26・ごめんなさい
黒魔術研究部。
本やダンボール箱が乱雑に散らかった、部室というよりも、不要物置き場となっている狭い室内だった。
その真ん中に、不自然なぐらいになにもないスペースがあった。
「アルフ、グヴォフ、ツゲーッテ!」
指を素早く動かしながら、まじないめいた言葉を叫んだ。
発音が聞き取れない。
英語でも、どこの国の言葉でもない。俺たちの知らない世界の言語だった。
唱えるにつれ、スペースから魔法陣が浮かび上がってくる。
中心部から光が上がっていき、周りにあった本などが、鳥のように羽ばたいていく。
光り輝く魔法陣から、人の姿が現れた。
ショートカットの丸顔をした、黒セーラー服姿の少女。
両手を胸で組んで、静かに眠っている。
澄佳だ。
「光と闇が合わしし力よ!」
日本語に切り替わった。どこから出したのか、美桜の両手には炎が浮いていた。
黒と白の炎。
意味ありげな言葉を発しながら、両手を合わせて2つの炎を一つにする。輝きが大きくなった。
「今ここに澄佳の魂を甦らせたまえ!」
澄佳にむかって放った。
光が爆発した。
音もなく、世界を一瞬で消し去るような白い光が全体を襲った。
失明しそうなほどの激しさに目をつぶった。確認できるのは、美桜のシルエットぐらいだ。
静寂。
徐々に光が消えていった。
バタバタと物が落ちる音がした。
ゆっくりと視界を開けた。
辺りは薄闇。
魔法陣から発していた光は消えていた。宙に舞っていた本が床に落ちている。黒魔術についての本ではなく、オースティンなどの図書館に置いてあるような文学書だった。竜巻の後のように、飛び回った物が滅茶苦茶に散らかっていた。
澄佳が眠るところだけが、なにも落ちていなかった。
「すみ……」
近寄ろうとすると、美桜が手を出して制止した。
俺たちは黙って、澄佳を見つめる。
目。
静かに開いた。何度か瞬きをする。
澄佳の上体が、ゆっくりと上がった。
不思議そうに、目をパチクリとさせながら、自分の両手を眺める。手のひらを開いたり閉じたりと動かして、自分が生きているのを確認している。電源が入ったばかりのロボットのようだった。ここが部室だと把握してから、傍に人がいるのに気付いた。
俺と美桜のことを交互に見ていく。
目の前にいる相手が誰なのか分からない。そんな混乱は直ぐに収まり、俺たちに無邪気な笑顔を見せて、何かを言おうと口を開いた。
「ごめんなさい」
その前に、美桜が抱きしめた。
力強くも、傷つけないように、優しく。
「ごめんなさい」
もう一度、謝った。
澄佳は、驚きながらも、彼女の謝罪の意味を理解して、笑みになった。
「ええよ」
片方の手を、美桜の背中に回した。優しく撫でていく。
澄佳がこっちを向いた。死体のように青く染まった顔。子リスのようなクリッとした双眸は、間違いなく俺の姿をとらえているが、その瞳からは生命力を感じられなかった。
「お兄ちゃん」
だが、澄佳は喋っている。
生きている。
ひなたぼっこをする子猫の鳴き声のような、のんびりとした声は、俺の知る澄佳と全く変わりない。
「澄佳。久しぶり、ということもないな」
二週間ぶりだ。発育が遅いのか、中学生というにはまだ幼い体格で、女らしくなったという感じがしない。だが、血は血であるのを証明するように、姉の面影が強くなってきている。
「相変わらず、かっこええなあ」
「いくらでも惚れてくれ」
「のーみそ食べたくなってくるで」
冗談かと思った。けれど、澄佳は冗談をいうのが苦手だ。言うにしても、言うまえに、プッと笑ってしまうタイプだ。
「俺の脳みそが美味しそうに見えるのか?」
そっと、村雨の柄を手にする。
「なんでやのか、わかんないんだけどな。食べてええんか?」
「澄佳がどうしてもというなら、と言いたいところだが、お兄ちゃんの脳みそは1つしかないんだ。死んでしまうから駄目だ」
