第3話 従妹


            ――――― 05 ―――――


 能動的アクティブで実益に直結した結果が出やすい、華々しくロケットを打ち上げたりする宇宙開発事業に比べ、受動的パッシブでどちらかと言えば夢物語を追いかける様な、電波望遠鏡などの静かな機械を使う宇宙探査事業は、どうしても扱いが地味になりがちである。

 実際、宇宙航空研究開発機構JAXAも予算は厳しい状態だが、国立天文台NAOJはその1割程度の予算でやりくりしている状態だ。

 そんな状態でさえ、世界的に重要な成果をいくつも上げているのだから、世界の電波宇宙探査の予算の低迷は慢性的であった。

 だがそこに急に降って沸いた電波探査競争である。

 新たな予算を右から左へとつけて貰う訳にもいかないが、世界的な世論の注目も大きく、各国の宇宙探査機関は少ない予算の中、様々なやりくりを試行していた。

 日本もこの機会にいい結果を出したいと躍起になっているため、沢田が提出したスーパーコンピュータ「アテルイ」の計算時間の申請はすんなりと通った。それだけではない、「京」の割り当て時間まで、かなりの割合を割いてもらえることになった上に、宇宙航空研究開発機構JAXAの全面協力も取り付けることに成功したのだ。

 既に国立天文台NAOJの別のチームには、X線天文衛星「ひとみ」を使ったX線探査などには許可が出ているし、更には可能なら、はやぶさ2を活用してくれ、との話も出たそうだ。ただこれは、どちらかといえば、人気の高いはやぶさ2を絡めることで、一般大衆の支持も取り付けたい、という助平心からの提案でもあっただろう。だが残念ながら今に至るまで、電波以外の観測では、芳しい結果は出ていない様だった。


 沢田の仕事も激変した。

 専任技術職員として従事していたのだが、急激な増員に伴い、年明け早々に契約が更改になり、WA関係(Wow Againの頭文字をとった通称)の解析チームの主任職が内定したのだった。お役所体質な国立天文台NAOJにしては、異例のハイスピード人事である。

 そうなってみると、沢田の仕事は大忙しである。

 いくつものデータリソースの発注を行い、各方面と折衝しつつ、「アテルイ」と、新たに許可の出た「京」それぞれのプログラムを用意したり、追加コーディングのための設計チームを立ち上げる必要があった。

 彼は片っ端から知人をあたり、動ける人をみつけたら国に外注の許可申請をして、チームを形作っていった。それでもなお足りないところは寝食を削って作業に没頭した。人を増やせばそれだけチームは複雑化し、機材だって組み直しになる。業者に頼むのももどかしく、彼は職場のネットワーク環境を自ら設計し直して、ケーブルを敷設するために、自分で床下に潜り込んだりもした。


 クリスマスに予定していた従妹の家族との旅行は、結局キャンセルの連絡すら入れずに反故にしてしまっていた。お世話になっている叔父だけではなく、久しくしている海外で働いている従妹も参加するかもしれない、という話もあったのだが、沢田はそれすら忘却の彼方となって仕舞っていた。


 そうやって正月も返上していたら、「正月くらいは顔を出せ」と、実家に呼び出しを食らった。だが沢田にしてみれば、そう言った年中行事は只管面倒なだけで、忙しい、というか、正直面白い仕事をしている最中には、雑事でしかなかったから、ろくに返事もせずに放置して、作業に没頭していた。

 そして、三が日も過ぎ、そろそろ七草も終わり、気が付けば1月も半ばを過ぎようというある日の昼。沢田は徹夜の末、机の下に突っ込んだ寝袋の中で、泥のように眠っていた。


 だが、沢田の寝ていた寝袋は、いきなり乱暴に机の下から引きずり出され、沢田自身は頭をステッキの先で小突き回された。いきなりの事に沢田は眠い目を擦りながら、渋い顔で寝袋から体を起こした。

 目の前に居たのはJ.Mワシントンのシューレスの紐靴を履きこなし、バーバリのトレンチコートにタータンチェックのマフラー、髭は短く切りそろえて、髪は清潔そうなクルーカットにまとめた初老の紳士。沢田の叔父の保泉美樹也だった。

 叔父は起きた沢田の頭にとどめのステッキをこつんと当てると、他の所員が大勢いる中で大声で叱責した。叔父は彼をこの仕事に引き込んだ張本人であり、三鷹キャンパスにもよく出入りをしている人なので、他の所員は苦笑いしながら、遠巻きに様子を静観していた。


