第9話時計屋と機械
1
先頭を行く、楽しそうに揺れている長い黒髪を見詰めながら、ディーンは尋ねた。
「で、どこに連れて行かれるんだ、俺は」
「んふふ、悪いとこじゃないよ」
「そうか。お前がそう言うのなら、そうなんだろう」
頷いて、着いて行くことに専念する。
昼前になって、ようやく起きたアディに連れられて、今、ディーンはカルカソの街を歩いている。
別に何か用事があった訳ではないし、何か用事を作るような件もなかったのだ。そも、別に自分達の仕事を宣伝してやっているわけではないのだし、自分から探さない限り仕事は入ってこない。
そしてお金に余裕がないこともない。
端的に言って、暇なのだ。
だから誘われたとき、即座に了承を返した。
「聞いてくれないんだ?」
「言わないだろう」
「言っても問題ないんだよ?」
くるりと振り返って、後ろ向きに歩きながら丸い瞳でディーンを見詰めるアディ。
「聞いて欲しいのか、どっちなんだよ」
拗ねるように返す。
「聞いて欲しいんだよ、女の子は」
「そんなものか」
「そんなもんだよ。お兄」
「そうか」
アディが言うのなら、そうなのだろう。
これまで色んな場所を巡ってきて、アディが間違ったことを言ったことなど、殆どない、と記憶している。
幾度か間違えたことはあるにはあるが、それでも女の子について知らない自分にとってはこれが正解なのだろう。
うん、とディーンは頷く。
「で、どこに行きたいんだ?」
「ん、整備の道具とか、パーツとか、探しにね」
ほら、と腰の小さなバッグから幾つかの道具を取り出して見せる。
使い込まれているそれは、どこか錆びていたり、欠けていたりするものばかりだ。
「ね、そろそろ交換しないとお兄の整備も、あの子の整備も大変だよ」
あの子、と言うのは宿に置いてきたバイクのことだろう。
思い浮かべると、確かにそろそろガタが来てそうな雰囲気があったかもしれない。
「そんな店、どうして知ってるんだよ」
「昨日、お兄が部屋にいるとき、お店の人に聞いてたの」
ここは機械の街だ。それ相応に世話になる人もいるだろう。
「結構穴場で、腕のいい人なんだって。ただ、ちょっと変って言うか……」
やっぱそう言う人ってちょっと変なくらいがいいよねー、とアディはよくわからないことを言う。
「そうか」
「ずぅーっと荒野越えてばかりだったし、ここは機械に対して寛容みたいだから、きちんと整備してあげたいのよ」
「なるほど」
「それに、お兄だってそうだよ」
指を突きつけ、膨れ面で近づきながらアディは言う。
「気づいてないの? お兄、身体の中、いっぱい砂が入ってるんだよ?」
突きつけた指で、ディーンの頬を撫でる。
包帯の上から硬い感触と、ざりざりとした砂の感触。
気づいてはいたものの、整備する時間がなかったのだ。そもそもディーンが自分から、整備を頼むことはあんまりない。
だいたいアディが勝手にやってくれるのが常だ。
「それに、」
と一呼吸置いてから、反対の手でディーンの皮膚を触る。
ぼろ、と細かな破片が落ちた。
その下の機械部分の光沢が露出する。
「人工皮膚(スキン)だってもうぼろぼろじゃない」
人工皮膚(スキン)は機械人にとって、重要だ。
露出した機械部分を覆い隠し、人ごみに紛れ、人間として生活する為には欠かせないものだ。
大きな都市にしかなく、量もそう多くない。
そして、それを扱っている店も、そう多くはない。
何せ、普通の人間相手の商売などでは、間違ってもないのだから。
「……もう持たないのか?」
「あきれた。こんなぼろぼろの状態になるまで気づかなかったの?」
やっぱお兄は私がいないとだめだなぁ、とため息を吐いて、アディは笑顔を作る。
「ほら、早く行こっ! 確かこっちだから」
その小さな手に引かれて、ディーンは少し蹴躓くように走らされる。別段、彼女の力が強いわけではない。
しかし、そうした方が人間らしいと、ディーンは理解しているのだ。
2
その店は、煌びやかで機械的で機能的な大通りから、少し奥に行った場所にあった。
常連以外が見つけるのは至難だろうと予想できる。
そもそも本当に客がいるのかも疑問である。
一言で言えばボロい。
言い換えれば趣のある。
コンクリートの剥げた外装。扉の上にはアルファベットで『STEEL MAN』。
そのまま鋼鉄の男。
一文字ずつ形を整えられたそれは、どこか傾いて見える。
薄汚れた窓からは、やはり機械専門の店なのだとわかる。
機械部品が所狭しと並んでいるのが見えた。
その配置は乱雑で、整然と言う言葉からは程遠い。
幾つかは、どこかで――そう、時計の部品のように思えた。
そんな看板だけが目印の店は、思ってたよりもずっとみすぼらしく見えた。
「ここだってさ」
「本当かよ……」
と、アディは一切の躊躇いなく、看板の下の扉を押した。
ぎい、と軋んだ音と、からんからんと鈴の音。
「おい、待てって」
慌ててディーンもその背に追いつくように店に入った。
入って最初に思ったのは、思ったよりも埃っぽくなかったことだろう。
油や鉄独特の匂いが支配する空間は、世界でもそう多くはないだろう。
次いで、ノイズ交じりの音声が耳に届く。
何かを言っているのはわかるが、ノイズが酷過ぎてなんとも言えない。
「これは」
その音に聞き覚えがあった。
