第6話 度重なるトラブル
街に着きバスから降り、バイト先まで少しでも早く行くために公園を横切ることにした。公園の中心付近に差し掛かったとき、ライトの照明がほとんど届かない場所にあるベンチに座っている『私』を見つけた。急いでいたが、私は事情を聞くために『私』に詰め寄った。
「ねえ、あんた。なんでバイト行ってないのよ?」
『私』は呆れたような仕草をして答える。
「何言ってるの?私はさらに増やして、バイトに行かせたのよ」
「増やして?じゃあ、何でバイト先から無断で休んでるかのような連絡が来るわけ?」
「そんなこと知らないわよ。それにあなたに言われる筋合いはないわ」
私は言い返す言葉が思いつかなかった。ただ焦りだけが増していくのが分かる。『私』はそんな心情を察したのか大きなため息をつく。
「私は増やした『私』にバイトに行ってとお願いして、その後は言われた通りずっとここにいたのよ」
「私はそんなこと言ってないわ!!!」
思わず声を荒げる。目の前の『私』はふと足元に目をやり、何か納得したような仕草をする。
「ああ、そういうことか」
「なんのことよ?」
「とにかくさ、そもそもは自分でやらないといけないことを人に……この場合は『私』だけどさ、押し付けておいて、怒るなんておかしいと思わない?それに私は……」
「言い訳はもう聞きたくないわ!!とにかく、今すぐ私の前から消えなさい!!!!」
『私』はふっと目の前から姿を消した。消える寸前の『私』を憐れむような視線は心に何かトゲが刺さったような後味の悪いものを感じた。
『私』を消した後、その場から急いで離れたいという思いと、バイト先に急がなければという焦りからいつの間にか走り出していた。公園を抜けた後もしばらく走り続けていた。走り疲れて足を止めると、周りからの視線が集まってることに気付いて急に平静に戻った。顔が真っ赤になるのを感じながら、早足に切り替えバイト先に向かった。
途中、いつもバイト前に時間があると立ち寄るファミレスの窓側の席で背中を丸くして座っている『私』を見つけた。
さっきの公園にいた『私』がバイトに行かせた『私』なのだろうが、この『私』がバイトに行ってないせいで今追い込まれている。そう思うと無性に腹が立ってきた。
私は窓越しに『私』にファミレスのトイレに行けと合図を送る。『私』は理解できていなかったようだった。それどころか、私の顔を見てほっと安堵したような顔を浮かべている。その顔が私の苛立ちを増幅させた。
私はもう一度『私』に合図を送った。『私』は今度は理解できたのか席を立ちトイレに向かった。私はそれを確認して、姿が見えなくなったのを見計らってファミレスに入り、トイレに直行した。
トイレの個室をノックすると、『私』が鍵を開けドアを少しだけ開き、隙間から確認してきた。私はドアを強く押し強引に中に入り、鍵を閉める。
私は『私』を壁際まで追い詰め、『私』の顔のすぐ横の壁にドンと手をつく。突然のことで『私』の顔は強張る。その強張った顔に私は顔を近づけながら、外に聞こえないように声の大きさを抑えながらドスの利いた声で話しかけた。
「ねえ、あなたはどうしてこんなところで悠長にお茶なんかしているのかしら?」
『私』は真っ青な顔で唇を震わせる。
「ねえ、私はどうしてって聞いてるんだけれど……質問の意味が分からないのかしら?」
『私』は震えながらゆっくりと喋りだした。
「え、えっと……バイトまでまだ少し時間あったから、いつもみたいにここで時間を……」
「言い訳はいいよ、消えな」
「なんで……??」
下手な言い訳など聞きたくなくて、『私』を消した。消える瞬間まで『私』は何かを伝えようとしていて、目には涙を浮かべていた。怯えていたのかもしれない。その最後に見せた『私』の目と表情に尾を引くような嫌な気持ちと罪悪感を覚えた。
私は鏡を見ないように手を洗い、気持ちを落ち着かせてからトイレから出て、店から出ようとした。
「お客様、お会計が済んでおられませんので、そのまま外に出られては困ります」
見慣れた女性店員に声をかけられた。
「会計?」
私は何も注文をしていないし、口にすらしていない。それなのにお金を払えとはどういうことかと思ったが、さっきの『私』が私に最初に見せた表情を思い出して、置かれている状況を理解した。
先ほどの『私』はいつもの私のようにバイト前の時間潰しにファミレスに入り、注文をしたはいいもののお金を持っていなかったから、バイトの時間になっても店から出ようにも出れなかったのだ。
真面目に私の変わりにバイトに行こうとしていたんだと分かると、最後まで話を聞かずに八つ当たりでもするかのように『私』を消したことに後悔した。
「お客様?どうかなされましたか?」
目の前の店員の困惑した視線に気付いた。
「あっ、すいません。お会計はいくらですか?」
財布を出しながらその場を慌てて繕う。店員は『私』の座っていた席から伝票を持ってきて、手早くレジを打つ。私は言われた金額を支払い、店員の「ありがとうございました」という声を背中に受け、改めてファミレスを後にした。
そして、ファミレスから目と鼻の先にあるバイト先に向かった。路地を入って、裏手の関係者専用の入り口から中に入る。入ってすぐの喫煙所にイライラしながらタバコを吸っている山田が目に入った。
私はまっすぐに山田のところに行き、何か言われる前に「すいませんでした!!!」と深く頭を下げた。奥のほうで他のバイトの同僚たちが何事かとざわついてる気配がした。
