197:牙をむく大水怪
水でできたサメが怒涛の勢いで襲来する。
川の如き流れるプール、その流水の流れに乗って――。
――否、現実には流れに乗るなどとんでもない、流れるプールの水流そのものを飲み込んで、上流から猛烈な勢いで下り迫って来る。
「なんだと――!?」
「――ッ!!」
アパゴが反射的に声をあげたその瞬間、その場にいる者達の注意がそれた一瞬の隙をついて、竜昇は跳躍して体重の消えた体で力の限りに上へと跳びあがる。
魔本と魔杖で思考補助を行い、ずっとすきを窺っていたからこそできたとっさの離脱。
そしてそれ以上に大きかったのは、あの敵を見た瞬間に感じた直感的な確信だった。
そう、あの敵を見た瞬間、これまでの経験からか竜昇は確かに確信していたのだ。
あの敵はやばい、と。すぐに逃げなければ大変な事態になる、と。
『リリロォ――!!』
竜昇が離脱したのとほぼ同時、こちらも反射的な行動だったのか、プール付近にいた人形の一体が手にしていた槍を流れてくる巨大魚目がけて突き入れる。
だがそもそも液体でできた体に、そんな半端な物理攻撃が通じる訳もない。
突き出された槍の穂先はあっさりとその水の体に飲みこまれ、その水圧によって突き込まれた槍そのものが圧し折れて、そしてさらに槍が付き込まれた場所のすぐそばに、サメの頭部のような口ができる。
「ぅげぇ――!?」
直後に繰り広げられた光景は、こんな状況でもなお声をあげずにはいられないものだった。
巨大ザメの胴体の真横、そこに生み出された別のサメの頭部が勢いよく人形へと喰らいつき、その動きをあっという間に抑え込んでそのままコンクリートの床へと押し付ける。
猛烈な速度で流れるプールの川を下りながら、その勢いとコンクリートの床の硬度を利用して、捕らえた人形の肉体を強引な移動で摩り下ろす。
アパゴの手によって、人形たちは相当なレベルの耐性バフを受けているはずだったがそんなもの何の意味もなさなかった。
一瞬のうちに、人形の手足があっさりともぎ取られて、やがて頭や胴体まで同じ要領で粉砕されてあっけなく人形の姿が崩れて消えていく。
(嘘だろ……。なんだよあの滅茶苦茶な力技は……)
そうして、瞬く間に人形の一体を粉砕して、しかし水の巨大魚の脅威はその程度では終わらない。
なにしろ、巨大魚が下る先にあるのはこのウォーターパークの最大の目玉ともいえる海岸プールなのだ。
流れるプールを下って来るにあたり、この敵が我が身に取り込み続けていたプールの水が、それこそこのウォーターパークで最も潤沢にある場所である。
「ぅぉ――!!」
まるで鯨か何かのように、サメの如き形のまま巨大化していた水の塊が空中へと跳ねて、そのままの勢いで海岸を模した巨大プールを目がけて勢いよくダイブする。
あたり一面に水しぶきが降り注ぎ、海中から感じる魔力がみるみる内のその範囲を広げて、そして波打つ海面の中央付近が徐々に盛り上がって――。
(まずい――!!)
「ぬぅっ――!!」
危険を察知した竜昇がさらに距離をとるべく張り付いていた壁面から飛びのくのと、真下にいた同じくアパゴが跳躍したのは、奇しくも全く同じタイミングだった。
直後、水中から水でできた大小さまざまな大きさの触手が跳び出して、付近にいた人形たちに片っ端から襲い掛かる。
「――ゥわッ――!!」
飛び退いた自身に対して迫って来る水の触手に、竜昇はとっさにそちらに掌を向けて、正面から電撃を浴びせかける。
そんな対処によって、どうにか水の触手を破壊して難を逃れた竜昇だったが、逆にそうできていなかったらどうなっていたかはすぐに目の前で実演して見せられることと成った。
見れば、逃げ遅れた人形たちが次々と触手に捕らえられ、あるものは床へと叩き付けられ、あるものは触手そのものに打ち据えられ、あるいは貫かれてその体をあっけなく破壊されている。
「巨大なサメの次は、今度はクラーケンかよ……」
触手をあたり一帯に手当たり次第に伸ばしながら、水中から持ち上げられるように現れたその巨体に、思わず竜昇もうめき声を漏らす。
人形たちが取っていた戦術や装備など、この敵が相手ではもはや何の意味もなさなかった。
竜昇一人を、あるいは静達他のメンバーも含めた人間の集団を相手取ることを想定して最適化されていた人形の集団たちは、しかし全く性質の異なる力を使う敵の出現になす術もなく蹂躙されて、見る見るうちにその数を減らして壊滅の憂き目に遭っている。
そして、多数いた人形たちのその数が減って来れば、当然次に標的となるのは人形たちに混じった生身の人間だ。
「来るか――!!」
『ォォォオオオオオ――!!』
声をあげてアパゴが身構えたその瞬間、洞を風が吹き抜けるような声が響いてアパゴ一人に対して多数の触手が殺到する。
次々と着弾した触手が水しぶきと共にあたり一面にまき散らされて、竜昇のいる周囲にまで塩素の混じった雨が降り注ぐ。
ただしそんな攻撃はその一部たりとも、竜昇のいる方に矛先が向けられる気配はない。
(なんだ……? なんであいつはこの場にいる全員じゃなくて、あの【決戦二十七士】側の戦力ばかりを襲ってるんだ……?)
