第16話
嵐が過ぎれば警察と救急が集まるのは自明の理だ。それが大事件を意味するという自覚が千秋にもまだあった。
まさに今回の戦いは災害だった。まるで人間を超えた力に突き動かされていたようだ。
南校舎は大破し、瓦礫の中に僧の骸が転がる。
全てが圧倒的な神の所業とも思える程の地獄絵図。これを自分達がやったというのか。
変質者が現れたせいで全生徒及び職員が記念ホール地下の避難シェルターに逃げ込まなければ、被害はより重大なものになっていただろう。七本槍と橘さん、菅原さんや他のクラスメイト達は無事だろうか。千秋は思った。
そして、目の前に停まっている黒塗りの外車を見る。
「今回の件は私の責任よ。」
運転席の男が千秋、次いで校舎を見た。
「あのね。校舎の破壊は老猿が先走った結果だよ。それに私達の仕事は誰かの責任をうやむやにする事だからね。あまりそういうの気にしちゃいけないよ。」
「老猿は私の部下になったわ。」
「ほう。」
「だからおじいさんは労わってあげて欲しいの。」
この発言は暗に任務の責任だけでなく手柄も千秋の物、という主張を意味する。
「結果がどうあれ、私に責任はない。長官といえど強い権限を持つ訳ではないからね。ふむ。だから君を止める理由も無い。ただ、程々にね。」
孫娘に接するように言った初老の忍者、百面刑部は千秋の頭を撫でた。
千秋はセクハラを感じたが言わなかった。百面刑部は白色の手袋を嵌めており、掌の刺繍に気を取られたからだ。それが何であるかは解らなかった。
それはごく自然な、穏やかな手付きだった。この紳士、確実にロリコンである。
「ほら、脚が切断されてるじゃないか。」
千秋は確信し、怯えた。
自身に権限がないなどと言うが、本当だろうか。千秋は今朝全裸登校させられた事を忘れていない。あの任務は甲賀組の変態的欲望に起因する。その黒幕が彼なのでは。この齢で女子高生に興奮する変態なのでは。千秋は自分が山田寺さんを背負っている事を思い出す。
そしてある事に気付いた。危険だ。
このまま確実に千秋だけでなく山田寺さんの頭も撫でるだろう。それはダメだ。そしてなんという女子高生の頭頂部を味わいつつも気配りに満ちた手付きか。ここで抵抗するのはむしろ不自然で、山田寺さんを巻き込む訳にはいかないが文字通り変態の魔の手から逃れられない。男は手を止める気配がない。
賢明な読者諸君は察するだろう。百面刑部は千秋が抵抗するのを待っているのだ。千秋は政府への反意を含む発言をした。政府側としては千秋を押さえつけねばならず、彼女の本意を確認したいが刑部は立場を利用し女子高生のつむじを心ゆくまで触り、その反応を愉しみたくて、仕事はどうでも良かった。
千秋は抵抗したら心象が悪くなるのではと打算する。だが、このまま精神的に屈するのも敗北に等しい。二者択一。回答を誤れば処遇も危うかろう。刹那、追い詰められた千秋の脳裏に八右衛門の記憶が浮かんだ。
(女子高生が全裸で登下校して何がおかしいのだ!)
