196:投じられる一石
(なぜ……)
次々と押し寄せる残酷な現実に、理香の心が悲鳴を上げる。
つい先程目の前で瞳を失い、さらには誠司の死すらもはっきりとわかる形で告げられて、既に立ち上がる気力すら失われてしまっているというのに。
静に連れてこられていなければ、すでにへたり込んだまま動けないほどに心の支えを失ってしまっているというのに、それでもなお足りないとばかりに追い討ちのような事実が突きつけられる。
自分たちが探していたこの階層のボス、愛菜たちを操り、ここまでの事態を作る遠因となったその相手が、他ならぬその愛菜の体内に潜んでいたというそんな事実が。
「なるほど考えましたね……。道理で何処を探しても見つからない訳です。まさか探している私たちの、すぐ近くにずっと潜んでいたとは……」
そんな理香の様子をよそに、静が淡々とそんな言葉を口にする。
そう、実際そうと明かされてしまえばこれほど納得のいく解答もないのだ。
これまでこの階層のどこを探してもボスの居所を見つけられなかった理由はもちろんのこと。
詩織が【精神干渉】の存在を察知した際に、その発生源の方向に必ず愛菜がいたことにも。
先ほどから愛菜一人だけが、不可解な行動を見せ続けていたことにも、そうとわかってみれば納得がいく。
「たぶん、水を操る魔法で核だけをコーティングして、自分を愛菜に飲みこませたんだと思う。核の大きさって【影人】によって個体差があるから……。小石くらいの大きさの核を水で包んで、そのまま愛菜の中に……」
眠る愛菜の腹部、恐らくは胃のあたりであろうその位置を見据えて、理香達と共に数々の【影人】を屠ってきた詩織がそう予想を口にする。
周囲の水に干渉して自身の体のように操るという、あのハンナの使う人魚や魚人型の人形たちも使っていたそんな魔法。
思えば、昨日城司を襲ったという敵からの攻撃も、水道管の水を支配下に置いて操るという、ある種同系統の魔法によるものだった。
恐らくあの時も、宿主である愛菜をプールで遊ばせて、そして接触した水を伝って水道管の中の水までその影響を広げていたのだろう。
精神干渉で操った相手の体内に潜り込み、その宿主を操って他の者たちの命を狙うという、どこまでも悪辣なそんなやり口。
「――どうする、つもりですか……。その、この敵が愛菜さんの体内に潜んでいるとして……」
そうして、どうにか過酷な現実を受け止めて、やがて理香はどこか恐れを帯びた声色で誰にともなくそう問いかける。
とは言え、今この場において彼女が何を懸念しているかなど明らかだ。
「そう、ですね……。とりあえず、及川さんの体は拘束して隠しておくより他に無いかと思います。いくらフロアボスの居所がわかったとは言っても、まさか彼女ごと攻撃するわけにもいきませんから」
そんな理香の懸念を払しょくするように、ひとまず静はそう言って理香に対して安堵を促す。
とは言えその判断は、現状この敵には手が出せないと言っているのと同意だ。
敵が体内にいるとなると、それを叩く方法は吐き出させる、摘出する、追い出す等の方法に限られてくるうえ、現状ではそのどれもが実現困難なものとなっている。
加えて、静達にはそもそも余裕がないという事情もある。
なにしろ今は一人残った竜昇への増援や隠してきた城司との合流、非戦闘員となってしまっている愛菜や理香の退避などやらなければならないことの目白押しだ。
そのうえこの階層のボスを相手にするなど、どう考えても静達が抱え込める限界を超えてしまっている。
とは言え、そんな静達の事情を考慮してくれるほど、この敵は優しくも無ければ甘くもない。
「――ッ、詩織さん――!!」
静が叫んだ次の瞬間、横たわっていた愛菜が突如として目を覚まして、そばにいた詩織に腕を払いながら飛び退き三人と相対するように距離をとる。
「――ッ」
