第5話 街

翌朝、俺は母さんの声で目を覚ました。

「えぇ、そんな! だって、先の打ち合わせでは――! ああ、はい……はい、そうですか……それならしょうがないですね……」

母さんはスマホを使っていた。

電話を切って溜息をつく。

「まったくもう……よりによって明日までだなんて。もっと早く言ってよ」

どこからの電話か、俺には見当がついた。連載中の雑誌の担当さんからだ。

きっと〆切りが早まったんだろう。


リビングにはキアもいて、驚いたようにスマホを見ていた。

昨日と同じ黒いニットのワンピース姿だ。

すると、母さんが言った。

「一緒に魔王捜しをしてあげる約束だったけど、私は今日は無理ね。これから大急ぎで原稿を仕上げなくちゃ。雄一、あんたがキアを手伝ってあげなさい。どこでもいいから、人の集まりそうなところへキアを連れていってあげて」

「へ? 母さん、俺、今日は学校があるんだぞ」

「そんなもの休んじゃいなさい。どうせ試験は昨日で終わっちゃったんでしょう? 勉強より人助けの方が大事に決まってるじゃない!」

あ、あのな、母さん……。


でも、母さんはお構いなしでキアに言い続けた。

「雄一と一緒に魔王を見つけに行きなさい。この世界に来ているなら、人混みに紛れている可能性が高いでしょう。でもね、魔王が見つかっても、絶対すぐに戦ったりしないこと。作戦を立てなくちゃいけないから、居場所を確認したら、必ず戻ってきなさい。いいわね?」

母さんに念を押されて、キアは戸惑いながらうなずいた。

ちらっと不安そうに俺のほうを振り向く。

ちぇ、わかったよ。ちゃんとガイドしてやるって。


朝食を食べ、登校時間が過ぎるのを見はからってから、俺たちは出かけた。

母さんは自分の部屋にこもって出てこない。原稿が仕上がるまで、食事もしないでパソコンに向かうんだよな。

街はちょうど桜が満開だった。今年の春はいつまでも寒かったから、花が咲くのも遅かったんだ。

小さな男の子が紙の兜をかぶって歩道を走っていく。手にはちっちゃなこいのぼり。

はは、気が早いな。もう子どもの日か。

すると、それを見送ってキアが首をかしげた。

「あの子が持っていた、あれはなんだ? 魔法の道具か?」

「こいのぼりだよ。この国の行事でさ、こどもが強く育つように、って……えぇと……コイって魚の旗をたてるのさ。あれはその小型版なんだ」

「何故、魚の旗を? コイは特別な魚なのか?」

とキアがますます不思議がる。

「うん、コイには、年をとると大きな滝をさかのぼって、空に昇って竜になる、って伝説があるんだよ。それにあやかって、空にコイを泳がせるんだ」

とたんにキアは目を見張った。

「この世界にも竜がいたのか! コイという魚が竜に変身するのか!? それはどこにいる!?」

「いや、ただの伝説だって。この世界に本物の竜はいないんだよ……」

今日は俺も私服姿だった。通りを並んで歩く俺とキアは、仲のいいカップルに見えただろう。

でも、俺たちが話しているのはこんな話題。恋人同士の会話にはほど遠いよな。

ちぇ。


すると、キアが突然声を上げた。

「あれはウユード!? あんなにたくさんあるなんて、そんなまさか!」

彼女がいきなり走り出したので、俺はあわてて追いかけた。

「待てよ、キア! ウユードっていったい……?」

キアは小さい公園に駆け込んでいた。地面に群生するクローバーの中に立って見回す。

「間違いない、ウユードだ! 魔法の植物がこんなにたくさん生えているだなんて……!」

魔法の植物? クローバーが?

すると、キアはクローバーに向かって叫んだ。

「来い、魔法よ! ドリゴ王国を魔王から救ってくれ!」

もちろん、何も起こらない。

それでもキアは必死で呼び駆け続けていた。公園で遊んでいた親子が変な顔をしてこっちを見る。

「キア、ちょっと待てよ。これはただのクローバーだぞ。魔法の力なんか持ってないんだ」

「魔法の力がない?」

キアは目を見張り、たちまちがっかりした顔つきになった。

「我々の国では、ウユードは非常に大きな魔力を持つ植物なのだ。深い山奥にしか生えないし、数も少ない。それがこれだけあるなら、きっと国も救えると思ったのに……」

しょんぼりとうつむく。


キアがそこから動かなくなってしまったので、俺は困惑した。

まいったな、どうしよう。

頭をかいていると、足元の緑の中に、ふと四つ葉のクローバーを見つけた。

おっ?

摘んでみると、確かに葉は四枚ある。ちょっと考えてから、俺はクローバーの花も二、三本摘んで小さな小さな花束をつくった。

ものすごく照れくさかったけれど、思い切ってキアに差し出す。

キアは驚いた顔をした。

「これはなんだ、ユーイチ?」

「ご、ごめん……四つ葉のクローバーがあったからさ……」

「四つ葉? 何か特別なのか?」

「ま、魔法ってわけじゃないけど、昔から四つ葉のクローバーは幸せを運ぶって言われているんだ。その、キアの願いがかなうといいなと思ってさ……」

俺はしどろもどろでそう話した。

母さんが見ていたら、「情けないわね! ちゃんとカッコつけなさい、青少年!」って叱っただろう。


キアはますます驚いた顔をして、クローバーの花束に触れた。

緑の葉と白い花が指先で優しく揺れる。

と、その表情が急に和らいだ。

「ユーイチは優しいんだな。ありがとう」

と言ってクローバーの花束を耳の上の髪に挿す。

「女王陛下は時々こんなふうに花で髪を飾られるのだ。どうだ? 似合うか?」

キアにほほえまれて、俺は返事ができなかった。

めちゃくちゃ、めちゃくちゃ、めっちゃくちゃ彼女がかわいかったから……!

あんまりドキドキして、まともにキアを見ていられなくなる。


そこへ風が吹いてきて、公園の木々を揺らした。

俺たちの足元でもクローバーがいっせいになびく。

照れ隠しにそれを見ているうちに、俺はふっと、昔のことを思い出した――。


(つづく)

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