195:襲い来る最適解
遅きに失した。手遅れだった。間に合わなかった。
目の前に広がる光景に、竜昇の頭にそんないくつもの後悔の言葉が浮かんでは消えていく。
すでに状況は戦闘の真っただ中。しかも遠く舞台の上では、先ほどアパゴの投げ槍に倒れた誠司と同じように、彼の仲間である馬車道瞳が血の海に沈んでいる状況だ。
恐らくもうすでにこと切れているのだろう。倒れ伏す彼女は先ほどからピクリとも動いていない。
これでもはや、この階層で発生してしまった犠牲者はすでに二名。
仲間に引き入れると誓ったその相手を、共に歩めるはずだった者達を、すでに竜昇は二名、何もできないまま失ってしまった。
「この不利な状況でよくぞ姿を現したな、若き戦士よ。その勇気、称賛に値する」
そんな竜昇の様子に何を思ってか、多くの人形に囲まれながらアパゴがそんな称賛するようなことを言う。
竜昇にしてみれば、こんな状況で敵に褒められたところで挑発されているのかとしか思えなかったが、どうやらその言葉はアパゴの本心からの言葉のようだった。
恐らくこんな圧倒的不利な状態で姿を現した竜昇の精神性は、彼にとって称賛するべき対象だったということなのだろう。
(そう、不利、圧倒的不利だ……)
そんなアパゴの言葉に、竜昇はすぐさま思い直して、この状況を打破するべく思考をフル回転させる。
たとえ犠牲者が出てしまっていたとしても、竜昇達が生きている以上この状況はまだ終わりではない。
たとえ誓いが果たせなかったとしても、この先を竜昇達は生きていかなければならないのだ。
だとすれば、例え薄情だとしても、残酷でも、今はこれ以上被害が出ないように、死者が二人だけで済むように、この場にいる全員が生き残れる方法を探るしかない。
そんな意識の元、竜昇が状況の分析と状況の打開に必死に思考を回していたまさにその時――。
「竜昇さん――!! この人形たちはスキルを習得して動く自立駆動の召喚獣です。戦力と性質としては【影人】に近い相手と想定してください――!!」
「――ッ、了解――!!」
今まさに欲し計りかねていた情報を、静が急ぎ竜昇に対して投げかけてきていた。
返答と同時に、竜昇の頭の中で即座に次にとるべき行動がはじき出されて、その意思に応じて竜昇の体と魔力が動き出す。
さしあたってまず竜昇が取った選択肢は――。
「【
「む――!?」
誠司から託された煙管状の魔杖、【麒麟の黒雲杖】。その杖に、戦術の基本となる術式であるが故に直接【魔刻】されていた【黒雲】の魔法を発動させて、竜昇は一気に周囲にいる者達のその視界を奪いにかかる。
「なるほど、我らをかく乱する腹積もりか――」
「【
「――む!?」
雲に飲まれて声を漏らしたアパゴに対して、即座に竜昇は牽制の意味も込めて、ここに来るまでに魔本に溜めておいた魔力で大火力の魔法を叩き込む。
この程度の攻撃があの男に通じないことは先ほどの戦いで経験済みだが、一方でそのアパゴの周囲に固まって配置されていた人形たちに対してはそんな攻撃でもそれなりに有効だ。
恐らくその人形たちの数とてそれほど減らせてはいないはずだが、相手が竜昇からの攻撃を警戒して守りに入ってくれれば、それだけ竜昇の方も雲の中で動きやすくなる。
(【探査波動】――、発動――!!)
