第5話 イーハトーブの里

            ――――― 09 ―――――



 「水沢VLBI観測所」のスーパーコンピュータ室に、天文専用スーパーコンピュータ「アテルイ」は設置されていた。

 「アテルイ」とは、奈良時代~平安時代に蝦夷で活躍していた蝦夷えみしの指導者「阿弖流為アテルイ」の名前に由来している。

 大和朝廷の膨大な遠征軍に対抗して戦った英雄だそうだ。

 最果ての地、水沢で果敢に戦うスパコン、という事で名前にあやかったらしい。

 観測所内に場所が取れれば一番問題はなかったのだが、「アテルイ」の設置されたスーパーコンピュータ室は狭く、大所帯が入れる敷地は無かった。

 そこで、「奥州宇宙遊学館」を運営するNPC法人「イーハトーブ宇宙実践センター」と国立天文台NAOJ、そして国が加わった折衝の結果、「奥州宇宙遊学館」のセミナー室を、一時的に「WAプロジェクト」、すなわち"Wow again"電波解析プログラム・プロジェクトのソフトウェア開発班、すなわち沢田がリーダーを務める部隊が借り受けることになったのだ。


 この建物は、もともと文科省直下であった当時の旧国立天文台の施設だったのだが、老朽化によって一度は取り壊されそうになった。そこを水沢市や現在の運営母体「イーハトーブ宇宙実践センター」の「宮沢賢治が度々訪れた文化遺産を保存してほしい」という意向により寄贈して、現在の施設となったのだった。

 それが、世界的な競争に関連する事業で、再び国立天文台NAOJに利用されることになった。不思議な巡り合わせというものである。


 宮沢賢治の大ファンである綾子は、相変わらずしとやかな雰囲気ではあるものの、失神しそうなほどに興奮しているのが、傍から見てとれた。

 沢田は宮沢賢治に関しては「銀河鉄道の夜」を一通り読んだくらいのもので、正直、彼女の心酔ぶりは到底想像も出来なかった。それに、何しろ彼は忙しかった。


 赤城との連絡は結局あれ以降取れずに一週間が経過していた。

 周囲の人に聞くと「ああ、赤城さんね――」と、同情するような返事が返ってくるばかり。本人が忙しすぎるせいだ、という話も聞いたが、とにかく約束を良く反故にする人だそうだ。何とも情けない気分になった。仕方なく、現状は自分がリーダーとして周囲を切り盛りする体制を続けるしかない。そう思っていた。


 現状の沢田のチームの作業は、各地の電波望遠鏡で観測されているデータの発信源の特定や、データそのものを解析するチームのために、ソフトウェアの開発を手伝うという、何とも二階から目薬的な仕事であった。

 幸い、その手の仕事で世界的に優位となる「VLBI」という施設にごく近い場所に拠点が持てたのは、幸運でもあった。

「VLBI」とは簡単に言えば小さな電波望遠鏡でも、複数台を同期して使うと疑似的にその拠点間をつないだ巨大な電波望遠鏡に匹敵する成果を出せる。という考え方に基づいた観測方法で、今回の様な発信源の特定にも、有効だと思われた。


 まあ、三鷹を離れたこと自体にはデメリットもあった。

 沢田らの作った結果は、三鷹にある解析サーバーを経て可視化情報となるのだが、今度は三鷹をリモート操作する必要が有った。そこで、部下の一部には三鷹に残ってもらい、解析サーバーの面倒を見てもらうと同時に、サテライト(遠隔地オフィス)間での専用の10ギガビット通信回線を導入し、リモート操作環境を完備させたのだった。


