第4話 ドッペルゲンガーの正体
家に着く頃には、まだ頭上の空は明るかったが東の空は暗くなり始め、夜を告げようとしていた。
私は部屋に入ると、鞄を床に投げ、紙袋を机の上に置き椅子に座った。
横目で紙袋のほうを眺めながら、なんで貰ってしまったのだろうと改めて後悔した。そのまま視線をずらし、机の上の時計で時間を確認する。まだバイトに行くまでにはだいぶ早い。いつもならバイト先の近くのファミレスで飲み物を飲みながら読書したりして時間を潰そうかなと思うところだ。しかし、今日に限っては読む本が課題の本か、目の前の紙袋に入った古書かの二択になりそうだった。課題の本は万が一汚してしまうと困るし、何より一気に読みきって資料などを参考にしながらレポートを仕上げたいと思ったので、時間が足りそうになかった。古書のほうは中身もわからないし、もし変なものだったらと思うとファミレスで読む勇気は私にはなかった。
だから、私は家で少しだけ古書を読んでからまっすぐバイト先に向かおうと決めた。最初見たときから不思議と気になっていたし、せっかく貰ったのだから少々難しくても読んでみようと思った。
紙袋から本を取り出し、ゆっくりと本の表紙をめくり、パラパラとページをめくってみる。
ところどころ、シミや汚れ、書き込んだ跡があるが問題のないレベルだった。文章は現代とは言い回しや漢字の表記などが異なっている部分もあり、多少読みにくさを感じた。ざっと目を通して、最後の数ページのあとがきなどにしっかり目を通す。すると、この本はある大学教授の研究が記された自費出版の学術書だということがわかった。
最初に戻り、今度は少しじっくり読んでみると何を研究したのか書いてあった。『影病』・『離魂病』という耳馴染みのない病気の研究のようだった。
床に投げた鞄の中からタブレットPCを取り出し、影病を検索して、聞き覚えのある言葉が出てきた。
ドッペルゲンガー
離魂病も検索したら、それ以外にもう一つ夢遊病というワードも出てきたが、ここでは共通するドッペルゲンガーのことを指すのだろう。
「これはもしかしたらとんでもない掘り出し物かも」
私はついついテンションが上がった。なぜなら私が課題に選んだ本は芥川龍之介の《二つの手紙》だったからだ。作中でドッペルゲンガーが扱われており、図書館で借りた資料の中にもドッペルゲンガーに関するものも数冊あった。
最初にパラ読みしたときに気になっていた書き込みに目をやる。書き込みは全体の真ん中付近に数十ページに渡り余白部分を利用して書かれていた。
そこには次のように書かれていた。
『影病、離魂病の研究成果を人知れずここに記す。私は本書の研究と考察を下地に影病の謎の一部の解明に成功した。影病とは離魂病とも謂われる通り、自身の一部を複製・剥離し、発現する事象だ。』
そこからは研究に際して、西洋の魔術・呪術、東洋の陰陽などの視点からの考察とそれらの基礎的な知識などが書かれていた。この辺りは、よくわからない言葉の羅列とあまりのオカルトさに詳しく読む気にはなれなかった。
しかし、後半部分には書き込んだ人の伝えたかった研究成果が書かれていた。
『以上の観点から試行を重ねた結果。私はついに自分の複製に成功した。』
記述には疑い半分だったが、思わず息を呑み続きに目をやる。
『私は目の前に現れた自分と同じ姿形をし、同じ声のそれと会話をすることができた。実体もあり触ることもでき、記憶も私のそれとほぼ同じであった。記録上、もう一人の自分を複体と呼称することにする。』
その後は筆者と複体とのやり取りなどの記録や考察が書かれていた。この筆者は何度も自分を増やしたり消したりすることができたらしい。その記述の後に、増やし方と消し方をまとめたものが書かれていた。増やし方は何か複雑な理論が抽象的な概念と実践に基づく論理で書かれていたが、まとめると特殊な形と文字で書かれた魔法陣に自分の血を数滴垂らし、魂の一部を乗せることでできると書かれていた。魂の一部は口から息を吐くイメージで出せるそうだ。
消す方法は簡単で、消したい個体を視界に入れ、その個体に対して「消えろ」と言葉に出しながら念じるだけでいいらしい。
書き込みは一旦途切れ本の後ろの方にも何か書かれていたがそちらは読むのは後回しにすることにした。ところどころ表紙の文字のように擦れたようになって読めない部分があり、消そうとした跡なのか何なのか分からないが気になった。
私は一旦本から目を離し自分の中で簡単に整理した。そして、出てきた感想は一つだった。
「もしこれが本当なら自分が増やせるって最高に便利じゃん」
私は興味半分、冗談半分でこの九分九厘ありえない、眉唾な書き込みをさながら放課後の教室でコックリさんをするかのように軽い気分で試してみようと思った。
私は書いてある通りに試してみた……その結果、本当に目の前に自分と同じ顔をした人間が現れた。
何度もまばたきをし、目をこすってみる。目の前にあるこの現実を把握し、整理しようとする。しかし、考えようとすればするほど頭が真っ白になってくる。
「お……お前は誰だ!!!?」
同じ顔を持つ目の前にいる彼女に訳もわからず尋ねていた。彼女は私がやるように肩を軽くすくめ、ため息を一度ついた。
「私はお前だよ」
そんな当たり前のことをどうして聞いているんだと言葉以上に顔と仕草で表してくる。私は妙に納得してしまい、頭の中がすっきりする。
「もう一度確認なんだけど、あなたは私なんだよね?」