ありがとうさよなら八右衛門。
要は媚びれば良いんだ。女子高生が嫌いなおっさんなんておそらく居ないのだろう。最適解に辿り着けた。千秋は詳しくないがこれが儒教に於ける礼の概念であろうと感得した。
そして、両眼に滲んだ液体は果たして涙なのか。確かなのは、刑部もまた女子高生が大好きだという事だけだ。少なくとも刑部には千秋が葛藤のあまり半泣きになったように見えただろう。例え機械によるカモフラージュだとしても。
そう。その姿が見たかったと刑部は思ったろう。
一方、千秋は素で嫌そうだ。それが寧ろ良かった。刑部は女子高生の嫌がる姿を見たかったのだ。
そもそも論として、積極的な変態行為は奥ゆかしさを欠く無礼な行いである。趣味で全裸になり校内を徘徊するなど、三流の変態にありがちな素人のミスだ。
一流は、命令で仕方ない場合でのみ変態行為を行う。それでも礼は欠かせない。
詰まる所、二人のやり取りは社会的礼儀だった。
千秋は半泣きで刑部の手を掴んだ。
「マジやめて」
「あ、ごめん。」
これが正解だ。刑部は気骨ある半泣きの女子高生を特に好むからだ。つむじを触わる攻防は任務の範疇だが、嫌がる姿は隠しようのない自然の姿。それを晒す事こそ最大の礼。即ちそれが師たる八右衛門への弔意だ。
千秋があのまま二者択一に拘っていれば見限られていたろう。自然体を装う事が肝要だったのであり、それが忍道の第一歩だ。
「じゃあ車に乗って。」
そして山田寺さんをトレンディに預ける。説明せねばならない事があるが、時間がない。
「後で色々言わなきゃ。けど信じて。」
すると、トレンディは目で答えた。
ありがとうトレンディ。千秋は迷わず助手席に乗った。ごく自然に。
「!?」
刑部は驚きと戸惑いを感じた。女子高生に車に乗ってもらい、その上助手席だ。まさかこれは手玉に取られているというやつでは。
「!?」
千秋も驚き戸惑った。車内BGMはあの大人気バンド。ヘル頭巾だ。
ヘル頭巾ことはもうみんな知ってるよね。あの瀬戸内の盆踊りメタルだ。
「よさこいよさこい」
思わず千秋は歌詞を口ずさんだ。
「えっ」
刑部にとってもこれは計算外だった。ヘル頭巾は本当はパンクバンドなんだ。そしてベーシストが3人いる。
「よさこいよさこい」
千秋は上機嫌になった。
果たして千秋はパンクとメタルどっちが好きなのか、わからないよね。しかもこの曲「よさこいtoHELL」のPVは阿波踊りの映像なんだ。こんなもん女子高生との会話のネタには出来ないよね。
「よさこい。」
そんな事を知らない千秋は無邪気に喜んでいる。刑部はまあいいかと思った。
そもそもこの官用車の車内BGMを選んだのは八右衛門なんだ。なんで彼がこんな選曲をしたかというと、刑部がこのバンド大好きだからだ。因果応報とはこの事だよね。しかも甲賀組の皆と経費でライブに行ったりもした。そしたらベーシスト3人にベースで頭を袋叩きにされたりしたんだよ。
そんなこんなで車は発進した。車内は誰一人喋らない。刑部と千秋、気絶した老猿と八右衛門の死体しかない。千秋は自分が何処へ向かうのかわからなかった。
「敵の死体はどうするの?」
とりあえず千秋は聞いてみた。
「それはね、消防や警察の協力者が回収するんだよ。」
刑部は答えた。
目の前に消防車が見える。
「さて、千秋君。君は学内から敵を攻略したい。そうだね?」
千秋は頷いた。刑部は先程のトレンディとのやり取りを含め多少の事に目を瞑っても良い思っていた。
「なら私達は外から攻める。学校の協力者については君の裁量に任せよう。正直余裕がないものでね。」
「余裕?」
千秋は聞いた。
「私達もこれで手一杯なんだよねぇ。しかしマズイなぁ~。恐らく最悪の事態だよ。校長が復」
正面から消防車が突っ込んできた。
「きゃあああ」
千秋は思わず叫ぶ。消防車のハシゴがフロントガラスに突き刺さった。虚無僧が阿波踊りで侵入してくる。
否、阿波踊りと思ったそれは飛び散るガラス片を避ける為の動きだ。敵襲だ。車内に重低音の盆踊りBGMが流れる。
「ようこそ。」
刑部はそう言うと虚無僧の深編笠を掴んだ。一瞬速く虚無僧は屈み、笠を脱ぐ。すると虚無僧の顔が露わになった。
「よさこい。」
千秋は僧の顔面を蹴った。ただの蹴りでは無い。僧の阿波踊りが男踊りの屈み体制になっているのに対して、千秋のは立つ阿波踊り、つまり女踊りの体制だ。それも地面に対して並行なドロップキックである。
「はは」
刑部は千秋の切断された脚に酔いしれた。凄い性能だ。パンツが見えないように角度調整すらされている。
戦いは一瞬の交錯で終盤に持ち込まれた。だが、刑部は仕事に対してあまり真面目で無いタイプの人間だ。事ここに至って敵襲などどうでもよく、千秋という女子高生の反応を心ゆくまで楽しみたいと考えていた。
