第22話

どれほど強烈な体験と言えど2、3日経てば記憶から抜けるものである。

非日常的な感動も今や日常へ移り変わり、宝蔵院お春こと西大寺千秋はいつもと変わらぬ何気ない5月の昼下がりを過ごしていた。


「お春殿、この文書を見て欲しい。」


千秋が固形物を食べていると菅原さんが話しかけてきた。何気なく菅原さんの手元を見ると、手に持っていたのはラミネート加工されたA3大の上質紙だった。

まるで一流レストランのお品書きのように品のある装飾が為されており、流麗な筆記体と人物の写真が何かを暗示しているようだと千秋は思った。


「これ菅原さんが作ったの?」


写真にはダンベルを抱える男やランニングをする男の姿が写っていたがどれも顔面を黒く塗りつぶされている。


「トレーニングメニューを組んだんだ。」


菅原さんは楽しそうに言った。成る程。スポーツ好きの菅原さんならばトレーニングメニューを組む事で己の欲求を満たす事もあろう。

だが気になったのはトレーニングの内容である。どの写真にも下に注釈で「致死」と書かれているのだ。これが何を意味するのか、千秋には計り知れない事だった。


「これはやったら死ぬトレーニングを考えたんだ。」


菅原さんが涎を垂らしながら言った。


「もうちょっと詳しい説明が欲しいかも。」


千秋は興味を持った。説明を求めると菅原さんは嬉しそうに説明し始めた。


「つまり死ぬトレーニングを考案する事で、逆にここまでならやってもまだ死なないっていう線引きが出来るんだ。勿論場合によるけどね。」


この言葉を聞いて初めて千秋は納得がいった。

クラス内で十数人の生徒達が重そうなダンベルを苦しそうに何度も上げ下げしたり、腹筋しているのだ。つまり彼女達は菅原さんの考案した死ぬトレーニングメニューをデバッグするグループである。


「それでお春殿の意見が欲しかったんだ。」


菅原さんは娯楽で生み出したトレーニングメニューが派閥に伝播したことはどうでもよく、このメニューで本当に人が死ぬかどうか意見が欲しかったのである。千秋は流石にブラジルに逃げたいと思った。

その時教室のドアが蹴破られた。


「喰らえーッ!アタシの中華だーッ!」


元気よく教室に入ってきた痛々しい子は長い髪を後頭部で二つ結いにした白目の美女だった。

ガニ股で扉の前に立ち、両手を突き出しその手には紐で括られたセイロウがぶら下がっている。


「あいつはッ!郡山マオ!」


教室を周回してた菅原さん派閥の人が叫んだ。


「ねえそこの教室を周回してる方の貴方邪魔だけど。」


山田寺さんが言った。


たちまち教室に緊張感が齎された。


あまりとりたてて騒がれる話題では無いが、クラスには仲良しグループの内どちらの集団がより優位かを決めたがる積極層が存在する。そういう人間はどのグループにも一定数いて、普段は取り繕われているが、時に他グループへの攻撃的な本心を表面化させる。