目の前の『私』も私だからなんとなくでも察してくれるし、欲しい回答をくれる。
「私は私だよ。いつも人の顔色と空気を読もうとして、誰からもいい人に思われたい柳木麻衣だよ。ついでに、今日は本当はバイトに行く日ではなかったけど、交代を頼まれて断れなかったのよね」
間違いなく私自身だと確信した。
「あっ……バイト……」
すっかり忘れていたことを思い出した。
「大丈夫。時間にはまだ余裕あるわ」
時計を見ようとした矢先に『私』に教えられる。ふと足元に目を落とすと気になることがあった。
「あなた……影がないのね」
目の前の『私』も足元に目を向ける。影だけでなく、『私』を増やすために書いた魔法陣自体もなくなっていた。一回使いきりなのだろう。
「あっ、本当ね。でも、それさっき読んだ本の書き込みの部分に書いてあったよね」
『私』は本をペラペラめくり、書いてある部分を指差す。途中手を止めて何箇所か読んでいるようだったが、どこに書いてあったか探していたのだろう。
指差した箇所は筆者が複体とのやり取りが書かれていたところで、複体には影がないこと、肌の色などがどこか暗いことなども書かれていた。読んだはずなのに、覚えていなかった。
本当に肌の色とか違うのか並べて比べてみると、言われてじっくり見たらそうだなと言うほど誤差にも満たないほどの差だった。
だんだんこの状況にも慣れてきて、あることを思いついた。
もう一人『私』を増やして、バイトと課題の資料整理をさせたら楽できるんじゃないか……
なんか同じようなことを二十二世紀の未来から来たロボットといる某少年の考えそうなことだなと思った。
しかし、現実とフィクションを一緒にするのはナンセンスだと自分に言い訳をして、もう一人『私』を増やすことに決めた。隣で『私』が見ているなか、先ほど『私』を作ったように同じ手順を丁寧に繰り返す。そして、もう一人『私』が姿を現した。
私は最初に作った『私』に、お願いを始めた。
「あなたは私の代わりにバイトに行ってきてくれないかな?」
「なんで、私が?」
「だって、今から課題に手をつけないとレポート間に合わないかもしれないじゃん?この通り。お願い!!」
顔の前で手を合わせ必死に懇願する。
「わ……わかったよ。バイトに行けばいいんでしょ?」
さすがに相手も私だけあって、こうやって多少強引でも頼み込むと断れなくて簡単に折れてくれる。
「ところで、バイトに行くのはいいけど、どうやって行ったらいい?」
「どうやって?いつも通りバスで行けばいいじゃん」
「服着たまま増えたみたいだけど、お金とかは持ってないのよ」
「じゃあ、往復のバス代分とプラスで少しお金を渡すよ」
私は財布からお金を取り出し『私』に渡す。それを『私』は受け取ると面倒くさそな表情と重い足取りでバイトに向かった。
『私』を見届けると、残ったもう一人の『私』にもお願いをしようと向き直る。
『私』は先ほどのもう一人の『私』とのやり取りを見ていて想像がついたのか、私が何も言う前から嫌な顔をする。そして、話を先回りして尋ねてくる。
「それで、私は何をしたらいいの?」
「課題の資料の整理をしてくれない?それでわかるよね?」
『私』は深くため息をついた。
「わかったわよ。整理だけでいいのよね?」
「ありがとう。お願いするね」
さすが私というべきか、ちょろいものだ。ただ簡単に引き受けたり断れないのは私も同じなのだから気をつけないといけないなと肝に銘じた。
私は『私』たちに私がするはずだったことを頼んだので、急にやることがなくなり暇になった。さらに、真面目に課題の手伝いをしてくれている『私』のいる家にいるのも気まずかった。しかしながら、バイトをしている『私』が存在している手前、外を出歩いて遊んだりするのもダメな気がした。
鞄に《二つの手紙》と携帯、財布など最低限のものと念のため自分を増やす魔法陣を書いた紙を入れ、家から出た。そしてとりあえず、加奈に電話することにした。
「もしもし。麻衣?どうしたの?」
「あっ、加奈。今から時間ある?」
「時間は大丈夫だけど、麻衣バイトじゃなかったの?」
「そうなんだけど。今日は本当はバイトのシフト入ってなかったんだけど、シフト代わってくれって頼んできた人がやっぱり入れることになってさ、ヒマになっちゃたんだ」
咄嗟にそれっぽい理由を話した。
「えっ?そうなんだ。じゃあ、今からまっすぐ帰るからうちに来る?」
「あっ、ごめん。何かしてたの?」
「講義終わった後、沙織とちょっと本屋寄ってさ、今から帰ろうかって話してたところだよ」
「あっ、なんかごめんね。沙織さんも加奈の家行くの?」
「ちょっと待って聞いてみる」
加奈と沙織が話してる声がかすかに聞こえた。
「これから、麻衣がうちにくるんだけど沙織はどうする?」
「わ、私はいいよ。それにちょっと出てる課題多いから」
「沙織は講義取りすぎなんだよ」
「うん、そうかも。今日はごめんなさい。麻衣さんにも伝えといて」
ガサガサと携帯を持ち替えているような音が聞こえた。
「あっ、麻衣?沙織は来ないって」
「うん。かすかに聞こえてた」
「そう?じゃあ、今からバス乗って帰るからちょっと時間かかるかも」
「うん。わかった。じゃあ、途中で何か買って行くね」
「オッケー。じゃあ、また後でね」
加奈はそう言うと電話切った。私はバイトの終わる時間くらいまで加奈の家でゆっくりすることにした。
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