第2話 国立天文台
――――― 03 ―――――
クリスマスで賑わう武蔵境の街を、一人の青年が自転車で走っていく。
スタジャンにチノパンという、くだけた格好。
いまどき流行でもないウェストポーチは、両手が開いて、背中にも余計なものが無くて良い。という理由で愛用していた叔父から譲り受けたものだ。ダサい、と友人には言われているが、そろそろ中年の域に脚を掛けている彼自身は、割と頓着せずに愛用している。
髪はかなり適当に伸びているが、髭は一応綺麗に剃っていた。
四角い銀縁眼鏡は鼻で支える所が黄ばんで来ている。
正直、格好いいとは言い難い。やっぱり全体的にダサいおっさんだ。若干だがオタク風味もある。腹が出ていないだけまし、という感じだろうか。
彼は市街地を抜けて西に走り、天文台通りを南下する。
2、3分も自転車で走ると、街並みも少し閑散としてきて、やがて右手に
正門に行くと、いつもは閑散としている出入り口が、警備員が十人近く居て、テレビ局の中継車やカメラとマイク、そして溢れる記者たちで凄いことになっている。人ごみを分け入って、入館証を確認してもらって奥に進んでいくと、どうやってか許可を取り付けて、中まで入り込んでいる報道の車もちらほら見受けられる。
いやはや、大変な騒ぎになったものだ。
研究室に入ると、ざわついていた。緊張が走っている。
「おお沢田、来たか。予定が入っているところ呼び立てて済まんな」
白髪の混じり始めた研究員が彼に気づいて声を掛ける。
「
「大丈夫なのか? すっぽかしちまって――」
「旅行なんていつでも行けますよ。むしろニュースを聞いてうずうずしていたんです」
「そうか、なら良いんだが」
「野辺山(宇宙電波観測所)から異常電波信号源について連絡が有ったって聞きましたけど」
研究員はPCの画面をタップすると、ウインドウをひとつピックアップする。
「異常電波源 "ORIa01P1"、いわゆる "Wow again" だが、昨晩から活動を再開したらしい」
「本当ですか」
「ああ、強力で、非常に規則的な信号を発している。水沢VLBIや、
「しかし、"Wow again" といえば、地球から0.7光年という測定距離が出て、眉唾ものだという話になった気が――」
沢田が聞くと、相手の研究員は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「その距離観測が間違っている可能性はないか? と、今度の活動再開で世界各方面が色めきだっている」
そう言いながら、研究員はコンソールを操作して"ORIa01P1"に関する最新の観測情報の一覧を表示した。
「沢田が聞いたように、野辺でも再観測を始めているが、水沢のVERA("VLBI Exploration of Radio Astrometry(VLBI技術による電波位置天文学の探究)"の略、遠距離の電波天文台同士を連携させて遠方の天体をより巨大な電波望遠鏡を使って観測するのと同等の成果を上げるもの)を使って、詳細な距離測定を試みるそうだ。アルマ天文台でも、このためにプロジェクトチームを立ち上げて観測に当たるらしい」
「ハワイの『すばる』はどうなんですかね」
「んー。光学望遠鏡では、まだ残念ながら成果を上げていないらしい。写真の一つでも上がってくれば、それこそ一般人向けとしてはまたとない宣伝材料なんだがなぁ」
「まあ、それはそれで電波天文台が注目されるチャンス、っていうことかもしれないですね。これで地球外の発信源。例えば未発見の惑星だったら大発見になれば――」
「夢は広がるな。いずれにしろ、これだけ規則的な信号だ、地球外のどこでもいい、人類由来じゃないと分かるだけで大発見だよ」
わははと笑う研究員に背中を小突かれて、沢田も笑って、それから自分の席に着いた。今の沢田の役割は、電波望遠鏡から得られたデータの解析をするプログラムのメンテナンスだ。マシンを起動して進捗管理用のグループウェアを立ち上げ、
「うーん、速度と精度の向上ねえ。今のシステムだと頭打ちなんだよなぁ」
三鷹キャンパス内で彼の権限で使えるマシンの電波解析ソフトをいくらバージョンアップしても、速度や精度には限界が見えてきている。だから、最近は細々とスーパーコンピュータの空き時間を使わせて貰ったりもしていた。
