第7話



 体中が痛い。ひどい吐き気と激痛が、全身を襲う。


 一瞬の間のあと、自分が梯子から落ちたことを思い出す。

 幸い、命だけは助かったみたいだけれど、到底、動けそうにない。


 ははは。慣れ始めた頃が一番怖いってこのことか。

 せっかくの雨季最終日に何やってんだか。


 いや、こうして雨にうたれてるってのは、雲蒔きにはお似合いなのかもしれない。

 今は雨が弱まってきてるってことは二段階目に移ったってこと……



 ――今何時だ!



 痛い体を無理やり動かして時間を確認する。


 すでに日の出から九時間。あと雨季が終わるまで一時間。そして、



 ――日の入りまであと、四時間。



 畜生こんなとこで寝てる場合じゃねえだろ!

 なんで誰も起こしてくれねえんだよ!


 やつあたりなのも自業自得なのもわかっていた。

 けれど、そう怒鳴りつけないと自分を許せなかった。

 そう叫ばないと、立ちあがれない気がした。


 まだ間に合うか? と一瞬でも考えた自分を殴り飛ばしてやりたかった。

 間に合うか、じゃない。間に合わせるんだ。


 体の痛みも吐き気も、何もかもを忘れて、立ちあがる。



 激痛。



 二、三歩歩いて倒れる。


 それでも、立ちあがる。


 行かなければならない。

 絶対に彼女のところに行かなければ。


 何度も倒れながら、繁みに嘔吐しながら、それでも〝カラザ〟へと向かう。

 走ってたった三分の距離を三十分以上かけて、ようやく、たどり着く。


 体の痛みは、麻痺でもしてきたのか、少しずつ感じなくなってきていた。

 本来ならその方が危険だと気づけるのだろうけど、そんな冷静な判断なんてしていられなかった。


 〝カラザ〟の入口は、開かれていた。

 その奥の、階段へと続く道も。


 僕は迷うことなく、その階段を登る登る登る。

 まるで梯子を登るように、階段に両手をつき、ひたすらに登る登る登る。


 途中で何度も吐きそうになった。

 けれど、彼女の空間を汚したくなかったから、必死にこらえた。

 全身に痛覚が戻り、痛みに意識を失いかけることも何度もあった。

 それでも、彼女のことだけを思い、ただただ、登り続けた。






 登りはじめてどれくらいの時間がたったのだろう。


 不意に、見覚えのある景色に突き当たった。


 何度も梯子から彼女を見ていた、唯一の窓。

 ここから見える梯子は本当にちっぽけで、たよりなくて、まるで自分自身を見てるみたいだなと思った。






 一瞬の〝僕〟との邂逅を終え、さらに上を目指す。


 どれだけ時間がたっていたのかはわからないが、窓の外には晴れ渡った空ときれいな夕焼けが見えていた。


 まだ、日の入りには間に合う。


 まだ大丈夫だ。大丈夫なんだ。


 何度もそう自分を鼓舞して、登る。


 『最初っから飛ばしすぎて上につく頃にはへばってる奴が多すぎて困る。早く上に行くのも大事だが、それよりも確実に登ってそのあともしっかり働く。それができてようやく一人前だ』


 先代の言葉が耳元で響く。


 悪いな先代。僕はまだ一人前にはほど遠いみたいだ。

 でも、今は早く上に行くことが何より大事なんだ。


 もしかしたら声に出ていたかもしれないけど、そんなことはどうでもよかった。

 ただ、上を目指すことしか考えられなかった。




 登る。


 登る。登る。


 登る。登る。登る。




 不意に、視界に、何かが、映る。



 ああ、僕は、間に合ったんだ。


 そう思った瞬間に、全身から力が抜ける。


 一瞬の浮遊感。


 けれどそれは続くことはなく、数瞬後には、微かな温かさに包まれていた。

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