棚に並べられた商品を吟味するアディを横目に、ディーンは首を巡らした。ぐるりと店内を一周する内に、音の発生源を突き止める。
ラジオである。
誰もいないカウンターの上に、ぽつりと放置されていた。半ば分解されている辺り、修理の途中なのだろう。
「珍しいな、ラジオがあるぞ」
アディには聞こえない程度の声量で、ディーンは呟いた。
「……驚いた。外から来た人がそれを知ってるのは初めてだ」
変声期前後だろう声がそれに返答する。
声に視線を向ければ、誰もいなかったカウンターに、少年が座っていた。かなり、若い。
とは言え十四、十五そこらだろうと当たりをつける。
背が低く、小柄だ。
白い肌に、小さな片眼鏡。その奥に機械の目がある。ガラス球の瞳だ。
半端に伸びたくすんだ白髪を、首の後ろで緩く纏めている。
「あんたは……」
「そういう呼び方、僕は好きじゃないな」
こちらを見やり、小さく目に険を乗せて。
「僕はベゼル。時計職人だよ」
「鋼の男なのに?」
「かっこいいんだからいいだろう。それより、君はいったい誰なのさ。ついでにあっちの女の子も」
あっち、と棚を物色しているアディを指で示す。
楽しそうに色々触れ回っている彼女は、こちらの様子に一切気がついてない。鼻歌混じりに、棚を荒らす。
元々荒れているようなものだ。
そのことについて、ベゼルと名乗った少年は何も言わない。
「俺はディーン。ディーン・ラスタだ。あっちはアディリア」
「ふぅん。そう、で、何の用だい? 言っとくけど僕、暇じゃないんだよ」
鼻を鳴らして興味なさ気に、視線を手元のラジオへ移す。
「それか?」
「ああ、これさ。今ね、修理の真っ最中なんだよ」
「お前は時計屋じゃないのか?」
「ベゼル、だ。何でも屋みたいなもんだよ。時計屋は、昔の名残」
言って、分厚いエプロンから工具を取り出し、こちらを気にしもせず作業に移る。
手元を動かしながら、視線を上げることなく、話しかけてくる。
「君はどこから来たんだい。僕は君みたいな人、ここじゃ見たことない。それにラジオも知ってる」
「遠くからだよ。ラジオは家にあった」
「それは興味深い。この時代に、護られた場所じゃない所に、そんな機械が置いてあるんだなんて思わなかったよ」
動かす手は止めず、しかし口元には小さく笑みが浮かぶ。
こちらの様子を一切伺うことなしに、けれど話を止める気配はない。
「君、ねぇ、君は何だよ。僕はそんなの知らない。そんな全身から駆動音発してる人、今まで見たことない」
鋭く電流が奔る感覚。
ディーンは軽く右手を上げる。確かに小さく駆動音がするのが、自分にも、おそらく周囲にもわかるだろう。
だが、
「わかるのか?」
「うん。まぁ、わかるさ。これでも機械弄りが得意でね」
手は止めない。
螺子を回し、回路を繋ぎ、電池を換える。
「君の駆動音は小さいけど、すぐにわかったよ。違和感の塊だから。だって死に掛けてる人以外で、そこまで機械化が進んでるなんて吃驚だよ」
「これは……」
「お兄っ! これどう!? 新しい工具」
そこへ、飛び込んでくるようにアディが、新しい玩具を見せびらかすように手に持った工具を見せ付ける。
確かに新品のようにピカピカで、よく磨かれているのがわかる。
はしゃぎながらディーンの周りを、くるくると回っていたアディだが、カウンターで作業する少年に、ようやく気が付いたようで足を止める。
「君は……」
「ベゼル」
目を逸らさずに、一言だけ言ってのけると口を噤んだ。
「そいつは三人称で呼ばれるのが嫌いらしい」
「そうなの?」
アディは首を傾げ、
「じゃあベゼル君だ」
「誰が君で呼べと言った!」
言葉に険が出る。そこでようやくベゼルはこちらに顔を向けた。
しかし、やはり眉間の皺は濃い。
「僕はベゼルだよ」
「ふぅん。ねぇねぇ、ベゼル君。ここって、人工皮膚ある?」
「だからベゼルだと……まぁ、あるにはあるが」
「あ、じゃあこの皮膚と同じようなやつない?」
と、アディはディーンの頬を突く。
ぼろぼろと垢が落ちるように、皮膚が剥がれ、中の金属光沢がうっすらと顔を出す。
その様子を思案顔で眺め、うん、とベゼルは頷いた。
「あるよ。少し待て。とってくる」
言って、ドアの向こうに消えていく。
小さな背中を見送って、アディはかちゃかちゃと工具を弄ぶ。
「なぁ、あいつ、俺の中身に気づいたっぽいぞ」
じっとベゼルの消えていったドアを見つめながら、ディーンはぽつりと零した。
「別に、ここならばれたっていいと、私は思うな」
背中を向けたまま、アディは声を返す。
「ここなら、機械だって怖がられない。ここなら、機械人も、機械部分を晒して生活できる。ここなら、お兄も怖がられることなんてないんだからさ」
それはきっと本気で言ってるのだと、ディーンでも理解できる。
だけどそれを認めてしまえば、ここっから動けなくなる。
それだけは、絶対に嫌だと思った。
まだやりたいことはある。
まだ目的を欠片も果たせてないのだ。
止まるわけにはいかないのだ。
「そうだな。ここなら、そうでもいいかもしれない」
そんな内心とは裏腹に、ディーンは細い背中に言葉を落とす。
「けど、俺たちの目的は全然果たせてない」
「うん、知ってる。わかってるよ」
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