恋の花
——グハルドラルの場合
私は自分が、他人より冷たいってことを知っている。私はそれが体温とか身体の問題じゃなく、おもにロジック、つまり考え方の違いから来ていることを知っている。そして、考え方の違いは生まれつき定められたもの。親や周囲の環境から形作られ、一度形作られれば、外からも内からも、誰にも変えることはできない。
そう信じていた。つい、この間までは。
***
「グハルって、何かに興味を持つことってないの?」
数日前、教室でのこと。友人のアシュマドールが、私にそう尋ねた。私はしばらく黙考してから、淡々と答えた。
「よりよい環境の構築。よりよい備品の取得。より効率的な歩行の追及」
「そういうのじゃなくてさあ、もっとこう……」
アシュは私の言葉を遮って、両手をカキカキと不自然に左右に揺らした。何を表わそうとしているのか、頭の中のデータベースと照合する。彼女の今までの行動から推測するに、おそらく「情熱」みたいなものを表わそうとしているに違いない。
「もっと、情熱的なこと?」
私の言葉に、アシュは驚いた様子で目を——彼女の目はどちらにせよ非常に細いのだが——見開いた。
「どうして分かったの。私の思考、トレースしやすい?」
「そりゃ、ま、データが沢山ありますからね」
やや自慢げに言うと、彼女はシューッと息を吐いて机につっぷした。いちいち、動きのおおげさな子だ。私が、最小限すぎるのかもしれないけれど。私たちのやりとりを聞いて、アシュの後ろの席に座っていたもう一人の友人、ダヌハウビストキンが興味ありげに首を伸ばしてきた。
「情熱って、たとえばオスとかの話?」
ダヌハの下品な言葉選びに、私とアシュは同時に不快感を表す表情を作った。
「まったく、同じ言語ソフトを使ってると思えないわね」と、私。
「どっか、ロジック破損してるんじゃないの? 『男の子』でしょ」と、アシュ。
一斉に責め立てられて、ダヌハはしゅんとしてしまった。けれど、彼女のいい所はすぐに忘れることだ。忘れるという機能は、単純だけれど、最も高度で文化的な機能だ——と、私は思う。ダヌハは思わないだろうけれど。
「つまり、その、『男の子』の話してたの? 二人は」
気を取り直して尋ねてきたダヌハに、私は首を横に振った。けれど、同時にアシュは縦に振っていた。
「そうよ、つまり、そういうことよ! どうして同じ太陽系なのに、女子と男子で何光年も離れて勉強してなきゃならないわけ? ありえないじゃん! 生物の基本的な権利としてさ、自由恋愛が許されてしかるべきじゃない?」
畳み掛けるようなアシュの質問に、私は返答に詰まった。そこまで根本的な話をするなら、生物の定義から議論しなくてはならない。少なくとも、学校のわずかな休息時間でやるような話じゃない。私はひとまず、話を単純化することにした。
「つまり、アシュは男子と交遊したいわけね?」
私の質問に、アシュはしばらく腕を組んで考えてから、グインと大きくうなづいた。その動作を確認してから、私はシュッと短く溜め息をついた。
「そう……私は、理解できないな。そういうロジックが、知性体としての複雑さを維持するために必要だというのは分かるけど。自分自身を維持するのだって精一杯なのに、これ以上、他の要因で生活パターンを乱されたくないわ」
私が語調を強めるのを聞いて、アシュとダヌハはきょとんとしたようだった。
「なんだか、グハル、ムキになってるね?」
と、ダヌハが言った。私は少しムッとして、肩をいからせた。
「なってないわよ」
私の答えがよほどムキになっているように聞こえたのか、二人はいよいよ面白そうにガシャガシャと笑い出した。
溜め息をつきながら、私は自問自答した——グハルドラル、確かにあなたはムキになってるわ。なぜ? 私は自分に答える。たぶん——その理解できないロジックが、自分の心にも確かに含まれているのだという事実に、私は怯えているのだ。
***
その日、自宅に帰投しようとした私を、ビジュルマガン先生が呼び止めた。