雲で視界を奪いながら周囲に魔力を投射して、戦場にいる敵味方全ての気配を暴き出す。
舞台上にいる二つの気配と、恐らくは静と瞳だろう二つの気配はすぐさま消えた。
プールの水上にいた二体は動かぬまま、竜昇の周囲には二十三体の人形と、三人の人間が気配として存在していることになる。
そのうちアパゴは使うオーラ系魔力の性質からその気配が非常に特徴的で判別可能。今は竜昇の放った【探査波動】の発生源へと向かっているようだが、生憎とその対応は
(【代理演算】起動、【
竜昇の意を受け、竜昇が本来使えないはずの魔法を杖が勝手に使用して、竜昇の体から瞬く間にその体重を奪い去る。
急激に軽くなったその体で勢いよく地を蹴って走り出し、陸上部で鍛えた脚力と【軽業スキル】の技術を持かけ合わせて、視界の聞かない雲の中を魔力の気配を頼りに猛スピードで駆け抜ける。
竜昇が使用した機能、【代理演算】は、誠司の改造によって後から追加された【黒雲】の魔法とは違い、【麒麟の黒雲杖】の元となった【魔杖】に搭載されていた本来の機能の一つだ。
人間の意識と接続することでその思考能力を拡大し、それぞれに搭載された各種機能を用いることで様々な形で術者をサポートする魔本や魔杖と言ったアイテムだが、【代理演算】はこの魔杖に搭載されていたそうした機能(ソフトウェア)の一つだった。
通常であれば、魔法の発動には術者が自分の意識下で術式の演算を行い、それによって魔力にある種の命令を行うことで魔法を発動させているわけだが、この【代理演算】の機能を使うと、その術式の演算の部分を命令ひとつで勝手に代行してくれるのである。
無論この機能を十全に使うためには、術者である杖の持ち主が事前に自分の知る魔法の術式をこの【代理演算】の機能に設定しておく必要がある訳だが、今回少々特殊だったのは、竜昇がこの杖を引き継いで新たな使用者となった段階で、前の持ち主である誠司が設定していた【羽軽化】の術式がそのまま残っていたという点だ。
結果、本来であれば自分の魔法を自分で使うためのその機能は、期せずして誠司が使っていた魔法の一つを、竜昇にも使用可能にする形で機能した。
まるで、杖を託した誠司が力を貸しているかのように、結果として竜昇は杖と共に二つの魔法をも誠司から受け取り、引き継いだ。
今の竜昇の移動速度は、先にアパゴと戦った時よりも体重を消せるようになった分格段に速く向上している。
無論アパゴとて竜昇が移動していることくらい予想しているのだろうが、しかしだからこそここまで劇的に移動速度が上昇してしまった竜昇の居場所など予測できるわけがないのだ。
彼が知っているのは、あくまでもこの杖を手にする前の竜昇の速さで。
そしてだからこそ、今の竜昇は短い間とは言えこの黒雲の中で己の位置を誤魔化せる。
(とは言えこっちは派手な雷の衣をバリバリ纏ってんだ……。いくら黒雲で視界や気配を誤魔化せるとはいっても、こっちの位置を割り出されるのは恐らく時間の問題――!!)
故に、今の竜昇が優先すべきは隠密行動による敵の攪乱ではなく、攪乱して生まれた時間の有効活用。
混乱する人形たちの合間を【探査波動】の影響で顕在化した気配を頼りにすり抜けて、その先にいるどうしても接触の避けられない気配に目がけて竜昇はその手の杖を振り上げる。
「――ッ、どけッ!!」
雲の向こうから現れた人形の背中を目がけ、竜昇がその手の杖をバットでも振るうようなフルスイングで叩き込む。
同時に、再び【代理演算】を用いて【羽軽化】を発動。人形の体重を根こそぎ奪い去り、叩き込んだ打撃の威力にものを言わせてその体を空高くに打ち上げる。
「ホームラン――!!」
なす術もなく彼方に飛んでいく人形の姿には目もくれず、竜昇はすぐさま地を蹴り、無重力の走りで雲の中を目的の場所へと向かって突き進む。
ただしその心中は、決して順調に進む現状に満足しているとはいいがたい。
(ええい畜生――!! 今のでもうこっちの位置がバレたぞ――!!)
