第4話 阿弖流為(アテルイ)


              ――――― 07 ―――――


 沢田は東京行の電車の中で溜息をついていた。


 親族会議のゴタゴタはもう思い出したくはなかった。

 結局は沢田の考えた通り、親族会議自体、叔父が画策したことであった。

 沢田が、巻き込まれた親戚連中の前で叔父のやらかしたことを暴露し、綾子が泣き出してしまった時点で、親戚たちは居心地が悪くなって、一人、二人と退席し、最後には本家の人々と叔父、綾子、沢田が残るのみとなってしまった。

 結局、綾子を前にして居心地の悪そうな叔父と、沢田の二人が話し合うことで、事は決着を見た。


 ちなみに、今、彼の隣には綾子がいる。

 綾子の事は嫌いではないが、今は色恋沙汰やら、婚約やらとか、そういう話を考えられる精神状態ではなかった。だいたい、当の綾子も全く知らない話だったから、話し合いの際沢田は、叔父とはもう親子の縁を切って口を聞かない、等と大変な剣幕でまくしたてた。

 叔父は最終的に不承不承謝罪すると、改めて縁談の件は仕事の件とは別件で考える、と伝えると、綾子に対しては、畳に薄くなりかけた頭を擦りつけるように謝っていた。

 綾子は最後まで半泣きで怒っていたが、何とか親子の縁を切る話だけは撤回した様だ。

 つまるところは、娘に変な虫が付くよりはまし、と、叔父は親戚の中でもお気に入りの沢田を綾子の婿にしようとしていた訳だ。

 何とも迷惑な話だ。


 沢田は、謝罪する叔父に条件を付けた。

 今後綾子を沢田の直属の部下にすること。

 綾子を中心としたチームは、沢田の今のチームと合体させて、シフトを作って効率よく回すようにすること。

 などを約束させた。

 まあ、少なくともこれで、殺人的な今の忙しさからは多少なりとも解放されると思った。

 もっとも、仕事が溢れて炎上しかけている職場にむやみに人を足すと、余計に混乱する場合が多い。だから、綾子とそのチームには、ToDoだけ上がって手つかずだった分野を全面的に丸投げすることにした。


 そんな訳で、チームは一気に大所帯となった。

 正直、三鷹の開発棟の一角には収まり切らない人数である。

 だから、叔父に責任を取らせて、「アテルイ」の設置されている宮城県の水沢天文台か、「京」のある兵庫の近くに、開発の大所帯が収まれる場所を作ってくれと頼んだ。

 結果として、「京」は計算時間を貰えはするが、管轄外という事で、水沢天文台の「アテルイ」が設置されている「水沢VLBI観測所」の隣にある、「奥州宇宙遊学館」の一部を急遽接収改装して、開発センターとして使う事となった。

 「アテルイ」のチームもいるから、話しも通り易いだろうという配慮もあっての話だが、沢田はこれは正直ちょっと心配だった。

 コンピュータサイエンスに関わる人間は、多かれ少なかれ、ハードにしろソフトにしろ、自分が作り出したものには、愛着というか執着というか、所有に近い感覚を抱く物である。それを少なくするために、複数人でコードをいじるペアプログラミングなどの技法が考え出されてはいるものの、セクション間でのそういう感情に関しては完全には払しょくされていない。

 だから、直接のやり取りが増えることに、彼には開発部署同士のぶつかり合いなどのトラブルの懸念が有った。しかも、たぶんその矢面に立つのは沢田である。正直、そんな「政治」には関わりたくはなかった。


 沢田は暫く考えた結果、とある人物を思い出して連絡を取った。

 SNSを通じて知り合った人なのだが、たくさんのアマチュアプログラマを束ねる組織を運営している人物だった。たまたまオフ会で名刺交換していたので連絡先を知っていたのである。