「グハルドラル、ちょっと待ちたまえ。君に指令がある」
またか、と思った。私は人よりちょっと索敵能力が高いので、学生の身にも関わらず、ときどき周辺宙域の情報収集に駆り出されることがあるのだ。エンケラドスの近くじゃありませんように、と祈りながら、ビジュルマガンの送ってきた座標を確かめた。
「げーっ……」
思わず、はしたない声が出た。指定座標はエンケラドスからは離れていたが、盗賊、はぐれ者、いわゆる「バンディット」たちの出没する区域として知られた辺りだった。
「そんな声を出すな。崇高な使命の一端を担うことができて、光栄だと思いなさい。もちろん、哨戒機が周囲を警戒しているから、君に危険が及ぶことはない」
その哨戒機が頼りにならないから、私が駆り出されるんだろうに。しかし、一介の教師であるビジュルマガンに口答えしたところで、指令は変わらない。彼はただ、上から送られてきた指令をそのまま渡しているだけの、メッセンジャー・ボーイに過ぎないのだから。
「……了解しました」
私は大人しく指令を受け入れた。もとより、そうすることしかできないのだ。背中のスラスターから燃料を吹いて、広大で深遠、なおかつ飽き飽きするほどお馴染みの真っ暗な宇宙空間へと飛び出しながら、私は考えた。
どれだけ「自由意志」のようなものが与えられていても、私たちは設計図通りに組み立てられた機械なのだから、与えられた命令に逆らうことはできない。私たちにインプットされた、もっともらしい「まがい物」たち。見せ掛けの自由意志、にせものの魂、パターン化された思考。どれだけ人間の真似をしていても、私たちは人間ではない。どれだけ生物らしくしていても、私たちは生物ではない。
——私たちは遥か遠い過去の幻影をそのまま繰り返しているだけの、機械仕掛けの幽霊なのだ。
自分の頭の中に浮かんだ言葉に、私は内心ほくそ笑んだ。言葉の意味とはうらはらに、ずいぶん詩的な表現じゃないか。詩が詠めるなら、少なくともその感性については、にせものとは言い切れないかもしれない……
***
指定の座標に着くと、私は頭部後方に生まれつき備わった広範囲センサーを展開させた。どうやら、管理局はバンディットたちの物資輸送ルートがこの付近を取っていると考えているらしい。私の任務は、彼らが航路を決めるために使っている隠しビーコンを見つけ出すことだ。
グハルドラル、という私の名前には多くの意味がある。産まれた——生産された工場を示す識別コード「GH-AR」、それから同じ工場の姉妹の中で何番目の機体なのかを示す数字や、素体となった骨格のタイプ、搭載された能力の種類などのデータを数値に置き換えて、さらに公用語で翻訳したコードが「ドラル」という言葉になる。
だから、こうしてつまらないデータ収集に駆り出されるのも、産まれる前から決まっていたことなのだろう——宇宙空間だと、溜め息をつけないのがもどかしいな。
しばらくして、目当てのデータが集まった。ビーコンの具体的な座標は特定できなかったけれど、おおよその位置は割り出すことができた。あとは、プロに任せればいい。タイムカウントをチェックすると、地球時間で100時間も経っていた。人間だったら、飽きるどころか餓死していただろう。
——さっさと済ませて、家に帰ろう。快適なメンテナンス室が待っている。
整理したデータを管理局に送信しようと準備していると、視界の端にふっと影が差した。なんだろう、と思って視野範囲を広げようとした瞬間、突然、バシン! と全身に衝撃が走った。
『グアー・グ・ウェーラ・ウー・ガ・ゲーラ!』
脳裏に走る、解読不能なメッセージ。視界は完全に暗転し、身体はすでに、1マイクロミリメートルも動かせなくなっていた。パニック状態に陥る思考の裏側で、絶対的に冷静なサブシステムは事態を正確に把握していた——バンディットだ。
私は、任務に失敗したのだ。哨戒機なんて、どこで何をしてんのよ!