「そっか、残念やな」
残念でなさそうに言った。本気なのか、冗談なのか分かりかねないが、外を徘徊していたゾンビのように脳みそを欲しているなら、すでに美桜の脳に食らいついているはずだ。
いや、主人だから、そういうことをしないのかもしれない。
「さてと……」
俺は村雨を抜いて、切っ先を美桜に向けた。
「これはどういうことだ?」
「見ての通りよ」
「妹はゾンビなのか?」
「そう見えるなら」
「脳みそを求めているぞ」
「大丈夫よ。そのための脳みそジュースが闇の世界にはあるの。トマトジュースを飲む吸血鬼のようなものだけど、悪くないわよ」
「俺は真面目に聞いているんだ」
美桜は、澄佳から離れる。すっと立ち上がって、俺の方を向いた。
「別に冗談を言ったわけじゃないんだけどね」
手で、顔についた髪を払った。
「澄佳は死んでいるのか?」
「今は生きている」
「肉体は?」
黙る。しばらくして、
「死んでるわ」
刹那。村雨を斬りつけた。
すれすれ。
当たってはいない。髪の毛を、かすった程度だ。
彼女の細かな髪がはらはらと散った。
「…………」
美桜の表情は変わらない。恐がりもしない。ただ、じっと俺のことを見ている。
「次は本気で斬る」
刀を美桜の額に近づけた。
「冗談じゃなさそうね」
「本気だ」
先端を当てた。血。小さな球体が盛り上がると、それがツーッと垂れていった。
可愛い顔が傷ついても、彼女は動じなかった。
「姉貴がいなくてよかったな。妹の死を知ったら、問答無用にあんたを殺していた」
「だから響歌は、検査すると言って、赤沢先生をここに来させなかったのよ」
「あの人は、このことを知っていたのか?」
「くせ者よ。あの女を甘く見ない方がいいわ」
美桜の動向から、澄佳が死んでいることを、薄々感づいていた。だから、姉貴をここにやらなかったというわけか。
「じゃあ、姉の代わりに俺がやろう」
「生き返らしたわ」
「ゾンビは生きているとはいわない」
「だから、私を殺すわけ?」
「落とし前をつけさせてやる」
刀を戻す。腰を曲げ、両足に重心をかけ、斬りつける体勢を作った。美桜は表情一つ変えずに、俺の動作を見つめている。
「お兄ちゃん、ダメ」
澄佳が、美桜の前に来る。両手を伸ばして、彼女を庇う。
「澄佳はそれでいいのか?」
「うん」
「こいつのせいで、おまえはそうなったんだぞ」
「わたしは、生きてる」
「生きてない。おまえは死んだ。ゾンビになったんだ。それを、許せるのか」
「許せる」
即答。真摯な目をしていた。
「なぜだ?」
「美桜ちゃんは、わたしの、大事な、お友達。もしお兄ちゃんが、美桜ちゃんを斬るなら、そのまえに……」
真剣な顔になる。
「わたしを斬って」
言い切った。
美桜は言った。澄佳は大事な人だと。澄佳は言った。美桜ちゃんは大事なお友達だと。だから許せる。なにをしようが、なにをされようが、許せる。
姉貴と響歌さんとの関係と重なった。あの二人は、友達、恋人という関係を超えていた。
二人でひとつ。
二人の手はいつも繋がっていた。
俺の入る隙間がないほど、強い絆があった。それは中学時代から、十年以上経った今日まで、ずっと続いていることからして、本物であると証明している。
この二人も、いずれはそうなるのだろうか?
分からない。
だが。
「分かった」
俺は殺気を解いて、村雨を鞘に戻した。
「許したわけじゃない。イッヤーソンを倒すのに必要だから、生かすだけだ。もしも、裏切ることがあったなら……俺はおまえを殺す」
多くの人を怯えさせたヤクザの恫喝。
「その時が来るのを楽しみにしているわ」
それを美桜は、ジョークを聞いたように軽口で返した。
そして、額から出た血を指で拭って、暫くそれを眺めてから、ペロッと舐めた。
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