もとより長くバレずにいられるとは思っていなかったが、今ので恐らく竜昇のいる位置がアパゴとハンナ、その両方に露見した。
人形を操るハンナがその人形たちの位置を把握しているだろうという予想もあるが、そもそもあれだけ派手に目につく上空まで人形をブッ飛ばしてしまったのだ。
タイムリミットは恐らくもうあとわずか。
ならばここは最短最速で、敵に掴まるよりも早くその目的を果たすまで。
(見つけた――!!)
そうして雲の中を走り続けて、やがて竜昇は雲の壁の向こうに、なんとか人形を切り伏せて愛菜を守る詩織の姿を視認する。
とは言え現状は再会を喜ぶにはあまりにも切迫しすぎている。
故に竜昇が選ぶのは、先ほど選んだとおりの現状における最短最速の方法だ。
「詩織さん――!! 及川さん抱えて剣を構えて――!!」
「――ェっ、え?」
驚き振り返りながらも言われた通りにする詩織に対して、竜昇は詳しい説明すらも省略して勢いよく手の中の杖を振りかぶる。
狙うのは先ほど人形にやったのとまったく同様、【羽軽化】の魔法で体重を奪い去っての、人間ホームランによる強引な状況離脱だ。
「悪い詩織さん、着地頼んだ――!!」
「ちょ、う、そ――、きゃぁぁぁああああ――!!」
碌な説明もできないまま行われた暴挙に、さしもの詩織も腹の底から悲鳴をあげて、その声が一瞬のうちに遠方に向かって遠ざかる。
竜昇自身かなり乱暴な手段であることは自覚していたが仕方がない。
なにしろ竜昇達を狙う敵の気配は、もうすでに竜昇のすぐ後ろにまで迫っているのだから。
「シールド――!!」
振り向きざまに竜昇が防壁を展開したその瞬間、雲の壁を突き破って半透明の壁目がけて拳が撃ち込まれ、強固なはずのその守りを一撃で粉々に破壊する。
(ぐ、ぅ――!!)
強烈な衝撃のフィードバックに晒されながら、しかし竜昇は攻撃を受けると同時に自身に対して【羽軽化】を発動。
両足で地面を蹴りつけ、身を襲う衝撃に乗るようにして、次なる攻撃を撃ち込もうとするアパゴから距離をとるべく一気に背後へと遠ざかる。
「重量軽減――、なるほど、貴公の動きの速さはそれが理由か――!!」
手の内を暴く言葉が竜昇の後を追ってくるが、当の竜昇自身はそれにこたえるつもりもなければ余裕もない。
(敵には完全に補足された……。けどかろうじて及川さんを離脱させることには成功した……。となれば、あとはもう俺自身この場から離脱するべきか……)
首位から人形たちが押し寄せてくる気配を敏感に察知しながら、着地と同時に追加で黒雲を発生させてその中に飛び込んで、竜昇はそう思案する。
唯一気がかりなことがあるとすれば静と理香が離脱できたかどうかを確認できていないという点だ。
無論静ならばと言う思いもあるにはあるが、なにぶん碌にコミュニケーションなど取れない状態での行動だ。
【黒雲】の使用である程度竜昇の意図は伝わっているだろうが、もしも二人が愛菜たちの撤退を支援するべく動いている状態で、それを知らずに竜昇が撤退して二人を置き去りにしてしまっては目も当てられない。
それに、何やら竜昇の中で胸騒ぎのようなものもあるのだ。
はっきりと、具体的な危険を察知しているわけではないのだが、なぜかこのまま撤退してしまってはいけないというそんな直感が。
とは言え、他ならぬ竜昇自身が、すでに敵に囲まれつつあるというのもまた事実。
(――いや、これ以上はさすがに限界だ。俺自身早いところこの場から脱出しないと――)
と、そう竜昇が判断した次の瞬間、目の前の雲を突き破り、太刀を構えた人形が正面から竜昇の法へと襲い掛かって来る。
恐らくは術者を通じたネットワークで人形たちが竜昇の居所を割り出しつつあるのだろう。
周囲から迫ってくる人形たちの気配と圧力に背筋が冷たくなるのを感じながら、竜昇はすぐにその感覚を振り払うように手の中の杖を振りかぶった。
「このヤロッ――!!」
