第20話

千秋は雨が嫌いだった。特に長く降り続ける雨には憎しみすら湧く。

鉛色の雲から降り注ぐ、得体の知れない水滴に触れるのが嫌だ。


通り雨くらいなら我慢できるが、千秋はサイボーグなので長時間雨に当たると錆びる。千秋のサイボーグ身体は人間的に近い特殊な有機体で出来ているが、関節やガトリングとか精密部品は金属製で、これらのパーツが壊れると致命的だ。

このため千秋の脳内チップに雨に対する嫌悪感や風呂嫌い回路などが組み込まれていた。


「雨宿りしなきゃ。」


「そこに建物があるよ。」


「雨くらい大丈夫だって。」


橘さんが言うと菅原さんもそれに同意した。


「そうだよ。雨の中を歩くのもわりと楽しいよ。」


千秋は自分の意識が急にハッキリしていくのを感じた。


「うん、そうだね。駅まで歩いていこうバチバチ。」


千秋は己の意思で無理矢理プログラムを抑えつけた。雨で頭が故障したからでは無い。多分。


こうして千秋達は駅に向かうことにした。が、その前に一行は目の前で倒れている男に注意を向けた。

男は気絶していた。

こいつの名はアマンダ和尚。先程千秋と激闘を繰り広げた入滅部隊の僧兵である。


「こちらの変態さんはどうしましょう。」


橘さん達はアマンダ和尚の素性を知らなかった。


「警察に通報したら。」


千秋は言った。


「それは短慮だよ。今の時間帯だとむしろ私達が補導されちゃうよ。」


菅原さんが指摘した。時刻は既に9時を回りつつある。


「ではこうしよう。」


ボナンザがそう言いたそうな所作で男の額に小型のマイクロチップのようなものをつけた。


「発信機だ。」


「成る程な。これでこの男の行動は逐一把握できる。何かあれば直ぐ戻って対処すれば良いわけか。」


ミカエラが拍手した。


「何、七本槍として最善の行動を取ったまでのこと。」


「油断は禁物だ。」


ミカエラはボナンザを見た。

千秋は通信機に触れた。こうすることで千秋は他人の通信を傍受できる。

ミカエラは千秋を見た。


「安心せい、其奴の心配はいらん。」


「一応脈があるかと思って。ほら、私思いっきりやっちゃったし。」


千秋は弁明した。


「其奴は私とボナンザが請け負っておく。まだどこぞに仲間が潜んでると思う。千秋殿は其方を頼まれてくれい。」


ミカエラがジェスチャーした。これは千秋にとって重要な選択と言えた。敵の本拠地が明らかになったことは千載一遇のチャンスだ。ここでアマンダ和尚が起きるのを待ち追跡または本拠地を攻め込めば此方の有利となろう。だが、ミカエラの言う通りいつまた新たな敵が現れ、友人達が危険に晒されるかわからぬ。リスクは高い。


一方で、深追いせず帰れば、甲賀組に敵の本拠地が学校にあることを無事に知らせられよう。それでもアマンダ和尚を捨ておかば橘さん達が危険に晒される可能性は無いではないが、ミカエラとボナンザはアマンダ和尚の身柄を発信機で抑えている。普通に考えればここは引くのが妥当なのかもしれない。