「裕也! 仕事が忙しいのは分かっている、だからといって不義理の理由にはならん!」

「あ……美樹也叔父さん。おはようございます」

「おはようございます、じゃない、この大馬鹿者。なんてだらしない格好をしているか」


 叔父は沢田を名前で呼んだ。

 沢田は「ちょっと待ってください」と一言断ると、寝起きの珈琲をサーバーに取りに行った。徐々に回り始めた頭で、今伯父と話すのは正直面倒くさい、と思ったから、適当に怒られて帰ってもらうつもりになっていた。

 そういう訳で、珈琲を啜りながら、沢田は叔父にもごもごと言い訳をした。せっかく買ってきて提供したグァテマラだったが、長時間経ってすっかり香りが飛んでいる。


「美樹也叔父さんもご承知の通り、今は世界的な電波探索戦争の真っただ中で――」

「それは知ってる。時間を作って抜け出してくればいい事じゃないか」

「とても抜けられる状態ではなかったのですよ。不義理は悪かったと思っています」

「そんな簡単な言葉で済ませるつもりかね。――仕事が大事なのはわかる。だが、この様な状態が続くなら、お前にはこの仕事を下りて貰うつもりだ。三鷹にも私のコネはあるからな」


 叔父のこの一言には心底驚いた。


「叔父さん、ちょっと待ってください。いまのチームは僕が作ったものだ。僕が抜けたらこのチームは正常に機能しないですよ」

「大丈夫だ、バックアップのチームごと編成は進んでいる。お前が不義理している間に、綾子を中心にな」

「なっ……!」


 従妹の綾子は彼同様の腕を持つ才女である。

 いや、そんな生易しい呼び方はやめたほうが良い。彼女は女傑ギーク技術おたくだ、いやハッカー・ウィザード(ハッカー=プログラムを書くのに長けた人の事。ウィザードはその格で、最上位に掛かる尊称)だ。

 しかし、彼女は渡欧して、英国のジョドレルバンク天文物理学センターの情報技術部隊に勤務していたはずだ。ついでに言うなら、この叔父の娘である。


「そんな、いつ英国から」


 言いながら沢田は、反故にしたクリスマスの旅行には、綾子も参加するかも、と言われていたのを思い出した。この前振りだったのだろうか。


「だから、不義理をしているとこうなると言っている。綾子はこの馬鹿げた電波騒ぎの前に辞意を固めていて、正月に急遽東京に戻ってきていたのだよ」

「ジョドレルバンクだってVLBI(複数の電波望遠鏡を、ひとつの巨大な電波望遠鏡として運用する技術)で距離測定なんかをやってる。探査競争に入っているでしょう、向こうを抜けたらそれはそれで……」

「戻ってくるのは、この騒動の前から決まっていたのだよ。ものすごい引止めは受けたらしいが、綾子の決心は固かったらしい。最初は天文関係ではなくて、富士通の研究所への移籍がほぼ決まりかけていたらしいのだが、今回の事件で、矢も楯も堪らなくなったのだろう。天文を捨てきれないと、私に相談してきたのだ。一応、同業のおまえにも打診して、可能ならお前のチームに、と思っていたのだが、肝心な時にお前には連絡が取れない。私が動くしかなかったんだ」

「そんな……」


 叔父は開いている椅子に腰かけると、彼を凝視して言った。


「とにかく、今度親族会議を開くから来なさい。綾子もお前の事を気にかけている」

「――わかりました」


 沢田が持っているカップの中の、香りの飛んだコーヒーは、すっかり冷めて、とても飲めた代物ではなくなっていた。

 嵐は予想外の所でも吹き荒れていたのだ。


             ――――― 06 ―――――


 沢田は子供の頃から「従妹のあや」――綾子が苦手だった。

 逢う度に「兄さま、兄さま」と、子犬のように纏わりついてくる。綾子は甲府の生まれで、沢田の住んでいた小田原まではかなりの距離なのだが、毎週のようにやって来た。それでも子供の頃は妹のようなもので、それなりに可愛がってもいたのだが、物心ついてからは、何となく避けるようになって仕舞っていた。

 沢田がコンピュータの業界に入ったのは綾子の父、叔父の美樹也の影響が強かった。叔父は80年代からコンピュータの仕事をしており、大学方面にも明るかったから、沢田の大学時代、アルバイト先にコネで仕事を紹介してもらうのは難しくなかった。特に当時、叔父が草の根ネットやNifty等のパソコン通信で付き合っていた人が、コンピュータコードの最適化という仕事をしており、プログラムひとつでコンピュータの性能を引き上げる、という仕事が面白そうだと思ったので、その道の仕事を紹介してもらったのが、沢田が頭角を現すきっかけにもなった。