接触と同時に【羽軽化】の魔法発動を意図した、先ほどと同じ竜昇の軽量化打法。
だがあろうことか、人形は打ち込まれる打撃をその太刀で受け止めると、すぐさま手を放して己の武器だけを軽量化させてそのまま背後の空へと飛び立たせてしまった。
当然、人形自身は武器を失い素手となって、しかし飛ばされることなくそのまま竜昇の懐の内へと飛び込んで来る。
「ゴブ――!!」
撃ち込まれた掌打による一撃に、たまらず竜昇は背後へとふっ飛ばされて倒れ込む。
胃の中のものが逆流しそうな苦痛に苛まれるが、しかし今の竜昇にはのんきに嘔吐しているだけの猶予も許されない。
雷の衣をまとう竜昇に触れた以上、敵も感電によるダメージを受けているはずだが、そもそも無機物である人形に対して物理的な破壊力を持たない電流がどこまで効果があったかは未知数だ。
「
吐き出しかけた胃液と苦鳴を歯を食いしばって堪え、即座に追撃をかけてくる人形に無理やり右手を差し向ける。
生み出した雷球に雷の衣から電気を流し込み、眼の前の敵の胴体をぶち抜くべく貫通性能を持った魔法を叩き込む。
――だが。
「――なに!?」
あろうことか、向ってくる人形はその一撃を、両腕を交差するだけの簡単な防御姿勢で耐えきった。
否、防御姿勢だけではない。
よく見れば目の前の人形の体には、どこかで見たようなオーラが誰かと同じように念入りに重ね掛けされている。
「こいつら――、まさか――」
「――逃がさぬよ」
「――!!」
とっさに先ほどと同様、体重を消してシールドを展開した竜昇に対して、今度はアパゴは真上に向かって、軽くなった竜昇をシールドごと蹴り上げる。
「――ぐ、ぅぉ――!!」
砕け散ったシールドの破片をばら撒きながら竜昇の体が猛烈なGと共に上空へと打ち上がる。
(クソ……、迂闊だった。あいつ、こっちを探す間に他の人形たちにまで多重バフをかけまくってたのか……!!)
アパゴの使うオーラ系の技の数々が静の習得している【纏力スキル】のそれと酷似した技術であろうことは推測していたが、もしもそうであるならば【纏力スキル】でできることはアパゴもできると考えるのが道理だ。
早い話が、アパゴは
無論静の【纏力スキル】がそうであるように、自身でかけるのと他人にかけてもらうのとではやはりその脅威度は大きく変わってくるわけだが、それでも
もはやこの場の敵達には、竜昇が持つ手の内のほとんどが効かない可能性すら出てきている。
やはりこの場で戦っても勝ち目はないと、そう否応なく理解させられて――。
――直後、投げ出された空中から見下ろす視界の片隅に、竜昇は見覚えのある二人の人影をはっきりと視認した。
(――な、に……?)
黒雲の立ち込める地上の一画、その中で人形の群れの中を避けるように、静と理香が走っているのが確かに見える。
だが、見たところどうにも二人の様子がおかしい。否、おかしいのは二人と言うよりも、後ろを走っている理香の様子だろうか。
静に手を引かれて走るらしい彼女の様子は、どこか全体的にふらふらとした危なっかしい足取りで、竜昇にはそんな理香を静がなんとかフォローしながら走っているようにさえ見えていた。
(なにがあった、あの二人に……!! 先口さんが何かのきっかけで怪我でも負っちまったのか……!?)
「まだまだ……、この程度で音を上げるてくれるなぁッ、若き戦士よ――!!」
困惑する竜昇をよそに、地上からそんな声が上空まで届いて、直後にその声を追うように声の主であるアパゴが猛烈な勢いで跳びあがって来る。
純粋な身体強化だけで跳躍してきているのか、それとも竜昇の【羽軽化】のような何らかの技能を組み合わせることでその高さを実現して見せたのか。
なんにせよ、アパゴは常人ではありえない跳躍で空中の竜昇を追い越して、そのままさらに上の天井付近に上下逆さまになった状態で着地する。
(――ッ、ダメだ。今あの二人の姿を見られるわけにはいかない――!!)