「ところでミカエラさんって来月結婚式なんだよね。」


菅原さんが突然言った。


「そうなんですか。おめでとうございます。」


初瀬さんが祝福した。


「fuck.」


ミカエラは槍を構えた。


「初瀬さんも結婚式には招待するわ。

そもそも今回の催し自体が私達が菅原さんの催しに参加する代わりにお春殿が結婚式に参加するという約束なのよ。」


橘さんが和かに言ったのだろうが、甲冑に包まれており表情が見えない。


「じゃあお春殿さんは何も無いんですか?」


初瀬さんがなんか言い出した。


「えっ」


「だって今回の催しがあって、ミカエラさんの結婚式があって、じゃあお春殿さんも何かするべきですよ。」


初瀬さんはさも当然の事のように指摘した。


「それは素晴らしいわ。お春殿は何かなさってるの?」


橘さんも賛成だ。これは困った。


「えっじゃあカラオケとか。」


「素晴らしい趣味だと思うわ。」


「歌とはいいチョイスだね。」


「じゃあ早速明日行っちゃおうか。」


「大賛成です。」


こうして千秋達は翌日の放課後カラオケに行く事になった。


「じゃあ日も暮れて久しいし今日は帰ろう。」


こうして千秋達はその場を後にした。

帰り道、千秋はアマンダ和尚をどうしたらいいかまだ考えていた。


「お春殿煙出てるけど大丈夫?」


菅原さんが言った。


「私こういう体質なんだ。」


「何か悩みでもあったら言ってね。」


「漏電とかかな。」


「いい業者さん紹介するよ。」


そんな他愛のない会話をした。

ところで、人間はそんな何気無い一瞬で最も油断する生き物である。帰宅方法については、千秋と菅原さんは禁鉄南大犯線、橘さん達は禁鉄狂都線に乗って帰る為、瑕疵腹神宮前駅のホームで別れを済ませたのだが、事はその後に起こった。切欠は菅原さんの一言だった。


「ところでお春殿。今日一緒について来てた鎧武者さんって何者なの。」


千秋は飲んでいた缶コーヒーを噴いた。なんと菅原さんは橘さんが甲冑を着込んでいた為に橘さんだと気付いてなかったのだ!

確かに甲冑だけで知己の者だと判断するのは困難を極めよう。これは橘さん、痛恨のミスであると言わざるをえない!


「えっ…あの人って橘さんじゃないんですか。」


初瀬さんが指摘した。


「橘さんがあんな中二病の筈ないよ。」


「じゃああれは本物の魔王ということですか。」


初瀬さんはこういう時、結構頭が悪い性格なんだなあ、と千秋はしみじみと思った。


「えっ!?じゃあ私達は本物の大魔王シルヴァリア様にあんな粗相を働いたの!?」


菅原さんは額に汗を滲ませた。


「どうしよう。バチとか当たったら。」


その時橘さんから千秋の携帯に電話がかかってきた。


「もしもし宝蔵院です。」


『あ、お春殿。橘です。』


千秋は菅原さん達の方を向いた。


「橘さんだよ。」


千秋が言うと菅原さん達は叫んだ。


「あっ橘さん!橘さんって大魔王様と知り合いなの!?」


『如何にも大魔王は我が分身。』


「そうなんだ。私達大魔王様に粗相を働いたの。」


『そのような事はあるまい。大魔王は大変楽しかったと申しておる。』


橘さんが魔王の気持ちを代弁すると菅原さん達はその場に平伏した。


「ははぁ〜!」


こうして菅原さん達は大魔王様に忠誠を誓い、橘さんと対等の関係を築くことが出来た。


『あ、お春殿。そうそう、トレンディ達がやっと帰ってきたよ。あの子達いきなり増えたり減ったりするから中々気づかないわ。』


橘さんは橘さんなりに七本槍の心配をしていたのだ。


「じゃあ明日学校でね。」



翌日、学校に登校すると恐るべき事が起こっていた。なんと先の石之老猿との戦いで大破したはずの校舎が一夜にして元の状態に戻っていたのだ。

そしてなにより驚くべきことに、校内の生徒達は昨日の事件を覚えていなかった。つまり、なんらかの計り知れない力が働き、昨日の学校での戦いが綺麗さっぱりなかった事にされたのだ。

