第3話 古書店にて
街に着き、目的もなく散策していると細い路地の入り口に見慣れない看板が出ていることに気付いた。看板には古書店という文字が見えた。掘り出し物があるかもしれないと思い、行ってみることにした。
看板の指示に従い、細い路地に入り道なりにしばらく進むと、そこだけ雰囲気が違う建物があった。先ほどの看板と同じ看板が出ていたので目的の建物で間違いはないだろう。
私はアンティークや歴史を感じたり、ノスタルジックな風情のものは好きだが、目の前の建物は興味のそそられる範疇ではなかった。古いというよりぼろいという言葉が似合いそうな外観だった。看板が無ければ店なのかどうかすら分からない程だった。
おそるおそる近づいて窓越しに中を覗くと大量の本が見えた。本棚に陳列されていたり、平積みにされていたりしている。埃も大量にかぶっているのがここからでも分かる。
普通ならこんな店には近寄ろうとも入ろうとも思わない。だが、このときばかりは何かに誘われるように……入らなければいけないという強迫観念にとらわれたかのように、その古書店に足を踏み入れた。
固い扉を開けて店に入った瞬間、古い本独特のアロマのような何ともいえない匂いが鼻孔をくすぐった。その次の瞬間には咄嗟に口元と鼻を手で覆っていた。長らく人が足を踏み入れてない日当たりの悪い部屋の埃とカビが混ざったような臭いの空気を吸ったからだ。
次第にその空気にも慣れてきて、改めてゆっくりと店内を見渡した。純粋に本の量の多さから来る圧迫感と古書の持つ独特な存在感に言葉を失ってしまう。
「すごい……」
気付かないうちに呟いていた。
本の表紙や背表紙のタイトルをさっと見回してみても、自分の勉強不足や知識不足とあいまって、どんな本なのか分からないものが大半だった。手にとって中をじっくり見たい衝動に駆られるが、映画のワンシーンでよくあるように手に取った弾みで本が崩れたらどうしようだとか、価値がわからないので傷つけてしまったらどうしようだとか色々と考えてしまい、そんな不安からなかなか本に触れることさえできずにいた。
店内を見て回っていると、店の片隅に本が雑多に置かれている一角を見つけた。
その中の一冊に不思議と強い興味を惹かれ、気がつくと手に取っていた。
「この本、何の本なんだろう……」
特徴的な赤黒い色をしたその本は背表紙には何も書かれておらず、表紙には何か文字が書いてあったのだろうがそこだけ擦れたようになっていて、読むことは出来なかった。何気なく本を開こうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「おや、お嬢さん。お客さんかい?」
驚きのあまり、背中に寒気が走った。開きかけていた手は止まり、小さく震える身体を丸めながら声の聞こえたほうに振り向いた。本棚の影に白髪で丸眼鏡をかけ、腰が少し曲がった老人が立っていた。
「あっ、えっと……勝手に入ってしまってすいません。おじいさん」
「いやいや、いいんじゃよ。急に話しかけて驚かせてしまったわしのほうが申し訳ないことをしてしまったかの?こんな古びた店にお嬢さんのような若い人が来るのが珍しくて、ついな」
静かで穏やかな声だった。話しながら嬉しそうな優しい表情をしていた。
「そうなんですか。ところで、私のようなお客はそんなにも来ないものなんですか?」
「いやいや。若い人が珍しいというよりもそもそもお客が来ること自体が珍しいからの」
笑いながら話しているが、どんなリアクションを返せばいいのかわからず苦笑いをするしかなかった。
「へ、へぇ……そういえば、おじいさん。このお店、建物からして相当古いようですけど、どれくらいやっておられるんですか?」
「建物自体は戦前から建っているものじゃよ。店自体は親父の代からじゃから五十年近く経つかのう」
「五十年?長いですね。それで、この大量の本は?」
「この本はわしの祖父が趣味で集めていたものらしくての。祖父の死後、蔵の中から大量の本が見つかったそうなんじゃ。処分しようにももったいないし、寄贈するにしても状態がよくないしと親父が頭を抱えていたんじゃ。そんなときに必要な人に本が渡ればと考えて店を始めたそうなんじゃ」
話を聞いた後に周囲の本を見回すと、最初の印象とは違って見えた。
「この本ひとつひとつに何か思いが込められているのかもしれませんね」
「お嬢さんはいいことを言いなさる。わしもかつてはそう思い、ここにある本を片っ端から読み漁ったものじゃ」
老人は近くの本に手を当てながら、感慨にふけっているようだった。もしかしたら、老人の目には全く違う光景が見えていたのかもしれない。
「実はな、お嬢さん。この店は今日で閉店する予定なんじゃ」
「今日……ですか」
「跡を継いでくれるような人もおらんし、店の維持すらままならなくってきたからの。店を開くことすらこの歳になってくるとしんどくての」
老人は苦労話やら思い出話を始めた。私は知り合って間もない老人の身の上話などには興味がわかず、適当に相槌を打ちながら聞き流していた。歳を取ると話が話が長くなるというのは本当のようだ。キリがいいところで切り上げようと思ったがその前に気になることを聞いてみようと思った。
「おじいさん、閉店するなら、ここにある本はどうなるんですか?」
聞いてはいけない質問だったのか、老人の表情が曇る。
「ああ、本かい?近いうちに業者に来てもらう予定じゃよ。価値ある本は別の場所に、そうでないものは処分されるんじゃなかろうかのう」
「そうなんですか。残念……ですね」
「ここにある本たちとは長い付き合いじゃから、そりゃあ寂しくなるかもしれんの」
老人はゆっくりと本を見渡していた。その視線が私の持っている本で止まる。
「おお、そうじゃ。この店の最後の日に来たのも何かの縁じゃ。もしよかったら、お嬢さんの持っているその本を貰ってくれんかの?」
私はすぐに返事は出来なかった。正直なところ、本を貰っても困る。だから、申し出を断りたい。頭の中ではこんなにも明瞭な答えは出ているのに、私の口から出た言葉は、
「わかりました。おじいさんのお言葉に甘えさせていただきますね」
私は自分の性格を心底憎んだ。
「そうかい?ありがとう……本当にありがとう」
老人の思った以上に喜んでいる様を見ると、これでよかったんだと思えた。
老人は店の奥から紙袋を持ってきて、私の持っていた本を梱包し始める。そのとき「はて、こんな本あったかのう……」と呟いていたが、気にも留めなかった。
「それじゃあ、お嬢さん。最後に来てくれて本当にありがとう」
私は紙袋を受け取った。
「いえいえ。私こそ、こんな貴重そうな本を譲っていただいてありがとうございます」
「いいんじゃよ。もしいらなくなったら、お嬢さんが処分しておくれ」
心の中を見透かされていたのではないかと思いドキッとする。
「それじゃあ、お嬢さん。もし街のどこかで見かけたりすることがあったら、よかったら声をかけておくれ」
「は、はい。わかりました。それでは、失礼します」
私は店を出て、もう一度店内を見る。老人は腰に手を当てた姿勢で優しい笑顔で私を見送ってくれていた。私は会釈を返して、街の雑踏のほうに足を踏み出し再び家路についた。
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