第17話そして響き渡る



 崩壊したアスファルトの道路を歩く。

 間抜けに空いたアスファルトの隙間から、赤茶けた地面が覗いている。そんな場所を、たった二人で歩いている。

 先に待つのはもはや崩れ落ちるのを待つばかりの廃墟のビル群。

 誰もいないその道に、荒野と同じ風が吹く。

 まるで死んでいるようなそこに、たった二人だけ。


「前に来た時と変わらないね」


 アディがディーンを見上げて言う。


「そう簡単には変わらないだろうよ」


 ディーンが答える。


「何時振りだっけ?」

「さぁな、一ヶ月かそこらだろ」

「元気にしてるかな? お土産も買ってきたし」


 手に持つバッグを胸の高さに掲げ、アディは言う。


「そう簡単には変わらないだろうよ。まぁ、そのお土産をあの婆さんが喜ぶかは、知らないけどな」


 バッグの中に入っているのは、食料が主だったものであるが、中には整備用の道具も含まれている。

 おそらく、あの少年少女の為のものだろう。

 カルシアについては、もう手遅れと知っているから。


「喜ぶよ、きっと!」

「だといいけどなぁ」


 ぼやきはどこまでも続く荒野の風に飲まれてしまう。


「と、着いたな」


 気づけばビル群は目と鼻の先である。後はこの中からカルシアたちの住んでいるビルを探し当てれば完璧なのだが。


「どれだっけ……?」


 アディが首を傾げた。

 目の前には多数のビルの群れ。

 まるで無限にあるのではないかと思ってしまう程だ。ここに何時でも住んでいるものに比べ、アディには常人通りの記憶力しかない。

 それ故に、どれがどれだかわからないのだが。


「お、お兄、お兄、どれー?」

「あれだ」


 ディーンの記憶回路には、人が忘れてしまうような記録さえ、ほんの些細な記憶まで残されている。

 それでも記録出来る量には限度がある。

 それでも残していた理由は単純に、また来ようと考えていたからだ。

 ディーンは指で示すことで答える。

 そこに見えるのは傾いたビルだ。ぼろぼろで、穴も開いていて、今にも崩落しそうな巨大なビルだ。

 そこが間違いないことは、ディーンの記録から判断出来る。


「――あ、うん、ここだ!」


 一瞬、頭の中で思い出す仕草をして、それが合致した瞬間、掌を打ち合わせた。

 そこに続く道を、二人で歩く。そこに道しるべはないけれど。






「あ……あんたら、また来たのかよ」


 ビルの入り口で、棒切れをまるで衛士の槍のように構えたトルクが出迎えた。一見して元気を装っているようではあるが、少しばかり憔悴しているようにも見える。

 どこか身体の調子が悪いのかと観察してみれば、目の下に大きな隈があることがはっきりとわかる。


「何かあったのか?」


 問う言葉には感情が足りない。

 それでも、言葉としては十全に相手に伝わった。


「う……く……」


 こみ上げてくるものを堪えるように、トルクは一瞬、顔を歪ませる。それでも涙は流さないと歯を食い縛った。


「あ、あのな、ばぁちゃんが……」


 それは予測通りで。

 それは一月も前からの決定事項で。

 それは避けようのない、紛れもない事実だった。


「ばぁちゃんが……獣になっちまう」


 ひゅ――と、アディが息を吸い込む音が聞こえた。

 ようやく言葉になったそれは、知っていたことだ。

 忘れられようか、あの状態を。ディーンの記憶領域から、一遍たりとも削除されない記憶。死に向かい、獣になる人の記憶を。


「……そうか」


 たったそれだけしか言葉にすることが出来なかった。

 たとえ分かっていたとしても、それを言葉にすることは出来なかった。

 ディーンは知っている。

 その残酷な真実を人に教えてもどうにもならないことがあることを、今までの経験から知っている。

 学んでいる。

 誰も彼もが強くない。

 そんな風になれやしない。

 絶望しかない世界で、人はそれでも空元気でも、振り絞って生きていることを知っている。

 だからこそ。


「――なぁ」

「んだよ」


 少しだけ零れた涙を拭い、トルクはその無感情な顔を正面から見据える。

 そこから何かを感じたわけじゃないけれど。

 そこに何かを思ったわけでもないけれど。

 自然とトルクは押し黙る。


「俺を――いや、俺たちをカルシアさんの所に連れて行ってくれないか?」


 それがまるで死神の声のように感じてしまう。


「いやだ」


 だからトルクは抵抗する。

 勝ち目のない、些細な抵抗だ。

 歯牙にもかける必要がない。

 無視をして進んでも構わない。

 だがその目を見てしまった。ディーンのガラス玉に映るのは、意思を持つ瞳だ。

 目の前の死神をあそこにだけは決して連れていきたくないと。

 震える手で、トルクは棒切れを構えた。腰を深く落とした、おそらく見様見真似の拙い構え。

 機械の腕が唸りを上げて、威嚇するように吠え猛る。

 対してディーンは無手である。その両手には何も持たない。


「言ったよな。ばぁちゃんは壊させない」

「……そのまま亡くなったのなら、壊す必要なんてなかった。動力が切れたのなら、そのまま埋葬すればよかった。でも、獣になるなら話は別だよ。機械を食らい、人を殺して、何時かきっと大変なことになるから。俺はそれを知っているから」


