第5話

 この室内ではチャリチャリと音が鳴り響く。金属の音だ。その正体は小銭だった。

 ここは古代貨幣研究部の部室。中には二人の女子高生がいる。宝蔵院お春こと西大寺千秋は長机に座っている。

 もう一人は机の上に立っていた。三時間も机の上に立ちっぱなしだ。千秋はこの奇怪極まる光景を前に、何をするでもなく沈黙を守り続けていた。その手には汗が握られていた。


 千秋はそれとなく長机の上に置いてある物体を目を向ける。天秤から皿だけ取って代わりに滑り台を付けたような、妙な傾斜のついたよくわからない装置が置いてあった。千秋は授業が終わり部室に入ってから、この装置の放つ邪気が気になって仕方なかった。


「お春殿、これはものすごく高価だから触らないでね。」


 千秋の視線に気づいたのか、机の上の少女が注意してきた。


「何なのこの装置。」


 恐る恐る西大寺千秋は尋ねた。天秤の滑り台側面ガラスに反射した目は蝋人形のように生気を感じられなかった。


「大邪神エビルビオス様復活の祭壇じゃ。」


 明らかに常軌を逸した少女は先ほどから紫色の納豆のような冒涜的な物体を必死な手つきで千秋の頭にかけている。そうかと思えば懐から黒く摩耗した硬貨を取り出し机の装置の上に載せるのだ。いかなる物理現象の作用か、硬貨は滑る事なく、不快な金属音を立てつつ傾斜の上に留まり続けるのだった。

 チャリチャリと一人でに硬貨が鳴る。千秋は心を落ち着けるため、座禅を組んで現実から目を逸らそうと思った。だがそれでも、机の上の少女、橘さんのパーソナリティについて思いをはせずにはいられなかった。彼女の一連の突飛な行動は彼女の特異な病に由来する。


「そうなんだ。じゃあ迂闊に触っちゃいけないね。」


 千秋は当たり障りが無いように答えた。


「ところでこの納豆不快なんだけど。」


 でも言うことは言った。


「納豆では無い。」


 少女は冷たい口調で答えた。その口周りには鶏の生き血がべったりと張り付いている。


「納豆じゃなかったらなんなの。」


「納豆では無い。」


「あっはい。」


 千秋は橘さんの放つ黒色のオーラに当てられた。


「ではこれより邪神復活の儀式を行う。」


 橘さんはそう言うとおもむろに千秋の髪を5.6本掴み千切った。


「痛いんですけど。」


髪には納豆がまとわりついていた。


橘さんは千秋の髪の毛を食べた。


「ねえなにしてるの。頭大丈夫。」


 千秋は心配そうに言ったが一方で理解してもいた。橘さんはこういった仰々しい行動でしか自己表現を出来ないのだと。


「ふふふふふ」


 橘さんは白眼を剥いて鼻血を垂れた。彼女の脳は厨二病に侵されていた。


 厨二病とは十代の多感な時期に誰もが一度は経験する不治の病だそうだ。橘さんは嘔吐した。なるほどそう言われてみれば両眼に眼帯を巻いて、両腕に黒い布を巻き、鼻血を垂らしながら仰向けに倒れて小刻みに痙攣する姿は中二病そのものである。

