あのとき、このとき

黒虎

序章

あのとき

 小学校の卒業式。

 空は晴れ渡り、太陽が校庭を照らすなか。僕は一人、桜の花びらが舞い散る木の下で立っていた。

 すでに卒業式は終わっており、校庭ではクラスメイトやその家族などが嬉しそうに笑っていたり、泣いていたりしている。

 自分はというと笑うでも泣くでもなく。ただ緊張した面持ちで、ある人のことを待っていた。

 今でも彼女との思い出は、僕の中で色褪せることなく輝いて、胸の鼓動を高鳴らせる。

 勇気を出せ、今日を逃したらいつ言うんだ!

 自分を鼓舞するように心の中で、何度も何度も小さな勇気を搾り出し、心を決める。

 彼女とは区画のせいで、別々の中学校に通うことになっていた。だからこそ、今日しかないと前から決めていたのだ。

 それにしても、やっぱり緊張するなぁ……。

 彼女が来る前にその場で深呼吸をして、気持ちをどうにか落ち着かせようとした瞬間、声をかけられてビクリと体を震わしてしまう。

 ゆっくりと声のしたほうに顔を向けると、そこには同じ小学校を六年間過ごした少女――桜ヶ丘櫻さくらがおか さくらが立っていた。

「悠助、話ってなに?」

 そこには肩ほどの黒髪を靡かせながらも、気さくそうな、いつもの明るい表情ではなく、優しい微笑みを浮かべている。声音はとても落ち着いていた。

 その瞬間、僕の緊張はピークに達するものの、どうにか平静を装って言葉を口に出した。

「こんなときに呼び出すなんて、ほとんど理由は決まってるようなもんだよ」

 できる限り、いつも通りに声をかける。でも、声はやっぱり震えていた。

「声震えてるよ?」

「わ、わかってる。僕は――」

――僕は君のことが

「僕は君のことが好きです! どうか、付き合ってください!!」

 彼女の目をしっかり見て、たった二言。

 だけど、テンパっている僕にはこれだけしか言うことができなかった。

 櫻もこちらを真剣な表情で聞いてくれた。そして、彼女も僕の目を見て口を開く。

「悠助、ごめんなさい。でも、告白してくれてありがとう。ごめんだけど、今はそんなこと考えられないや」

「う、ううん、そっか。それじゃあ、仕方ないね。こっちこそ、呼び出してごめんね。あっ! あそこにいるの櫻のお母さんとお父さんじゃない? 呼んでるから行ってあげなよ」

 視線を後ろにやると彼女の親が呼んでいるのが映り、櫻に呼びかけた。彼女もそちらに目線をやった。

「えっ? あっ、本当だ。でも――」

「僕は大丈夫だから――またね、櫻」

「うん、わかった。またね、悠助」

 最後にそう言葉を交わして別れたものの、彼女は何度かこちらを振り返っていた。だけど僕は、ただ彼女の姿が消えるまで笑顔で手を大きく振った。

 櫻たちが見えなくなって手を下ろしても、僕はというと疎らになりつつ校庭を眺めながら、その場で少しばかり呆然としていた。

 フラれることを覚悟の上でしたものの、やっぱりフラれるというのは辛いものだなと。似合わないことを考えた。

 春の暖かな風が頬を撫でていくのを感じて、空を見上げる。そこには満開の桜の木から、やっぱり櫻の花びらひらひら蝶のようにゆっくり舞っていた。

――綺麗だな

――――本当に綺麗だ

 心の中でそう呟いた途端、視界が急に霞んだ。急に緊張が解けたのとフラれたと実感してきたのか、涙腺が緩んでしまい涙がぽろぽろと零れてしまう。

 情けないと思うけども、今だけは泣かせてもらおう。

 そうして僕は、その日、涙が止まるまでずっと桜の木を見上げ続けた。

 やっぱり、桜の木は綺麗だった。


 そして、その日を境に、僕は櫻と会うことがなくなってしまった。

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