「しっかし、冷えるな」


 昼食のために、綾子と他数名と一緒に外に出た沢田は、雪化粧の静かな通りを歩いていた。

 雪はしんしんと降り積もっていて、歩くと雪が踏み固められる音がした。

 周りが静かで、引っ越しのドタバタで疲れているため、皆、自然と無口になっている。

 少し歩いて、適当に見つけた古い洋食屋に入った。生姜焼き、エビフライ、ありふれた食事だったが、丁寧に作った食事で、食べていると少しほっとした。

 雪が解けるようにぽつぽつと皆も喋り出す。


「正直、水沢に行く、と言われた時は悩みました」


 フリーランスをしていた上田という青年は答えた。


「彼女とか居たのかな」

「そういう訳ではないんですけど、住み慣れていた都内を離れるのが少し怖くて。東北って、震災後のイメージもまだ抜けないですし」


 震災――それは東日本大震災の事だ。

 発生からもう何年も経とうというのに、この大災害は未だに日本人の心に深い傷を負わせている。そこには、福島原発の事故の件も根強く残っているのだろう。

 原発停止による慢性的なエネルギー不足や、経済低迷、技術立国日本を標榜し、強気だった日々は遠い日の記憶となりつつある。だから、未だに日本人は、日本が世界に貢献する明るいニュースを渇望していた。


「僕たちコンピュータ・エンジニアの仕事は、正直どこに居ても出来る」


 沢田は口火を切った。


「だから、どうしても動けないが、このプロジェクトから抜けたくもない、という人には、三鷹に残ってもらった。君にだって選択肢は提示したよね」

「はい。でも、技術者だからこそ、顔をつき合わせて作業する重要性も分かっています」

「そうだね」


 沢田が相槌を打つと、黙って聞いていた綾子も口を開いた。


「私は英国のジョドレルバンク天文物理センターのバックヤードの仕事をしていました」


 皆、彼女の話に耳を傾ける。


「あそこでは、ネット会議を通じて繋がって仕事をしていましたが、定例会は必ず顔を合わせることになっていました。遠隔で仕事をする怖さに気が付いていたんだと思います」


 沢田は頷いて、後を引き継いだ。


「そう、ニュアンスがうまく伝わらないことによる誤解や不和。それはとても怖い」


 そう話して、全員を見回した後、皮肉そうな笑いを顔に浮かべながら続けた。


「でも、そういう僕たちは、光年単位で離れている相手との通信をするバックアップの仕事をしている。技術的には到底、直接会う事のないだろう相手だ」


 一同も笑う。


「これは国際的な競争だけの側面にとどまらない。人類が孤独ではないことの証明に関われる貴重な仕事だし、ひとたび通信が明らかになれば、その通信内容の解析の仕事に繋がっていく話だ」


 うなづく一同に、沢田は続ける。


「水沢にはこれから、暗号解読や、SETIの著名な人たちが多く集まってくるだろう。そういう人たちと連携をうまくとりながら、最先端を動かすエンジンの役割をする。それが僕たちなんだ」


 そこまで話した所で、沢田のスマートフォンが振動した。


「はい、沢田です」

「すみません、赤城です。あの、不義理をしてしまいましたが、お話しを反故ほごにしたつもりはないです。今からちょっとお話しできますか」


 今更連絡か。二日で連絡しろと言ったのにもう8日目だ。

 ちょっとムカついたので、沢田は意地悪な対応をした。


「いえいえ、お話しいただけるならいつでも、ではこちらにおいで下さい」

「分かりました、三鷹であれば電車で1時間もあれば――」

「あ、すみません。今は水沢に居ます。『奥州宇宙遊学館』までおいで下さい。忙しい時はお待たせするかもしれませんが、本日でしたらお会いできますので。ではよろしく」

「!!」


 沢田は、相手が絶句して息をのむ音を聞いて、にやにやしながら通話を切った。そしておもむろにスマートフォンの電源を切る。少しくらい反省してもらおうじゃないか。これで今日中に来なかったら更に少し干してやろう。