 どういう経緯か、綾子もそのことを知って、同じ道を目指し始めた。何かというと沢田に懐いているように見えたのは、寧ろ対抗心を燃やしていたのかもしれない。どちらも天文台が近くにあり、子供の頃からコンピュータと同じくらいに天文にも浸って育っていたので、彼が三鷹の国立天文台NAOJ、綾子が英国に渡ってジョドレルバンクの天文物理学センターを仕事にしたのは、ある面必然だったのかもしれない。


 その綾子が帰国していたのだという。


 親族会議のために皆が集まったのは、叔父の家がある甲府だった。都内から電車で4時間弱。甲府には旧家もたくさんあった。叔父の家は数多くの部屋が有ったが、人が滅多に使わない離れが有り、沢田は偶に遊びに来ては、その離れを時折使っていた。


「お、あったあった」


 離れは今でもそのままだった。沢田は適当に座布団を引っ張り出すと、日に干した匂いのする畳に、柱を背にして胡坐をかいて座り、持ってきたタブレット端末で情報のチェックを始めた。

 親族会議ではいったいどういう事を議題にされるのか、何も聞かされず、皆目見当もつかない状態で、ただ神妙にして、親族会議までの時を過ごす沢田だった。


「裕也兄様、ですか?」


 振り返ると妙齢の女性が立っていた。しかしこれは……見覚えが有った。


「えと、あやか?」

「ご無沙汰しています」


 ショートボブの髪にアンダーリムの細いメタル縁の眼鏡を掛け、コムサイズムの落ち着いたスーツを着ている小柄な女性。面影がある。綾子だ。纏わりつかれるのが何となく嫌というか、気恥ずかしかった所為で、中学以降ろくに見ていなかったが、可愛い感じの女性になっていた。


「ちょっと見ない間に、見違えたね」

「そんな……昔から変わりませんわ。本当ならお正月に、ご挨拶したいと思っていたのですけど――」

「ごめん。仕事に没頭すると、後先見えなくなってしまって――僕の仕事のバックアップチームを作っていたんだって?」

「はい、お父様にお仕事を相談して、紹介いただいた仕事です」


 沢田はちょっと眼鏡をずらして肉眼で綾子を見る。目が悪いのはプログラマの職業病みたいなものだが、親族揃ってほぼ全員眼鏡なのは、やはり遺伝かも知れない。ちなみに沢田はカルバンクラインのストライプのスーツを着崩して、黒い細縁のロイド眼鏡を掛けている。馬子にも衣装というか、普段ダサい裕也も、びしっと決めればそれなりに見える。

 綾子は悪びれもせずに、いや寧ろしげしげと眺めるように沢田を見つめている。後釜に入ろうというにしてはあまりに無邪気な視線だ。沢田はちょっと意地悪なかまを掛けてみた。


「僕をお払い箱にして手に入れる仕事は楽しみ?」

「え?」


 大層な驚きようだ。狼狽しているとすら言える。


「あやのバックアップチームとやらは、丸々僕の作ったチームと取り換えるための物らしいよ。勿論僕含み」

「そんな話は伺っていません! お父様は裕也兄様と協力して、と」


 真っ青になる綾子。


「先週末に美樹也叔父さんが三鷹に乗り込んでこられたときに、僕にはっきり言ったよ。お前には降りてもらう、とね」

「そんな――、お父様と話してきます!」

「まあ、待てよ」

「でも!」

「おかしいんだ」

「……何がです?」


 やっと沢田は気が付いた。ブラフはったりを切られたのだ。叔父は僕を仕事から下すとか、そんな事はどうでもいいのだ。いや、どうでもいい事ではないにしろ、仕事の話は餌でしかなかったのだろう。


「美樹也叔父さんに一杯喰わされたかな。仕事の件はおそらく、あやがいる場所に僕を引っ張り出す口実だろう」

「?」


 事態が飲み込めずに狼狽の表情を浮かべる綾子に、沢田は目を細めて少し微笑んだ。ああそうだ、昔からあやは素直な子だった。


「一つ聞きたい」

「はい」

「あやは僕と競争したいから、プログラムの腕を磨いたり、天文関係の仕事をしたいと思ったのかい?」


 ぶんぶんぶんぶん、と、綾子は首を横に振り続けた。


「裕也兄様の仕事の手伝いができるようになりたい、そのために実績を付けたいと思って。一度三鷹にも応募したのですが、当時は人員が足りているし、予算も無いと言われました。だから英国に――」


 要するに、叔父は綾子を手放したくなかったのだろう。そして今は、どうせ片付くなら身内の、しかも目を掛けている僕に、と、身勝手な考えをしたのかと思う。沢田はそう推測した。


「ああ、分かった。あとから美樹也叔父さんに直接聞く。どうやら叔父さんは僕を入り婿に迎えたいらしい」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る