「あ、もしもし、ノスタルジックPCコンソーシアムの赤城さんですか?」

「はいはい、赤城ですよっと」


 妙に淡々として、それでいて軽いノリの返事が返ってきた。


「わたくし、NAOJのWA関連プロジェクトでソフトウェア開発主任をやっております、沢田と申します」

「えと、NA……の沢田さん……ああ、ああ。国立天文台。確か震災の前、神楽坂のオフ会でお会いしましたっけ。覚えてますよ。凄い肩書ですね」

「はい、覚えてくださっていて恐縮です。実はご相談したいことが有るのですが……」


 かいつまんで現状のチームの事を説明する。


「成程、いきなりの大所帯はきついですな」


 ちょっと警戒したような声で赤城は答える。


「そこで、赤城様にご相談なのですが、赤城様は大所帯のノスタルジックPCコンソーシアムをまとめておられますよね」


 ノスタルジックPCコンソーシアムは、80年代~90年代頃のパソコンを収拾したり、ソフトのデータをまとめたりする有志の集まりである。

 そこには、当時の突出した技術者やアーティストなども所属する、いわゆるパソコンおたくと呼ばれる人々の中でも、特に技術力のある、濃い人間が集まっていることで一部人間にはとても有名な団体であった。

 緩い横のつながりで成り立っているのだが、様々な過去の知財などに関係するために、調停役の仕事は結構大変であると聞いていた。そういう団体を切り盛りしている以上、赤城には少なからぬブレーンや、人材などに対するコネがあるだろう、というのが沢田の読みであった。


「はいはい、えっ?」


 電話の向こうではちょっと警戒するような気配が感じられた。ここで守りに入られては話がしにくい。逆にちょっとジャブを入れて様子を見てみたほうが良いかな。沢田はそう思い、話しをワザと赤城に向けた。


「赤城様ご自身が可能ならお願いしたいのですが――お忙しいですよね」

「ええまあ、会社も切り盛りしていますし、その、ちょっと難しいですね」


 仕事の流れの悪い昨今、国からも資金の流れそうな話である為に、興味はそそられているようだが、同時に大きな責任も伴う事は充分に伝わっているだろう。流石に躊躇ちゅうちょした返事が返ってきた。

 じゃあ、ここで一歩引けば、良い話が引き出せるかもしれない。


「ですので、そういう大所帯をまとめる人には、似た経験を持った知人がおられるのではないかと考えまして」

「ああ、なるほど」


 しばし電話の向こうでの沈黙。


「少々お待ちください。今私も色々案件を抱えているものでして。えーでは、折り返しご連絡を差し上げる、という形で宜しいでしょうか」

「はい、それはもう。ただ、ご存知かと思いますが、今電波天文関係は国際的なレースの真っ最中でして、一刻が惜しい状態ですので、出来れば2日後までにご連絡いただきたいと思いますが、大丈夫でしょうか?」

「2日――ですか。厳しいですね。分かりました。ちょっと連絡を取ってみます」


「よろしくお願いします」


 沢田が頼る人物を少しばかり間違えていることに気が付いたのは、3日たっても連絡が無かった時だった。


             ――――― 08 ―――――



 0.73光年先の虚空、地球の騒ぎより遡る事9ヶ月前。


 今起きていることが非常事態であることを「仲介者メディエイター」は認識していた。

 送信すべきデータは、通信途中で切れてしまっていた。

 いや、事態はもっと憂慮すべき状態ではあった。

 なにしろ、通信リソースである「シリアル・ネットワーク」自体との連絡が取れなくなっていたのである。

 受信者たちがいたとして、その事実に気が付いたなら、何らかの緊急事態であることを認識しているだろうか?