とっさに身をかわした詩織の前髪が僅かに落ちる。
よく見れば、飛び退いた愛菜のその手の先からは、水滴を集めて作ったと思しき小さな刃が爪の先から伸びていた。
寸前に静が気付いて注意を呼び掛けていたから助かったものの、もしも身をかわすのが遅れていたら目を潰されていたかもしれないそんな攻撃。
「マナ――!!」
「マナさん――!!」
「――どうやら、自分の居場所に気付かれたことを察したようですね」
心中で面倒なことになったとそう考えながら、とにかく何とか鎮圧しようと静が武器を構えて前に出る。
とは言え、さしもの静も確たる勝算があったとは言い難い。
無論愛菜を気絶させるくらいであれば、静の技量でもなんとかなったかもしれないが、本当の意味での相手はその愛菜の体内に潜むフロアボスなのだ。
最悪の場合、宿主を倒されたボスがこちらに損害を与えるために愛菜の体を内側から破壊して、彼女の殺害を試みる可能性も否めない。
かと言って、このままこの相手を野放しにすればいったい何をしでかすか、そんな葛藤に静が珍しく迷いを覚えていたそんな時――。
「ねえ、静さん……。もし、愛菜の中からこの敵を追い出せるかもって言ったら、どうする……?」
そんな静の隣に、震える声でそう言いながら、詩織が一歩前に出た。
「詩織、さん……」
今にも泣きだしそうな、けれど怒りの感情をも堪えているようなそんな表情でその位置に立った詩織に、背後で呆然とした様子で理香がそう声をかける。
けれど、今彼女が欲しているのはそれとは別のたった一つの言葉。
「――静さん、どう……?」
再度の問いかけに、静が思案に浸かった時間はほんの一瞬。
「構いません。もし手段があるなら遠慮なくやってしまってください。あとのことは、私にも一つ考えがあります」
「――うん」
その言葉に背中を押されて、詩織が一歩、仲たがいした相手の方へと前に出る。
その手に剣は握らず、素手のまま。
自らを廃そうとしたその相手に、今度こそキッチリと文句を言うために。
激しい憤りが腸の底から燃え上がる。
否、あるいはその感情は、怒りなどと言う具体的ではっきりした感情ではなかったのかもしれない。
しいて言うならばその感情は、煮えたぎるような熱量を帯びた不快感。
単純に愛菜を盾にされているという点でもそうだが、それ以上に今の詩織は、よりにもよってこのタイミングで愛菜を利用されたこと自体に感情的な反発を覚えていた。
既に詩織とて気付いている。
【魔聴】と言う特殊な感覚を持つ詩織が、なぜ今まで愛菜の中に潜む敵の存在に気付くことができなかったのか、その理由について。
なんのことはない、その理由はそもそも詩織自身が、愛菜との接触をそれとなく避け続けていたからだ。
記憶を失っているとはいえ、すれ違いの果てに殺されかける羽目にまでなった、そんな相手との接触を。
今の愛菜が、詩織のことを殺そうとしたことを覚えていないと知ってなお。
恐れて、怯えて、それゆえ詩織はこの階層に来てからずっと彼女との接触を後回しにし続けてきた。
そうして、いやなことから逃げ続けてきた結果が、今詩織の目の前のここにある。
瞳を失い、誠司の生存も絶望的で、竜昇も危機に陥って、愛菜すらも自意識を失い、ナイフを構えて詩織の前に立っている。
後悔もある。自分がもっと早くに気付いていれば、こんな事態にはならずに済んだのではないかと、そんな思考に油断すると押しつぶされそうにもなる。
けれど、それでも。
もう詩織は、そんな自責の念だけに甘えて考えるのをやめるような真似はしないと決めたのだ。
すでに瞳とは果たせぬ約束になってしまったけれど。
それでもまだ生きている愛菜とは、ちゃんと話すとそう誓った。
それに、なによりも――。
「どいてよ……。愛菜には、私の方が用があるの、だから……!!」
