第15話あなたのいのち




 トゥルデの町南西、傍に聳える丘の影にて。


「お兄、スパナ」


 砂塵の止まない荒野から、隠れるようにして、アディはバイクの傍に蹲っていた。


「はいよ」


 こちらを見ることもなく差し出した手に、ディーンはスパナを握らせてやる。


「お兄、レンチ」


 かちゃかちゃと幾つか弄った後、再度アディは言う。


「はいよ」


 やはりこちらを見ない。

 その表情はディーンからは見えない為、どことなく不気味な感じが漂っている。それが何を理由にしているのかは、ディーンにはこれっぽちもさっぱりわからなかった。


「お兄、ネジとナット」

「どれだ?」

「ん、三号」

「ほら」


 きこきこきこ。

 ネジを締めて装甲板を固定することで、ようやく機械部分が隠れた。

 惜しむらくは、その装甲板がそこらで拾ってきた板であることだろう。

 板の色合いも、ちぐはぐな印象を受けるのはその為だ。


「ふぅー」


 一仕事終えて、息を吐くアディ。

 ぐいと額の汗を拭って、エンジンオイル塗れの鼻をかいた。


「うん、いいな。ありがとう。俺はこう言ったことはさっぱりだから助かったよ」


 無表情にお礼を告げるディーンに、しかしアディは食ってかかる。


「誰の所為だと思ってるの?」

「少なくとも俺の所為じゃないことは確かだ」

「ど、どの口が言うかぁっ!?」


 振り向いたアディは、スパナを振り被り、投合。

 見事にディーンの顔面を捉えた。

 惜しいのは、あまりに直線的過ぎた為、ディーンが受け止めてしまったこと。


「お、お兄が装甲板外さなきゃよかったことじゃない!」

「だが……あれがあると変形が」

「使わなきゃいいじゃない!」

「人命が」

「つ、使わないで助ける方法を考えてよ!」

「……悪かった」





 






 トゥルデの町は、やはりカルカソとは比べものにならないくらいに貧層であったが、しかしそこには、あの大都市にはなかった活気もあるのだ。

 じゅわぁ、と香ばしい音を立てて、アディの目の前の肉が焼き上がっていく。独特の黄金色の焼け跡はそれが砂モグラの串焼きであることを示している。


「おっちゃんありがとー」

「いいってことよ。……なんだお前ら、またあっこに用なのか?」


 言って、店主は串の先で廃ビルの街を示す。その表情から、そこに行くことを歓迎していないことは明白である。


「んー、あそこに用はないけど、でも寄ってみようかなって思ってるよ」


 久し振りって程でもないが、寄ったら寄ったでそう言う気持ちになるものだ。


「そうかよ……物好きもいたもんだなぁ……」


 複雑そうな表情で店主が呟く。


「確かに、俺たちは物好きな商売をやっていると思うがな」


 腕組みをしたまま、ディーンは心なしか羨ましそうにアディを眺める。

 串焼きを受け取りながら、アディは言う。


「で、さ、おっちゃん、リコッタさんって知らない?」

「知ってるさ。知ってるともさ。呑み屋のねーちゃんだよ」1


 あそこのな、とつけ加えて、店主は串を路地に向ける。

 そこには何も見当たらないが、どうやら小さな路地を行ってすぐの所にあるらしい。


「そうか。助かるよ」

「それならお兄ちゃんもなんか買ってってくれよ」

「俺はいいよ。アディが俺の分まで食ってくれるから」

「……お前も変わってるな」

「ほっといてくれ」


 ふん、とディーンは小さく鼻を鳴らした。


「お兄、それなら早く行こうよ」


 と、アディが串焼き片手にコートの裾を引っ張る。

 香ばしい匂いがディーンの鼻腔をくすぐるが、しかしそれを食すことはディーンには出来ない為、嫌がらせにも等しい行為であると言える。

 それを口に出すほど狭量ではないのではあるが。


「……そうだな」


 目は口ほどにものを言うと言われるのではある。


「どしたの?」


 上目遣いに眺めてくる瞳が、これほど鬱陶しいと思うのも珍しい。しかし、よくよく記憶領域を漁ってみれば、このようなことは日常茶飯事であったので、気にしないことにする。