 もっとも「シリアル・ネットワーク」を構成しているもの――各ノードは、其々が0.3光年もの距離を置いて離れている。何か問題があったとして、こちらからの問い合わせに返答が来るのは最短でも8ヶ月を待たなければならない。ましてや、「仲介者メディエイター」の隣のノードが事態を把握している可能性は、低いと言わざるを得なかった。

 正直、既に地球への情報通信を始めてしまってからの8ヶ月のタイムロスは、あの青い星の関心を変質させるには十分すぎる時間だと、「仲介者メディエイター」は判断していた。早急に何とかしなければ。

 おそらくは、あの青い星の受信者たちには、この地点も判明していると思われる。

 青い星の地上からの電波の解析結果を信じるならば、あの星の住人には、この位置まで亜光速で到達できる無人探査機を飛ばす能力はない。

 だが、36年の時間を掛けて太陽系外に飛び出す飛翔体を作り、送り出す粘り強さはある。万が一問題がシリアルネットワークのはるか遠くで起きているなら、地球人の飛翔体に此方を発見される可能性も否定はできない。

 だが「仲介者メディエイター」たちが接触する前に、彼らに自分を発見されることは、「あるじ」からの命令で極力避ける様に指定されている。

 彼らが調査用の飛翔体を飛ばす決意をする前に、何らかのアクションを起こして、通信が無事だという事を伝えなければいけない。


 だが、これは「あるじ」の設計にはない事だ。


 しばしの思考の後、「仲介者メディエイター」が下した決定は単純だった。

 それは、極めて基礎的なデータを断続的に送信し続けることで、

 「回線が生きている」

 ことを青い星の受信者たちに伝えてやるべきだ。

 という事だった。


 かくして、通信は途絶から4日目に、復活することになった。

 しかも、今までの通信では得られない「基本的」プロトコルによる空っぽのデータだった。


 「空っぽのデータ」の送信は約1週間続いた。


 何故「仲介者メディエイター」はそれ以上送信しなかったか?

 答えは簡単。

 「シリアル・ネットワーク」との通信が再開したからだというのがその理由だった。だが、「仲介者メディエイター」は少なからぬ異常を感じ取っていた。

 通信相手の位置が違っていたのだ。

 データヘッダーに収められた認証データは、通信相手が自分のリンク先だった相手と同一であることを示していた。だが、相手の通信は接近を意味する青方のドップラー変異を起こしていた。

 ドップラー効果は近付く救急車の音が高く聞こえるあれである。周波数そのものは、青方変位を考慮して発信時に低周波にしているのだろうが、相手が加速しているために周波数が青方向に揺れているのだ。

 送信相手は、何らかの事情で接近して来ていたのだった。しかも、加速しながら。


 通信には「仲介者メディエイター」自体に対する指令も入っていた。

 あと2サイクルの通信の後、指示された方向からのエネルギー照射を受け止めて、「仲介者メディエイター」も加速せよ、というものだった。


 「仲介者メディエイター」が加速する方法について知るには、まず、それがどうやって「あるじ」の星からやって来たかを説明する必要があるだろう。

 「仲介者メディエイター」が構成員を務める「シリアル・ネットワーク」は、「あるじ」の星から出発する際、加速のためのエネルギーを持たずに出発していた。

 では動力はどうしたかというと、「シリアル・ネットワーク」を構成する「仲介者メディエイター」と同じ構成単位は、それぞれが差し渡し120mの巨大なパラメトリック・アンテナを兼ねた「レーザー帆」を持っていて、数百体という数の構成単位がリンクし合って、差し渡し2kmという巨大な傘状の物体として出発したのである。

 傘状の集合体は巨大なレーザー帆船として動作した。

 レーザー帆船は「あるじ」の星から発せられる高エネルギーのレーザーによって加速し、遙かな青い星へ目がけて虚空を旅した。

 こうすることで、はるばる青い星のある太陽系まで、〈シリアル・ネットワーク〉を飛ばすことに成功したのだった。


 だが、それには2つの重大な問題を解決する必要が有ったのだが――今はここまでの話で充分なので、それはまた後の話題としよう。

 「仲介者メディエイター」は、通常はパラメトリック・アンテナとして使っている薄膜の裏側を調整し、レーザーセイルとして展開すると、指定された方向から来るレーザー光に対して準備をした。

 「仲介者メディエイター」自体が動くことは最初の「あるじ」の指令にはなかった事だ。


 何かが変わりつつある。


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