追撃の気配に上空目がけて振り返りながら、瞬間的に竜昇が下したのは、二人を隠すというそんな判断。
「【黒雲】――、シールド――!!」
「無駄だ――!!」
とっさに杖を振るって黒雲を吹き出し、アパゴの視界を奪った次の瞬間、同時に展開したシールドにアパゴの蹴りが炸裂し、空中へと蹴り上げられたばかりの竜昇の体が、今度は真っ逆さまに地上へ向かって落下する。
先ほど離れたばかりの地上が、猛烈な勢いで竜昇のみへと迫る。
なす術もなく墜落すれば自身がどんな悲惨な肉片になるか、そんな想像に背筋が冷たくなるのを感じながら、それでも竜昇は迫る地上の光景に歯を食いしばってタイミングを見計らう。
「シールド――!!」
床へと激突するその瞬間に発動させたシールドは、内から外へと広がるその勢いでどうにか落下の衝撃の一部を相殺し、残る運動エネルギーをかろうじて受け止めてどうにか竜昇の身を守り切った。
砕け散るシールドを代償に跳ね上がった体を【軽業スキル】の身体操作技術によって制御して、床上へとどうにか着地を決めて即座に周囲の状況に目を凝らす。
(まずい、雲のある位置から引き離された。さっきからの魔法やシールドの乱発で魔本に溜めてきた魔力も心もとない……。その上――)
ガシャガシャと、身に纏った金属質な装備の音を鳴らして、離れた位置の黒雲の中から大量の人形たちが現れる。
ここに来たとき最初に見たのと同じ、自立駆動で動くというハンナの扱う召喚人形。
だが最初に見た時とは、竜昇を取り囲む人形たちの様子が明らかに変わっていた。
どの人形も、最初に見た時は装備する武器がバラバラだったというのに、今は同じように皆片腕に小さな盾を装備している。
その上――
「見ての通りだ。耐電……、耐熱……、耐衝撃……。他にも貴公らの使う手の内にはおおよそ対策を打ったつもりだ。もちろん従士達の性能を向上させる効果も一通りな……」
「――ッ」
竜昇の疑問に答えるかのように、上空から人形たちの真ん中へと着地してきたアパゴがそう言ったことで、いよいよもって竜昇の予想が確信に変わる。
先ほどの人形と同じく、この人形たちもまた纏っている多重バフのオーラ。
恐らくそれは竜昇の攻撃を防ぐことを目的にした、想定される攻撃全てへの耐性を重ね掛けした、言うなれば最適解の組み合わせだ。
加えて、人形たちの装備に共通して盾が追加されているのも、恐らく竜昇の【羽軽化】打法を想定しての備えだろう。
恐らく軽量化に対応する方法として重量を増す訳にもいかなかったがために、人形を操るハンナの方で対抗手段を用意したと見るべきか。
対応される。
新たに手にした力にも、もとから持っていた魔法にも。
こちらの打てる手段の、その全てに。
「悪いが勝ち筋を与えるつもりはない。我々の戦いに、そのような甘さは許されない……。
悪いな若く誇り高き戦士よ。せめて最後は誇り高きまま死んでいけ」
アパゴが宣告した次の瞬間、まるでその言葉に応じるように、周囲を取り囲む人形たちが一斉に動き出す。
最適解の具現と化した軍勢が、その正しさを証明しようとするかの如く、たった一人の人間を潰しにかかる。
「ぷはっ、ハァッ――、ハァ、ハァ……」
空を行く星となった後に水中へと落下して、そのまま人一人引っ張って岸まで泳ぐという過酷な旅路を余儀なくされていた詩織は、水上に顔を出したことでようやく呼吸を再開して、久しぶりに取り込む酸素をその肺の内へとめいいっぱい取り込んでいた。
打撃を撃ち込むと同時に相手の体重を消してぶっ飛ばすという、思えば瞳もやっていた戦術によって戦場から強制離脱させられた詩織だったが、しかしそんな脱出手段であったが故に着地に関しても一筋縄ではいかなかった。