豆のスープ


「うわっ髪の毛ベトベト。リンスしなきゃ。」


 千秋の髪は紫色の納豆に塗れた。だがこれが彼女の愛情表現なのだ。諦めるしかないだろう。千秋はそう思った。


「ねえそろそろやめた方が良くない。」


 千秋はそれとなく促してみた。


「愚か者ぉ。我は究極の存在だぞ。」


 橘さんは口からカエルの卵みたいなのを吐きながら胴体をビチビチしながら言った。


その時部室の扉が開いた。


「お春殿、定時報告の時間でござるよ。」


 入室したのは百地八右衛門だ。

 橘さんは世界の全てが凍りついたかのように動きを止めた。


「いやこれは違うのじゃ。」


橘さんの顔が赤く染まる。


「怪しいやつでござるな。」


 八右衛門は一瞬で橘さんとの間合いを詰め、首筋にチョップをした。橘さんは昏倒した。


「その子友達なんだけど。」


千秋は文句を言った。


「有無は言わせぬ。そんなことより定時報告でござる。拙者、敵と遭遇したでござるよ。」


 八右衛門は千秋に血まみれの肉片を差し出した。


「なにこれ。」


それはよく見ると人間の耳とか骨だった。


「藤原和尚でござる。」


 八右衛門はわけのわからないことを言った。


「敵は邪教の僧兵でござるよ。」


「つまり藤原和尚はもうこの世にはいないって事なんですね。」


 千秋は言った。


「ハハハそんな馬鹿な。殺してしまっては意味がないでござる。死なない程度に痛めつけただけでござるよ。」


 八右衛門は笑いながら言った。千秋は今更ながら忍者に関わった事を後悔した。


「奴は貴重な情報を幾らか吐いたでござる。ここからは戦でごザルぞ。」


 机の上では橘さんが苦しそうに振動していた。

 今更ながら千秋は八右衛門の冷酷さに戦慄していた。


「私ってあなたみたいに戦えないんだけど、具体的にはどうしたらいいのかな。」


 思わず千秋はそう聞いた。任務には関わりたくないが、わけのわからない自体に巻き込まれ、何をしたら良いか全くわからないのだ。始めての友人が橘さんだったし、日常生活も本当にどうして良いかわからない。

 八右衛門は千秋を見た。そして父親のような優しい口調で語った。


「それについては追々説明するでござる。まあしかし、少なくとも忍法も使えない人間が戦う事はありえないでござるな。」


「そうなんだ、良かった。」


 もしかしたら戦闘訓練を詰されて戦わされると心配していたがそれは杞憂だったようだ。千秋は血なまぐさいのが苦手なのだ。


「ふふふ。」


「ていうか八右衛門さんって忍法使えるんだね。」


 自分は戦わなくていいと思った千秋は少し気が楽になった。


「時にお春殿。何故机の上で正座してるでござるか。」


 八右衛門は訝しんだ。


「いや、橘曰く床に正気を失う波動が流れてるらしくて、そのまま何となく場の流れみたいな感じ。」


「お春殿も大変でござるな。」


「まー、しかしアレだね。てっきり厳しい修行とか人体改造とか強いられるものとばかり思ってたよ。」


 千秋はやや上機嫌に言った。


「ところで藤原和尚とかいう人はどこにいるの。」


 千秋はそれとなく聞いてみた。あわよくば逃がして状況を混乱させるつもり腹積もりだ。


「彼は本部で今頃拷問を受けているでござろうなあ。」


 八右衛門はさらりと言った。


 その時だ。携帯の着信音が鳴った。千秋の携帯だ。


「総理大臣からでござるな。」


  八右衛門は言った。


「出てみるでござるよ。」


 千秋は電話に出た。


「もしもし。宝蔵院お春です。」


千秋は本名がバレないよう、偽名を名乗った。


『"西大寺千秋"君かね。』


 総理大臣の声だ。


 瞬間、千秋の顔から汗が滝のように流れた。


「なななにに言ってるんるんるん宝蔵院お春ですよおお」


 千秋は努めて平静に受け答えをしたが、内心では本名がバレている事に衝撃を受けていた。


『丁度君の簡易忍者養成プログラムが出来上がった所なんだ。』


「えっ」


 千秋の中で様々な感情が渦巻いた。焦り、驚愕、失態。なにより恐怖。千秋は言葉を失っていた。


『日本の優れた技術力で君を忍者にしてあげよう。期限は一週間だ。』


 いつの間にか八右衛門が千秋の背後にいた。八右衛門は千秋を羽交い締めにした。


「いいやいやいやいややいや、おかしいでしょう。私は止む無く任務を手伝う羽目になったのであって忍者になるわけでは。ていうか忍者になるって何なんですか。ちょっやめてやめてやめて」


 八右衛門は千秋の大動脈に注射器を差し込んだ。


 こうして千秋は本部に拉致され、肉体は一週間かけて忍者のそれへと改造された。痛覚は遮断され、人口筋肉に挿げ替えられた腹筋はバキバキになった。両腕はワイヤー付きのロケットパンチになった。脳内部に埋め込まれた装置が常に千秋の脈拍や脳波やらを本部へ送信している。千秋のプライバシーは死んだ。それは一人の女子高生としての死をも意味していた。


「改めて自己紹介してもらおう。君の名前は。」


 総理大臣が言った。


「西大寺千秋です。」


「ではコードネームは。」


「宝蔵院お春です。」


「よろしい。では君に任務を授けよう。」


 総理大臣は言った。


「君の敵は私立錦上高校に潜伏しているカルト教団だ。発見次第排除し、報告する事だ。」


「了解しました。」


「これは藤原和尚から聞きだした情報だが彼は何者かと落ち合う予定だったそうだ。君はその人物とコンタクトを取れ。」


「どうしてこんな事に。」


千秋は言った。


「24時間以内に任務を達成出来なければ貴様を排除するぞ。」


総理大臣は冷たくあしらった。


「…最高です。」


 千秋は答えた。

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