先ほどの一斉攻撃を最後に、いつまでたっても自分の方へ攻撃が来ないそんな状況に、竜昇は安堵しながらもぬぐえない疑念に内心首をかしげる。
否、疑問と言うなら、そもそもなぜこんなタイミングであの敵が参戦してきたのかがそもそも疑問だ。
そもそもこのボスは、竜昇達に分からない場所に隠れ潜むことをこそ戦略にしていたはずなのだ。
それが突然出てきて、【決戦二十七士】の方ばかりを襲っているというのは、竜昇達にとって都合よくはあるものの少々不自然と言える状況である。
そんな風に、竜昇が内心で困惑していたそんな時。
「竜昇さん――!!」
フロアボスが下ってきたのと同じ流れるプールの上流から、竜昇のいる方へと向かって静が一人で駆け寄ってきた。
即座に周囲を警戒しつつ体重を消して跳躍し、竜昇は駆け寄る静の元へと合流するべく着地を決める。
「静……!! あれは一体――」
「この階層のボスに【殺刃スキル】を習得させました。詩織さんがボスの居場所を暴いてくれたので、そのボスに直接スキルカードを投げつける形で」
「――な、【殺刃スキル】……!?」
あっさりと言い放たれた言葉の意味を理解して、しかし理解できたが故に竜昇はその大胆さに言葉を失う。
静が前の階層で【殺刃スキル】を入手して、秘密裏にそれを回収していたのは竜昇もすでに聞いていた。
けれどそのときにはすでにスキルシステムの裏に潜むデメリットの存在が明るみに出ていたため、誰かが習得するわけにもいかず静が持ったままとなっていたのだ。
だが、そう、デメリット。
そもそもスキルカードには、習得と同時に混入した記憶によって【決戦二十七士】への敵意まで植え付けられてしまうというデメリットがあるのだ。
ではもしも、この階層のボスと言えるような個体に、スキルを習得させることでその敵意までも植え付けることができたらどうなるか。
「先ほど先口さんに教わりました。こういう手法を、ゲームなどでは『ていむ』などと呼ぶそうです」
「――いや、静。悪いけどたぶんこういうのは調教(テイム)とは呼ばない」
むしろこれは、俗にMPKなどと呼ばれるような、もっと邪悪な部類の何かである。
とは言え、そんな静の行動が、この危機を脱するうえで非常に有効に作用していることもまた確かである。
実際今も、触手による殴打を受けても経ち続けるアパゴにしびれを切らしたのか、周囲の人形たちをあらかた駆逐し終えたフロアボスがその形態をクラーケンから再び巨大なサメへと変えて、大口を開けてアパゴへと向かって飛び掛かっている。
体を形成する流水の操作と【殺刃スキル】を駆使して、口の中にびっしりと刃のような歯を並べアパゴを噛み砕かんとするそれはあまりにも凶悪な絵面だったが、それでもこの展開自体は竜昇達に利するものなのだ。
すでに先ほどまで竜昇達を追い詰めていた人形たちがほとんど壊滅状態に追いやられていることと言い、戦況は間違いなく先ほどの絶体絶命の状況から好転していると言っていい。
ならば今、一時的にでも危機から脱した竜昇は、ここでどんな行動に打って出るべきなのか。
静達の手によってもたらされたこの千載一遇の機会をどう生かすべきか、そんな思考の元、竜昇は――。
「静――!!」
その決断を、そばに立つ少女へと呼びかけた。
閉じる咢の内側に刃が生える。
それも牙を模すなどと言う生易しいレベルではない。それこそ口内全てを埋め尽くすように、ただその内に入るものを生かしては出さぬと言わんばかりにびっしりと。
「ヌゥ――!!」
とっさに加護を下ろした両腕で閉じる咢を受け止めるが、流石にこのサイズの攻撃ともなればそこに秘められたパワーも絶大だ。
並ぶ口内に並ぶ刃が多数の加護による守りを上回り、受け止めたアパゴの両腕にわずかに食い込み傷をつける。
「かァッ――!!」
とは言え、アパゴとて最高の猛者の集団たる【決戦二十七士】に選ばれるほどの戦士であり、ただ攻撃を受け止めるだけでは終わらない豪傑だ。
食らいつく敵の咢を受け止めたその瞬間、別の加護を多数下ろした右足を蹴り上げて食らいつく水の怪物へと渾身の一撃を叩き込む。
『ォォォォオオオ――!!』
アパゴのケリが炸裂したその瞬間、サメを模した巨大な頭部が『ジュボンッ』と言う音と共に白い蒸気と化して弾け飛ぶ。
アパゴが己の右足に下ろした加護、多数の炎熱系の術理によって周辺の空気に陽炎が生まれるほどの熱量が怪物の体に炸裂して、その体を構成する水分が一瞬で気化して水蒸気爆発を起こしたのだ。
