第6話

まず目に入ったのは犬型のイヤホンだった。

カバーに犬を象ったデザインである。犬種はミニチュアダックスフント。ミニチュアのミニチュアダックスフントということだ。こいつが西大寺千秋の興味をそそった。

首から先にかけてが耳に当てる部分になっている。なのでこのイヤホンを耳にはめて音楽を聞くと、まるで耳からミニチュアダックスフントが生えたようである。ちなみにコードは肛門から生えていた。


そして今、耳の中でダックスフントを育てているのは菅原さんだ。

菅原さんはクラスのリーダー格の一人だ。スポーツ万能で性格も良い。いつも人に囲まれてワイワイガヤガヤやっているようなタイプの人間の筈である。だが、今この時は大人しく席に座って音楽を聞いているだけだった。

この不自然とも言える光景が昼休みの西大寺千秋の目を惹いた。その時、千秋は一人でトランプに興じていた。

菅原さんは目を閉じて思いに耽っているようでもあった。そして、涙を流していた。


「いったい何なのあれ」


思わず千秋は独り言を口にした。菅原さんの話し易そうな雰囲気のせいかもしれない。


千秋は改造手術によって定期的にトランプタワーを作らなければ脳内のコンピュータ制御システムから電流が放たれる体質になっていた。洗脳と行動制限を兼ねており、これで千秋は迂闊な行動が出来なくなった。だが、こうして菅原さんの人となりについて考える自由は許されている。


菅原さんは意外にも将棋部に所属していた。暇さえあればランニングや槍投げをしている菅原さんのことだから、てっきり陸上部かその辺りの部活に入っているものと千秋は思っていた。否、クラスの人間全員がそう思っていただろう。

思うに、おそらく菅原さんにとって運動はあくまで趣味の範疇の行為なのだろう。もしくは、部活レベルの身体運動は超越しているのかもしれない。彼女は普通の人間でなくてスポーツ人間だから。そう思わせる雰囲気が菅原さんにはあった。


「私の事が気になるのかい。」


千秋のことに気付いていたのか。突然、菅原さんがこちらを向きそう言った。一瞬躊躇ったが、千秋はやがて頷いた。


「ええ、気になるわ。それは何。」


沸き立つ興味を抑えられない。


「聞いてみるかい?」


菅原さんは、千秋が菅原さん本人ではなく、音源の方に興味を持ったと思ったようだ。


「どうしよう。聞いてみようかな。」


「遠慮は無用。」


千秋はパンドラの箱を開いた。犬型イヤホンを千秋は耳に入れたのだ。


キュッキュ、キュッキュ


すると、どうであろうか。イヤホンから発せられたのは甲高く、そして名状し難き鳴き声である。少なくとも人間の言語では無いだろう。


「どうだい、最高だろう。」


菅原さんが笑顔で言った。千秋はぎこちない微笑みで答えた。

菅原さんと会話するのはこれが初めてだ。にも関わらず妙に馴れ馴れしいというか、人を拒まない対応。誰とでも仲良く出来る。これが彼女なのだろう。だが、身体運動を好み、感覚での対話を尊重する菅原さんの発想は時として人を選ぶ。


キュッキュ、キュッキュキュ。


犬の鳴き声ではないだろう。


キュッキュ

キュキュッキュ

キュッ


新たに音が悪魔めいて発され、さらに谺する。これは典型的な動物コミュニケーションの音声だと千秋は推測した。


「イルカさんの鳴き声かな?」


千秋は答えた。だが耳の中ではまるで未開の森林その奥地から漏れる暗黒言語の如き怪鳥音が依然、鳴るばかりである。

千秋は菅原さんを見た。菅原さんは笑顔だった。


「わからない。これは一体何の鳴き声なの?」


千秋は聞いた。なにより何故、菅原さんがこんなものを聞き、あまつさえ涙を流しているのかわからなかった。


「これはね、バスケのシューズが体育館の床に擦れる音なんだよ。」


「へぇ~そうなんだ。」


千秋は窓越しに遠方の体育館に目を移し、やがて再び菅原さんに視線を戻した。


「最高だろ?」


菅原さんはよだれを垂らしながら言った。


この事実について千秋は菅原さんのスポーツ信仰を甘く見ていたと心の中で弁解した。

菅原さんはバスケのシューズの音を聞くだけで涙を流しよだれを垂らすほど運動することが大好きなのだ。そういうスポーツ信者は大概どんな所にでもいるものだが、何分千秋は若かった。


