第16話かちり、時計が鳴った
3
カウンターに座り、ミルクを注文して、改めて少女を見る。男と見紛わんばかりに短く切られたくすんだ赤色の髪の毛が特徴的だ。
けれど、その可愛らしい顔立ちが、少女を少女足らしめている。
彼女は名を『リコッタ』と名乗った。
「へぇ、あなたがリコッタさんなんだ」
こくりと並々注がれたミルクを一飲みしてアディが頷いた。唇の周りを彩る白髭を、ディーンはハンカチを取り出して拭き取ってやる。
「そうですよ」
言葉少なに、少女は呟くように頷いた。
「それで、私にいったい何の御用でしょう?」
こてん、と首を傾げる。
このような酒場で、一人で店員をやっているようには、とてもではないが見えない。
身体に反して、少し幼いように感じてしまう。
「ん、とね。お兄」
「はいはい」
生返事を返しながら、ディーンはポケットの中から折り畳まれた伝票を取り出す。小さな小包で、それも壊れ物らしい届け物は、ディーンのバックパックに突っ込まれている。
手の中で伝票を開くと、リコッタによく見えるよう、それをカウンターに置いた。
「ええっと、カルカソのベゼルって奴から。あなたに届け物だ」
その言葉に、リコッタは打って変わって目を輝かせると、カウンターの上に置かれた伝票を引っ手繰るように自身の目線まで掲げる。
「おおお……ベゼル君からですかっ!」
物静かな第一印象を突っ切って、声を荒げるリコッタ。
どうにも、彼女はベゼルと知り合いで何かを頼んでいたらしい。
君付けで呼んでいるようなので、どうやらそれなりに親しい仲であるようだ。
小躍りしそうな勢いで立ち上がったが、しかしディーンたちを思い出したのかぴたりとその動きを止める。
そして、小さく咳払いをして座った。心なしか頬が赤い気がする。
「ん、んんっ、す、すいません……つい」
「いや……」
あまりの違いに面食らうが、しかしそのようなことは人間であれば誰でもあることなのだろう、とディーンは納得する。
「それでそれでっ、いったい何だったの!?」
と、アディが身を乗り出して。
「こら、お客さんにそんなこと聞くな」
と、ディーンの掌が強制的にアディを座らせる。
「あ、いえ、別に構いませんよ」
リコッタはその様子を見つめ、薄い笑みを形作る。
まるで微笑ましいものでも見るかのようだ。
彼女は二人に顔を寄せると、他の人に聞こえないよう、小さな声で言った。
「これは時計ですよ」
幸いにも、離れた席で呑み楽しんでいる客人には一切聞こえていないようだ。
ひらひらと伝票を手の中で弄びながら、リコッタは答える。
二人は、きょとんとした顔で、しかしその中に恐怖など多少も存在しない。そのことに、リコッタは安堵した。
「時計?」
「ええ、でも怖がられるから内緒ですよ?」
人差し指を口元に立て、真剣な表情で言う。
確かに、機械仕掛けの時計など、持っているだけで狙われそうなものだ、持っていたくもないだろう。けれど彼女はわざわざ時計を注文したのだ。
あの奇妙な少年に。
「そりゃまたどうして」
「だって綺麗じゃないですか」
そっと胸元で手を組んで、確かに惚れていると言った風情で、目を瞑る。
「正確に音を刻んで、時間を刻んで……その精緻さ、緻密さ、外観に内部機構、どれをとっても綺麗なんです。そりゃ私だって機械は怖いですけど、これは別なんですよ」
言う。言葉を紡ぐ。他者に聞こえないように小さな声だったけれど。
「……それ、俺たちに言ってもいいのか? 怖がられるとか思わなかったのか。気味悪がられるとか、脅されるとか…………殺されるとか」
そのようなことが、起こらないことはない。
今の世界が世界である限り、それは確実に予想出来ることなのだ。静かに、無表情で語る、無機質な言葉は、どこか心配しているように思える。
「ん、あなたたちはベゼル君の友達ですよね? こんな届け物、したいなんて思いませんもの、普通なら」
「違うよ。俺たちは運び屋だ。依頼とあればどんなものでも運ぶんだよ」
「それでも」
それでも、とリコッタは言葉を続ける。
「それでも、こんな品物……機械獣に襲われるかもしれないんですよ?」
それは、確かにそうであると、ディーンは知っている。その為に襲われたことも一度や二度ではない。
どんな小さな機械であろうと、貪ろうと、自らを補填する為に襲ってくるのだ。
だから、その所為で失敗したことも、一度や二度ではない。
「それは……」
「大丈夫だって」
それでも言葉を紡ごうとするディーンを遮って、アディが言葉を紡ぐ。
それは全幅の信頼。
信じているから言えること。どこまで行っても、アディはディーンを信じるのだ。
「だってお兄、強いから」
にこりと笑うと、リコッタの目が点になる。予想外の台詞に困惑する。そのようなこと、言った人間など、見たことがなかったからだ。聞いたこともない。
だが、少なくとも、目の前の人間は語ったのだ。
「そう……あなたはお兄さんが好きなんですね」
「うんっ」
何の躊躇いもなく、アデイは頷いた。
4
場所を移し、ディーンたちは厨房の中へ通された。大きな石竃や、炊事場、火起こし用の薪や、保存された食料で埋め尽くされたそこを、真っ直ぐに突っ切ると、正面に小さな扉が現れた。
