第8話 最低の一日の終わりに

 『私』から事の顛末を聞き終えると、気になったことを尋ねた。

「どうしてあなたはバイト先からの電話とか直前の流れとか記憶が抜け落ちていたの?他の『私』はしっかりしてたのに」

 『私』は困ったような表情を浮かべた。

「よくわからないけど、私を作ったとき急いでいたみたいだし、何かミスしたんじゃないかな?」

「それはあるかも……とにかくさ、色々教えてくれてありがとう」

 『私』に感謝して持っていた本を受け取り、『私』を消した。『私』は消えながら、「うまくできなくて本当にごめんなさい」と涙を流していた。その姿を見て胸が苦しくなった。

 携帯を取り出し、『私』から聞いたことで大事なところをメモした。ピザの代金も忘れずにメモをする。割り勘分でなく全額払うくらいは最低でもしないといけないと思った。

 すぐにでもメールして謝りたいと思ったけれども、加奈の性格からして時間があまり経ってない今、メールしても内容に関係なく喧嘩になるか無視されるかのどっちかだと思った。無視されるならいいが喧嘩になってしまうと加奈との関係の崩壊を意味するので避けたかった。だから、早くても寝る前の時間くらいにメールをしようと決めた。


 悲哀感に苛まれながら家にたどり着き、自分の部屋に入ると、課題をお願いしてた『私』が本を読みながらお菓子をつまみ飲み物を飲んでいた。のん気な顔で頬杖までついている。

 私はそれを見て、ただただ呆れてしまい何も聞かず『私』を消した。もう『私』に関わるトラブルの話は聞きたくなかったし、今日一日のことを思うと『私』を早く消してしまいたかったからだ。

 『私』を消すと、倒れこむようにベッドに身を投げた。そのまま突っ伏して思いをめぐらせた。


 『私』を全員消して、私一人に戻ったところで今日あったことは変わらないし、今の状況が変わるわけでもない。『私』がやったことは明日になっても、明後日になっても私がやったこととして周りには記憶されているのだ。


 私は顔の向きを変え部屋をなんとなく見回し、机の上にある赤黒い本が目に入る。重たい体を起こして、机まで移動して椅子に腰掛けた。

 パラパラとページをめくり、書き込みがされた箇所を読み返す。加奈の家に置いていった『私』が単なる私のミスであんな不完全な存在になったのか何か記述がないか調べたくなったからだ。それと、最初読んだときは自分を増やせるなんて全く信じてなかったので、軽く読み流していたところや読まずに放置した箇所を読んでみようと思ったのだ。

 不完全な『私』についてはすぐにわかった。書き込みをした筆者が複体とのやりとりなどを記録した部分に極まれに特異な個体が現れていたことがちゃんと書かれていた。記憶があやふやな個体、見た目が不自然に崩れている個体などいたらしい。その理由の主な原因が魔法陣の一部が間違っていたことだそうだ。そうでない場合は元々曖昧な魂の乗せ方に何かしら失敗したのではないかという仮説が立てられていて実証のしようがないということだった。

 そして、読んでなかった部分にはまず研究のまとめが書かれていた。


『複体には、それぞれ個性と意思がある。しかし、その個性は私の個性の一部が色濃く反映されたものだということに気が付いた。その意思もまた根底にあるのは私個人の意思の決定方針と同じであった。』


『複体の記憶や経験は複体のものであり、複体を消したとしても私に還元されることはなかった。また複体には同様の記憶の欠落が見られた。複体の生成方法だけは毎回欠落していた。試しに生成方法を伝え、実行させると新たな複体の生成に成功した。以降それを複々体と呼称する。複々体にも複体と同様の特徴が見られた。複々体は複体にも私にも消すことが出来た。しかし、複々体には複体は消すことが出来なかった。このことから本体である私により近いほうに優先権があるのだと推測する。』


 研究成果はこれ以降も書かれていたがここの記述は先に読んで知っておくべきだったかなと後悔した。もし知っていたら『私』がさらに増やすこともできなっただろうし、ここまでひどい事態にならなかったかもしれない。

 そして、『私』がどんな個性を色濃く反映されてたのか考える。

 バイトに行かせてさらに増やした『私』はきっと面倒くさがりで、ずるい自分。ファミレスの自分は真面目だけれども、少し抜けているところのある自分。加奈の家に置いた『私』は流されやすく曖昧に誤魔化そうとするヘタレな自分なのかなと思った。

「課題を手伝ってもらった『私』はどんな私だったんだろう……」

 本を一旦置き、さっきまで『私』がいたあたりに移動してみる。資料整理は真面目にやっていたようでノートにびっしりと使えそうな資料の記述と参考ページが書かれている。ただ時間のかからない読みやすい資料から手をつけていたようで、『私』が頬杖をつきながら読んでいた本が最後の一冊だったようだ。そして、その本が一番内容や質がいいと判断したようでそれをベースに他の資料とのリンクをさせようとしていたようだ。

 しかしながら、私には『私』が何に重点を置いてどういう基準でまとめていたのかは分からなかったし、リンクさせようとする記述の関連性もよくわからなかった。結局は資料整理を最初からするしかないようだ。どうやら、この『私』は本質を直感で理解できて仕事や勉強に真面目に打ち込む私だったようだ。

 私は再度椅子に腰掛けて、本の続きを読んだ。筆者の研究の記述の締めにはこう書かれていた。


『私はこの研究で自分という存在を深く見つめなおし、理解することが出来た。願わくばこの研究が有効に利用されることを望む。』


 私に対する皮肉にしか見えず、思わず嗤ってしまった。

 そこから余白に書き込みがなくなり、しばらくペラペラページをめくった。すると、切羽詰ったような殴り書きで余白関係なく書かれているページがあった。


『私の研究は間違っていた。あれはやってはいけない研究だった。複体は――を求めている。』


『私はたまたま見てしまった。助手が半月消さずにいた彼の複体に「――――――」と言われた瞬間二人が入れ替わったように見えた。複体こそが助手だ。なぜなら突然消さないでくれと抗いだしたからだ。入れ替わって本体になった複体は助手をあっさりと消した。』


『――に見覚えのない映像が混じりだした。助手も消される前同じようなことを言っていた。不安に駆られ、複体の生成と抹消の記録を調べると改竄された形跡が見つかった。私の複体は最低でも一人はどこかにいる。早く消さなければ』


 焦りと恐怖がにじみ出ているようだった。書き込みはこれ以降なく、擦れたようになっている箇所が余白に何箇所もあるくらいだった。書き込みの途中の擦れて読めない箇所のせいで理解仕切れない部分も多かった。ただ複体を残してはいけないということだけは分かった。

 しかし、私は増やした『私』を全部消した。そして、もう新しく『私』を作るつもりもないのでもう関係のない話だ。

 本を閉じ机の隅に置いた。私は携帯を取り出し、加奈にメールを送ることにした。謝罪の言葉とピザ代は明日にでも全額払うことを書き、それでも足りないなら何かしらお詫びをするとも書いた。返事はなかったが気持ちは伝わっていると信じて、課題とその資料整理は明日以降最初からやろうと心に決め、眠ることにした。

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