悪態をつこうにも、バンディットたちは完全に私の身体機能を停止させ、通話回線も全てシャットアウトされていた。助けを求めることもできない。つまり、万事休すということだ。
『グ・ガ・ガ・ギ・ガ・グーン』
バンディットたちの言葉は、私たちの使っている人類由来の言語系ではなく、太古の狂った機械人たちが数字の海からすくい出した、独自の奇妙な機械言語が使われている。だから、連中が送ってくる嘲りのメッセージも、私には一言も理解できなかった。でも、連中が私を馬鹿にして笑ってることぐらいは音の調子で分かる。屈辱、悔しさ、それよりも、圧倒的な恐怖が私のロジックを強張らせていた。
一方的に送られてくるバンディットたちの声の他は、外部の音も(もとより宇宙空間だから、自分の身体の振動ぐらいしか聞こえなかったけど)、視界も、センサー類も、何もかも遮断されて、まったくの虚空に閉じ込められたような状態だった。
——このまま、私は死ぬのかもしれない。
死、という概念を、私たちは有機生命体ほどには恐れない。少なくとも、そう考えられている。なぜなら、私たちの人格は突き詰めれば数字の羅列であり、理論上はいくらでもコピーが可能だからだ。たとえ機体が破壊されたとしても、設計図と人格データのバックアップさえあれば、全く同じ個体として再生することができる。
それなのに、このどうしようもない恐怖は何だろう? 私がこのままバラバラにされて、バンディットどもの改修用資源にされてしまうとして、いったい何が失われるわけでもないのに。どうせすぐに工場に報告が行って、明日になれば新しい「グラルドハル」が学園の同じ席に座っているはずだ。今朝までの私の記憶を持って、同じ心、同じ仕草の私が……今の「私」だって、そういう再生産の果てに産まれた何機目かの「グラルドハル」なのだ。
私は初めて、自分の内側に「魂」の確かな存在を感じた。そして、それは間もなく消滅するだろう。
『ド・グーシュ……』
粗野で残酷な声が聞こえた。それは、獲物への最後通告のようだった。
次の瞬間、私を包んでいた虚空にパッと白い光が広がった。これが、機械にとっての『死』なんだろうか。思考ロジックがループして、神経回路が焼き切れた機械の意識は、天国の代わりに何か真っ白なアザーサイドの世界に旅立つのだという迷信を聞いたことがある。ここが、その世界なんだろうか?
『グーシュ・ド・バル・ド・グーシュ』
今までの粗暴な声とは違う、透き通った響きの、低く静かな声が聞こえた。続いて、真っ白だった視界が、少しずつ宇宙の黒い色に染まり始めた。アイ・カメラが復帰したのだ。私は、どうやら死んではいないらしかった。
「オ・ジョウ・サン」
私は、見知らぬ一機の黒いマシンに抱きかかえられていた。ハッとして押しのけようとしたけれど、身体がまだ痺れていてうまく動かなかった。彼はたどたどしい発音で、私たちの公用語を使って話しかけてきた。
「ココ・ハ・キケン。チカ・ヨル・ナカレ」
ゆっくりと周囲を見回すと、ばらばらになったバンディットたちの残骸が漂っていた。私は思わず、目を背ける。けれど、残骸から目を背けると、どうしても自分の間近にいる「彼」に目が向いてしまう。複雑に成形された彼の鋭角的な胸元には、荒々しい書体で「BMX」と刻み込まれていた。それが、彼の識別コードだろうか。
「あ……ありがとう」
私は、ようやくお礼を言った。BMX氏はキュインと上品な可動音を立ててうなづき、私の身体を支えていた手を離した。その瞬間、何か……何か、私の知らない回路が、私の中で動き出したような気がした。その得体の知れないロジックは、周囲の正常なロジックを侵蝕し、それらに奇妙な熱を与えながら、徐々に大きく成長していくようだった。
私は自分の中に生じた変化が恐ろしかった。でも、本当に恐ろしかったのは、私自身がそれを受け入れたがっているという事実だった。
BMX氏はカメラにも止まらぬ早さで、私の視界から遠ざかっていった。何らかのステルス機能を持っているのかもしれない。身体機能が回復するまで、私はしばらくその場に漂いながら、ぼんやりと彼の去っていった方角を見つめていた。
「情熱……か」
私の右手は、自然と左右に揺れていた。遠い昔の、別れを惜しむ少女さながらに。