この日はあまりの事態に落ち着かなかった。八右衛門に尋ねても機械的な受け答えしかして貰えず、疑問は解決しなかった。

だが放課後、千秋の求める答えは意外な所からやってきた。


一日の授業を全て終え、橘さんと歓談していた時の事だ。不意に教室の扉が開き、男が入ってきた。四教頭の一人、青龍だ。


「驚いたかお春殿。これが"朱雀"の力だ。」


「青龍!」


千秋は挨拶した。


「御機嫌よう教頭先生。」


橘さんも挨拶した。青龍は空中に浮かんで座禅していた。

青龍が手を翳すと橘さんは何事もなかったように教室を出てしまった。


「朱雀は時間と空間を自在に操る神の化身。材料を調達し一夜にして校舎を立て直す事など児戯に等しい。四教頭は世の理を超える。」


千秋は四教頭との力量差を改めて思い知った。朱雀は一晩で校舎を建てる能力を持つのだ。


「まさに神の力ね。名前を付けるなら忍法一人墨俣城かしら。」


千秋は四教頭の実力に恐れ慄いた。


「年甲斐もなく急に体を動かした朱雀はギックリ腰で入院した。因みに生徒達の記憶は精神を操作する能力を持つ俺が手早く済ませておいた。」


青龍は得意げに言った。


「でもいきなり私の前に現れてどういうつもりなのかしら。」


千秋は慎重に言葉を選んだ。


「何、ただ話をしたくてね。」


「えー嫌です。」


千秋は断った。


「えっ…?何?」


「私これからカラオケ行きますので話は出来ません。」


千秋はきつい目に言った。


「お話しようよ。人間の魂の在り処とかについてさあ。」


「私そんな高尚な人間ではありませんので、それじゃ。」


千秋は教室を後にした。


「ふぬおあおあおあ」


一時間後、千秋達はカラオケ店『バックドラフト』にいた。


「じゃあ万葉集は持ってきたかな?」


菅原さんが鞄から古文書を出した。


「まあ持ってないわどうしましょ。」


橘さんは言った。橘さんは筝と鼓を持ち込んでいた。


「ウキーキイー」


初瀬さんに至っては猿を連れていた。

千秋は諦めてみんなの自主性を重んじることにしたかったが、ちょうどその時店員が千秋達のいる客室、845号室に入ってきた。


「お客様、当店での万葉集の読み上げはお断り願います。」


そう、この店員は漢文学派だったのだ。しかもよく見るとクラスメイトの山田寺さんだった。


「ご注文をお伺いします。」


千秋はカラオケルーム壁に備え付けられた受話器を見た。橘さんが受話器を持っている。彼女が注文のために店員を呼んだのだ。


「じゃあ一曲お願いするわ。」


千秋は橘さんと菅原さんと初瀬さんがカラオケについて致命的な勘違いをしていることに、千秋はこの時はじめて気付いたが、お嬢様達の生態については既に心が折れていたので何も言わなかった。