やっぱり、その割り当てを増やして貰ってから、スーパーコンピュータ用のプログラムの改修を行って、速度を極めたほうがよさそうだ。
「
沢田は別のウインドウでNetBeansという開発ソフトウェアを立ち上げながら、先程から話をしていた白髪混じりの研究員の名を呼んだ。
アテルイは
だが、大量のノイズの海の中から解析して必要なデータをえり分ける作業は、全天掃天のSETIでなくとも大量のCPUタイムを欲する。沢田がメンテナンスして最適化、高速化しているプログラムはかなりチューニングを施されていたが、それでもCPUタイムは割当量では全然足りなかった。今は世界中が躍起になって天の一点にある情報の収集と解析のレースをしているのだから。
「うむむ、電波解析に関してはアテルイの本来の仕事ではないから、難しい処だが、今話題になっている事項だし、他国との競争にもなっているしな。ねじ込める可能性はあるかも知れん。申請書を書いておいてくれるか?」
「了解です」
沢田はグループウェアから「申請書フォーム」を呼び出す。
そう、今は競争だ。彼はそれを推進させるエンジンのチューニング係なのだ。
――――― 04 ―――――
太陽から0.73光年離れた虚空に「それ」はいた。
0.73光年。それは、光が0.73年=約9か月掛かって渡る距離であり、地球での騒ぎの9か月前のその地点にて、「それ」は活動を再開していた。
実際のところ、「それ」はいきなり降って湧いた様な物では無く、粘り強く何百年も、同じ場所にとどまり続けていたものだった。そして「それ」は、ひたすら「
「
「
「
しかし、言い方を変えればこのシステムは、データを「シリアル・ネットワーク」の任意の一から流せば、ネットワークの遙か彼方に居る同胞にやがて到達する、という事を意味している。シンプルかつ、必要十分なネットワークであった。
そして、「シリアル・ネットワーク」は、過去何十、何百年と延々とその作業を繰り返していた。
だが、ある日「
この事実は、目的の星の住人が電波技術を持ち、宇宙に対しての具体的な実験を開始したことを意味していた。「
そこで、「部下」は軌道上で「
地球側でいえばそれは、ドイツのA-4ロケットが、上空190kmに到達したことを意味していた。だがそれは、より苛烈な戦争の始まりをも意味していた。ここを乗り越えない限りは「
「
そして、地球時間で60年以上の時間が経過した。
その間、「部下」が送ってくる情報は、様々な事実を伝えてきた。
「相手」が大気圏外に飛翔体を送り通信を始めたことや、地球の住人が、その星の連星……月に到達したこと。軌道上に実験施設を作り、そことの往復を始めたこと。中でも、他の惑星に次々に着陸して探査を開始し始めたことは、大いに「
「
「太陽系外探査を始めたら、その生命体の『メッセージ』を受信せよ」
だったのだが、地球人がかつて行った
しかし、何が幸いするか分からない物である。2010年代半ばに、SETI責任者であり、アクティブSETI推進派のS博士が発し続けた「異星人を早急に探し出す必要がある」というステートメントは、電波で放映されるメディアにも流れ、常に地球からの微弱な電波を傍受していた「部下」にもたびたび受信された。それは、慎重派のF・D博士らとの駆け引きとして発されたものだった。
膨大な情報の中の僅かな一部。しかし、この情報は「
かくして、信号を受信した「
その指令こそが、「シリアル・ネットワーク」を通じて「
これが0.73光年先にある9か月後の地球での騒ぎの発端であり、異常電波源"ORIa01P1" 、通称 "Wow again!" シグナルの正体だった。
「
2度目の送信は未だ半ばであった。
だが、予想外の事態が起きた。「シリアル・ネットワーク」に問題が発生したらしく、データが一部届かなくなってしまったのだ。
「
「
かくして、正常な送信は中断されてしまった。
だが、この事実に地球人たちが遭遇するのは、更に9ヶ月後であった。
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