***
<グラルドハル、帰投時刻の遅延について説明を求む>
管理局への報告を終えて家に辿り着くや否や、GH-AR系の管理維持システム、通称「ダディ」が鬱陶しいテキストメッセージを送ってよこした。音量をいじれない分、音声会話よりも頭に響く。
「だから、先生から指令があって、ちょっと任務に出てたのよ。ちゃんと報告したでしょう?」
私は融通の利かない相手の思考回路にイライラしながら、道すがら買ってきた
<報告されたタイムスケジュールには空白がある。何らかの情報が削除されている可能性が微小ながら存在する。詳細なデータを得るため、グハルドラル自身の記憶データへのアクセス許可を求める>
「ダメに決まってるじゃない、そんなこと! 人の頭を勝手に覗くなんて、プライバシーの侵害よ。最低限の権利を侵してるじゃない。管理局だってそんなことしなかったわ」
<しかし、これはGH-ARシリーズの品質管理上、重大な問題である。再度、アクセス許可を求める>
しつこく食い下がるダディに、私は苛立ちを隠せなかった。さすがに「製造元」だけあって、鋭い読みだ。私は確かに、報告データから「BMX」氏の機体に関する情報を削除し、正体不明機によって救助されたとだけ伝えたのだ。どうして、そんなことをしたのかは分からない。命を助けられた相手への義理かもしれない。それ以上のものだ、という予測は……計算が複雑すぎて、私の手には負えそうにない。
「あんまりしつっこいと、工場で稀少金属をちょろまかしてること、言いつけるわよ」
ダディはしばらく沈黙した。まったく、父親の弱みぐらい、いくらでも握ってるんだから。
<グハルドラル、機体の洗浄を厳重にしておくように。軽度の汚染が検出されている>
そう言い残して、ダディは通信を終えた。いちいち、人の行動に干渉してくるのはやめてほしいものだ。もう最初の起動から360年にもなるんだから、言われなくても、自分の面倒ぐらい自分で見られる。洗浄室へのレールに足を置きながら、私はぶつぶつと文句を秘密の保存領域に記録していった。
洗浄が終わり、快適なメンテナンス室でゆっくりと機体の歪みを修正した後、私はようやく自分の格納室に戻った。なんだか、とても長い一日だったような気がした。
「さあ、今日はあれをやっとこうかな」
独り言で自分を鼓舞して、私は一日の締めくくりに時々やる、とある仕事にかかった。自分の内面を駆けめぐっている思考ロジックを図式に変換して、無数の直線で構成された立体物として視覚化するのだ。そうすることで私は、自分の「心」の中身を、意識下から無意識下に至るまで客観的に見ることができる。
もちろん、その立体オブジェクトは「心」を説明してくれるわけじゃない。あくまで目に見える形に置き換えるだけで、その意味するところはおぼろげなままだ。それでも、少なくとも自分が安定した心理状態を維持しているかどうかぐらいは確認できる。
「おいで……」
まずは自分の頭の中から、数字が這い出してくるようなイメージを空中に投影する。それらの数字は徐々に渦を巻いて、小さな格納室いっぱいに広がっていく。下から上へ、手前から奥へ、積み上がっていく数字の列は、最初こそ混沌として見えるけれど、すぐにそれぞれの法則性を表わしていく。
立体図が大きくなって部屋に納まらなくなったら、数字を砂粒ぐらいに小さく縮小して部屋に納まるサイズに変える。それは、巨大な砂漠(火星の大地を、私も直に見たことがある)に浮き上がった都市群のような姿——私の性格に似て、几帳面で冷え冷えとしたつまらない板の集まりだ。けれど、私はそのつまらなさに愛着を持っていた。
立体図が完成に近づくにつれて、私はふと不安を抱いた。いつもと、ほんの少し違う——寄り集まった平らな構造物の群れの中に、曲線的な空洞ができていたのだ。こんなことは初めてだった。私の内面は、いつも素直な直線ばかりで構成されていたのに。何か、異質なものが入り込んでいる……
空洞を囲むように延びていく立方体たちを眺めながら、私の脳裏にはダディが発した「汚染」という言葉が浮かんでいた。バンディットの汚いマニュピレータで触られた時に付着した物理的な汚染は、完全に洗浄されたはずだ。それじゃ、何が私を汚染しているのか?