彼女らは派閥同士の衝突に敏感だった。千秋は成り行きを見守ることにした。


「ああっ!?なんだ山田寺さん?」


まず沈黙を破ったのは白目の美女郡山さんである。


「ごめんなさい。でも昼休みはなるべく静かに過ごしたいの。」


山田寺さんはお淑やかに言った。


「えっそうなのかクソ野郎。」


郡山さんは冷たかった。


「ああっ!?私は野郎ではないわ。」


山田寺さんが抗議すると郡山さんは手にぶら下げていたセイロウを山田寺さんの頭の上に置いた。その瞬間山田寺さんの眼が血走った。


「何なの?このあったかいの。」


「東坡肉だよ。」


「えっ…何でそんなものを。」


山田寺さんが怪訝そうにしていると横から菅原さん派閥の生徒が口出しをしてきた。


「あなた達、ここは学校よ。喧嘩なら他所でしてくれない?」


菅原さん派閥は菅原さんをリーダーに据え優越感に浸ろうとする生徒達の一群だ。その風紀を重んじる風潮は菅原さんの意思を容易に超越する。


「別に良いんじゃないの?」


菅原さんが呟いた。すると菅原さん派閥の人達が山田寺さんに詰め寄った。


「山田寺さん、あなた菅原さんに近寄りすぎじゃないの?」


「えっ…なんでそうなるの?意味わかんない。」


だが、菅原さん派閥の行動にも深いわけがあった。


「は?クソだな。」


郡山さんが言うと菅原さん派閥の人は追い討ちをかけるように山田寺さんを罵った。


「そうよ。郡山さんは菅原さんに近寄りたいの。だから郡山さんに詰め寄るあなたはクソで…つまり、郡山さんは風紀を重んじて…東坡肉を頭に乗せた…と思う。」


「いや…特に意味はないぜ…」


郡山さんが言った。


「東坡肉美味しそうだと思わない?」


菅原さんは千秋に言った。


「そうよ!みんなで東坡肉を聞こし召しましょう。お春殿もどうかしら。」


菅原さん派閥の人が突然言い出した。


「おう、召し上がってくれ。」


郡山さんは自慢の中華の腕をクラスメイトに知らしめたかったのだ。


「さあお春殿、東坡肉をお召しになって。」


菅原さん派閥の人が山田寺さんの頭に乗ってたセイロウを千秋の前に差し出した。


「えっ私が食べるの?」


千秋は事態が半分くらい理解できなかった。


「遠慮はいらないよ。」


なぜか菅原さんが東坡肉を食べた。

場当たり的な菅原さん派閥の行動だが、これには確たる意図がある。派閥同士の争いを率先するのはリーダーと目される者達ではなく、その周辺人物達だ。菅原さん派閥で言えば薬師寺さん、橘さん派閥ではスパークや唐招提寺さんがそうである。彼女らは東西冷戦のように水面下で勝手に争いをする。


入学から早一ヶ月、各グループの力関係は拮抗している。現体制は四月中頃には形成されていたが、仲良しグループからとり溢れる者は何処にも存在するものである。宝蔵院お春こと西大寺千秋がまさにそうだった。これが新たな火種となり、無所属層を取り込んで数の優位を得ようとする風潮が起こった。


要は派閥の人間達は三派閥のうち何処にも属しない無所属の人間と交流を深めようと思い至ったのである。郡山さんもまた無所属層であるが故に、菅原さん派閥は菅原さん本人の意見も聞かず郡山さんの懐柔を計ったのである。

菅原さんが東坡肉を食べていると、山田寺さんが話しかけてきた。


「ねえ味はどう?美味しい?」


「うん。中々の杭州料理だよ。」


菅原さんは美味しそうに中華を食べていた。


「ねえ山田寺さん、あまり菅原さんに馴れ馴れしくしないでくれる?」


菅原さん派閥の薬師寺さんが山田寺さんを咎めた。すると山田寺さんはガスマスクを被った。


「あら?あなたは関係ないじゃない、薬師寺さん。」


山田寺さんはそう言いながら懐からスプレーを取り出し、薬師寺さんに向けて噴射した。それは吸うと眠ってしまう睡眠ガスだった。


「私の目的は初めから虎の威を借りて踏ん反り返る貴様らに睡眠ガスを噴射して優越感に浸ることだったのさ。」


「うわぁ眠くなるゎぁ…」


薬師寺さんは瞬間的にその場に崩れ落ちた。

山田寺さん派閥は構成員どころか全てが謎に包まれロクでもなく、積極的に関わる人はアホしかいない。その奔放さから、影でアウトローや犯罪ギルドなどと呼ばれている。

その犯罪ギルドを裏で束ねるギルドマスターが山田寺星見だった。


「うわあみんな眠っちゃったねえ。」


山田寺さんは菅原さん派閥の人間達にガスを噴射していく。あっという間に菅原さん派閥の人間は全員眠ってしまった。その場に残ったのは菅原さんと千秋、そして関係のないクラスメイト達だけである。山田寺さんは垂れ目になって恍惚としていた。


「お昼食べたら眠くなるよね。」


菅原さんが言った。千秋は何事にも動じない菅原さんを見習いたいと思った。

そして流石に身の危険を感じた千秋は脳内回路を護身モードに切り替え即座に合理的対処方法を見出した!


「このピーマン野郎っ!」


罵詈雑言を放ちつつ山田寺さんにアイアンクローだ!

