ボトルシップは戻らない

柴駱 親澄(しばらくおやすみ)

第1話

     ○


 取調室というのはおおよそイメージ通りで、そこにいるのにテレビドラマの撮影でもしてるかのような気分だった。広くはない無機質な部屋に最低限の机と椅子、そして最小限の人数で構成された人員配置。僕はパイプ椅子に腰掛け机の向いにいる中年刑事の質問に答えなければならない。そういう状況。カツ丼って本当に出るんですかなんて気軽には聞けない。

「時間もあまりないからね。前置きなく単刀直入に質問させてもらうよ」

 僕は犯罪者であるのに丁寧な対応をしてくれるのは、やはり僕が高校生というのが関係しているのか。

「君は、君のおじいさんを殺害した。これに間違いはないね」

「いいえ、僕は祖父を殺してはいません。むしろ祖父を助けたんです」

 これは予想外の返答だったのだろう。刑事は表情を固くし、少し目を伏せて黙り、そしてまた口を開いた。

「しかし君の自宅で、君の目の前で大量に血を流し倒れていたのはおじいさんその人だと家族は証明している。関係書類から見ても疑いようがない」

「あれは祖父ではありません。なので行為に至りました」

「……殺人は認める、と?」

「はい」

 中年の刑事は上着から煙草を取り出したが、顔をしかめてすぐに内ポケットに戻した。室内の壁には喫煙禁止の貼り紙がしてあった。

「とりあえず、経緯を話してくれないか?」

 経緯と言われてもどこから話せばいいのかわからない。僕はじっくりと、祖父と過ごした記憶を反芻した。


     ○


 僕の家庭は平凡な部類であろう。会社勤めの父親と日中はパートに行く母、地元の高校に通う僕と中学生の妹。そして年金生活で老後をゆっくり過ごしている祖父、祖母は僕が生まれるより前に亡くなっていた。一軒家で共同生活をしている。

 祖父は定年退職するまでは建築などの設計事務所で働いていた。手先がとても器用で祖父の書斎には趣味で作られたボトルシップが多数ディスプレイされていた。

 ボトルシップとは空きの酒瓶などにミニチュアの船の模型が収まっているものだ。瓶の口は狭く、その口径より大きな船をどうやっていれたのか誰もが最初は不思議がるだろう。大量生産される安物の場合は瓶の底を切り取り船を収納してから綺麗にフタをするやり方もあるが、祖父は几帳面なそれのやり方に倣い、細かい部品を瓶の口から長細いピンセットをでつまみ中に入れ組み立てる方法で作成していた。見ているだけでハラハラするし、とても細かい作業は簡単にはいかないものなのでとてもストレスがたまる。それでも完成した一品はやはり芸術的で、まさに職人技と呼べる代物であった。

 小学生のとき祖父に頼んで一回だけボトルシップ作りに挑戦させてもらったことがある。非常に簡易的なものを祖父は用意してくれて、これなら初心者でも楽しめるレベルかと思いきや僕の手先は常人より不器用で、結局自分一人では完成できずに最後は祖父が仕上げてくれた。自分にはとてもできない所業だと諦めると、自分の興味はテレビゲームに移っていった。

 祖父は大らかな性格で孫である僕と妹にとても優しかった。とは言え甘やかすことはなく叱るときは叱る。老人と言える年齢なのに姿勢はまっすぐで体力もあり公園で遊ぶ僕たちといつまでも付き合ってくれた。むしろ父親の方が先に疲れきってしまっていた。若いときや働いていたときは相当な無茶をしていたと毎晩酒を飲みながら語っていた。記憶が補正されているのかもしれないが、それでも祖父は僕にとって憧れの対象であった。


     ○


 祖父のちょっとした異常に気づいたのは僕が高校に入学したときと同時くらいだった。口数が少なくなりぼんやりと過ごす時間が多くなったように感じられた。しかしそれはようやく老人らしく大人しくなってきたかと少し安心したものであった。

 しかしどこにものを閉まったかや約束事をよく忘れるようになったのには少し困った。老人なのだから軽いボケくらいは仕方ないと両親は悟っていたが、僕はハキハキと動いていた祖父が少しずつ消えていく感覚がして悲しかった。

 ある日、自分の部屋にあるボトルシップ内部の帆船が一部壊れているのを発見した。小学生のとき、自分では作りきれずに祖父が仕上げてくれたものだ。経年劣化であろう、マストの部分が根元から倒れておりその他パーツもところどころ取れかけていた。その頃の祖父はもうボトルシップは作っておらずテレビを見ているか寝ているか散歩しているかの生活サイクルだった。それでも大事なボトルシップをそのままにしておくのは億劫であり、自分では直せないと自負していたので祖父に修繕を頼んだ。祖父はボトルシップを見つめ修理箇所を確認し、道具を出してくると言って自分の部屋に行った。しかしそれきり何時間待っても祖父は戻ってこなかった。祖父の部屋を覗き込むと祖父はスヤスヤと昼寝をしていた。これはこれでかわいいものだと思った。

