果て無き物語(サーガ) 了
それが現在彼が覚えている最後の記憶だ。
果て無き地平線というゲームの終わり。
十年が作り上げた結晶の最後。
それがどうしてこのような自体になっている?
(落ち着け、落ち着け、考えろ。思考を止めるな。思考の停止とは即ち死んでいる状態だ、だから考えろ!)
まるで暗示のように自身に言い聞かせる、そして幾度か深呼吸をし、思考を落ち着けると再び脳をフル回転させた。
考えるべき事は現在における自身の状況、その現状把握。
焦りとは反対に、脳は指令をまっとうするべくその力をフルに使い続ける。
(先ずは、だ。ここが何所かだが。可能性として一番高いのが、俺が未だに“果て無き地平線”にログインしているってことだ。何故サービス停止が撤廃されたのかは分からないが、それなら俺が此処で目覚めたのも頷ける。恐らくイベントか何かだと考えられるからだ。次に考えられるのは、あまり考えたくないが、誰かに精巧な夢、もしくは悪質なVRを見せられている線。犯人の目的も、俺を選ぶ理由からも、可能性は低いが0じゃない……そして最も考えたくないのが、此処が|俺の知らない世界(・・・・・・・・・・)であることだ)
彼が居た時代、世界は宇宙進出こそしていないものの、平行世界及び異世界の観測に成功している。
後百年と少しあれば、それらの世界に接触すら出来ると言われていた程だ。
現在でも二足歩行型のロボット、しかも昔のような低レベルではなく人に近い動作を可能とし、金の問題さえ片付けば見た目だけは人そっくりな物まで作れるという。
無論、これは後者はともかく前者は一般には公開されていない事実で、彼の知り合いのハッカーが国連に遊びでハッキングした際に知った事実である。
故に彼は考える、此処もそういった世界であるとの否定はできないと。
思慮を欠いたままで突飛な妄想をするのは阿呆ではあるが、可能性を考慮して考えるのは重要なことだ。
まぁ、その場合彼が何故レティーシアの姿なのか? という疑問の解決になりはしないのだが……
――――ガチャリ
と、思考の海の外から響く音。
彼が音のした方に目を向けると、見たことの無い少女が丁度ドアから入って来たところであった。
内心心臓をバクバク鳴らしながらも過去の経験のお陰か、表情をなんとか表に出さずにその姿を見上げる。
そう、見上げるである。恐らく今の彼より二十センチは確実に背が高いだろう。
こちらが目覚めているとは思っていなかったに違いない。
意思の強そうなややきつめの瞳が驚きに染まり、やや興奮気味に彼の前数歩の距離まで近づいて来たと思えば。
「よかったわ……目が覚めましたのね。一応治癒の呪文は掛けておいたから、肉体的な損傷は治癒している筈よ」
ほっとしたかのように声を掛けて来た。
その表情は安堵の情が見え隠れしており、少なからず猜疑心を抱いてる彼からしても、その言葉が嘘でないと確信してしまうほどだ。
(治癒の呪文? それならやはり此処は果て無き地平線なのだろうか? 異世界ならそもそも言葉が通じる筈もないだろうし)
少女の台詞から、此処が可能性のうちのひとつであることがより濃厚になったと思考する。
尤も意識を完全に遮断するようなシステムに心当たりは無く、思考の海原に潜り込もうと、ゲームにおける癖の一つである、胸元の髪に手を伸ばし先端を弄くりまわす。
その態度に何か勘違いしたのか、こちらの返事を待たずに新たな問いを投げかけてきた。
「取り敢えずそうね……私(わたくし)について来なさい!」
「……む?」
「貴女、国境付近の道端で倒れていたのよ? そのせいか分からないけど、衣服含めて身体中砂まみれだわ」
成る程、確かに彼がもう一度自身の髪や衣服を見渡せば、砂らしき汚れが目立つのが垣間見える。
どうやら、その原因は自身が倒れていたことにあるらしいと、一人得心が言ったと心の内で呟いた。