愛菜の体内にいるその敵の存在が、まるで自分たちの仲たがいした隙を利用されたようで、腹に据えかねるものがあったから。
「話の邪魔――、すぐに出てって――!!」
半ば八つ当たりのようだとそう理解したうえで、詩織はその憤りを掌に込める。
「あぁっ――!!」
水のナイフを構えて愛菜が迫る。
恐らく愛菜が習得する【暗剣スキル】を流用しているのだろう。まるで暗殺者のような、何度か見た覚えのあるスムーズな動き。
だが――。
「その、程度――!!」
すでに見知った動きであったが故に、詩織の対応も酷くあっさりとしたものだった。
刃を持つ腕を横から払い、即座にその懐の内へと潜り込んで、逆の右手を愛菜の腹へと押し当てる。
繰り出すのは詩織の習得する【功夫スキル】。本来ならば体の表面ではなく、内部を破壊するために使う浸透打撃の格闘技。
「【八卦掌】――!!」
「――こふっ」
せき込むような吐息と共に、腹の内で胃を圧迫されて押し出される形で、一つのものが勢いよくマナの口から吐き出される。
それは酷く小さい、小石程度の大きさの核を身の内に抱えた、ゼリー状の水でできた小魚。
「ここです――!!」
飛び出して来たそれを視認したその瞬間、背後に控える静が投擲スキルを発動させて、投擲されたそれが空中の小魚へと真っ直ぐに迫って、そして――。
少々思い違いをしていたかもしれないと、自身を追い詰める敵の戦い方に、竜昇は頭の片隅でそう思った。
あるいは自分は、この敵達のことをまだ甘く見ていたのかもしれないと。
ここまで戦ってようやくわかった。
この二人の敵はこれまでとは違い、根本的にはこちらの手の内に対して最適解をぶつけることで勝利する、いわゆる
これまでのハイツやフジンが、自身の戦術を強烈にこちらに押し付ける戦闘スタイルをとってきたが故に勘違いしてしまった。
自身が相手の能力に対策を講じることばかりを考えて、竜昇自身が相手にこうも対応されてしまうとは正直思ってもみなかった。
そうして、そんな思い違いをしていたが故に、今竜昇はじわじわと首を絞められるように加速度的な窮地に立たされる。
晒してしまった手札全てに対策がなされ、反撃全てに的確に対処されて、自身は次々と退路を断たれて決められた行き止まりへと向かって追い込まれてゆく。
(――畜、生……。どこまでも――。的確に対応してきやがる……!!)
迫る人形たちに光条を叩き込み、しかしそのほとんどが躱されて、直撃した一体にも碌なダメージを与えられずにいるそんな結果を目の当たりにして、竜昇は心中で舌打ちしながら体重の消えた体で跳びあがる。
だが安全地帯に逃げようとするそんな動きを、人形たちは簡単には許さない。
竜昇が飛び上がったその瞬間、背後に控えていた人形たちが一斉に鎖付分銅を構えて、振り回したそれらを次々に投擲して空中にいる竜昇を捉えにかかる。
「――ぅ、ッ――、ぐぉ――!!」
とっさに光条を撃ち放ってそれらを迎撃していた竜昇だったが、流石の数に全てを迎え撃つには間に合わなかった。
投げ放たれた鎖付分銅の一つが竜昇の足へと絡み付き、そのまま地面に引きずり下ろすように背中から地面に叩きつけられる。
「グ――ブ――!!」
全身を走る衝撃に絶息しながらも、それでも魔本と杖の力を借りて竜昇は魔力だけは強引に制御する。
新たに発生させた雷球を用いて足を絡めとる鎖を撃ち抜き切断すると、即座にその場を飛びのいて振り下ろされる棍棒の一撃から退避する。
「ハッ――、ハッ――」
呼吸が荒い。
案の定というべきか、【羽軽化】の魔力を込めて振るった杖は、棍棒とは逆の手に握られた盾に受け止められて、その盾をはるか上空に打ち上げただけで終わった。
そうして、盾を失った人形はしかし飛んでいった盾のことを気にするそぶりすら見せずに棍棒を振るって撃ちかかり、とっさにシールドを張って飛び退く竜昇を床にたたきつけるようにして跳躍を封じて抑え込む。
