第10話
今回の話を進めるに当たって、甲賀組についてもう少し触れておかねばなるまい。
そもそも甲賀忍者が内閣へ組み込まれ、密に甲賀組として結成されるまでに至る、その契機は大日本帝国憲法草案の執筆の時期と深く関わりを持つ。つまり1887年のことだ。
時は明治。
読者諸君が凡そ近代を経験した事の無い国の出身であれば、「明日からは世界に名立たる国となるから憲法を制定せよ」と言われると困惑すること必至だろう。恐らく大抵の人間が闇雲の内に、先ず何某か国政の有様や政治の運営なぞを案ずるのでは無いか。
しかし、そこに異を唱えたのが伊藤博文である。彼は伊賀忍者だった。
本名、伊賀博文が考えた事は次の通り。
「養老律令ニ闇ノ条文有リ。其レ暗黒律ト云フ。秘匿スベキ殺戮無惨ノ法ナリ。江戸暗黒武芸ノ輩ハ眠ルベシ。」
つまり、千年以上前に武芸者同士の殺し合いの場、所謂バトルロワイアルを設(しつら)える法が存在したのである!
暗黒律と呼ばれたそれは養老律令制定当時に於いては闘訟律の一部を装い巧みに条文に組み込まれた。時代が下り、養老律令全文は散逸して久しいが、暗黒律は少なくとも伊賀の里に秘伝奥義の形として伝わった。現代の我々にその内容を知る由は無い。だが、伊賀博文は知っていた。彼は元服部半蔵候補だからだ。
伊賀組に現存する歴史資料『言伝集成』に当時の伊賀忍者頭領選出の儀について記されている。それによると服部半蔵は、古代貴族の見せ物も兼ねた武芸達者同志の試合に則り、伊賀の里の有力忍者達に暗殺技を競い合わせ次代の半蔵を見出したという。これが暗黒律を意味した事は想像に難く無い。
言伝集成第十二巻には半蔵選出の儀における参加者
桃地馬琴
伊賀博文
室生赤十郎
葛城吉野
蔵石壁斎
の名が記されているが、同巻には参加者8名死亡4名とあり真偽は不明。少なくとも伊賀博文は服部半蔵に選ばれ無かった。
推測するに、暗黒律に定められた試合は武芸者数名による暗殺競技だったのではないか。そして、記述における暗殺対象は曖昧の内に明確でなく、また、律令という形式上、その効力は日本全国に及ぶ。つまり、一度暗黒律を開催すれば国内全土を舞台に大量殺人が横行する可能性があったのだ。
少なくとも江戸時代の時点で、日本には数々の秘密武芸集団が組織され、数は把握不能であった。そもそも養老律令は古代に制定されたまま廃止されておらず、太政官制の敷かれた明治でも未だ有効に機能する可能性があった。憲法発布後も同じである。いつ不貞の武芸者達がこれを根拠にテロを行うか知れなかったのだ。
明治政府としては旧来の殺人集団には大人しくしていて欲しかった。憲法制定に当たり暗黒律の扱いが第一義となるのは当然の成り行きである。当初、博文は養老律令そのものを焚書する決断をした。そのため一部の文書は現存しない。
だがここで現れたのが甲賀忍者である。彼らは取引を持ち出した。
彼らが持ちかけた取引、それは暗黒律と対になるホワイト律を捏造する事で双方の効力を相殺せしめるという斬新なアイデアだった。意外にもこれが効を奏した。甲賀独自の西洋学問コミュニティの協力も得、ホワイト律は恰も暗黒律の対存在として古代から存在したかのように、大日本帝国憲法に巧みに組み込まれたのである。
この功績が認められ甲賀組は初代内閣組閣と同時に直々の組織となる。必然、その任務は須らくホワイト律に従属した。日本国憲法が支配する現代も同じく、数度追記修正重ねたが肝要たる「限定状況」「現地調達」「完全排除」項は一致した。つまり法で任務に限定条件を課す事での殺戮集団運用だ。
要するにこれは学校の校則のようなもので、遵守する者もいれば全くの無法者もいる、そういう事だ。甲賀忍者の石之老猿は比較的前者の方である。彼は敵組織の足跡を追う任務を命じられた。任務期限は3時間、有効範囲は学校全体。武器は現地調達、邪魔者は見つけ次第排除。
ホワイト律が働く限り甲賀忍者の身柄は政府により保障される。任務不達成は一般的にホワイト律の失効を意味し、次の任務を命じられるまで、敵只中で政府の庇護から外れる事態を招く。それ故に石之老猿にとっての現優先事は宝蔵院お春という協力者の存在を把握する事のはずだ。彼女を見つけ協力を仰ぐ事が責務と言える。