山田はいきなりのことで驚いていたが、吸っていたタバコの火を消すと私を連れて建物の外にでた。山田は上着のポケットから新しいタバコを取り出し、火をつけてから話し出した。
「とりあえず、何か言い分があるなら聞かせてもらおうか?」
この場をなんとか乗り切るために言い訳か納得させられる理由をフルスピードで頭を回転させて考える。仮に正直に話したとしても、加奈という前例があるので信じてもらえるとは思えない。ファミレスの『私』に成り代わって、財布を忘れたことに気がつかないままファミレスに入ってしまい、助けを待っていて遅れたという言い訳を思いつくが、バイト先は目と鼻の先なので一言携帯で連絡するなりすれば、お金を借りるなり出来ただろうと正論で返される。それに対して、そのことに気付かなかった、携帯を持っていないのどちらかしか返すパターンを思いつかなかった。これでは誤魔化しきれる自信はないし、鞄の中身を見られたらあっさりばれるような嘘は山田の心証を余計に悪くするだろう。
そもそも、どうして『私』が連絡をしなかったのか疑問に思うが、結論はさっきの『私』の行動から答えは分かりきっている。
「すいません……」
私は力なく再度頭を下げる。下手な言い訳などせずに謝罪を重ねるしか思いつかなかった。山田は頭を掻き、タバコの灰を落とす。
「柳木さんさ、今日シフト代わったのは覚えてたみたいだけど、時間勘違いしてた?」
「いえ……」
「じゃあ、バイトを無断で遅刻するほど急な用事でもあった?」
「特にはないです。すいません……」
山田は携帯灰皿を取り出し、タバコの火を消す。困ったと言うような表情を浮かべ、深くため息をつく。
「俺はね信じたくないんだけれども、柳木さんより後に入る予定だった人がね、ここに来る途中に柳木さんを見たと言ってるんだよね。俺が電話した後にも見たって人もいるんだけど、どういうことかな?」
いよいよ追い詰められて何も返す言葉もでてこない。
「俺はね、柳木さんがバイトの中でも真面目に働いてるから高く評価はしていたんだよ。働きっぷりだけじゃなく人間的にもね。それなのにね……」
山田は言葉を一度区切って、最後のチャンスを与えるかのような優しい口調で続ける。
「これだけは教えて欲しいんだけど、俺が電話してからここに来るまでけっこう時間かかったよね?でもさ、柳木さんを目撃したって他の人の話が本当ならありえないくらいかかってるんだよ。どういうことかな?」
「それは……」
続きを何か言おうとしても何を言っていいか分からず口をパクパクさせるしかできなかった。
「はあ……柳木さん、本当に残念だよ……もう来なくてもいいから。今月分のバイト代はちゃんと振り込んでおくし、明細は家に送っておくからさ」
「あの……」
「ああ、もういいよ。今までお疲れ様」
山田は建物の中に入っていった。その場に取り残された私はしばらく呆然と立ち尽くしていた。路地の奥の方でガタンと何か倒れるような音で我に帰り、ゆっくりと歩き出し、一連の起こったことを思い返した。
少し楽がしたい、ただそれだけだったのに、『私』が関わったことは全て悪いほうへと事態は転がっていった。
「ははは……全部自業自得じゃん……自分が増えたっていいことなんて何もないじゃん……」
いつの間にか涙がぼろぼろ流れ落ちていた。
もし自分を増やしてなんかいなければ……
深い後悔と自責の念が渦巻く。その中で、ふと加奈の家に置いてきた『私』の存在を思い出した。
「何も起きていませんように……」
そう強く祈りながら加奈の家に急いだ。なりふりかまってられなくて、涙をふく手間も惜しみ、街中を全力で駆け抜け、バスに乗り込んだ。
加奈の家に着き、いつものようにチャイムを鳴らした。鳴らした後で、自分のミスに気が付く。もし何も起こっていなければ、今この家の中には『私』がいて、それなのに玄関から私がやってくるのはどう考えても不自然でおかしかった。
どうしようかと焦っていると、足音が近づいてきて、ドアを開けながら、いつものように「はーい。どちら様ですか?」と加奈が顔を出した。加奈はチャイムを鳴らしたのが私だと分かると、顔色を変えものすごく不機嫌そうな態度と表情に様変わりする。
「なに?まだ何か用?」
「えっと……その……」
加奈が私に怒っているのは分かるが、理由も状況が分からないのでうかつに何も言えず、言葉に詰まる。
「さっきもだけどさ、まじであんた何なの?何がしたいの?てか、目赤いけど泣いてたりしたわけ?」
指摘されてとっさに目元を拭いた。
「まあ、どうでもいいけどさ、何もないなら帰ってくれる?私からは話すこともうないから!」
加奈はそう言い放ち強くドアを閉めてしまった。加奈の剣幕に呆気に取られてしまい、またしても私は立ち尽くしてしまった。
玄関先にずっと立っているわけにもいかず、とりあえず家のほうに向かって歩き出すことにした。
少し歩くと、物陰から人影が飛び出してきた。うつむき加減で下を向いて歩いていたことに加え、街灯と街灯のちょうど中間当たりで光量が少なかったため誰が出てきたのか全く分からなかった。しかし、驚く元気も反応する気力もなかった私は飛び出してきたのが誰なのか確認すらせず無視して歩を進めた。
「あの……」
飛び出してきた人が声をかけてきた。面倒くさいと思いつつ顔を上げるとそこには『私』がいた。
「で、何があったの?」
嫌な予感しかしないので単刀直入に聞いた。
「えっとですね……」
『私』は私がいなくなった後に起こったことの説明を始めた。
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