無論そんな熱量、通常ならば蒸気に触れただけでも火傷は間違いなしだが、その中心にいるアパゴは文字通り涼しい顔をしたままだ。
攻撃を受け止めた両腕、上半身裸でむき出しになっていたその箇所からはかろうじて出血が認められるが、それとて歯に皮膚の表面を破られただけで治癒の加護をかけておけばほどなくして血も止まる程度の損傷である。
とは言え、逆に言えばアパゴでさえ軽度とは言え負傷するほどの攻撃となれば、流石に軽く見てはいられないというのもまた事実。
「――やれやれ、面倒なことだ」
サメの如き頭部を蒸発させられ、しかしそれにも構わず体の方から触手を伸ばす水の怪物に対して、アパゴはため息をつきながら両手と右足それぞれに、まったく別の系統の加護を多数下ろして構えをとる。
「カァッ――!!」
直後、気合の一斉と共に殺到する触手に対して神速の三連撃が炸裂し、量の拳と右足による蹴りを撃ち込まれた触手がそれぞれ別々の反応と共に打ち砕かれる。
一つの系統による攻撃に限定せず、わざわざ三種類別々の系統の加護を込めてそれぞれ叩き込み、アパゴが見るのは与えた被害の規模とその後の動向だ。
(風撃による単純な爆散では飛び散った水をすぐに回収されてしまう……。
雷撃による通電は――、水量が多すぎて核まで届いていない……。
かと言って、凍結させる手は――)
思うさなか、直前のアパゴの攻撃によって凍結し、巨大な氷の塊となって砕け散った破片が水流の中に取り込まれそのまま水の怪物の体内を経由して猛烈な水圧と共にアパゴの方へと放たれる。
氷の砲弾交じりの、ただの水だけでも人間一人殺められそうな猛烈な放水。
直前の攻撃をまんまと相手の攻撃に利用されて、しかしアパゴが行うのは走りながらのどこまでも冷静な分析だ。
(凍結はやはり問題外……。となると、やはり熱により蒸発させるのが最適と言うことになるが……。こちらの攻撃によって削り切るよりも水がこの場に供給される方が早いのが問題か……)
厄介なことに、こうして交戦する間にも流れるプールの上流から続々と水が流れ込んでいて、この場で水の怪物が己の一部として取り込める水の量は継続的に増加している。
かと言って、もともとそれほど大規模な攻撃手段を有していないアパゴではこれだけの質量を持つ敵を一撃で屠るのは不可能だ。
もとよりアパゴ達ジョルイーニの部族は森の民。恵み豊かな森を傷つけぬために加護を身に纏い、あらゆる武器を操る術は身に着けて来たが、森そのものを傷つける恐れのある広域攻撃の術理にはどうしても疎い部分がある。
(あの女であれば、その手の術理もその身に修めているのだろうが……。やはり身をひそめたまま出てくる様子はないか……)
先ほどこの怪物が乱入して来たときから、いつの間にかその姿をくらましていた同胞の存在を思い出し、アパゴは内心で顔に出さずにため息を吐く。
危険な怪物の相手をアパゴ一人に任せて、自分一人隠れてしまったハンナの態度には思うところがないでもなかったが、もとよりあの女を相手にアパゴ達森の戦士の論理を持ち込む方が間違いなのだ。
保有する能力故に、今後のことを考えてもあの女はなるべく危険に曝したくないという事情もある。
ならばここは、やはり自分一人で地道にこの敵を削っていくしかないかと、そんな方針がアパゴの中で固まりかけて――。
「む――!?」
その瞬間、怪物と相対するアパゴの元へ、微弱ながらもはっきりとした魔力の感覚が波動となって押し寄せ、通り過ぎて行った。
なにか特定の被害がある訳ではない、けれど隠れ潜むものの気配を暴き出すという、この場においては非常に意味のある、ありすぎるそんな魔力の気配が。
(――ああ、そうか。戦場に飛び込む勇気があり、戦局を見極める知性もあるとなればそれが道理か……!!)
振り返り、そこに走る少年と少女の姿を見とめて、思わずアパゴは口元を歪めて声をあげる。
「この隙にあの女を狙うかッ――、若き戦士達よ――!!」
直前の【探査波動】によって居所を暴かれたハンナの元へ、静と竜昇が二人そろって一心不乱に駆けていく。
振り下ろされる水の触手への対処で手いっぱいになっているアパゴの方には目もくれず。
ただひたすらに、このまたとないチャンスを最大限生かしきるために。
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