では当の宝蔵院お春は何をしているのか。なんと彼女は始業ベルが鳴ったので普通に学校の授業を受けていた。しかも授業そっちのけで珈琲牛乳を飲む姿はうら若き女学生にあるまじき怠慢である。先生の話は聞かず、動物の事とかを考えていた。動物は好きな方だ。
宝蔵院お春こと西大寺千秋が知る事のできる情報は限られていた。先刻、八右衛門から通信が入ったが、石之老猿の名と体育館へ向かう事をただ命じられたのみで、詳細については全く知らされなかった。しかも八右衛門は千秋の後ろの席で黒板の内容をノートに板書している始末だ。
千秋は黒板の内容や八右衛門について考えたくなかった。放課後に控えるバスケシューズ摩擦音収録会の事や来月開かれる南スーダン七本槍メンバーの結婚式の事などについてはなおさらである。動物の事とかを考えたかった。そうだ水族館へ行こう。京都に水族館がある。
そう思って旅行雑誌の315ページあたりを開いた時である。千秋は背後から肩を叩かれた。八右衛門である。
「なに?」
千秋は振り向かず小さな声でかつ八右衛門に聞こえるように言った。言ったつもりだった。だが、その声は掻き消され微細な通信暗号電波として発せられた。
ひとりでに発せられた電波は八右衛門の両耳に備えられたイヤホン型通信機が受信した。
本人は知らないが宝蔵院お春の肉体には数々の違法改造が施されており、肉声を用いない暗号通信もその一つだ。特定パターンの暗号を認証すると、千秋の身体は本人の意思に関係無く勝手に電波で喋るようになっている。
「連絡事項だ。」
というような趣旨のメッセージを、八右衛門は特定暗号のパターンで千秋の肩を数回叩いた。千秋の脳は即座に暗号を解読し視界のカメラアイに表示した。
連絡事項よりも千秋は役に立つんだか立たないんだか良く分からないこの機能に驚愕していた。いかにこれを有効活用するのか。と思ったがたぶん無理だと言う結論に至った。
「お主は石之老猿という甲賀忍者に会え。彼は潜入任務特化型の忍法者だ。わりと非協力的な性格で、我々でも彼の居場所を見つける事は難しいだろう。」
「じゃあもう任務失敗じゃない。」
「彼は何らかのメッセージを残してる筈だ(多分)。それは特定暗号でありお主の脳は暗号を即座に理解する。」
その時。左隣席から千秋は肩を叩かれた。
「お前ら何の話してんの?」
というような暗号タップだ。
「!!」
千秋と八右衛門は思わず"そちら"を見る。左隣の席の椅子の上で片脚蹲踞しながら右膝で千秋の左肩を叩いていたのはボディービル美、南スーダン七本槍の一人だ。上半身は右に屈曲し千秋を睨む。
彼女は本名をウィルヘルミーナと言い、通称ウィルマやビル美やビル美などと呼ばれる。
「何か探してんの?手伝うよ?」
ボディービル美はボディービルの達人で、ハッキリ言って八右衛門より筋肉ムキムキのナイスバディガールだ。顔もかなりの強面でボディービル美という渾名で呼ばれるのにも納得の威圧感がある。
そして見た目と裏腹に心優しく、何かを破壊するよりも森や林の中で小鳥と戯れる方が楽しいタイプっぽい髪型をしている。
「何で暗号解るの?」
八右衛門が特定の暗号パターンで千秋の肩を叩く。
「簡単に解るし。」
ビル美が千秋の肩を特定の暗号パターンで叩く。
「うちら結のボディーガードやからこの手の訓練は一通り受けてんの。」
南スーダン七本槍は主君であるクラスメイトの橘結を守るための私兵だ。そのため、見知らぬ暗号を即座に理解するのも造作無いことなのである。
「流石は南スーダン七本槍といった所か。」
「それで何探してるん?」
これは困った展開だ。七本槍と言えど詰まるところ一般人、巻き込む訳にはいかぬ。
「ねえどうするの。」
千秋から電波が発される。電波ならば八右衛門のみに届く。
「実は学校に危険人物が入り込んでな。」
八右衛門は切り出した。
「ヤバいんと違う?」
「そうだ。ヤバい奴だ。今朝の警察騒ぎも奴の仕業だ。そのせいでお春殿も全裸で登校せざるを得なかった。」
「おい」
千秋は肉声を発した。
「静かにしなさい。」
数学教師の竹内が注意した。
「ごめんなさい。」