 自分の脳裏に走る記録に記されている。それが何時、何の時に記録されたのかは知らないけれど、ディーンは確かにそのことを知っているのだ。


「……やっぱ機械だよ、兄ちゃん。あんた、俺のこと全然わかってない」


 ずきり、と胸の内に痛みが奔る。

 それが感情によるものだと、ディーンは知っている。


「ああ、確かに俺は機械だ。アディ、下がってろ」

「……大丈夫なの?」

「余裕だよ」


 言って、静かに歩を進める。威嚇するように、構えの一切をトルクは解かない。


「さ、俺を止めてみろ」

「舐めんなッ!!」


 トルクは駆けた。

 その結果は、知っている癖に。

 敵わないことだって、わかっている癖に。

 ゆっくりと歩み寄るディーンに、その技の一切は効かなかった。

 苛烈な突きの礫も、剛腕による力任せの薙ぎも、嵐のように振るわれる棒切れは、まるで効果を発揮しない。

 突きをそれに合わせるように拳で受け止め。

 薙ぎを、肘と膝で挟み込むように受け止め。

 真っ二つになった棒切れを振り回すのを、その両手で払った。

 一切合財が通用しない。

 トルクの心は折れる。

 折れかける。

 それでも絶対通さないと、その意思だけを瞳に込めて、睨み付ける。

 それをディーンは羨ましいと思った。

 自分には出来ないからだ。表に感情を出すことも出来ず、人になれず、機械にもなれず、まるで死神のような自分。

 それと比べると、トルクは眩しい。

 感情を表に出せて、人であって。

 眩しいが若く、無謀でさえある。

 彼は救いの方法を知らず、戦う方法を知らず、何も知らない子供。自分の出来ることと出来ないことの区別がつかず、自分ではどうすることも出来ないことに直面したことがない。悩んだ末の結果がこれなのだ。自分で見つけた結果がこれなのだ。