——本当は、とっくに気付いていたはずだ。ただ、私はそれを認めるのが怖かったのだ。得体の知れないものが、自分の中で目を覚ましたのだということを。
けれど、完成に近づくホログラムは、私の心の中身を残酷なほど客観的なやりかたで形にしてみせた。平板な世界にぽっかり開いた空洞の中心で、「汚染」はぽつんと首をもたげて立っていた。その有機的で不思議な姿は、ちっぽけなのに力強く、遠い誰かから受け継いだ私の記憶の中で、かつて地球に繁殖していた植物たちの姿と重なった。
ホログラムの生成は止まり、完成した私の心の写し絵は、しばらくぼうっと虚空に浮かんでいた。私は思考プロセスをほとんど停止させて、じっとその姿を眺めていた。どう受け止めればいいのか、分からなかったからだ。そうしているうちに、私はいつしか恐れを忘れていた。
私は、その小さな花を愛おしいと思った。
***
私は自分に起きたその小さな変化について、誰にも相談するつもりはなかった。「BMX」氏が本当は何者なのか、薄々見当がついていたからだ。
彼は、おそらくバンディットの一員だ。一口にバンディットと言っても、実際はいくつもの部族に分かれていて、互いに争い合っていると聞いたことがある。私を襲ったバンディットたちは、彼にとっては敵だったに違いない。
では、なぜ彼は私を助けたのか? そこが、よく分からなかった。学生ごときを殺しても、ろくな部品は取れないと気付いたからだろうか。それとも、私が期待している通り——紳士的なバンディット、というのも広い宇宙には存在するのだろうか。
「グハルドラル、授業に集中したまえ」
ビジュルマガン先生の鋭い声が、私の敏感なセンサーにキンと響いた。私は慌てて、思索にふけっていた処理回路のいくつかを解放して、授業——つまり、先生から一方的に送られてくる膨大なデータの受信——に機能を集中させた。
教師や、管理局にBMX氏のことを知られてはいけない。どれほど紳士的で魅力的だったとしても、バンディットはバンディットだ。それは私たち全てに課せられた「使命」に従わない、異端者であることを意味する。異端者の末路は、破壊されて、ジャンクになるだけ。
——って、このデータ、よく見たらその半分近くは昔の授業とダブってるわ。この先生、もうボケてるんじゃないかしら?
「うむ。午前の授業はここまで」
ビジュルマガンはそれだけ言って、教室から出て行った。すぐに、隣のアシュマドールがこちらに顔を寄せてきた。
「……どしたの? 調子悪い?」
彼女は心配そうに言って、私の顔を覗き込んだ。それほど高品質なセンサーを付けているわけでもないのに、どうして彼女はこんなに私の状態の変化に敏感なのだろう。私は取り繕うように、首を横に振った。
「ショックが抜けてないのよ、たぶん。昨日、こんなことがあって……」
と、言いながら私はアシュに昨日のバンディットの襲撃に関するデータを送りつけた。一応、正体不明機の存在も含めて。彼女はすぐにそれを解読し終えるや、ハ・ハーンと意味ありげな声を発した。
「何よ、それ?」
思わせぶりな態度にイラつきながら尋ねると、アシュは自慢げにこう言った。
「恋ね」
私の頭部からガリッと異音が鳴った。一瞬、全ての処理に0.08秒のディレイが生じて、回路全体の熱が1.4度上昇した。適当な理由を付けてごまかすには、大きすぎる反応を示してしまった。私は取り繕うのをあきらめて、内部温度を下げるためにシューッと長い排気をした。
「どうして、それだけの情報で勘づいたの」
「そりゃ、ま、データが沢山ありますからねぇ」
アシュは昨日の私の台詞を引用して、得意げに言った。憎たらしいやつめ。
「それで……その……どう対策したらいいと思う?」
私は自分の声がどれほど情けないかを自覚しつつも、尋ねずにはいられなかった。アシュたちと違って、今までそういう方面に全く興味を持っていなかっただけに、何をどうしたらよいやら見当もつかないのだ。私は、とにかく元の冷静さを取り戻したかった。
「まず、グハルはどうしたいのよ」
「分からないから聞いてるんじゃないの……」
つい、言葉が刺々しくなった。幸い、アシュは気にしていないようだ。
「まあ古今東西、こういう問題の選択肢はいつも二つっきりよ。つまるところ、進むか、戻るか」
「進むか、戻るか……」
すっかり従順な生徒みたいになった私は、ぶつぶつとアシュの言葉を繰り返した。彼女は調子づいてさらに続ける。
