に猫と毒ガスの発生装置を一緒にし、一定時間の後、猫は生存しているかどうか? そんな実験だ。

 この場合、一定時間内に毒ガスが発生する確率は五十パーセントだと設定すると、一定時間後の箱を誰かが開けなければそこには猫が“生きている可能性”と、“死んでいる可能性”の両方が同率で存在することとなる。


 つまり、可能性が重なり合っている状態だ。


 

 レティーシアが用いた重ね魔術とは、即ち。

 この消え去った筈の言葉の意味を、一つの言葉を“重なり合っている”状態とし、短い詠唱で長文と同じ効果を得ようとする技術であり、多重効果を狙った技術でもある。

 今回の場合だと、天蓋に二つの結界の意味を乗せ、叶えよで何を望むのか同時に乗せ、砕けるでその結果を乗せたのだ。

 本来なら観測時点で確率と可能性は集束されてしまうのだが、細かい理論では量子論とはまた別である為、その心配はない。



 レティーシアにすれば、“同時詠唱”と呼ばれるマルチタスクを利用した詠唱を用いれば、たった一言で実は唱えられたのだが、それでは怪しまれるので上記の方法を取ったまでである。

 そこで何やら喚く試験官を無視し、自身に宛がわれる予定の寮へと向かっていく。その口元には悪戯に成功した後の子供特有の、無邪気な笑顔が、これでもかと言わんばかりに輝いていた――――

 

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