21・長い夜になりそうだ


 タバコを吸おうと、ライターの火を点けようとするところだった。


「三田村さん、ご苦労さま」


 初老の男は、響歌さんに気付くと、口にはさんでいた一本を箱に戻し、Yシャツの胸ポケットにしまった。

 制服や防護服を着た人が溢れる中で、ラフな格好をした場違いな男だった。着用が義務づけられたマスクもしていない。

 なのに現場の前線に立ち、指揮を取っている。


「ええっ! もしかして、三田村さんっ! うわっ、懐かしい!」


 姉の知り合いのようだ。意外な人物と出会って目を大きくしている。


「ほう」


 姉を見て、感嘆の声をあげる。


「菜穂香ちゃんか。暫く見ないうちに、お美しくなられたものだ」

「あはは、性格のほうは変わってないって、よく言われるんだけどね」

「そこの君は……」


 俺のことを見る。


「ふむ」


 意味ありげに白の交じった無精髭を撫でた。

 穏和だが、鋭い目つき。

 全てを見透かそうとするかのようだ。

 それでいて、こちらからは表情を読み取れない。

 カタギじゃない。ヤクザに近いにおいがした。


「なんですか?」

「鏡明くん、大きくなったな」

「俺のこと、知っているんですか?」

「ああ」


 頷くだけで、それ以上はなにも言わなかった。

 よれよれのYシャツ、紺のストライプのネクタイは曲がっていて、裾上げをしていないズボンが地面に付いている。急な呼び出しがかかり、そこらにあった衣類を慌てて着たような、だらしのない格好だが様になっていた。


「青井司令官、やっと交代してくれるのですね。私には向かない仕事で、ほどほど困りましたよ」


 口はそういうが、顔は落ち着いていた。


「いつものように、名前で呼んでください」

「それはできません。ボスは貴女なんです。なのに、私のような下っ端にやらすとは人が悪い。中にはかつての仲間がおりましてね、驚かせてしまった」

「どこの馬の骨だか知れない若い女が指揮するよりも、三田村さんのようなベテランで、貫禄のある方のほうが、現場が引き締まります」

「老いぼれよりも、美しい花のほうが、士気があがりますよ。青井司令官はリーダーの素質があります。前に立つべきです。あなたは、もっと自信をもっていい」

「ありがとう、お世辞でも嬉しいです」

「私がお世辞をいう玉でないのは、分かっているでしょうに」

「だとしてもお世辞と受け取っておきます」


 微笑を浮かべる。謙遜というより、表舞台に立つのを至極避けている様子だった。微笑の中には、それができないことへの諦めも含まれていた。


「三田村さん、ご苦労さまでした。ここからは私が指揮をとります」

「それは助かる。お役御免の私は家に帰ってあたたかいベッドで眠って、というわけにはいかないようですな」

「ええ、新しい任務が待っています」


 俺と美桜を見る。俺たちの護衛。それが三田村さんの新しい務めだった。


「その前に、報告をお願いできますか?」

「了解。被害者の数は、大雑把にですが、少なく見て五百以上。多くても千はいってない、といった所でしょうか。ゾンビの駆除とウィルス感染の拡大を防ぐのが優先ですので、正確な被害は把握できておりません」


 予想以上の数だ。

 胸が痛む。コテンパーンを結界の外に出し、イッヤーソンを化け物にしてしまった俺の責任だ。姉のような圧倒的な力があったら、被害を出すことはなかったはずだ。

 無力な自分が悔しかった。


「鏡明くんの所為じゃないわ。どちらかといえば、闇世界の魔物の侵入を許した、私たちの責任よ」


 顔に出ていたようだ。響歌さんが、俺の肩に手を置いた。俺はその手に触れた。それぐらいのサービスなら許されるだろう。

 落ち込む俺を、響歌さんが良く慰めてくれたものだ。響歌さんの優しさに調子に乗って、胸の谷間に顔を埋めたりとセクハラをし、極上の幸せを堪能していたところを、姉に半殺しにされる、というパターンがお約束だった。

 響歌さんもそのときを思い出したようで、「相変わらずね」とクスっと笑い、俺の手をマッサージしてくれる。


「さらに言えば、ザル警備にしてしまった政府の所為でしょ」


 美桜は言った。


「責任なんて感じる必要ないわよ」

「「あんたは感じろ」」


 俺と姉は、同時に突っ込んだ。


「この付近のゾンビは全滅したようです」


 三田村さんは報告を続ける。


「建物内をくまなく探させていますが、今のところ発見の報告は入っておりません」

「暴力団を襲ったゾンビたちはどうですか?」


 黙っている。


「三田村さん?」

「そちらも全滅、と言いたいところですが、嫌な予感がします」


 頭を掻いている。


「大変なことでも?」

「あったなら、急いで報告していますよ。指示の通り、ゾンビは全て焼却処理しています。なんも問題のないはずなんですが……」

「刑事の勘が働いた?」

「元を付けてくれると、ありがたい」


 この人は刑事なのか。どうりでヤクザに似た空気を持っているわけだ。


「死体の数がどうも合わない。行方不明者がいるようなんです」

「ヤクザの中に?」俺は聞いた。

「そう。バラバラにされたり、原形がなかったりと、判別不可能な状態の死体が大半ですし、詳しく調べていたら、こちらもゾンビウィルスに感染する恐れがあります。現に、鑑識の者が被害にあっている。更なる伝播を防ぐためにも迅速に焼却処理をしてますので、被害者の身元はろくに確認できていません。それでも、数が合わない」

「何人、足りないの?」

「十を超えているかと」


 かなり多い。だからこそ、違和感に気付くことができた。

「なるほど、それは気になるわね」


 俺の手を離して、考える仕草をする。


「その勘は正しいかもね」美桜が言った。「イッヤーソンの目的は、優秀な部下を作ることだもの。やみくもに人間たちをゾンビにして、この世界を荒らしているわけじゃない。行方不明になったゾンビは、イッヤーソンのテストに合格した奴ら。そういう奴を、イッヤーソンはテレパシーで指示をして、ある場所へと連れて行っているでしょうね」

「その場所はどこだ?」

「教えなさい。今すぐ、たたきつぶすわ」

「そこで答えたら、私はイッヤーソンの仲間で、罠をしかけていると疑ったほうがいいわ」

「仲間なんでしょ?」


 姉が皮肉った。


「あれの仲間になるぐらいなら、ヤクザの嫁入りしたほうがマシだわ」

「俺の子猫ちゃん。新婚旅行はどこがいい?」


 侮蔑たっぷりの、冷たい目線が返ってきた。


「やれやれ」


 三田村さんは肩をすくめる。


「そちらも調べなきゃなりませんな」

「三田村さん、お願いします」

「長い夜になりそうだ」


 彼は顔を上げた。

 暗澹とした曇り空、二機のヘリコプターが飛んでいた。

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