「バスケのシューズ音?」


「中学の後輩さ。良い音をしている。心が洗われないかね。」


二人の会話は噛み合っていなかった。


「全然意味がわからないわ。」


千秋は突き放すように言った。理解できなくなったからだ。


「では詳しく解説してあげよう。」


菅原さんは嬉々として言った。


「いや別にいいけど。」


「キュッキュ」


その時、千秋の耳の中でノイズ音が反響した。イヤホンではない。千秋の電子鼓膜に仕込まれた通信機だ。


『お春殿お春殿ォ。これより任務を授けるでござる。』


最悪のタイミングで通信が来たものだ。


『まずはキュッキュしばらく動くな。不審な行動はせず自然キュに通信キュキュを聞け。』


発信者は八右衛門のようだがイヤホンの音と混ざって千秋の耳はてんやわんやだ。


「シューズの音というのは努力の証でね。多様性に富み、奥が深い。」


その上菅原さんの解説攻撃である。


「純粋なシューズ音を録音するのは難しいんだ。今回の完成度の高さがわかるかね。なんなら一度収録現場に案内しようか。」


千秋は拒否しようとした。


『お春キュ殿、お春キュ殿、通信が聞こえていればゆっくり頷け。』


お春殿とは千秋の暗号名だ。千秋は頷いた。


「なら話は早い。明日の放課後にも体育館に来るといい。」


不自然に見られぬように会話を続けなければならない。千秋は言葉を紡いだ。


「えっと、後輩じゃないといけないんだ?」


「そういう事なんだよ。体育館の床っていうのは14歳が最高なんだ。」


菅原さんは鼻水を垂らした。


「ああ、ゾクゾクするね。」


「そんなに良いものなの?」


千秋は聞いた。


『十分に気キュを高めておけ。今回の任務はお主にとって初めキュッキュての任務となる。』


「そうだね、初々しさが伝わるからかな。」


千秋は気を高めるどころでは無かった。


『本日午後6時に校庭に向かえ。そこにターゲットがいるはずだ。』


「成長期の足音は生で聞くのが一番良いんだよ。録音は妥協に過ぎない。」


『任務はターゲットの盗聴だ。』


千秋の頭はこんがらがった。


「14歳の盗聴!?」


「うん。隠し録りファイルも持ってるよ。」


菅原さんが言った。


「えっ!?盗聴するの!?」


千秋は混乱している。


『場合によっては排除も含まれる。』


的確なタイミングで八右衛門のツッコミが入った。


「排除もするの!?」


「ああ、そうだね。衣擦れの音は邪魔だからね。」


つまり収録の際は環境音を排除するという事だ。


「脱ぐの!?」


「脱ぐよ。シューズ以外は要らないし。」


『ターゲットは複数で行動している可能性がある。』


その時だ、教室の扉が開いた。教室に入ってきたのは橘さんとその取り巻き達だ。


「楽しそうに話してるじゃない。」


橘さんが言った。その髪は豊かで可憐そのものである。


「一緒にお弁当でもどうかしら?」


橘。橘結。その容姿は校内で一二を争う美人だ。だが髪型はあえて一見地味な黒髪の長髪にしている。頂点は階級を示す必要が無いからだ。


橘さんが美しいなら、その取り巻き達も美しい。名前は知らないが、長髪と短髪の者が複数混ざっている。全員が金持ちの娘であり典型的な日本人的容姿をしている。なにより目を引くのは皆が美しく、そして一様に忍者装束を纏った黒人である事だ。

古くは織田信長に黒人が仕えたという事実が公然と記録として残っている。歴史に疎い読者諸君は日本といえば一に鎖国的、村社会的な島国のイメージを思い浮かべてしまうかもしれないが、それは誤解である。戦国時代には既に黒人の忍者は存在していた。彼女達はその子孫なのだ。

