第3話
そんないつもと変わらないあの日から数日後、ラジオから雨季の終りが近づいてきていることが告げられ、僕は夜中にも関わらず仕事へと向かうことになった。
年に数回の、例外のためだ。
雨季ではあるが深夜にもなると、昼間に蒔いた雨雲は小さくなり所々から夜空が顔を出すようになる。
星一つない、漆黒の空と、かすかに光を放つ月。
この国の空は覆われているが、太陽と月が存在する。
原理はわからないけれど、いつも同じところから動かず、ただ、朝と夜に順繰り順繰り顔を出す。
その月を横目に、僕は梯子を登る。
ゆっくりと、登る。
雨季が終わりに近づく頃、僕の仕事は深夜になる。
それは、昼に晴れを作る仕込みのためだ。
深夜に雲を蒔くことで夜明け前から雨が降り始め、夕方前にはやむようになる。
そうして数日をかけて雲の量を減らしていき、雨季の終りを演出するのだ。
これは唯一雲蒔きが、自らの意思で判断し、空塗りに空の色を決めさせることのできる機会であり、同時に雲蒔きとしての腕の見せ所だったりもする。
まだ本職にして二年目だけど、先代からは何度もそのコツを教わり、種や水分量の研究も一通り済ませてある。
そして何より充実感が得られやすい、非常に心が躍る時期だ。
暗い中をゆっくりと登る登る。
つい、いつもの癖で半分まで登った際に塔の方を見てしまうが、そこに彼女の姿があるはずもなく、ああ、そういえばこの時期は彼女の姿を見ることができないのか。という今更の事実に気がつく。
少し落ち込んだ。けど、落ち込んでもいられないと気合を入れなおし、登る登る登る。
ようやく頂上にたどりつき、見下ろした世界は、点々と灯る明かりが星空のように見える。
星なんて見たことがないけれど、たぶんこんな風なのだろうなと思いを巡らせる。
そこから先は昼間と変わらない作業が待っている。
雲を蒔き、北へと移り、また蒔く。
万全を期すためにいつもより多少時間をかけ、元の場所に戻り時間を確認する。
このまま行けば、ちょうど日の出の時刻と重なりそうだ。
いつもより慎重に梯子を降り、中腹で一度雲の様子見上げる。
よし、問題なく計算通りに咲いている。
自分の仕事に満足して、何の気なしに塔の方を振り返り、
螺旋階段を降りて行く彼女の姿が目に飛び込む。
昼間と変わらぬ、一瞬の邂逅。
僕は、目を奪われる。
身動きをすることすら忘れていたことに気がつき、慌てて梯子を降りる。
彼女が、下へと降りてきている。
考えるまでもなく、当然のことだ。
いつも登る姿が確認できるなら、毎日降りていることだって当たり前。
だけれど、その当たり前のことに気が付いていなかった。
ふと思う。
今自分が下に降りれば、彼女に出会うことができるのではないか。
それは、何の確証もない予想だった。
けれど、確実にそうなるという予感が、僕の中を駆け巡っていた。
早く降りなければ。彼女に会いに行かなければ。
その一心で足を動かし、降りる降りる降りる。
地面に着いたのは、夜明けの五分前。
〝カラザ〟までは走れば三分。
僕は仕舞うものも仕舞わずに、雨に濡れながら駈け出した。
服が濡れることも厭わずに、ただただ走る。
そうして〝カラザ〟にたどりつき、中をのぞいたその先に、彼女が、まるで空から降りてくる天使のように、ゆっくりと階段から降りてくる。
階段から降り立ち、広い床を歩き壁に寄り、そこにある何かを押す。
夜が、明ける。
太陽の光が差し込み、遠くから、ほんの一瞬の積み重ねでしか見たことのなかった彼女の姿が、淡く照らし出される。
小柄な自分よりさらに小柄で華奢な体躯。
腰まで伸びる漆黒の髪。
細く、きめ細やかで柔らかな印象を感じさせる四肢。
整った、けれどどこか幼さの残る顔つき。
見たこともない、神話の中から出てきたかのような服装。
そして、人形の象徴である背中のゼンマイ。
僕はただ彼女に見とれる事しかできなかった。
一歩だって動くことさえできなかった。
やがて、偶然か必然か、彼女がゆっくりこちらを向き、視線が重なる。
そして、その口が音を出さずに言葉を紡ぐ。
――お・は・よ・?
そうして僕と彼女は出会った。
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