千秋は謝った。どうやら単なる叫び声などは暗号化の優先度が低いらしい。
「どうしたの?今日調子悪い?」
なんと別の七本槍、スパークが右隣から暗号を送ってきた。
「強心剤要る?」
スパークが生肝を差し出した。優しいのだ。
千秋が困っているとビル美が槍でスパークの頭を小突いた。
「実は学校が危ないって。」
ビル美が腕組みした状態から左手で右腕をタップする要領で暗号を送る。
「マジで!?」
スパークが驚愕し、思わず生肝を握りつぶし拳から滴る汁を舐める。
「何かヤバイ案件?」
「敵は銃火器を所持し、近くに潜伏中だ。」
「じゃあ気をつけないとね。今日の録音会どうする?」
ビル美が千秋の肩を叩いた。
「そもそもアレって何を収録すんの?聞いてないけど。」
「夜の静けさとかじゃない?」
八右衛門が適当に言った。しかもこんな時に限っておかま口調なのがムカつく。
「風流ね…」
「ワンダフル」
「ビューティフル」
二人は涙した。
こうして八右衛門の咄嗟の機転により、生徒を上手く誘導し身辺注意を呼び掛けたのだ。これにより不審人物の情報は八右衛門へと直様連絡網で廻る。千秋は有利に石之老猿の足跡を追う事ができるというわけだ。
「そういやお春殿さっきから喋ってないじゃん。」
スパークが肩を叩く。
そもそも千秋は暗号を理解できても発信は出来ない。即ち七本槍に千秋の意思を伝える手段は無かった。録音会が単なる変態同好会でしかない事も伝えあぐねていた。
「お春殿は暗号とかわからないからな。」
八右衛門がフォローした。だがこの時、二人はちょっとした事態に陥っていたのだ。
それは未だに石之老猿からの連絡が無いという事実だった。石之老猿に課された任務は朝7時から時効3時間以内である。現在講義一時間目の午前9時45分、授業も架橋に差し掛かる。
問題は後15分で一時間目が終わるという事だ。それは任務の時効と同刻でありホワイト律執行すらも意味する。八右衛門の任務時効は3年間だが、石之老猿はあと15分で政府の庇護から外れる。ホワイト律が失効すれば捕虜となる可能性が高く、そうなれば八右衛門や千秋は石之老猿に協力する事が禁じられるどころか、政府は無理難題の老猿処分任務が発生させざるを得なくなる。
千秋はこの事を知らない。そもそも事ここに至って老猿からの接触が一切無いのはおかしい。7時10分に体育館から連絡があったきり通信は意図的に切断しているのだが道々に暗号文を仕込める筈だ。考えられるとすれば何らかの事情で暗号文を用意出来ないか、"敵"と遭遇したかだ。
それとなく窓から体育館を見る。その時八右衛門は気付いた。体育館に複数の気配を。一時間目から体育の授業のクラスが無いのは確認済み。ならばこの気配は。
「でも録音会マジ楽しみ。」
スパーク。
「これが実は変態の集まりみたいなのだったら割腹しちゃうな。」
ビル美。
ビル美の目は本気だ。千秋がビル美の本気度合を察知し危機を感じていると八右衛門もまた察した。千秋は一時間目が終わると同時に七本槍に何らかのアクションを試みる腹積もりだろう。だが果たして無事に一時間目が終わるのか。
敵は体育館にいるのだ。
「ところで菅原さんって変態だよね」
思わず千秋は自らの肩を叩いた人物を見た!ラブセクシーだ!ラブセクシーは七本槍一の美女槍で忍者装束に上半身は水着姿で、LOVE(忍耐)&(と)SEXY(教養)を兼ね備える。
彼女は千秋の前の席だがロン毛なので頭を振るだけで無数の毛は掌より効率的に暗号送信が可能なのだ。
「ラブリン、それは言わない約束だぞ。」
ビル美が千秋の肩を叩きラブセクシーを咎める。
「いやでも不安なんだけど。」
「何なら本人に確かめるか。」
「授業はあと15分で終わるぞ。」
七本槍の目は深く静かに闇へと沈んでいった。授業終了と同時に菅原さんに全てを問い詰める目だ。
情報が整ってきた。八右衛門はゆっくりと息を吐いた。良いだろう。敵は姿が見える前に殺す。
間違いなく15分以内に事は起こる。七本槍、虚無僧、そして甲賀組。三つ巴の戦いは二時間目が始まる前に終わるだろう。
つづく
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