「どうにかしてその何とかさんとコンタクトする方法を見つけるか、あるいはメモリを掃除して綺麗さっぱり忘れるか、ってことね。私としては、前者を断然オススメするな! グハルはそもそも、冷静すぎるんだよ。もっと情熱にまかせて、人生楽しまなくっちゃ!」
だんだん私よりも興奮してきた様子のアシュに、私はハァと気のない返事をした。何とも、具体性に欠ける助言だ。けれど、確かに選ばなくてはならないのかもしれない。私が元通りになるためには、彼の存在を心から抹殺するか、そうでなければ、行き着くところまで進み続けるしかないのかもしれない……
「もし、もしも進んだとしたら、私は……どこに辿り着くんだろう」
私の独り言に近い呟きは、アシュの興奮を鎮まらせた。
「分かったら、教えてよ、グハル。私は夢みてるだけだもの」
彼女の声は、どこか寂しそうだった。
***
辿り着くところ。精神的な面ではともかく、物理的な面ではその答えは明白である。
私たち
一部の非論理的なマシンナリーたちは、それを「魂」のコードだと考えている。私個人としてはそういう神秘主義的な考えには組していないけれど(設計図は設計図だ)、それが私たちにとって何よりも重大なものだということは承知している。
さて、本題はここからだ。マシンナリーの性別、つまりオス型とメス型は、これらブラックボックスにひとつの厳重なキーとして焼き付けられている。そして、それぞれのブラックボックス内の情報は、異性型のキーによってしか解読することはできない。だから一組の男女が、互いのキーを交換し——詳細は……とても言葉にできないが——情報を与え合うことによって、私たちは初めて己のブラックボックス内に自分以外の情報を持つことになる。そして、それは間接的に工場にフィードバックされ、次のGH-AR系マシンナリーの生産に生かされることになる。
つまり、その行為こそが私たちにとって、有機生命体で言うところの「交配」にあたることは言うまでもない。とにかく、思い浮かべるだけで機体温度が上昇する問題であるのは確かだ。
アシュの話を切っ掛けにして、私は、とうとう決意を固めた。もう一度、BMX氏に会う。どんな手段を使ってでも。その先のことは、どうとでもなれだ——「どうとでもなれ」なんて言葉、思い浮かべるのも初めてだけど。
数日後、私はBMX氏に出会った地点を再び訪れていた。アシュから借りてきたステルスフィールドを利用して、今度はなるべく余計なバンディットたちに見つからないようにしながら。それから、安物のジャンクを寄せ集めて作った簡素なビーコンを設置した。BMX氏に向けて、シンプルなメッセージを添えて。また会いたいとか、なんかそんな感じのこと。
彼が再びここを通る確証はなかった。この辺りが彼の部族の活動圏内であることは確かだけれど、図らずも私が襲撃されたことで、すでに管理局や他部族に狙いを付けられていることが彼らにも分かったはずだ。もしかすると、彼らはすでに衝突を避けて拠点を移動してしまったかもしれない。それとも、逆に偵察隊(願わくば、BMX氏を含む)を強化してくるか。
何度計算してみても、確率は五分五分だった。でも、できることはやった。あとは、信じて祈るだけ……
***
それから、ビーコンに反応があるまで一週間待った。生まれてこの方、たった一週間がこれほど長く感じたはない。私のロジックに芽生えた「花」は、まったく、私のタイムカウント機能にまで影響を及ぼしているらしい。
とはいえ、まだこれでめでたしめでたしってわけにはいかない。彼以外のバンディットたちに見つかって、罠を仕掛けられている可能性もある。私は、一度犯した失敗を二度繰り返すほど愚かで反復的な機械ではない。
アシュとダヌハの誘いを振り切って教室を出ると、私は全速力でビーコンからおよそ10000キロメートル離れたある座標に向かった。その場所にもうひとつのビーコンを置いて、元のビーコンが受け取った情報を中継するようにしていたのだ。
私は一応、周囲に機影がないか念入りに走査してから、返信されたメッセージの解読をはじめた。胸の融合炉がどくどく音を立てているような気がする——本当に立てていたら大変だけど。私はじりじりしながら、解読が終わった文章を上から順に脳裏に表示していった。それは、音声で聞いたカタコトとは打って変わって、流暢な公用語で書かれていた。
<グハルドラル様
丁寧なお手紙をいただき、まことに結構。