否、なにも着地手段に問題があったわけではない。
なにしろ今の詩織には、空中を自在に駆けることのできる【天舞足】があるのだ。
恐らくは竜昇もその点を計算に入れてあんな手段をとっていたのだろう。もとより体重が軽くなっていることも相まって、本来であれば詩織にとって飛ばされた先で無事に着地することはそう難しくないことのはずだった。
だがそもそも、詩織達を抹殺しようというその相手が、空中と言う身を隠す場所のない場所を飛んでいく詩織たちをおとなしく逃がすはずがない。
地上をうろついていた人形たち、その一部が飛んでいく詩織たちを狙って一斉に先ほどの爆発する矢を撃ち込んできて、とっさに詩織はその矢の爆発から逃れるために流れるプールへと飛び込む羽目になっていた。
そうして、水中へと飛び込むことで敵の攻撃をやり過ごし、そのまま水中を移動してかろうじて攻撃の渦中から逃げきって、ようやく詩織は愛菜を抱えたままプールサイドへと這い上がる。
「――マナ……。しっかり、しっかりして……」
もとよりはっきりしているとはいいがたい意識状態で水の中に落ちたことが原因なのだろう。
どうにか水上へと引き上げた愛菜の体は、しかし意識を失ってぐったりと弛緩していて、意識のないその様子は否応なくそれを見る人間に溺れてしまったという最悪の可能性を想起させる。
(マナ――、マナ――)
一瞬背後から胸を貫かれた瞳の姿や、先ほど現れた血塗れの竜昇の姿が頭をよぎって、慌てて詩織はその場に愛菜を寝かせてまずはその腕の脈を確認する。
(――、――大丈夫……、脈は、ある……。後、こういう時は呼吸も――)
そうして、学校で習った救急救命手順を思い出して踏襲し、脈の確認に続いて今度は呼吸の音を確認しようとその耳を彼女の顔に近づけて――。
「え――?」
音が、聞こえた。
静が詩織達と合流することができたのは、ちょうど詩織が愛菜の状況を確認していたときだった。
突如としてへたり込んでしまった理香を連れて黒雲の中を逃げ回り、その果てに飛んでいく詩織たちを見つけてその後を追って脱出する。
そんな、口で言うほど簡単ではなかった脱出行をどうにかこなして、しかしそこで安堵してしまうほどまだ静はこの状況を見誤ってはいない。
「よかった、詩織さん。うまく合流出来ました。申し訳ありませんが詩織さんには及川さんと先口さんのことをお願いします。あたしの方は一人残った竜昇さんの救援と、城司さんの方もつれ来なくてはなりませんので――。――詩織さん……?」
急いで指示を飛ばして動こうとして、しかし静は愛菜に耳を近づけた詩織が、そのまま動かなくなってしまっていることにようやく気付く。
否、よく見れば詩織は動いていない訳ではなかった。
耳を近づけて蹲る詩織のその耳の位置は、いつの間にか愛菜の口元から、その胸の少し下あたりへと移動している。
呼吸の有無を確認するには明らかにおかしい、心臓の鼓動を聞くにも違和感が残る、そんな場所に。
「詩織さん――?」
「音が、聞こえたの……。今――、息を確認しようとしたら、愛菜の中で……」
「音? すいません。それはいったいどういう――」
「――間違い、ない」
唐突な証言にどう返したものか迷う静に対して、ようやく詩織は身を起こして、静に対して決定的な言葉を口にする。
後悔と自責、悲哀や憤りなどの様々な感情の籠った、同時に強い確信にも満ちたそんな表情で。
「精神干渉の主、この階層の【影人】のボスは、愛菜のお腹の中にいる」
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