 だから、あまりにも幼いのだ。


「少し、眠れ」


 トルクの目の前まで接近したディーンは、その頭に掌を乗せる。

 そっと撫でるように、愛おしいと言わんばかりに、優しく触れる。

 ばちりと掌から紫電が爆ぜる。


「――ぁ」


 静かな電流は、トルクの神経を焦がすことなく、意識だけを刈り取った。









「よかったの?」

「いーんだよ、あれで」


 気絶したトルクを放置して、二人はビルを上る。

 暗い階段を、言葉も少なく行く。

 その先に待つものを、ディーンは知っている。


「ねぇ、お兄」

「なんだ?」

「お兄、やっぱ嫌?」

「嫌ってことは……よくわからないけど、少なくとも、俺がやらないといけないことはわかるよ」

「そっか」


 階段を登りきった先には、以前見た巨大な扉。

 その傍には小さな扉。きっと今か今かと帰りを待ち侘びる少年少女がいるのだろう。もしくは、カルシアの面倒を見る子供たち。

 その光景を、きっと自分は壊すのだとディーンは思う。

 その光景を、想像するだけで、どこかがおかしくなる。けれど、その感情をよくわからないままに。

 ディーンは巨大な扉に手をかける。

 その鋼鉄を。

 鋼鉄の、両手を。

 そっと、優しく、撫でるように当てる。

 破砕音が響いた。腹の底に響くような衝撃音だ。

 埃が舞い散り、ビルが揺れる。ヒビの入った床が、さらにそのヒビを広げ、砕け散りそうなところをすんでで耐える。

 軋みが鳴り響き、扉にヒビが奔る。

 どご、と軽い音。次いで、弾ける音。巨大な扉が、その抵抗の一切を許されずに、崩れ落ちた。

 ばらばらと破片が飛び散り、二人を襲う。だがその鋼鉄の腕は、二人を襲う瓦礫の一切を粉砕した。


「お兄、やり過ぎじゃ……」

「どうせ、ここ、壊れるよ。早いか遅いかの違いしかない」

「そんな問題じゃないと思うんだけど」

「そんな問題なんだよ」


 もうもうと埃が舞う中を、二人は踏み出した。

 瓦礫の破片を蹴飛ばした。

 からからと、衝撃とは違う小さな音。その破片は、少女の前で停止した。

 少女はこちらを見て、目を丸くし呆然としている。

 その少女をやはりディーンは知っていて。その名をクランとトルクが呼んでいたのを覚えている。クランは震えたまま、目の前の出来事が信じられないと立ち尽くすだけだ。


「――お兄ちゃんは?」


 震える声で、ようやく絞り出したのはただその一言だった。


「外でよく寝てるよ」


 言って、ディーンはしゃがみ込む。目線を合わせるように。安心させるように。


「一緒に行ってきたらどうだ?」

「でも……おばあちゃんは? 他の子たちは?」

「一緒に行けばいい」

「おばあちゃん、もう動けないよ?」

「知ってる。他の子たちと行けばいいよ。後は俺たちに任せてくれよ」


 ディーンは決して微笑まない。その表情に感情は現れない。人工の筋肉では、人の繊細な表情を形造れない。

 アディが、代わりに微笑むようにバッグの中身を差し出す。中には、食料と整備道具。きっと、彼らはこの後、必要になるだろうから。


「これも一緒に持ってくといいよ」


 差し出された袋と、アディの間を戸惑う瞳を彷徨わせながら、クランはバッグを受け取った。


「いい子だ」


 彼女の頭を、潰してしまわないように優しく撫でる。トルクの意識を刈り取った手で、巨大な扉を粉砕した手で、優しく。


「……わたし、知ってるよ。おばあちゃん、もう死んじゃうんだって」

「ああ」

「ねぇ、おねえちゃん、お兄さん。お願い。おばあちゃんを助けて」

「…………善処するさ」


 そのような言葉を吐いた物事は解決しないのが常である。

 それが出来るなら、する必要があるのだろう。

 けれどディーンには出来やしない。自分の身体構造程度、把握している。

 ディーンには壊すことしか出来ない。

 何かを生み出すことも。

 誰かを救うことも。

 ディーンは自分が欠陥品のようなものであると理解している。

 そんな自分についてきてくれるアディは、やはりいい人なのだろう。

 だからこそ、信頼しているし、信用もしている。護りたいとも思う。

 それが出来るのならば。


「早く行け。他の子たちも連れて、早くだ」

「……うん」


 重たい荷物を、引きずるようにして、クランは奥へと消えていく。他の誰かを呼びに行ったのだろう。


「さて」









「久し振りだな」

「ああ……あんたらかい」


 一ヶ月振りに見たカルシアは以前とは大違いな程に機械に浸食されていた。 ベッドに横たわる細い身体は鋼鉄に包まれていて、そこに生命の鼓動を感じることはない。人間とは違う、冷たい身体。

 ディーンと同じ、冷たい身体。


「あたしを殺してくれるのかい?」

「それをあんたが望むなら」

「はんっ、お前はあたしが望もうと望ままいと、きっと同じことをするだろうよ」


 それもそうだ、とディーンは思った。

 自分の覚えている限り、この身体は機械の獣を殲滅する為のものである。だから壊す。そこにある思いを知っているから。


「ああ、殺してやるよ。壊したりなんか、しない為にな」

「そうかい、そいつはラッキーだね。あたしは人間で死ねるのか…………なぁ、あの子たち、どうなるんだい?」

「どうにかなるよ。生き辛いかもしれないけれど、誰だって、死ぬときは死ぬんだ」

「よく知ってるよ。この目で見てきた」


 カルシアは自分の瞳を、機械で出来たガラス玉を指さす。

 そこにはやはりどんな感情も見られなくって。

 だからディーンは、殺したくなんかなくって。

 なのに同時に殺してやらなきゃならないって。

 いろんな感情がごた混ぜになってしまっている。自分の感情がわからない。元々感情なんてない機械が、どう思えと言うのだろうか。


「さ、頼むよ」

「ああ」


 

 ――その日、一つの命が消えた。

 だからきっと彼は吠えるのだ。










「終わったの?」


 カルシアの部屋を出てすぐの壁に寄りかかっていたアディが、顔を上げる。

 そこにあるのはどんな感情なのか、ディーンには読み取れない。

 だけど、哀しんでいるのはなんとなくわかる。


「ああ、終わらせたよ」


 そう答えたディーンの掌には青い歯車。

 もう動かない、カルシアの心臓(エンジン)。


「そっか」


 と、アディは短く答えた。

 そこにどんな感情があるのか、ディーンには読み取れない。

 けれど、表情筋の動きから、泣きそうだとわかる。


「お前は何時もそうだなぁ」

「え?」

「こんな時、何時も泣きそうだ」


 見上げるアディは、その瞳から滴を零した。


「だって、お兄、泣かないじゃん」


 答えたアディは、やはり泣いていて。


「そうか」


 と、ディーンはただ一言で答えた。

 その瞳は、やはり何時ものガラス玉。


「さ、て」


 ディーンの瞳には、何も映らない。けれどその瞳は、確かに先を見据えていた。






 

 ――――町に、咆哮が響き渡る。

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