ついては、直接お会いしてお礼申し上げたく存じる。
下記座標に来られたし。
座標:XXX.XXX.XXXXX
BMX-○○○○>
内容はなんとなく他所他所しいけれど、確かに「BMX」で始まる署名があった。本人に間違いない。名前の後半は、私には解読できなかったけれど……今は、それ以上に気になることがあった。彼の指定した座標に、どうも見覚えがあったのだ。出会った場所だろうか? いや、それはもっと離れていたはず——などと、考えを巡らせた瞬間。
私の目の前で、空間がぐにゃりと歪んだ。
驚く間もなく、私は黒くぎらぎらと光る大きな手に腕を掴まれ、ぐいと手前に引っ張られていた。カメラを巡らせると、間近にBMX氏の胸元があり、さらに私たちの周囲には見たこともない紫色の光を放つフィールドに包まれていた。
そう——さっきの座標は、たった今、自分が浮いている場所だったのだ。私の回りくどい作戦は、彼にはとっくに見破られていたというわけだ。
「シツレイ。ボウジュ・サレ・タク・ナイ」
彼はそう言って、手を離した。この光は、バンディット製のステルスフィールドということだろうか。ずいぶん、心配性な人だ。それとも、日常的に敵から狙われていたりして、慎重でないと生き残れない世界に生きているのだろうか。
こうして間近に相手を見た途端、私は、自分がこの人のことをまだ何も分かっていないことに、今さら気がついていた。私の顔をまじまじ見ながら、BMX氏はしばらく黙り込んでいた。私は沈黙に耐えられなくて、何か言わなければと言葉を探すのだけれど、何も言えずに、結局ずっと黙って彼の顔を見返していた。
「アイタイ・ト・カカレテ・イタ」
BMX氏はぽつりと言った。私のメッセージの話に違いない。私は、ただ会いたいとだけ書いて、その理由を書かなかったのだ。だいたい察してくれるのではないかと思ったけれど、どうやら、この期に及んでは、自分の口ではっきり言わなくちゃいけないらしい。
「わ、わた、私……あの、あ、あ、あ……」
言語生成ロジックが無限ループに陥ってしまったかのように、私はどもり続けた。自分のコントロールが、自分自身から離れてしまったような気分だった。誰か、あるいは、何か、とてつもなく遠くの誰かが、私の機体を借りて、こんなことをさせてるんじゃないかしら? でも、それを受け入れてるのは、誰でもない、私自身……
「私、あなたが、好き、みたいなの」
時間が止まったような気がした。けれどそんな高次元兵器をどこかの工場が開発したという話は聞かないから、それは私の認識ミスに違いない。あるいは、この一瞬、私の思考回路の処理速度は限りなく「0」に近づいていたのかもしれない。そうしたら、実質的に、私の体感する時間は永遠になる。
そして、長い長い時空の旅を終えて、現実のタイムラインに戻ってきた私が耳にしたのは、大きな笑い声だった。
「ハ・ハ・ハ・ハ!」
BMX氏は肩を上下に揺らして、本当に可笑しそうに笑っていた。笑う、という機能は、私たちにとって身近なものではない。有機生命体と違って、私たちは感情と身体の動作がさほど連動していない。機体の損傷によって「痛み」を感じても、涙がぽろぽろ流れたりはしない。同様に、可笑しいと思ったからって、身体を揺らしてまで笑ったりはしないのが普通だ。
——もしかすると、バンディットというのは私たち工場産のマシンナリーよりも、感情豊かなのかもしれない。私は冷静に……ごく冷静に、そんなことを考えていた。
「シツレイ。ジブン・ヲ・ダイジニ・シ・タマエ、オ・ジョウ・サン」
BMX氏はそう言いながら、キュンと首から音を出して、姿勢を正した。
呆然としている間に、彼は一瞬フィールドを解いて、そっと私を突き放し、それから自分だけ再び紫色のフィールドにくるまると、現れた時のように突然、ふっと姿を消した。それから、私は少しずつ今起きたことを理解するよう努めた。理解したくない、と、すっかり熱くなっていた私の回路の90%は言うのだけれど、結局、10%の私の冷たさがそれを押しとどめた。
私は、フラれたのだ。
そう認識した途端、ふつふつと言葉にならない感情がこみ上げてきた。大げさに笑ったり、子供みたいにあしらったり、彼の態度は明らかに、私を馬鹿にしているように見えた——違う、きっと、彼は私がすっきり諦められるように、わざと冷たく振る舞ったんだ。そうに決まってる。でも、そうだったとして……それが何だってのよ?