「危ないッ」
よさこい
よさこい
虚無僧は勢い任せで刑部に突っ込んだ。その手にはガラス片が。阿波踊りの手付きで刑部の首へ一直線。
恐らく戦いは次の一手で終局するだろう。千秋は刑部が邪悪な笑みを浮かべた様に見えた。
刑部は深編笠を前に突き出し、鋭利なガラス片を防いだ。両者の目が合う。
「始めまして。百面刑部だ。」
「グロリア和尚。」
グロリア和尚は名乗った。その声には聞き覚えがある。昨日校庭で戦った虚無僧だ。
「脱獄したのね。」
千秋は言った。三人の会話は極短い。だがその間どういう訳か深編笠が異様な高速回転を始めた。グロリア和尚は自ら掴むガラス片に手をズタズタに引き裂かれた。
「忍法『百面』」
グロリア和尚は痛みで硬直する。同時に、車、人、全てが静止した。
「これは挨拶だ。」
グロリア和尚は喋った。
「ほんの挨拶さ。市中で堂々と戦う気はない。」
「じゃあこんな事したらダメじゃん。」
千秋はツッコんだ。
「これでも民間人を巻き込まないように配慮してるんだぜ。」
グロリア和尚は意外にも気さくな感じだった。つい先ほどまでとはうって変わり爽やかな表情だ。ただし、顔面は傷だらけで、手も血塗れ、全身にガラスが刺さっており、何故この姿でここまでさっぱりとした印象を出せるのか、千秋はわからなかった。
「別にいいんじゃない。」
刑部は車をバックさせている。グロリア和尚は刑部の真隣に立っており、二人の距離は決闘の間合いだ。にもかかわらず二人は笑顔になった。
「俺個人としては無駄な犠牲が嫌いなんだ。部隊の方針には従わざるを得ないがな。」
「お互い大変なんだね。」
グロリア和尚はハシゴを掴んだ。
「大丈夫なのその手で。」
刑部が心配する。
「自分でやっておいてよく言えるな。まあ、襲ったのはこっちだし、これくらい我慢するよ。」
ハシゴの先端は台座になっている。グロリア和尚は懸垂して台座に乗った。
「私らも急いでるからね。じゃ。」
車は後方に発進した。
ハシゴが車から抜けた。グロリア和尚との距離がどんどん離れて行く。
「ほっといていいの?」
千秋は聞いた。
「大丈夫だよ。発信機を付けたから。」
刑部は笑った。車は酷く損壊したが、BGMは相変わらず盆踊りメタルが鳴り続ける。車は一旦停止し、前方に走り出した。
今度は事故に遭う事なく、車は消防車とすれ違う。グロリア和尚は台座の上で手当をしていた。そして消防車の運転席には消防服を着た虚無僧が無表情でこちらを見ていた。
「なんの意思表示なのあれ」
千秋は言った。
「あれはあれでかっこ良くない?」
刑部は答えた。
「暑そう。」
車はどんどん道を進んで行く。ところで千秋はドロップキックした体勢から座席に寝転がり起き上がれずにいた。両脚が切断されてる為、うまいこと動けなくなってしまったのだ。刑部はわき見運転とかせずにとりあえず千秋を無視していた。その方が楽しいからだ。
「今どこ?」
千秋は聞いた。
頭が後ろ向きに寝転んでいる為、右横と後ろは見えても前が見えないのだ。だが刑部は千秋を助ける気が無いので、果たして千秋は目的地に着いたとしても無事に車を降りられるのか?まずはその辺から心配した方が良いのではないか。
「大丈夫もうすぐ着くよ。」
刑部は適当な返事をした。
「もう皆集まってるだろうから急がなきゃね。」
刑部がそれとなく言った事を千秋は聞き逃さなかった。
「皆って?」
「ああ、甲賀組の皆だよ。顔合わせって事。これも総理の命令。」
よさこい
よさこい
よさこい
ちくわあああああ
「ちくわああああああ」
千秋は叫んだ。わけがわからないが兎に角叫んだ。激動の半日が終わり、静寂が訪れて急に恐怖が戻ってきたからかもしれない。
それはプロフェッショナルの人達と一緒に仕事しなければならないという、もう後には引き返せない事を漸く実感した故の恐怖だった。
ちくわあああああ
よさこい
よさこい
ちくわちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
ちくわあああ
俺とお前は地獄によさこい
ちくわあああ
よさこい
よさこい
ドン
ドン
チャッカ
チャッカ
だが千秋がいくら叫んでも車は地獄へのよさこいを止めなかった。「よさこいtoHELL」の曲は12分くらいある。15分の「与作おい」に次ぐ長さの曲だ。それくらいの時間千秋は叫んだが、一向に刑部の返事はなかった。
「ははは」
刑部は一度笑った。それだけだった。千秋は誰にも助けられる事なく、どこに向かうのか。
つづく
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