7人は根来出身のくノ一であり、先祖は代々紀州徳川の腹心橘家に庇護されていた。即ち橘さんは7人にとって主家に他ならない。橘さんを護衛するために磨かれた彼女達の忍法は人外魔境の域に達する。その無双は賤ヶ岳七本槍にあやかって南スーダン七本槍と名付けられた。


そのため、黒人の彼女達はれっきとした日本人である。


「fuck.」


七本槍のミカが槍を構えた。


「fuck.」


『校内に活動した証拠を残さない故に高い統率力を持つ事が予想される。』


「来月ミカは結婚するの。」


橘さんが言った。


「これがリア充の会話なの。」


千秋はカルチャーショックを受けた。


「そうなんだ。結婚パーティには呼んでくれるのかな。」


菅原さんが言った。すると橘さんは微笑んで答えた。


『敵はプロキュフェッキュッキュッショナルだ。』


「ええもちろんよ。お春殿もどうかしら?私たち、仲良しよね。」


橘さんが千秋を見た。


「ええと、どうしようかな。」


千秋はリア充が苦手だったのだ。何より高校生なのに結婚するという事実を受け入れられなかった。


『危険な任務かもしれないが自分に自信をもって臨むんだ。』


「ねえご一緒しましょうよお。」


橘さんの笑顔は美しい。その顔でものを頼まれると断りづらい。


千秋が困っていると菅原さんが助け舟をだしてくれた。


「じゃあ橘さん達も明日の収録に来ないかい。それでおあいこだ。」


「それは素晴らしいわ。」


『では任務開始だ。』


「了解したわ。」


こうして千秋は菅原さんと橘さんの遊びに板挟みになったのだった。




放課後、千秋は古代貨幣研究部の部室にいた。


「遅かったなお春殿ォ。」


橘さんが言った。彼女は放課後キャラが違う。因みに七本槍は街に買い物へ出掛けた。


「暗黒邪神の復活祭の続きをしようではないか。」


橘さんは鞄から蝙蝠の死骸を出した。


「生贄だ。」


橘さんは頭部に駝鳥の仮面、両腕に黒色のサイハイソックスを穿いており、四つん這いで机の上に立つ姿は四足獣そのものである。


「ごめん、私行かなきゃ。」


「えっあっはい。」


千秋は橘さんをチョップした。橘さんは気絶した。


「がらぱんッ!?」


「絶対に帰るから。」


千秋は退室した。時刻は午後5時50分目指すは校庭。


『敵は半年前から校内を出入りしている。その頃から不審な目撃情報が相次ぐようになる。そもそもこの学校自体が政府の監視対象であり…』


校庭に向かうと、そこに居たのは虚無僧とスーツ姿の男である。


「ネズミが紛れ込んでいるなあ。」


即座にスーツの男が言った。


「拙僧がお相手致そう。」


『まずい見つかった。任務は失敗だ。』


八右衛門が言った。


「えっ」


『今すぐ逃げるんだ。捕まれば命は無いぞ。』


虚無僧が小銃を構えた。方向は生垣、千秋の隠れてる場所である。


『まずい、完全にバレている。』


『今すぐこの場を脱出するんだ。緊急脱出装置を起動させろ。』


千秋の背中からジェットエンジンが出てきた。


「この体どうなってるの。」


「死いねえええええ」


虚無僧が小銃を放った。千秋の両手は半自動的に全ての弾丸を掴み取った。


『ジェットエンジンを作動させろ。』


「なんと見事な。」


千秋の高速可憐な動きに思わず感嘆の声を漏らす虚無僧である。

その瞬間、エンジンが火を吹いた。千秋は飛翔した。


「私の体どうなってるの。」


千秋はなんだかわからないまま空を飛んでいた。


「よくわかんないけど凄い便利ね。このまま空を飛んで逃げれば良いのね。」


「おぉ小癪な。」


虚無僧が狼狽した。


「このままなら簡単に逃げられそうね。」


『勘違いするな、僧はどうにでもなる。ヤバイのは教頭の方だ。』


「ふんっ」


スーツ姿の男が右掌から光線を放った。千秋は撃墜された。

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