それでも完全には目の前の少女を信用していなかった。
当たり前である。
何処の世界に見ず知らずの人間、しかも自身が可笑しな現象に陥っている時に信用など出来るだろうか。
そんな状態だからこそ信用するべきだ? ならば答えよう、そんな暖かで愚かな、思考を破棄したような性根はドブにでも捨てたほうがマシであると。
そもそもからして、眼前の少女が真実を告げていると、一体誰が保証し得るというのか。
逆に問おう、どうして目の前の人物を信用出来るのかと。
それに、こうは考えられないだろうか。
現在の状況は目の前の人物、あるいはその一味によって引き起こされたのだと……
見知らぬ場所、見知らぬ人物を前に転生だとか、トリップだとか、逆行だとか、その他諸々を真っ先に考えるような奴は、常識的に考えてどこかイカレている。
普通はもっと、当たり前の可能性を疑うものである。
例えば誘拐や記憶喪失などが代表例であろう。
普段の彼でも考え付くようなことだが、今は肉体の影響か、それ以外の細かな部分まで脳が情報を処理していく。
彼とは別の部分、例えようのない思考の部分が囁くのだ。
思考し、状況を見極め、最悪を想定し、覚悟を持って行動せよ、と。
思考癖のある彼は、またもや別世界に飛んでいたのだが、メリルにはそんなこと知る由もないことであった。
しかも無意識なのであろうが、その過去の経験から基づく行動の結果、彼の思考とは関係無しに無表情を貫いている。
それは四年という歳月が育んだスキルとも呼ぶべき成果だが、必ずしも良い結果を生むとは限らない。
だからメリルはその顔を前に困惑してしまう。自身は何か彼女に対して、可笑しな行動をしてしまったのだろうかと。
生来可愛い物好きで、少女とは仲良くしたいと思っていた思考は、この状況を覆す為に一つの打開策を打ち出した。
「と に か く ッ! 貴女は今汚れているの! 目覚めたばっかりで悪いとは思うけど、貴女だって汚いままは嫌でしょう?」
「う、うむ……?」
意味は分かるのだが、何故それが今出るのかが分からず曖昧な返事が口を吐く。
「そうよね! そうよねっ! それじゃいきますわよ!」
彼は自身の発した咄嗟の言葉に、言い知れぬ違和感を覚えていたのだが、目の前の凄まじい剣幕に押されて、少女が一体自身を何処に連れて行こうとしているのか、そんな聞いておかなければならない最大重要事項を聞きそびれてしまった。
ここで彼に風呂場という選択肢は存在しない。
現状の中で此処が果て無き地平線の可能性が最も高いと、そう彼は考えてるからだ。
だからこそ、その選択肢が思い浮かばない。果て無き地平線に風呂のシステムは、残念ながら実装されていないからだ――――
メリルは困惑ではあったが、少女の無表情から感じ取られる感情を引き出したことにご満悦の様子で、その手を握ると、意気揚々とブロウシア家自慢の大浴場(・・・)へと引っ張っていった。
彼の方はというと、未だ状況を理解しておらず、そもそもついて行って良いのか判断が付かないでいた。
様子見というか、なすがままに目の前の人物に手を引かれていく。
メリルは屋敷の中をどんどん進んでいく、彼は必然駆け足となり、折角纏まりつつあった思考を霧散させてしまう。
それから数分後。
ようやく目的の場所に着いたメリルは、現状(・・)では至極当たり前の結果として、一緒に脱衣場(・・・)へと入っていった。
そこでやっと事態の深刻さに気づく、どういう訳か今手を握っている少女は、あろうことか彼と一緒に風呂に入ろうとしているのだと、やっとの事で気づいたのだ。
しかし、後一歩気づくのが遅かったと後悔することとなる。
既に脱衣場に入った少女が、彼の衣服に手を掛けていたからだ。
自身ですら未だ真紅のドレスを着ているのに、彼の衣服から先に脱がそうとするのは如何なる考えなのか?