「えっ…?ご注文は?」


山田寺は信じられないアホを見る目で何故か千秋を見た。


「出来ればクラシックが良いわ。」


橘さんが鼓を持ちながら言った。


「はあ、嫌ですけど。ていうかクラシックなのになんで和楽器持ってんですか。」


「歌を注文出来ないなら何が出来るのよ。」


橘さんは憤慨した。


「そうですよ。カラオケはお金を払って歌を歌う店なんでしょう。」


初瀬さんも憤慨した。


「注文は机のメニューから飲食物をお願いします。」


山田寺さんは冷静に突っ込んだ。


「パーティー的なアレかしら。」


橘さんの例えはお金持ちの発想なので千秋には解り辛かった。


「オレンジジュースと書いてあるわ。」


橘さんは冷静に判断した。


「オレンジジュースに詩を乗せてくれるという訳ですね。」


初瀬さんも冷静に推理した。


「ねえ万葉集どうしてもダメかな?」


菅原さんは山田寺さんに交渉を試みた。


「歌を歌って下さいよ。」


山田寺さんは言った。山田寺さんの言葉を聞くと三人と七本槍は目を丸くした。


「なんでお金を払って私達が歌う側なんですの。」


橘さんは山田寺さんの言葉を咀嚼できてないようだ。山田寺さんは一転、得意げな表情になった。


「ええ、私もここでバイトする迄は立場が逆だと思ってましたよ。」


山田寺さんは急にふんぞり返った。


「でもね、ここでは主従が逆転するんです!ここは客が労働をする店なんです!私はここで帝王学の社会勉強をしてます。」


「お金を払って従者になる店があるって聞いたことありますわ。」


橘さんが言った。


「でもそれって危ない店じゃないんですか。」


「ここは十代の若者でも利用できる安全な店ですよ。」


山田寺さんは言った。


「でも歌を歌うといっても楽器がないよ。」


菅原さんが冷静に突っ込んだ。千秋はもう面倒くさくなったのでカラオケ機材に一曲送信した。すると、機材から曲が流れ始めた。千秋はマイクを持った。

流れた曲は大人気ロックバンド『大伴家持イズデッド』の"高級問答歌"だ。千秋が一連の動作を行い、1分半の歌を歌い終えると山田寺さんを含む一同は驚きの声を挙げた。


「スゲェェーッ!それそうやって使う奴なのか!」


「全然解りませんでしたわ。」


「そうか壁が防音性になってるんだ。」


こうして一同はカラオケ機材の存在を知り、万葉集の曲が入ってないか1時間かけて検索したがついに出てこなかった。皆は仕方なくカンツォーネ聴き比べ大会を始めた。


「これはサンタルチアね。」


だが、カラオケ店では得てして隣の部屋の音が漏れがちである。次第に隣の騒音が気になり始めた。

30分程経っただろうか。ついに初瀬さんが立ち上がった。


「少し隣の音がうるさいですね。様子を見に行きます。」


「じゃあ私も。」


「じゃあみんなで行きましょう。」


こうして千秋達は隣の部屋に殴り込みをかけた。

隣の部屋では甲賀組の一同が舟渡伝次郎の葬式をしていた。


「えっ」


千秋は目を見張った。壁は黒く塗り潰され、坊主が木魚を叩いている。甲賀組は世間から忍ぶ必要がある為、このようなカラオケ店でしかお葬式を出来ないのだ。

お仮名が伝次郎の遺影を抱えていた。


「ちょっと、カラオケ店で何してるんですか。」


初瀬さんが言った。


「密葬だ。」


百面刑部が泣きながら答えた。


「まあ何てことなの。」


「ここで出会ったのも何かの縁。私達で良ければお話を聞くわ。」


菅原さんが気を遣った。


「ありがてぇ。一人でも参列者が多ければ奴も喜ぶ。」


甲賀組の一同は涙で視界が悪くなっていた。


「伝次郎は忍者だったんだ。」


百面刑部がカミングアウトした。


「まあ。そんなことを聞いて私達は無事に帰られるのかしら。」


橘さんはこういう時に鋭い。


「今日は特別さ。伝次郎は卑劣な行いを嫌ってたからね。」


松平総理が許した。


「彼の術は『忍法笑い神』。能舞の構えから幻の針を投げるんだ。これは何度も同じ舞の動作で針を投げることで、不思議なことに針無しでも構えだけで針を投げられるようになったんだ。」


百面刑部は懐かしい思い出を語るように言った。


「でも伝次郎は強面だったの。」


お茴が言った。


「幻の針に当たった者は痛みによって体の動きを操られるのよ。」


「すごいです。全然意味わかりません。」


初瀬さんが冷静に言った。


「ごめんなさいね。」


お茴が謝った。その時、千秋は気付いた。木魚を叩く僧に見覚えがあることに。


「お前はアマンダ和尚!!」


アマンダ和尚だった!


千秋は戦闘態勢をとった。


「うわなんだお前か。誰か助けてくれ。マライア和尚はいないか。」


アマンダ和尚は情けないことに仲間の助けを求めた。


「よさんか。彼は今日は日常のお坊さん業務なのじゃ。」


意外なことに千秋を止めたのは松平総理だった。

その時、部屋の扉が開いて男が一人入ってきた。


「お客様、ご注文の品をお持ちしました。」


『我々は注文などシテマセンガ。』


八右衛門が機械的に受け答えした。


「いえ、確かに能面を被った方から承りました。」


店員が持ってきたはベニズワイガニだった。

甲賀組の面々は落涙した。


「奴はベニズワイガニが大好物だったんじゃアァァァ…」


百面刑部はその場に崩れ落ちた。お茴は取り乱し、部屋を出て行った。アマンダ和尚は空気を読んで木魚を叩き続けた。その脇には今日が本来シフト担当だったレイチェル和尚の遺影があった。


「そうかわかったわ。伝次郎は予めこうなることを予期して遺言代わりに浮浪者を忍法笑い神で操作してこの部屋にベニズワイガニを注文していたのね…馬鹿」


お仮名はベニズワイガニを手に取った。


「ベニズワイガニの式目を舞うのが夢だったよね。あの世では立派な狂言役者になりなさいな。」


その場の誰もが涙を止められなかった。山田寺さんは泣きながら部屋を出て行った。

甲賀組は大切な仲間を一人失った。こうして、入滅部隊との負けられない戦いに対して気持ちを新たにしたのだった。

つづく

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