キスして漆黒

なつのあゆみ

第1話

 近頃、ブラックホールに投身するのが流行ってる。

 宇宙ステーションからお気に入りのジェット機を借りて、新品の宇宙服でダイブする。

 一瞬で自分の存在を、消してしまえる。

 ロックバンドのボーカルが実行してから、後を追うように若者が黒点に飛び込んでいった。


 困ったのはジェット機を貸し出している業者だ。貸し出し料は払い済とはいえ、乗り捨てられたジェット機の回収に貴重な人員を割かれる。業務が滞る。そこで、自殺目的ではないか確認のため、簡単なストレス度チェックとカウンセリングが行われるようになった。


 という訳で、私はチェック項目をクリックしている最中なのだ。最近、人生に楽しみはありますか? とか休日は外出していますか? とか悩みを話せる人が身近にいるだとか。私は仕事も休日も満喫し、親友がたくさんいる27歳だ。その設定に見合う答えをチェックしていた。

 ただ一つの悩みは、住んでいる部屋で猫を飼えないことぐらいなの。

 結果はほぼノーストレス。そのままのあなたで、人生を楽しんでいってくださいね、というメッセージが出た。


 私は白いドアを開けて、カウンセラーと面会した。

「失礼します」

 私は澄ました顔でに入室し、椅子に浅く腰掛けて背筋を伸ばした。

「どうも」

 カウンセラーは言ってちらりと私を見ると、すぐに目を伏せた。

「簡単な質問だけしますので、どうぞリラックスしてお答えください」

 カウンセラーは、若い男だ。睫が長く、受け口だ。

 彼は淡々と、将来の展望や、休日の過ごし方、悩みはないかと訪ねてきた。私はそつなく答えた。


「ねぇ、ところで」

 俯いていたカウンセラーが、目を上げる。彼は褐色の、透き通った瞳で私を見据えていた。

「どうして僕が、いちいちこんなこと、しているのでしょう」

 それは、愚痴なのだろうか。私は曖昧に笑って、さぁ、と答える。

「ブラックホールに立ち入りできないよう、封鎖すればいいじゃないですか。そうすれば、若者は無碍に死ぬことなく済むでしょう」

「言われてみれば」

「どうして、閉鎖しないと思います?」

 ブラックホールがなくなっても、宇宙生活になんら影響はない。私のような、砕け散りたい若者が落胆するだけ。どうしてかしら、と私は呟いてカウンセラーを見つめる。彼は微笑む。


「若者が死んだほうが、いいから。人間が増えても、無意味な時代なんだ」


 ああ、と私は頷く。そうね、と何度も頷く。困るのはジェット機レンタル会社ぐらい。


「君、死ぬつもりだろう?」

「ばれちゃったか」

 私は舌を出す。

「僕もだから、わかったのさ」

 カウンセラーは冷たく笑い、私の手を握ってきた。

「よかったら、一緒に死なないか? その代わり、審査は通すから」

 私はカウンセラーをまじまじと眺め、考える。顔立ちは整っている方だ。垂れ目がちな目がセクシーだ。


「あなたちょっと、立ってみて」

 カウンセラーは私の目の前で立ち上がった。身長は普通、細身。

「後ろを向いて」

 彼が背中を見せる。私はシャツの中央線を、指で辿った。背中の窪みをじっくりと堪能し、彼の小さい尻を一撫でし、腿の内側の弾力を確かめる。

「オッケー、いいよ。私と死のう」

 背中に抱きついて、私は彼の耳元で言った。


 私たちは、レンタル会社で一番ダサいジェット機を借りた。野暮ったい茶色で、機体の下らへんに白いラインが入っている。主翼は丸っこい形で、ずんぐりとしたテディベアみたいな印象だ。

 カウンセラーが操縦し、私は隣で彼の耳や首筋を触っていた。彼がたまらない気持ちになって、操縦をやめて私を抱くかと思ったが、彼はそうしなかった。誘い甲斐のない男だ。


「あなたが死のうとした理由は、なんとなく分かる」

 私は彼の肩を抱いて言った。

「そう?」

「うん。私がどうして死にたいか、知りたい?」

「いいや」

「私の興味がないの?」

「どうせ、みんな同じだ。この世界と、自分が嫌になったのさ。みんなそうさ」

 

 地球が嫌になって、宇宙へ行く。

 自分が変わらなければ世界は逆転しないってことに、気付く。けれどもう億劫で、膿み疲れている。


「どうして、私を選んだの?」

「君の目は、もう死んでいたから。泣いて途中で引き返さないと思って」

 それに、と彼は言って私を見つめる。

「きれいな人だと思ったから」

「ありがとう」

 私は微笑む。


 ブラックホールが見えてきた。取り残された赤いジェットが、漂っている。

 細かい星が集まり、紫色に時空がぐるぐると歪んで、黒い穴がある。


「とっくに僕らは死んでしまっていて、後始末をつけるだけさ」


 私はブラックホールを見つめ、それから彼の一言を受け止めて、急激に寂しくなった。

 

 彼の細い腰を抱き寄せて、頬を何度もさすってキスをした。唇を舐めても、舌を絡ませても、歯の付け根を舌先でなぞって、私は熱い吐息を、彼の口の中に吐いた。首筋にキスをして、喉仏を舐める。シャツのボタンを外して、彼の胸に口付けをする。平たい胸で、あばらが浮いている。ふと彼の体を嗅ぐと、私の唾液の匂いしかしなかった。彼は私に触れない、彼の変化はない。冷たいかおを、している。

 

「どうしようも、ないんだわね」

 熱を持った自分の体が、腐乱しているように思われる。死ぬのが嫌なのかもしれない、という思いが胸をよぎったが、引き返すのが億劫だった。冷めたスープを飲み続ける人生に、何の意味がある?

「どうしようも、ないね」

 彼は私に、宇宙服を着せてくれた。

 よく出来た紳士のように、手を引いてエスコートしてくれた。


 ブラックホールは、黒い画用紙を丸く切って貼り付けたようだ。

 ぼう、と巨大な穴を私は見る。

 リアリティがない、と思った。いや、リアリティなんてものを、人生で感じたこと、あったけ?


 彼が私の手を強く握ったのが、手袋越しに伝わってきた。

 ああ、名前も年も知らない人と私は一緒に死ぬのね。感慨深い。

 

 地球の資源は枯れた。宇宙生活の発展は頭打ち。若者は低所得で、不安ばかり迫り来る日々だ。

 若者は行き場を失い、暗闇に希望を見出す。光には裏切られてきたから。

 ブラックホールの向こう側に、喜びの新世界があるのではないか。我々は切望する。


 私は、腹に一撃をくらった。彼に腹を蹴飛ばされたと気付いたのは、体がジェット機にぶつかってからだ。彼は私を突き飛ばして、一人、ブラックホールに飲み込まれていった。


「どうして!」


 届かないと知りながら、私は叫んだ。

 

「どうして、私を置いていくのよ!」


 宇宙服の中に、虚しく声が響く。

 一緒に逝こうと、言ったじゃない。どうして私を、あなたは生かすの。生かされたら、死ぬに死ねないじゃない。

 私は彼の冷え切った体を想い、すすり泣く。



                    

                    終

 

 



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