             ――――― 10 ―――――


 「仲介者メディエイター」は「あるじ」の太陽系を出発する際、他の同型機と一緒に連結され、レーザー帆船として出発した。

 だが「仲介者メディエイター」が「あるじ」の星を離れ、目的地に到達するには重大な問題が二つあった。


 それは精度と減速だった。


 精度というのは、推進力に使っている高出力なレーザービームが強さを保って届く距離だった。現在の地球より優れた技術を持っているとはいえ、数光年以上の距離を推力を保って届く高出力レーザーを作る技術は、「あるじ」の星の住人にもなかった。

 「あるじ」の星から4光月程の距離で、レーザー推進はその能力を半減してしまい、事実上使えなくなってしまった。もっともこれは、後述するように計画の内ではあった。


 もう一つの問題、減速というのは、逆方向に向かう加速だ。

 「仲介者メディエイター」は、軌道修正用のエネルギーは持っていたが、亜光速から減速するエネルギーは持っていなかった。

 では、どうやって彼らは、更なる加速と、目的地で静止する為の推力を得たのか。


 「仲介者メディエイター」たちには「先行隊」が存在した。

 我々の太陽系と同じく、「仲介者メディエイター」の「あるじ」の太陽系は、外周に「彗星の巣=オールトの雲」が存在していた。

 これは「天然の推進剤=水」の宝庫である。水は分解すれば酸素と水素という、地球でもロケット推進剤に使う材料となる。微量に含まれる重水素で、核融合による熱も取り出すことが出来る。

 先行隊は差し渡し数キロの巨大な輪のように見える電磁ネットの4方にエンジンが付いた形をした宇宙船だ。

 先行隊は太陽スイングバイをして、極端な偏心軌道でオールトの雲に向かった。

 目的は、オールトの雲に存在する氷を主成分とする彗星の捕獲だった。彗星を捕獲するものだから、先行隊の名前は「コメット・キャプチャー」と呼ぶことにしよう。


 「コメット・キャプチャー」はオールトの雲に突入すると、目的に合致する彗星を探した。不純物は少ない方がよい、必要な加速と減速のエネルギーを満たす重量が必要、出来る限り球体に近いものがよい……。


 候補に合致しないうち、小さな氷塊は、自らの探索のための予備エネルギーになった。含まれる重水は丹念に収拾されて、核融合の火を点す糧となった。

 そうやって数年にわたる探索の後、無事に必要な巨大氷塊を見つけた「コメット・キャプチャー」は、それを推進剤にして出発した。その通知を受け取った「あるじ」は、傘型に展開した「シリアル・ネットワーク」集合体のレーザー帆船を出発させたのだ。

 「あるじ」の計画は精緻かつ大胆で、しかも数百年も続く、粘り強い物であった。彼らは何かに突き動かされるように、地球への情報の橋頭保を作る計画に、その情熱を注ぎ続けたのだ。


 数年の後、「コメット・キャプチャー」と「仲介者メディエイター」たちは邂逅かいこうした。

 推進力を担う「コメット・キャプチャー」が速度の同期を行い、無事ドッキングすると、「仲介者メディエイター」達のレーザー帆船は、大きな加減速に対応するために、全体を折りたたんで、紡錘形になった。そして、「コメット・キャプチャー」が集めた推進剤で加速し、数年の加速で光速の70%の速度に達して、一路太陽系を目指したのだった。

 そして、0.3光年ごとに1隻、「仲介者メディエイター」の仲間に減速用の推進剤を持たせて切り離していった。

 その数243隻。

 百年を超える長い長い旅路の後、「仲介者メディエイター」と、その「部下」の設置が完了して「シリアル・ネットワーク」が完成し、「コメット・キャプチャー」は役目を終えた。

 「コメット・キャプチャー」は、残った僅かな推進剤を使い、太陽系離脱コースを取ると、我々の太陽系のオールトの雲に向かった。そう、彼らは帰るのだ。


 それは、地球が中世と呼ばれる時代を漸く抜けて、近代への歩みを始めたばかりの頃の話であった。


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