「ここ、私の部屋なんです」
リコッタが招くように手を振ると、ドアの取っ手を掴んだ。少しの力でがちゃりとドアは開く。
しかしそこに微かな震えがあったことをディーンは見逃さなかった。
怖いのだ、と予想をつけた。
確かに自分たちは運び屋で、機械に対して嫌悪はないのだ。
自身が機械であるのも、また事実なのだし。
それを知らないリコッタは、やはりどこか心の奥で自分が怖がられる、追い出される対象にされるのではないかと怯えているのだ。
それでもドアを開けたのは、おそらく隣にいるアディのお蔭なのだろう。
開かれた扉の向こうには、異常でもなんでもない、普通の光景が広がっている。
だけどそれでも、この光景は異常以外のなんでもないんだろう。
「こりゃまた……」
思わずディーンは呟く。まるで人間のように、生唾を飲む動作。
それほどまでに、目の前の光景は異端であった。
――かちり
――かちり
部屋の中から音叉のように、じんわりと部屋を包む静かな音。それが凡そ自然にあるような音ではないことは明白だ。その規則正しい音の波は、自然には生まれることない整然とした音。
機械の音。
機械式の時計。
部屋の至る所で、たくさんの時計がそれぞれ自由に時を刻んでいる。
「これは……」
その景色に圧倒される。まるで機械の城だ。
明らかに、狙ってくれと言わんばかりのそれに、ディーンは苦虫でも噛み潰したような印象を受ける。
苦虫など、知りもしないし、その感情なんなのか、わからないが。
「あれ? でも、動いてないのもあるよ」
アディが傍の棚に整然と並べられた小さな時計を手に取り、首を傾げた。確かにその時計は、既に動きを止めていた。時間を指し示す針は、現在の時刻とは離れた場所で停止している。
「ああ、それはですね、動力が動かないんですよ。どうにも、何年も使ってると動かなくなるみたいで……それでもそれはそれで素敵ですよ。動かなくなった時のままで、そのままでそこにあるんですから。動かなくなったからって絶対に捨てられませんよ」
やはり薄い笑み。微妙な差異で、わかるかわからない程だが、ディーンには確かに笑っているのがわかった。
動かなくなっても。
それは自分も同じことなのだとわかっているのだが、つい時計に感情移入してしまう。
自分と同じ機械が、とても大事にされているのを見るとほっとしてしまう。
自らのつぎはぎで出来た身体も、それは当然大事にしてもらっているからだ。
それが出来ているリコッタをいい人だ、と判断する。
「なるほど。あなたはいい人だ」
「えっ」
「とても大切にしている。俺にも、それくらいはわかる」
だからここを壊されるようなことがあってはならないのだと思った。
思い出も、何もかもが鉄くずになってしまうから、それはどうしてもいやだった。
そう判断したのは、自分のどの部分なのか、ディーンにはわからなかった。
「それに、ここの時計はどれもきれいだ」
「わかりますかっ!?」
「ああ、わかる。わかるとも」
巡らせるように首を回して、手を伸ばして、それでもしかし決して触れないように、時計を示す。
「どれもよく手入れされている。きっとこの時計は、ここにいられてよかったんだろう。大切にしてもらえている」
うん、と一度頷き、組んでいた手を解く。
「やっぱり、あなたはいい人だと、俺は思うよ」
「……おお、お兄が人を褒めるなんて珍しい」
「お前は普段、俺をどんな目で見てるんだ?」
「こんな目」
んべ、と舌を出して、目の下を引っ張って見せる。悪戯っ子か、好奇心旺盛な子供みたいな風情だろうか。
「なるほど」
と、ディーンは軽く掌を、その生意気な頭に振り下ろした。
「やっぱり仲良しなんですね」
「……そう言われるならそうなんだろうな……あ、そうだ、これ」
少しばかり不服そうにディーンは言って、ふと思い出したようにコートのポケットに手を入れた。そこから現れたのは掌に収まってしまいそうな程の小さな箱であった。
「流されるままだったが……元々これを届ける為に俺たちは来たんだよ」
「と、言うことはこれは!」
「ああ、時計だよ。もちろん俺たちも荷物の中は見ていない。どんなのかわからない。だけどよかったら、だけど、俺にも見せて欲しい」
言葉に、アディがぶんぶんと首を振る。
「ええ、いいですよ」
小さく頷き、期待に震える手のままに、小包を手に取る。
ゆっくりとした手で、その鉄の箱を、開ける。かちゃり、と軽い音を立てて、小箱は開いた。
簡素な内装の中から現れたのは、やはり小さな時計であった。壁掛け時計とは違い、後ろの金属製のバンドから察するに、手首などに巻き付ける用に作られた時計であろうと予測出来る。
精緻に作られ、かちりこちりと時を刻むそれは、もはや世界に幾つと残っていな芸術品のような香りを仄めかせている。
人の手によって作られたもののはずなのに、まるでそんな雰囲気を感じさせない時計を、ディーンはしげしげと眺めた。
「きれい……」
そう言ったのは誰だったか。
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