千秋の人工筋力は最大でゴリラ並の力を発揮できるが、背中の制御コンピューターが非殺傷用に力を調節する。山田寺さんは痛みで気絶した。


「山田寺さんも寝たわね。ところで私は野菜が苦手なのよね。」


千秋は完璧な筋書き通りに話題転換した。


「それはいけないね。」


菅原さんが言った。


「中華料理なら野菜でも食べられるんじゃないか。」


何気ない郡山さんの発言だが、今や女子高生の間では野菜がブーム、原価が高騰していた。実はモーター搭載四輪駆動野菜『ベジ四駆』が空前のヒットをしていたのである。


ベジ四駆とはモーター搭載四輪駆動と野菜を合体させるという全く新しい発想から生まれた野菜であり、四輪駆動で走る上に野菜は電気を通すのでモーターが動くのであった。だが斯様な代物が十代の乙女達の心の琴線に触れたのは実はここ数日の甲賀組と入滅部隊の戦いが大きく関与していた!


ことの発端は千秋がアマンダ和尚と接触したところから始まっていた。以前、千秋は気絶したアマンダ和尚に対して発信機を付けるという不用意な行動を取ったが、これが実は、即座に敵側に気付かれるという事態に陥り、件の入滅部隊内でのローズマリー和尚造反の遠因となっていた。


これらの経緯はローズマリー和尚事件の折、甲賀組が入滅部隊と共同戦線を張った為に得られた情報である。千秋自身はローズマリー和尚の捕虜となり、これは後に教えられた情報に過ぎない。とにかくアマンダ和尚の発信機に気付いた入滅部隊はこれを逆手にとって千秋を罠に陥れようとした。


だが、あまりにも杜撰なこの発信機は入滅部隊を誘い出す為の餌なのではという意見が挙がったのだそうだ。唱えたのは他ならぬアマンダ和尚である。だが結果的にこの件は保留と判断され、連帯責任で全員謹慎という厳しい処分が下された。これを好機とみたローズマリー和尚は離反をしたのだ。


つまり簡単に見つかる発信機を仕掛けた千秋の素人極まりない行動がプロ集団を惑わせ、その中で前々から組織離反の機会を窺っていたローズマリー和尚を誘い出す結果となったのだ。勿論、千秋と行動を共にした七本槍は元より敵を誘い出す魂胆があったが敵が、こんな仲間割れをするとは予想外だろう。


今回の件は甲賀組によって千秋の責任問題と判断された。ローズマリー和尚造反の影響は世間的にも大きかったのである。それはローズマリー和尚が未来人だったからだが、現代人と接触したことで未来の科学技術、つまりベジ四駆がこの時代に流出してしまったのだ。


そう、ベジ四駆は未来の技術力の賜物だった。これを隠蔽する為に政府はこぞって野菜を買い占めたが時すでに遅し、錦城高校女子生徒を中心に歴史の歪みが発生して野菜ブームが起こったというわけだ。つまり全部千秋のせいなのだ。

厄介なのはその頃の記憶が千秋にはすっかり無いことである。


「中華はどうなのだお春殿。」


郡山さんは考え事をしていた千秋に尋ねた。


「いや、なんか体質的に野菜は駄目っていうか、もう駄目なんだよね。」


千秋はサイボーグなので野菜が大の苦手なのだ。


「じゃあ土でも食ってろよ。」


郡山さんはすごい毒舌だった。


「どうなされた迷い子よ。」


突如として会話に乱入したのは絶世のイケメン生徒指導担当のキャスパー和尚先生だった。


「キャスパー和尚先生!実はこのお春殿が野菜を食べられないんです。」


キャスパー和尚は生活指導以外にも様々な生徒の相談に乗ってくれる優しい先生だ。

郡山さんの訴えを聞いたキャスパー和尚先生は興味深く千秋を見つめた。


「ほう、それは良くないですね。与えられた物は有り難く頂かないと。」


キャスパー和尚は爽やかに微笑んだ。あまりのイケメンぶりに生徒達が黄色い声で卒倒した。


「そうだ、今から私の禅堂に来ると良い。」


キャスパー和尚先生の提案に千秋は積極的に乗ることにした。イケメンだからではない。キャスパー和尚の禅堂は生徒達の間ではお堂と呼ばれており、アマンダ和尚が巣食っていたのもこのお堂なのだ。キャスパー和尚の縄張りに危険人物達が潜んでいることをそれとなく伝えられれば良いと思った。