 祖父はすっかりボトルシップの修理を忘れてしまい、僕のボトルシップは壊れたままだった。


     ○


 一年と半年ほどが経つ頃、祖父の放浪癖が目立つようになってきた。散歩に行ってくると出ていくのだが食事の時間になっても帰ってこないことが何回か起こり、深夜に警察に保護されることもあった。本人は大丈夫だと豪語するのだが、普段は行かない場所及び見知った場所でさえ迷子になるようになってしまった。なるべく一人で出歩かないように注意するのだが日中は家族が誰も家にいないためどこかへ行ってしまう。

 老人ホームの話が出たが、経済的な余裕もないのでそれはなしになった。代わりに母がなるべく家にいるようにして、僕が学校終わりにアルバイトをすることになった。アルバイトをするのは自分で言い出した。両親は申し訳なさそうにしていたが元々部活動には入っていなかったし同じ友達をずっとダラダラ過ごすのにも退屈していたのでちょうど良かったのだ。

 祖父が知らぬ間にいなくなるのは減ったが、癇癪を起こすようになった。普段は大人しく可愛げがあるのだが何かのきっかけで突然感情が爆発する。大きな声で怒鳴ったり泣き喚いたり、うまく言葉も喋れなくなり会話も成立しづらくなった。

 病院で診断してもらったところ、やはり認知症が進行しているようだった。症状を悪化させる速度を緩やかにする方法はあり、医者にアドバイスをもらった。それでも祖父の面倒にストレスがたまらないわけがなかった。家族でなければ一緒に住めないだろう。妹は家に友達が呼べないし受験勉強にも集中できないと嘆き、母は見るからにやつれていった。祖父のことが原因で両親が喧嘩することも増えていった。僕も県外への大学進学を考えていたが、こんな状況ではそんなこと言い出せなかった。


     ○


 アルバイトがない日だったので早めに帰宅した。母は買い物に出かけているみたいだった。自室には祖父がいた。家の中をうろうろとし勝手に部屋にいるのはさほど珍しいことではなかった。そういうとき妹はすごく嫌がりヒステリックな対応をするが、僕は優しくなだめたほうがいいことを知っていった。祖父に自分の部屋に戻るように促した。部屋のものが少し散らかっていたがそれは後で片付けよう。祖父は素直に歩き出した。しかし手には壊れたボトルシップがあった。自分のものだと勘違いして自室に持って帰ろうとしているのだろう。僕はそれを取り上げようとしたら祖父はそれをすごく嫌がった。幼児のように駄々をこねる祖父の懐から強引に奪おうとすると顔を叩かれた。僕は激昴してしまい、祖父を殴ってしまった。そしてボトルシップは床に落ち砕けて飛散してしまった。とても修復は不可能な状態だ。祖父との大事な思い出の品がなくなってしまった。もう二度と取り戻すことはできない。

 もう僕の好きだった祖父はそこにはいなかった。こいつは、我が家の、悪魔だ。

 僕はそいつを倒しそれまでの鬱憤を晴らすかのようにひたすら殴り続けた。そいつは腕を振り回し抵抗した。僕の右腕に何かがかすり切れて血が出た。そいつは細長い金属棒を持っていた。手の届く範囲に落ちていたものを拾ったのだろう。僕はそれを奪いそいつの喉元に突き刺した。そいつはしばらくして大人しくなった。

 僕は立ち上がり振り返ると、部屋の外には青ざめた母がいた。


     ○


 経緯とはこんな感じでいいのだろうか。目の前の刑事は納得しきれない様子だった。

「僕は殺人を認めますしこのまま罰を受ける覚悟です。刑事さんたちの手を煩わせるつもりはありません」

「そういうことじゃねえんだよ!」

 中年の刑事は机を思いっきり叩いた。そしてもう一人の刑事に何か耳打ちした。若い方は取調室を早足に出て行った。

「こんなことで誰かが救われるわけがないだろう」

 中年の刑事は僕を睨んでいた。最初のときとは明らかに態度が違っていた。最近の若い奴はとかそういう説教が始まるのだろうか。

「持ってきました」

 若手の刑事が戻ってきた。そして机の上に透明な袋を置く。中には赤茶色く汚れた針金のようなものが入っていた。

「これで殺したんだろ」

「はい」

「これが何かわかるか?」

「たぶん、ボトルシップを作るときに使う道具です。祖父が使っていたのを見たことがあります」

「それがなんでお前の部屋にあるんだ。自分では作らないんじゃなかったのか?」

 どういうことだろうか。思考がまとまらない。整理がつかない。どこかで真実が見えているが、ぼやけていてわからない。いや、わかっているのだが認めたくない。

「これは推測だがな、おじいさんは約束通りボトルシップを修理しようと部屋に入っただけじゃなかったのか? ボケてしまってもずっと続けてきた習慣は変わらないという話も聞く」

 僕は返事ができなかった。言葉に詰まる。沈黙を続ける。

「もう一度聞くぞ。お前は誰を殺したんだ」

 大好きだった祖父はまだいたのだ。僕が勝手にもういないと思い込んでいたのだ。嬉しさと、どうしようもない後悔。これでは誰も救われない。

「……僕が、おじいちゃんを殺しました」

「よく言えた。罰を受ける資格がある。罪を背負い続けて、生きるんだ」

 泣くというのは、とても久しぶりのことだった。壊れてしまったボトルシップはもう戻ることはないのだ。

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