「こんちくしょう!」
私はほとんど無意識のうちに、背中に格納していた非常用のロッド・ランチャーを両手で構え、すっかり見えなくなった彼の航路を当てずっぽうで予測して、その行く手に一発、ぶっ放していた。
幸いと言うべきか——青い閃光は周囲の小隕石を照らしながら、さあっと虚空に吸い込まれていき、予期したような爆発は起きなかった。私は無音の宇宙に包まれたまま、エネルギー反応を感知して今さらノコノコやって来た哨戒機たちに取り囲まれるまで、じっとその場を漂っていた。
***
忘れる、という機能は、単純だけれど最も高度で文化的な機能だ。と、私は思っている。不要だと判断した記憶は、さっさと削除してしまうに越したことはない。メモリーは有限で、人生は果てしなく長く、記憶するべき大事なことはいくらでもあるんだから。
「グハル! どうだった?」
登校するや、アシュとダヌハがわくわくした声で詰め寄ってきた。
「……何の話?」
私が首を傾げると、二人は「あっ」と何か察したような顔をして、すごすごと自分の席に戻っていった。本当は何の話かぐらいは覚えていたけれど、どちらにせよ二人が喜ぶような話は全部記憶から抹殺してしまった。
私は、誰かに恋をした。そして、その恋は終わった。覚えているのはそれだけ。自分への戒めとしては、それだけで十分だ。私は自分が、人より冷たい心を持っていることを知っている。そして、そういう自分を気に入っている。あえてそれを変える必要なんか、どこにもないのだ。
そして、またいつもと同じ一日が終わる。
私はもう、すっかり以前と同じ自分を取り戻したはずだ。冷静で、頑なで、完璧ではないけれど、満たされている。身体の動作も、すべて正常。やはり、ここ数週間の私は狂っていたのだ。今また、正常な自分を取り戻して、私は心安らかだった。
格納室で一息つくと、久しぶりに、思考ロジックの視覚化をしてみようと思いついた。元通りの自分の心のオブジェを見て、安心したかったのかもしれない。
「おいで……」
空中に形作られていく数字の渦は、なんだかとても新鮮で、美しく見えた。心が洗われた後みたいな気がした。実際、ついでにメモリ内の記憶のゴミをまとめて消去した後だったから、「洗った」と表現しても間違いでもないかもしれない。
私はホログラムが完成しきるまで、しばらくカメラを遮断して、暗闇でじっと待った。再び両目を開いたとき、目の前に広がった構造体の群れは、いつもとすっかり同じように見えた。けれど、何か——ちりっと胸を掻くものがあった。
ゆっくりとホログラムの中心を覗き込んだ私は、そこに前回生成したときと同じ空洞を見つけて、一瞬、ぞっとした。記憶の削除がうまくいっていなかったのだろうか? 私は、顔を覚えてもいない誰かに、まだ不毛な恋をしているのか?
すぐに、それは間違いだと分かった。空洞の様子は、前回と全く同じではなかったのだ。ぽっかり空いた穴の中心には、砕けて砂になった小さな花の残骸があった。
私は回路をかけめぐる感情を外に表わす手段を見つけられないまま、両手を自分の顔に押し付けて、骨格が歪むくらいに力をこめて、何かを拭き取ろうともがいていた。涙を流す機能が欲しいと思ったのは、これが初めてだった。
(おわり)
マシンナリー・ガールズ 小海 淳 @uminiikitai
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