「――く、そ――!!」
ならばと、【黒雲】を発動させて身を隠そうとすれば――。
「か、隠れようったって無駄よ――、六号……!!」
舞台上、どうやら気配を消しつつもさほど移動していなかったらしいハンナが傍にいた六腕の人形へと光から生み出した矢を手渡して、六号と呼ばれたその人形がすぐさまその矢を弓に番えて撃ち放つ。
狙いは竜昇ではなく、竜昇達から少し離れた位置にいた三体の人形。
「――ッ、またか――!!」
雲に紛れて竜昇が距離を放す中、飛んできた矢が人形たちに直撃して砕け散り、飛び散る光の粒子が人形たちの中へと吸い込まれるようにして消えていく。
交戦しているさなかにも何度か見た、竜昇達の知るカードによるものとは違うスキル習得の光景。
そうして矢によってスキルを習得させられた次の瞬間、光の粒子を取り込んだ三体の人形が一斉にその手に巨大な扇を生み出して、それらをまったく同じ動きで操り同時に降り替えるような構えをとる。
さらに――。
「どれ、力の供給くらいは手伝うとしようか」
構えをとる人形たちのその背後、三体のうちの二体の背にアパゴが触れて、本来ならば術者がやるべき魔力供給を代行するようにその手から魔力を流し込む。
そうして、二体の人形が必要な魔力を獲得して、残る一体も術者からの魔力供給を受ければ、もはや人形たちに力を振るう上での制限は存在しない。
『『『ウルエスタ』』』
三体の人形が注がれた魔力を込めてそれぞれ扇を一閃させて、吹き抜けた風が瞬く間に黒雲の煙幕を吹き散らす。
否、それだけではない。
放たれた風が人形たちに制御されて渦を巻き、雲に紛れて離脱を図っていた竜昇の、その体重の消えた体をその風力によって巻き上げる。
「う、ォォォオッ――!?」
渦を巻く風に振り回されて、宙を舞う竜昇がなす術もなくそう声をあげる。
なんとか雷球を生成し、風を操る人形たちを狙おうとしたが、ここまで激しく振り回された状況ではとても命中させることはできなかった。
打ち込もうとした光条は天で見当違いの場所にバラバラに着弾して、やがて竜昇自身は吹き付ける風に叩きつけられるように体ごと施設の壁面へと激突する。
「――ぐ、は――!!」
激突の瞬間にかろうじてシールドを発動させて致命的なダメージは免れたものの、すでに状況は決定的なまでに絶望的だった。
すでに目の前には敵の召喚人形が万全に展開していて逃げ場はなく、加えて背後すらも壁があって逃れられるだけの余地がない。
すでに魔本や魔杖に溜め込んで来た魔力も底を突いた。
身に纏った雷はかろうじて残っているものの、他ならぬ竜昇自身がシールドや大規模魔法の連続展開ですでに息切れを起こしかけているような状況だ。
すでに誰の目にも明らかな、どう見ても勝ち目などない『詰み』の状況。
それでも。
(――く、そ……、まだ、まだだ……)
なけなしの魔力をかき集め、活路を見出すべく己の思考をフル回転させて、どうにか竜昇はそこで立ち上がる。
どんなに状況が詰んでいたとしても、それでもまだ竜昇自身に息がある以上は諦めるわけにはいかない。
これまでの戦いだとてそうだが、今の竜昇はいろいろなものを誠司から託されてる身の上なのだ。
そんな意思の元、竜昇は託された杖で身を支えるように立ち上がり、なんとか活路を見出そうと素早く周囲に視線をやって――。
「――ム?」
(なんだ――?)
――直後、怒涛の勢いでそれが来た。
川のごとく流れるプール、その上流から巨大なそれが、まるで川の水を飲み干すかのように大口を開けて。
その額の奥に輝く核を殺意によって赤く輝かせ、流れる水が巨大なサメの形をとって、下流に集まる人形たちの群れへと牙をむく。
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