「なんでもねぇ。行こう」

「あ、うん、そだね。じゃね、おっちゃん」

「おう」


 キュインキュインと小さな音を立てる手を振る店主を横目に眺めながら、ディーンは路地を行く。

 小さなテントが点々としている区画ではあるのだが、それでも、過去の家々を利用する人も、それなりにいるらしい。

 まるで廃墟のようなそれらの中にも、襤褸を被った人間――おそらく機械化している身体を隠すため――をたくさん発見出来る。

 生きてる意味もなく生きているような人間もいれば、機械化してても何とか生きようとしている人間もいる。

 そのことは、今までの経験から知っているのだ。

 じろじろと無法にも注がれる視線の網の中を掻い潜るようにして、その目当ての呑み屋を探す。

 視線の中に混じるのは羨望と恐怖。

 アディの未だ機械にならない健康的な身体を羨んでのことも。

 自らの機械化している身体を知られたくないと言うおびえた目。

 それらの網の先に、こじんまりとした家が鎮座している。

 店と言うよりも小屋と言った方が近いだろうか。


「これ……じゃないかなぁ?」


 今にも崩れ落ちそうな屋根や、叩き壊せそうな壁。

 まるで廃墟をそのまま使いましたとでも言いたげな風貌。

 それでも、その頭上にしっかりと看板がかかっているのだ。

 曰く。


「『ソーマ』って、シンプルだな」


 別に何かあって欲しいわけではないが、しかしそれでもシンプルであると言えるだろう。

 ディーンはそのイメージの違いに悩んでいるが、それでは始まらないことも同時にわかっているのだ。


「しっつれいしまーすッ!」


 アディが、悩んでいるディーンを差し置いて、両開きのドアを思いっきり弾き開けた。

 木材の跳ねる音が反響する。

 ちりん、と不釣合いな程に澄んだ鈴の音が響く。

 薄暗い店内には、酒を飲む時間でもないだろうに、数人の客がいることが瞬時わかる。

 みすぼらしい身形をした何人かの客の目がこちらに向けられる。エールを煽りながらも、一様に澱んだ目をしながら、こちらを羨んでいる。

 きっと、元気一杯のアディを見て。


「……あんまりいい場所じゃないな、これは」


 すん、と意味もなくディーンは鼻を鳴らした。饐えた臭いと、もうもうと煙る煙草の臭い。


「そうかな、私は好きだけど」

「そりゃお前が物好きなだけだ」


 こちらに視線を向けていた人間は、もはや興味がなくなったのか、それぞれが思うように行動を再開する。

 煙を吸い込み、エールを呑み込み、カードを切る。

 その手は澱みないが、しかしディーンの鋭敏な聴覚は、彼らの手が機械であることを示す駆動音を発していることを正確に聞き取った。

 なるほど、そう言う奴らが集まるところか、ここは。


「――いらっしゃいませ~」


 周囲に向けていた意識の外から、柔らかな声がした。ディーンたちの背後から声をかけたのは、見るからに酒場の店員とでも言いたげに、腰にエプロンをした少女だった。


「……女の子?」


 ぽつり、とディーンが零した。

 その言葉に、少女はむっとした顔でディーンを睨みつける。

 睨みつけているつもりなのだろうが、元来おっとりした表情なのだろう、迫力があまりない。どころか見当たらない。


「それ、私が女の子に見えないって言いたいんですか?」


 確かに髪の毛は短めで、それは男っぽく見えると言っても差し支えないだろう。しかしそのスカートと胸を見て男と思うのはよっぽどのバカだろう。

 そしてディーンはその類のバカではなかったのだ。


「違う! そうじゃない!」


 慌てるようにして、ディーンは言葉を発するが、その表情が無表情である為に奇妙な行いであることは、傍目に見ても明らかである。

 じろりと睨む少女の瞳から、逃げるようにして、ディーンは距離を取る。

 このような状態になった時の、アディの厄介さを、ディーンはよく記憶している。


「……じゃあどうだって言うんです?」


 見る見るうちに機嫌が悪くなっていくのが手に取るようにわかる。そろそろ、その手に持ったトレイをディーンの頭に叩きつけそうだ。


「え、ええ、と、だな」

「はい」

「き、君みたいな子が、こんな荒くれの巣窟みたいな所で、なんで働いてるのかって……」


 なるべく言葉を選ぶようにして、ディーンは小さくなりながらも必死に紡いだ。

 だが哀しいかな、彼の表情は変わらないのだ。

 まるで人型と同じように作られたのに、その表情だけは凍りついたように、決して変わることがない。

 人はそれを不気味にも奇妙にも思うのだ。

 折角なら、俺を作った時に、そう言う機能をつけてくれれば良かったのに。などとディーンは何度も思ったことか。

 思ったことを伝える為には、表情と言うものは必要不可欠なのだ。

 特にこのような場合では、表情の重要性を思い知らされるのだ。


「ぇ、とあの、お兄は悪気なかったと思うよ……?」


 険悪な空気の中に割り込むように、肩を小さく竦めて、アディが助け船を出した。


「例えそうだとしても、デリカシーがないです」


 きっと吊り上がった目で、アディに冷たい言葉を吐く。小さなアディがさらに小さくなって、大人しくなる。


「デリカシーとかあったか?」

「今更だよなぁ?」


 隅のテーブルでカードゲームに勤しんでいた汚らしい身形の男が、黄色い歯を剥き出しにして笑った。

 ぶん、とトレイが飛んで、男に当たり沈黙した。

 たら、と自分にはない発汗機能が起動している幻想を、ディーンは抱いた。


「それはすまなかった。謝る。謝罪する。ごめんなさい」


 思いっきり頭を下げて、言葉は少なく、しかし真摯であるように謝罪する。無機質な言葉は、一応はディーンの本気を伝えたようで。

 少女は目をぱちくりすると、小さくため息を吐いた。


「……まぁ、いいです」 


 どうやら、許してくれたらしい。ディーンの視界の端で、アディがそっと胸を撫で下ろすのが見えた。



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