その手際はどこか嬉々としており、身の危険とは違う種の怖気が背筋を走り抜けていく。
(はいッ!? なんだなんだ? 風呂? 誰が? 俺と彼女が? あれ? でも、この場合は女性同士だから? へ? でもこの肉体は飽くまで仮想で、運営との協定で女性としての感覚や肉体機能は備わってなくて……アレ? オカシイな……自身の肉体の筈なのに、顔を真下に向けると目に映った、桜色の何かを脳が認識することを否定している? ああ……肌、白いなぁ……それに……レティーシアって、生えてなかったのか――――)
そこで彼の脳は限界だった。
メリルは目の前の少女が一切の抵抗をしないことに疑問を覚えつつも、服装から身分の高い人の娘だろうと考え、きっと衣服の着脱もメイドか誰かに行ってもらっていたのだろうと、勝手に自己完結してしまう。
少々複雑なドレスで且つ、異常なまでに手触りが良い代物であったが、基本は自身が着ている物と変わらなかったため、メリルはするすると少女のドレスを脱がしていくと最後の砦、キャミソールもドロワーズも脱がしあっと言う間に素っ裸にしてしまう。
そして、その少女特有の処理の細かい肌、触れる時に感じるぷにっとした柔らかな肌の感触に、何か熱いものが鼻に集まっていく気がしたが、気にせずにそのまま自分も衣服を脱いでいくと、何だか無反応になってしまった少女の手を引いて風呂場に入っていった。
次に彼が再起動したのは何時の間にやら全身を洗われ、大理石のような材質で床や柱が作られている見事な浴槽の一つに、先程の真紅のドレスを纏っていた少し気の強そうな少女と一緒に入っている時であった。
自身に何が起こったのか、懸命に思い出そうしている彼に、少女がおもむろに一つに質問を投げかけてくる。
「ねぇ、貴女の名前を教えて下さらないかしら? 私の名前はメリル。メリル=フォン=ブロウシアですわ」
その問いに絶賛別世界一周旅行に旅立っていた思考は現実に戻り、暫しの間逡巡するも、まぁ構わないだろうと口を開く。
「妾(わらわ)の名は――――」
そこで彼は信じられない事実に驚愕する。
その事実に思い至った途端、彼の無表情であった顔が恐怖に歪んでいく。
手足が途端にがくがくと震え、湯に浸かっている筈の背に冷たい何かが走り抜ける。
今まで感じていた不思議な余裕は消えうせ、高速思考すらこなして見せた頭脳がただのガラクタへと成り下がった。
その様子に気づいたのか、隣で共に湯船に浸かっていたメリルが、懸命に何かを彼に伝えようとしているのだが、彼にはその声すら遠くで響いているかのように感じられていた。
何故か自身の喋ろうとした言葉が、意味合いは同じの別の喋り方に変換され口を吐(つ)いたのも彼を驚かせたが、そんなことよりも更に重要なことで。
(どうして、どうして……俺は自分の名を知らないんだ――? いいや、違う、俺は自分が誰かを知っている。覚えている。両親だって覚えているし、会社のいけ好かない上司だって分かる。それなのに、それなのにどうして……俺の名前と俺の顔、それに嘗ての“仲間達”の表情を何一つ思い出せないんだ!? 記憶はあるッ! 彼等の名前だって分かる、それなのに何処で何をしただとか、彼等と何処で出会ったのかとか、その顔だとか、何故思い出せない!?)
彼はまるで自身の背中に氷柱でも埋まっているかのような、薄ら寒い感覚に囚われていた。
自己を確定するうえで重要な要因(ファクター)である思い出、その記憶の一部がまるで虫食いのように欠落してしまっている。
あるいは、全てを忘れてしまっていれば、これ程のショックはなかったのかもしれない。
なまじ大部分の記憶を保持しているが故に、その欠落したピースの異常性を際立たせる。
しかも、だ。それにも増して、彼は先程から知らない筈の記憶を覚えている事に気づいてしまった。
それが誰の記憶で、誰の思いなのかは彼の知るところではないのだが、自身の欠けた記憶の量より遥かに膨大なソレは、まるで濁流のように流れ込んでくる。
まるでこの時を待っていたと言うように、情けも容赦もなく、瀑布の如き勢いで叩き付けられる情報の奔流。
記憶の欠落で唯でさえいっぱいいっぱいであったのに、この追い討ちに耐えられる筈もなく……
その意識の手綱をあっさりと手放してしまった――――
「え? え? ちょっと!? しっかり、しっかりして下さいまし! 貴女!? 誰か! 誰か此処にッ!!」
行き成り目の前で立ち上がると思うと、がくがくと身体を震わせ、その後ふっと電池が切れるかのように湯船に倒れ伏した少女にメリルは驚く。
急いで抱き起こすが、声を掛けても一切反応がなく、それどころか湯船に浸かっていたはずの躯(からだ)が、異常な程に凍えている事に思わず「ひっ」と声を洩らしてしまう。
しかし、直ぐに気をとりなおして、声をかけ直すが反応が無いと見ると、自身の力では少女を此処から運べないと考え、大声で近くに待機している筈のメイドに呼びかけるのだった。
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