「面白いものがあるのですよ。」


こうして千秋と郡山さん、菅原さんはキャスパー和尚とともにお堂へ向かった。

そしてお堂に着いたのだが、そこは以前と一変していた。お堂の床一面にはサーキットが貼り巡り、コース上をベジ四駆が走っていたのである。


「どうです面白いでしょう。」


千秋は歴史改変の恐ろしさに絶望した。


「わあ美味しそうですねえ。」


菅原さんが言った。千秋は菅原さんの胆力を見習いたいと思った。


「これ料理して良いっすか?」


郡山さんが言った。


「ええ、勿論駄目ですよ。」


キャスパー和尚先生は生活指導した。

しかしなんと凝ったサーキットか。


「私もご多聞に漏れず流行に乗ってしまいましてねぇ。最近はベジ四駆欲しさに強盗殺人まで起こりますし、気を付けないと。」


キャスパー和尚が意味ありげに言うと、中から僧が出てきた。


「ご安心召されい、このアマンダ和尚が和尚がいれば百人力よ。」


アマンダ和尚と千秋の目が合った。その瞬間二人の時間が止まった。


「そうそう実は新しい禅僧を雇いましてねぇ。紹介しましょう。プロベジ四駆のアマンダ和尚です。彼はベジ四駆のプロでしてねぇ。実はその為に雇ったので…」


「きっ貴様は例の女!」


「お前はアマンダ和尚!」


千秋とアマンダ和尚は同時に叫んだ。


「おや、知り合いですか?なんという偶然。まあそういうことも有るでしょう。アマンダ和尚は私と違い武の覚えもあるようですし、ベジ四駆の護衛担当でもあるのですよ。」


キャスパー和尚は勝手にベジ四駆自慢を続けていた。


「なんで貴様がここに。」


アマンダ和尚は当惑しつつ千秋に聞いた。


「私は学校の生徒よ!それよりなんであんたみたいな無骨でむさ苦しい奴がキャスパー和尚みたいな先生の所にいるのよ。」


千秋は美醜に敏感だった。


「お、俺とてこの学校と契約している身分。拙僧がどこに配置されたとして何ら不都合はない!」


「そ、そういうこともあるのね。」


入滅部隊も伊達や酔狂ではないので食い扶持が必要なのだ。


「でも何であんたがベジ四駆のプロなのよ。だいたいプロって何よ。」


「うむむ。それは深いわけがあるんだ。この新聞紙を見てくれ。」


アマンダ和尚は懐から新聞紙を出した。

新聞の一面にはアマンダ和尚が写っていた。


「ぶふぁぼぇっ!」


千秋は噴き出した。


「実はベジ四駆の技術力流出の件で我々入滅部隊と政府は手を組み隠蔽工作を行うことになってな。俺がプロベジ四駆マンとなる代償に世間的に認知されるというアドバンテージを得たんだ。」


つまり入滅部隊が事態の沈静化に協力する代わりに、アマンダ和尚を世間の有名人にしておいそれと手を出せなくしたのである。


その時ボンネットバスが猛スピードでお堂に突っ込んできた。


「ぐあああー!」


キャスパー和尚は地面に放り出されて気絶した。千秋以外も気絶した。


「いやあああベジ四駆強盗よ」


千秋は瞬間的に判断した。だが、不思議なことにボンネットバスは無人だったのである。


『…こえるか。聞こえるか。僕はボンネットバス。人間の心を持った魔法のボンネットバスだ。』


なんとボンネットバスは生きていて自律行動していた。


『僕は野菜王国から助けを求めにやってきたんだ。頼む!誰でもいい!野菜王国を救ってくれ!』


あまりの事態に千秋の思考は停止した。その隙をボンネットバスは見逃さなかった。なんとボンネットバスのドアがひとりでに開き、中からベルトが飛び出して千秋の左脚を捕まえたのである。


『てメェッ!野菜王国を救いやがれ!』


その時百面刑部が車に乗って現れた。


「お春殿ここにいたか!実は敵に新たな動きがあった!これまで姿を現さなかったマライア和尚が遂に動き出したらしい。って何そのボンネットバス!?」


刑部を追撃するのはグロリア和尚と消防服の虚無僧だ。


『頼む、野菜王国を救ってくれ!』


ボンネットバスは魔法の力でひとりでに走り出した。千秋は拉致された。


「何がっ!何が起こってる!」


百面刑部は狼狽した。

つづく

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